2018年09月06日
一緒に学ぼう世界史のポイント 56 《ペインの繁栄とオランダの独立》
一緒に学ぼう世界史のポイント 56 《ペインの繁栄とオランダの独立》
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スペインの繁栄とオランダの繁栄
主権国家
ルネサンスや地理上の発見、宗教改革の話をして来ましたが、これらのことは殆ど同時に起きています。丁度同じ時期に、イタリアを舞台に戦争がある。これをイタリア戦争(1494〜1559)と言います。ダラダラ続いた戦争で、何が目的か現在から見たら好く判らないくらいですが、簡単に言ったら、分裂状態だったイタリアの支配権を巡ってドイツ皇帝・フランス王・スペイン王が争ったものです。
複雑な国際関係というものが、既にヨーロッパには誕生しているのですよ、と云う意味で教科書では太字で出て来ます。でも、ほんとに大事なのはイタリア戦争では無くて「国際関係」の方です。国際関係があると云う事は、国があると云う事で、これは当たり前のことなんですが、ヨーロッパにこの時期に為って国と云うのが出来てきましたよ、と言って居る訳です。正確に言えば「主権国家」と言うやつです。
イタリア戦争
それまでは、主権国家が無かったのかと言うと、ハッキリ言って無かった。何しろイギリス国王がノルマンディー公としてはフランス王の家臣と云う事が平気である世界ですから。何処から何処までがフランスで、何処から何処までがドイツなのか誰にも判らない。王の権力が及ぶ範囲がハッキリしない、そう云う世界が中世ヨーロッパです。
そう云う中で、商工業で経済力を着けてきた市民階級を味方にした王が政治の中心として飛び抜けた地位を得るようになる。そう云う王たちが主人公として争いあったのがイタリア戦争ですよと云う事です。
今までだって、王様の話を一杯してきたじゃないかって?それはそうなんですが、実は十字軍にしても、百年戦争にしても、王達と全く同格でナントカ伯とかナントカ公なんて云うのが活躍していたのです。主権国家と云う国家の捉え方は、誕生して未だ500年しか経っていないと云う事です。アジアや古代の国々は主権国家では無いのかと云うと、主権国家と云うより「王朝」国家と考えた方がピッタリ来るのです。はい、以上は教科書の解説でした。理解出来なかったら流してください。
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スペインの繁栄
コロンブスをアメリカに送り出したスペインは、16世紀になって絶頂期を迎えます。重要な王様は二人。先ず最初が、カルロス1世(位1516〜56)です。母親がスペイン王女だったので16歳でスペイン王位に就きますが、父方の祖父がハプスブルク家神聖ローマ皇帝だったので、この人はハプスブルク家出身と云う事になります。
スペインだけで無く、ハプスブルク家の領地も相続するので、カルロス1世の領土は膨大な広さになった。スペインは勿論、ネーデルラント・オーストリア・南イタリアなど、そしてアメリカ大陸の殆どの部分も彼の領土です。
神聖ローマ皇帝カール5世
更に、1519年には神聖ローマ皇帝に選ばれた。この時の話はルターの宗教改革の時に少ししましたね。神聖ローマ皇帝としての名前がカール5世。皇帝としては、困難な問題に直面した。宗教改革とそれに伴う内乱、イスラムの大帝国オスマン朝によるウィーン包囲など大事件が続発しました。
結局、宗教改革で起きた混乱はアウグルブルグの宗教和議(1555)で収まりますが、この時にカール5世は引退します。オーストリアの領地と神聖ローマ皇帝の地位を弟フェルディナントに譲り、スペイン・南イタリア・ネーデルラント・アメリカ植民地を息子フェリペに譲りました。この結果、ハプスブルク家は、オーストリア・ハプスブルク家とスペイン・ハプスブルク家に分かれる事になります。
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カルロス1世は神聖ローマ皇帝カール5世としての活動の方が重要だし、スペイン王としての影は薄い。カルロス1世はスペイン王と言っても、生まれも育ちもフランドル地方。今のフランス北部からベルギーに掛けての土地です。だから、スペイン語がどれだけ出来たかも疑問です。
スペイン王としては息子のフェリペ2世(位1556〜98)の方が重要。この王の時がスペインの最盛期です。
彼が相続した領土は先ほど述べました。ネーデルラントは特に重要です。宗教的にはバリバリのローマ=カトリックです。対抗宗教改革の中心と為って、新教諸派を弾圧します。ローマ教会としては頼もしい味方ですね。
レパントの海戦
1571年には、レパントの海戦でオスマン帝国海軍を破ります。オスマン帝国は陸軍も海軍も、向かう処敵無しで地中海を制レパントの海戦覇しようとしていた。ヨーロッパの軍隊は負けてばかりだったので、この勝利はスペインに大きな自信を与えます。
この海戦でオスマン海軍を破ったスペイン艦隊は「無敵艦隊(アルマダ)」と呼ばれるように為ります。『ドン=キホーテ』を書いた文豪セルバンテスがこの海戦に参加して片腕を失ったという話はしましたね。
1581年にはポルトガル王位も兼ねる。これは、フェリペ2世の母親がポルトガル王家出身だった為王位が転がり込んで来たのです。ポルトガルはアジア方面に多くの商館を建設していましたから、これも全てフェリペ2世の支配下に入るわけです。全世界にスペインの領土があると言って好い。そこでこの時代のスペインを「太陽の沈まない帝国」と言います。世界中に領土があるから24時間何時でもスペインには昼の場所があると云う事ですね。これがスペインの黄金時代です。
フェリペ2世
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経済的には、アメリカ大陸から黄金がドンドンスペインに運ばれて来る。又、ネーデルラントはヨーロッパでも商工業が発展した豊かな地域でしたから、ここから上がって来る税金も多い。フェリペ2世は、この有利な条件を利用して、上手に国家経営を行うことも出来たのですが、これに失敗します。フェリペ2世の時代から400年経った現在、スペインは過つての黄金時代の面影は無いですね。ヨーロッパ諸国の中では貧しい国に為ってしまっています。
フェリペ2世は、何処をどう間違えたのか。フェリペ2世は、左うちわで遊んでいても収入は途絶えることが無い訳です。で、この莫大な富を何に使ったか。戦争と奢侈に浪費したのです。体面を繕い見栄を張る為に使ってしまったのです。ここがポイントです。
皆は、もし宝くじで3億円当たったらどうしますか。何か欲しいものを買って、残りは貯金して置く?大事に取っておいてチビチビ使って一生遊んで暮らす?3億円で一生遊んで暮らせるかな?何を買うにしろ3億円で自分の欲しいものを買って使ってしまうのはフェリペ2世のタイプです。没落します。
賢いお金の使い方は投資する事です。例えばトヨタの車が欲しかったら、車を買わずにトヨタの株を買うのです。新車は5年すればポンコツに為るけれど、株は5年後に3倍に為って居るかもしれない。物を買えばお金は無くなるけれど投資すればお金は増えるのですよ。成功すればの話ですけどね。株じゃ無くても好いよ。喫茶店を始めるとか土地を買うとか、こう云うのも投資です。
フェリペ2世の置かれた立場と云うのは、宝くじで大金が当たったみたいなもので、彼が努力した訳では無く、偶々相続関係などで莫大な収入を得ることが出来た訳。処が、フェリペ2世はその収入を投資せずに使ってしまった。
国土の開発、産業の振興など、国を発展させる為のお金の使い方があった筈なんですが、そう云う事はしなかった。無尽蔵に運ばれ来るアメリカ大陸の金銀もやがて枯渇します。重税に喘ぐネーデルラントの人々がスペインからの独立戦争を始める。こう為ると、スペインのフェリペ2世の手元には何も残って居ないのですね。彼の治世にドル箱のネーデルラントが独立戦争を開始します。また、スペイン自慢の無敵艦隊もイギリスに敗れると云う事件が起こる。フェリペ2世の晩年からスペインは急速に衰えて行きます。
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オランダの繁栄と独立
サテ、フェリペ2世の時代にスペインの領土だったネーデルラントは現在のベルギーとオランダです。ここは古くから商工業が発達して経済的に繁栄していた。地理的には東ヨーロッパと西ヨーロッパにイギリスを結ぶ交通の要地にあって、ハンザ同盟に加わり繁栄した都市があったし毛織物工業も盛ん。百年戦争の原因の一つはこの地域の帰属問題でした。
ネーデルラントでは豊かな商工業者の発言力が強く、彼等がこの地域のオピニオンリーダーだった。宗教はカルヴァン派が多数です。前にも触れましたがカルヴァン派は蓄財を認めますから商工業者に信者が多かった。ネーデルラントの人達は経済的な利害を共にしていて団結力もある。幾つか絵を見てみましょう。
レンブラントの『夜警』
これは、レンブラントの『夜警』という絵。市民の自警団が町を守っている処なんですが、ここに描かれているのはアムステルダムの実在の商人達です。商人達が自分達でお金を出し合ってレンブラントを雇ってこの絵を描かせた。要するに現代で言えば集合記念写真みたいなものです。
こちらは同じくレンブラントの『織物検査役人』という作品。これも同様で、織物組合の人たちの集合肖像画。組合の本部に飾られていたものだそうです。
レンブラントの『織物検査役人』
飛び抜けた英雄や指導者が居る訳では無いけれど、市民たち一人ひとりが協力してネーデルラントを発展させて来たという、そう云う気風が伝わって来ます。
ネーデルラントの人々からすると、自分たちの住む「くに」は、封建領主の結婚で所有者が代わって行って、偶々スペインのフェリペ2世の領土に為って居るだけです。スペインに対して忠誠心なんか全然無い。処が、何を勘違いしたかフェリペ2世は行き成りネーデルラントの都市に重税を掛ける。それだけで無く宗教もローマ=カトリックを強制しようとした。
独立戦争
これが原因で、1568年、ネーデルラントの人々は独立戦争を始めました。指導者はネーデルラントの名門貴族オラニエ公ウィレム。名目的な指導者ですがこの名前は覚えてください。
オラニエ公ウィレム
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フェリペ2世は、スペインから軍隊を送り込んでネーデルラント側との戦いが始まりますが、スペインも強国ですから、ナカナカ簡単には独立出来そうにない。そう云う中でネーデルラントの南部10州が独立戦争から脱落します。南部はローマ=カトリックの信者が比較的多かったのも脱落の原因です。
これに対して、北部の7州は飽く迄戦い抜く覚悟を固めて、1579年ユトレヒト同盟という対スペイン軍事同盟を結成します。ネーデルラントは元々国になっていないので都市や州と云う地域毎に団結を確認しながらスペインと戦っているのです。ユトレヒト同盟の中心だった州がホラント州です。
・・・オランダ船が初めて日本に来た時に、応接した役人が「お前達は、スペイン人やポルトガル人とは違うようだが、何処から来たのじゃ」と尋ねた。オランダの船乗りはホラント州出身だったので「ホラントから来た」と答えたんだって。この時ホラントを国名と勘違いしてしまった為、以後日本ではこの国のことをホラントが訛ったオランダと云う名前で呼ぶことになります。
だから、オランダと云うのは日本でだけの呼び方です。外国人にオランダと言っても通じ無いから。本当はネーデルラントだからね。
それは兎も角、ユトレヒト同盟は1581年には独立を宣言して、ここにネーデルラント連邦共和国が成立しました。但し、スペインは諦めた訳でなく、この後も戦争は続いて1609年、スペインと休戦条約が結ばれて要約事実上の独立を達成しました。脱落した南部10州は後にベルギーと為ります。
因みにネーデルラントの独立戦争をイギリスが援助していますので、これは頭に入れて置いてください。当時のイギリス王がエリザベス1世ですね。フェリペ2世のプロポーズを受け入れる様な素振りを見せて結局振ってしまった因縁の関係です。この当たりについては、次回にお話しします。
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ネーデルラントの商人達はスペインとの戦争をしながらも、強(したた)かに海外貿易を繰り広げていました。当時、海外貿易に利用出来る大型帆船がヨーロッパ全体で2万、その内ネーデルラントの船が1万6千だったという数字もある位です。
17世紀前半のネーデルラントは、最先端の造船技術を持っていたこと、又、フランスなどから新教徒の商工業者がネーデルラントに移住して来たことなどによりヨーロッパの中で飛び抜けた経済的な地位を獲得し、アムステルダムは国際商業・金融の中心として繁栄しました。
オランダ東インド会社
貿易の中心をに為ったのが1602年に設立されたオランダ東インド会社です。東インドと云うのはアジアのことです。コロンブスがアメリカ大陸をインドだと思い込んでしまった影響で、アメリカをインドと呼ぶ慣習があって、本当のインドと区別する為にアメリカを西インド、本当のインド及びアジアを東インドと呼ぶ習わしがあったのです。衰えて行くスペインに取って代わって、アジア・アメリカ貿易を握って行くことに為ります。
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・・・このスペインからネーデルラントへの貿易の主役交替は、日本の歴史をみていてもハッキリわかります。戦国時代、盛んに日本に来航していたのは南蛮人と呼ばれたスペインやポルトガルでした。
オランダ船が初めて日本に来たのが1600年。リーフデ号と云う船で、実はこの船は二年前の1598年にオランダを出航している。コショウを買い付ける為にインドネシア方面に行く筈だったのですが、嵐に巻き込まれて漂流して現在の大分県の海岸に辿り着いたと云うものです。だから、意識して日本に来た訳では無い。出航時110名いた船員の殆どは既に死んでいて、生存者は僅か24名というから海外貿易は命がけですね。
当時は関ヶ原の戦いの直前です。徳川家康は世界情勢も気になりますから、リーフデ号の乗組員のオランダ人たちから情報収集した。その後彼等はオランダに帰るのですが、徳川家康に気に入られてそのまま日本に残ったのが2名いる。
ヤン=ヨーステン
その一人がヤン=ヨーステン。この人の屋敷が江戸に与えられて、その屋敷跡が八重洲と云う地名に残っている。東京駅に八重洲口というのがあるのですがそれです。
ウィリアム=アダムス
もう一人がウィリアム=アダムス。実はこの人はオランダ人ではなくイギリス人です。イギリスがネーデルラントの独立を支援していたと云う外交関係が浮かんで来ますね。彼はパイロットです。日本語でいうと水先案内人。羅針盤を見ながら船の航路を決めて行く役割です。
ウィリアム=アダムスは徳川家康の外交顧問になります。三浦半島に領地を与えられた彼の日本名が三浦按針(みうらあんじん)。按針とは羅針盤の針を点検するという意味です。
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これ以後、オランダとイギリスの商船が日本に来航する様に為るのですが、オランダは「キリスト教の布教はしません、純粋に商売だけをさして貰います」と家康に売り込んで、イエズス会の宣教師と一体になって遣ってくるスペインを追い落とし、やがては日本貿易を独占します。ヨーロッパでの両国の力関係の変化が、そのまま日本との貿易にも反映されているから面白い。
オマケですが、リーフデ号の船首にはネーデルラントが生んだルネサンス最大の人文学者エラスムスの像が飾られていました。このエラスムス像は現在でも残っていて、東京の国立博物館にあるそうです。これが見たくて、以前東京に行った時に、探したのですが見つかりませんでした。収蔵されているだけで非公開なのかもしれません。
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