2018年08月01日
一緒に学ぼう 世界史のポイント 1 《文明の発祥・メソポタミア》
世界史講義録より参照
世界史講義録 その1
文明の始まり・・・メソポタミア文明
シュメール人
世界で最初に生まれた文明がメソポタミア文明です。紀元前3500年位には都市国家が成立して、文明といえるものに為ったと言って好いでしょう。
メソポタミアとは川の間と云う意味で、ティグリスとユーフラテスの二つの川に挟まれた地方を指します。現在の国名で云うとイラクです。以前は、サダム・フセイン大統領で有名。昨年末(1998)にもアメリカとイギリスに空爆されて大きなニュースに為りましたね。今はアメリカに国家を破壊されて再建途上にあります。
このメソポタミア地方の川下、河口付近に初めての文明が出来ます。文明を作り上げたのはシュメール人。民族系統不明です。残された彫刻などを見ると、目がクリクリと大きくて、波打つ立派な長いアゴヒゲが特徴的ですね。
今、この地域はイスラム教徒、アラブ人の世界ですが、男達は皆ヒゲを蓄える風習がある。ヒゲが無いと子供かオカマだと思われるらしい。
アラブ社会の民俗を研究している人の講演を聞いた事がありますが、その先生は帰国直後でヤギみたいなちょび髭を一所懸命伸ばして居ました。「こんなヒゲでも、生やしていないと一人前として扱って貰えないので」とボヤイテました。
ヒゲ等のファッションは、時代や文化によって変化するものですが、ヒョットしたらこの地域ではシュメール人以来5000年間ずっとヒゲを伸ばして居たのかも知れないね。(注:シュメール人はヒゲを剃るのが一般的らしいが、使用していた資料集の写真に基づいてこの様な説明をして居ました)
メソポタミアに最初に文明が生まれたのは、農業生産性が非常に高かったかららしい。先ず、麦と羊の原産地だった。そして、この麦の収穫量が非常に高かった。1粒の麦を播いて20倍から80倍の収穫があったと言われています。
これがどの位凄いかと云うと、19世紀のヨーロッパで麦の収穫は播種量の5・6倍位、現代でもヨーロッパで15倍から16倍、アメリカで23倍と云う数字があります。だから、現代と同じかそれ以上の収穫があったと云う訳だ。沢山穫れれば余裕も生まれる。その余裕が後世に残る文明を生み出したのでしょう。
因みに、日本の米はどうかと云うと、江戸時代は30から40倍、今は110倍から144倍です。
シュメール人はメソポタミア地方に沢山の都市国家を築きました。ウル・ウルク・ラガシュ等と云う都市が有名です。しかし、都市国家同士の抗争が激しく統一国家が出来る事はありませんでした。政治は、神殿を中心に神権政治が行われていたらしい。
シュメール人の文化
彼等の残した文化は後世に大きな影響を与えて居るからこれは確り覚えて置きましょう。先ずは、暦(こよみ)。世界初の暦。月の満ち欠けで年月を測る太陰暦です。数字は60進法でした。これは、現在もある分野で日常的に使われるね。何ですか。そう、時間です。一時間は何故か60分。何故かと云うとシュメールなの。
多くの小学生が時間の計算でつまづく。君達も苦しんだでしょ。シュメールだね。何故、シュメール人が60進法を採用したかはハッキリ判っていません。
土器は彩文土器と云うのが出ます。土器に赤い模様が描かれていますね。文字は、くさび形文字を発明しました。紙は未だ無い時代、粘土板に葦を切ったものでくさび形に字を刻み込んで行きました。
細かい文字で沢山書いているね。シュメール人が歴史から消えた後も、メソポタミア地方では長い間この文字を使っていました。今のアルファベットの役割を果たした訳だ。
シュメール人の時代から二千年も後ですが、アケメネス朝ペルシアと云う国が大帝国を作ります。この国もくさび形文字を使って居て、ダレイオス大王と云う王が、自分の功績を刻んだベヒストゥーン碑文と云うのを残しました。
これは三つの言語をくさび形文字で刻んだもので、くさび形文字解読の切っ掛けと為った重要な碑文です。解読したのははローリンソンと云うイギリス人。覚えて置きましょう。
この碑文は地上100メートル以上の絶壁に刻まれて居て、ローリンソンは今で云うロッククライミングみたいな事をして、マア命がけで碑文を模写したんです。19世紀のことです。
それからハンコ、印章です、これもシュメール人が最初。円筒印章と云うのがあって絵が刻んである。これを粘土の上をコロコロと転がすと長い絵が浮かび上がる訳です。円筒印章は中心に紐を通して首に懸けるように為っていた。これを身に着けているのが高い地位の象徴だったらしいです。
エデンの園
シュメール人の文化や暮らしは色々な伝説や物語に大きな影響を与えています。例えば、旧約聖書にはシュメールの影響がかなりあります。旧約聖書の最初の話、神が世界と人間を創造する話があります。神が「光あれ」と言って光が出来る。これが一日目。二日、三日と色々造って、六日目に人間を造って、七日目にお休みします。これは、シュメールの七曜の影響。
それからアダムとイヴの話。神が泥から作り上げた最初の人間が男アダム。一人じゃ寂しかろうと、神はアダムの肋骨を一本採って、これで女イヴを造る。二人は、裸のままの姿でそれを恥ずかしいとも思わずに、働かなくても暮らせる地上の楽園、エデンの園に住んでます。
サテ、神は二人に一つの約束をさせるんだ。エデンの園の真ん中に知恵の木がある。その実だけは絶対に食べては為ら無いと云う約束です。処が、何故か蛇が出て来るのです。その蛇がイヴを誘惑する。知恵の木の実を食べても死にませんよ、ホラ、こんなに美味しおまっせ、食べなはれと言う。
イヴはツイツイ食べてしまう。オマケにアダムにも勧めて、結局二人とも食べてしまった。すると急に知恵が着いてしまって彼等は互いに裸である事に気がつき、葉っぱで腰蓑を作って局部を隠します。約束を破ったことが神に知られ、その怒りに触れて二人はエデンの園を追放されました。
追放されたのがエデンの東。そこでは、地に這いつくばって厳しい労働をしなければ生きて行けないんです。ジェームズ・ディーン主演の「エデンの東」と云う映画があります。楽園の直ぐ隣だけれどそこは楽園では無い、それがエデンの東。そう思って見るとこの映画また一段と深いよ。
エデンの園の話がシュメールとどんな関係があるかと云うと、エデンの園はシュメール人が住んでいた実在の場所らしい。ラガシュとウンマと云う二つの都市国家が、前2600〜前2500年頃に「グ・エディン」(平野の首)と云う土地を巡って戦争を繰り返して居るんです。どうもこのグ・エディンがエデンの園のモデルらしい。
話が後先に為りましたが、旧約聖書を作ったのはヘブライ人と云う人達です。彼等は前10世紀頃に自分達の国家を建設するんですが、それ以前は部族毎に分かれて牧畜などをしながらメソポタミア地方からエジプトに掛けて放浪生活をして居た。
豊かなシュメールの土地に住みたいけれど、そこに入り込むだけの勢力が無かったんだろう。何故、自分達はあの豊かな土地に住め無いのかと云う不満・不運を自分達自身に納得させる為、楽園追放の物語が作られたのではないかと思います。人間と云うのは納得さえ出来れば不運に耐えられる生き物なんだと思う。エデンは、豊かなシュメールの地の、その中でも最も豊かな土地の象徴だったんだろう。
バベルの塔
それから、バベルの塔の話です。これは知っていますか。人間が天まで届きそうな高い塔を建てる。これを知った神がこの塔を打ち壊すんだね。
「神に届こうとする不届きな振る舞いだ」と神様が怒ったと一般に言われていますが、聖書を読むとそんな事は書いていません。理由は解ら無いが兎に角神は塔を壊し、人々は散り散りに為りお互いに話す言葉が通じ無く為ったと云う話。
で、このバベルの塔のモデルが矢張りシュメールにあるらしい。シュメール人達が建設した神殿にジッグラトと云うものがあります。高い塔の形をした神殿で、その遺跡は沢山残っています。これがバベルの塔のモデルと言われています。
大洪水
極め付きの話は、ノアの箱舟でしょう。 人々が神に対する信仰を失って自堕落な生活を送っている時に、ノアと云う男だけが信仰を守って敬虔な生活をしていた。神は、信仰を忘れた人類を滅ぼそうと思ったけれど、真面目なノアだけは助けようとするんですね。
或る日、箱舟を作れとノアにお告げをする。何だか判ら無いままにノアはお告げに従って、家族皆して箱舟を作ります。長さこれだけ幅これだけとか、神は結構細かいお告げをする。で、その通りに作ります。他の人達はそんなノアを馬鹿にするんだけど。
処が大洪水が遣って来て、舟に乗り込んでいたノアの家族だけが生き残ったと云う話。この時、ノアはあらゆる動物をつがいで舟に乗せていてこれも助かる。
このノアの箱舟の話も、シュメール人の話に元ネタがあるのです。シュメール人が残した粘土板に『ギルガメシュ叙事詩』と言われる物語があって、そこにノアの箱舟とソックリの話が載って居たのです。少し読んでみよう。先ず、神のお告げです。
「シュルパックの人、ウパラ=トゥトの息子よ、家を打ち壊し舟を造れ。・・・全ての生きものの種を舟に積み込め。お前が造るべきその舟は、その寸法を定められた通りにせねばならぬ。…六日六晩に渉って、嵐と洪水が押し寄せ台風が国土を荒らした。
七日目が遣って来ると、洪水の嵐は戦いに敗れた。…そして全ての人間は泥土に帰していた。…舟はニシルの山に留まった。…七日目がヤッテっ来ると、私は鳩を解き放してやった。鳩は立ち去ったが、舞い戻って来た。…私は大烏を解き放してやった。大烏は立ち去り、水が引いたのを見て、ものを食べ、飛び回り、カアカア鳴き帰って来なかった。そこで私は…生け贄を捧げた」 (ギルガメシュ叙事詩の洪水物語、高橋正男訳)
聖書にも大嵐が収まった後、ノアが鳥を飛ばして陸地が現れたかどうか確かめる場面があるんですが、こんな細かい処までソックリ。
キリスト教を信仰するヨーロッパ人達は聖書に書いてあることは真実の物語と考えて居たのですが『ギルガメシュ叙事詩』が発見されることによって、旧約聖書が成立する1000年以上前にその元の話があったことが判った。洪水神話はメソポタミア地方全域で広く普及した物語だったのだろうと云う事です。
古代の説話のひとつとして、聖書が相対化されたと云う意味で、ヨーロッパ人に取ってギルガメシュの物語は大発見だったのです。実際にシュメール人の遺跡発掘が進んで行くと、シュメール人の都市国家が大きな洪水に見舞われていることも判って来た。
『ギルガメシュ叙事詩』にはこんな一節もある。或る時ギルガメシュは太陽神ウトゥに訴える。「・・・心悲しい事に、私の町では人は全て死ぬ。・・・私は城壁の外を眺めていて死体が幾つも河面に浮いているのを見てしまったのだ」
洪水で苦しんで居たんだね。ティグリス・ユーフラテス河の氾濫の記憶が次第に大洪水の神話物語に発展したのだと言われています。
「もののけ姫」
ギルガメシュ叙事詩の話をもう一つ。聖書の元ネタと言ったんだけど、映画の元ネタにも為ってるんだ。 「もののけ姫」見ましたか。私、4回見ました。大流行したから見た人も多いんじゃないかな。アレの元はギルガメシュ叙事詩ですよ。5000年前のシュメール人の物語が現代人に訴えるパワーを持ってるんだね。ギルガメシュ叙事詩の前半にこんな話がある。
当時からメソポタミア地方は森林資源は乏しかったらしい。英雄ギルガメシュは町を建設する為に木材が欲しい。そこで、レバノン杉、このレバノン杉は又後々出て来ますから好く覚えて置いて下さい、そのレバノン杉の森に木を採りに出かける。
ギルガメシュは親友のエンキムドゥと云う勇士と共に旅立つんです。祟りがあるから止めとけと云う周囲の制止を振り切って。ギルガメシュとエンキムドゥはレバノン杉の森に遣って来て、その美しさに立ち尽くす。美しさに圧倒された二人は呆然と森を見続けます。しかし、ギルガメシュは気を取り直してこう思った。
「この森を破壊し、ウルクの町を立派にすることが人間の幸福に為るのだ」
森の中に入って行くとそこには森の神フンババと云うのが居て、森を守る為にギルガメシュ達と闘うんですが、最後には森の神はエンキムドゥに殺されてしまう。フンババは頭を切り落とされて殺され、エンキムドゥは「頭を掴み金桶に押し込めた」その後、エンキムドゥは祟りで別の神に殺されてしまうんですがね。
「もののけ姫」と同じでしょ。エンキムドゥが「たたら場」のエボシ様、フンババがシシ神、首を落として桶に詰める処まで同じ。ギルガメシュ叙事詩では、フンババが殺された後「只充満するものが山に満ちた」と書かれている。
「もののけ姫」では、シシ神の体から流れ出たドロドロのものが山を焼き尽くす。宮崎駿の解釈なんだろうな。エンキムドゥは祟りで死にますが、エボシ様は狼の神モロに片腕を食い千切られるだけで済んでいますがね。この辺、優しい解釈だね。
人間が文明を発展させれば、必ず自然を破壊する、森を破壊し無ければ生きていけ無い。しかし、森を殺せばそれは必ず人間、人類と言って言いかな、にそのシッペ返しは来る。どうすれば好いのか。森と共に生きる道はないのかと「もののけ姫」ではアシタカが苦悩するまま、解答無しで終わります。
5000年前に既に、自然破壊の問題が起こっていたと云う事は、確り覚えて置いた方が好い。レバノン杉は、地中海東岸のレバノン山脈から小アジアに掛けて広く分布して居ました。しかし、シュメール人の時代に既にレバノン山脈東側のメソポタミア地方に面している方は殆ど切り尽くされて居たらしい。
現在では西側地中海に面した地域も僅かに残って居るだけです。現在のレバノン国旗の真ん中には、レバノン杉が描かれて居ます。
森林資源が乏しい為に、メソポタミア地方ではインダス川流域からも木材を輸入していた。レバノン山脈から運ぶよりもインドから海上輸送した方が簡単だったらしい。そのインダス川下流地域も今は森林資源は枯渇して居ます。
つづく
2019 04 19
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