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2018年05月07日

真剣に憲法を考えよう・・・


 参照します・・・ 


 「歴史は繰り返す」と分かっている筈なのに、何故こんなに歴史に学ぶことは難しいのか?

 作家・半藤一利「歴史と戦争」真実の明治150年史

 〜坂の上の雲を目指した日本が、ここまで墜ちた「運命の一瞬」とは?

 ◆戊(ぼ)申(しん)・西南・日清・日露・太平洋戦争・・・日本近代化の歩みは戦争の歴史
 ◆明治維新は、かっこいい名前を後から付けたが実は暴力革命
 ◆勝海舟がいなかったら日本は東西分裂国家に為っていた
 ◆コチコチの愛国者ほど国を害するものは無い
 ◆西郷隆盛は毛沢東・・・只の農本主義者であり永久革命家
 ◆日露戦争に勝ったが為に日本人はリアリズムを失った
 ◆「大日本帝国は山形有朋が滅ぼした」と言って好い
 ◆満州事変後、新聞は商売の為に戦争を煽った
 ◆ノモンハン事件から学ぶものは、当時の陸軍エリートの「底知れない無責任」 
 ◆「日本民族は世界一優秀」と云う虚構に気づか無かった戦時下の日本人
 ◆昭和20年8月14日〜17日・・・軍部もマスコミも都合の悪い資料を皆燃やした
 ◆先の戦争は、人間がどの位非人間的に為れるかを教えて呉れた
 ◆「非戦をとなえてもムダ」と云う諦めが戦争を招く・・・ほか

  たちまち5万部突破!幻冬舎新書の話題作

 近代日本の流れが掴める!
 大局観が身に着く!
 入門書としても最適のエッセンス・オブ・半藤日本史


 ・・・これは、朝日新聞に掲載された新刊本の宣伝広告コピーです。作家・半藤一利氏は、今まで独自の目線で昭和史を捉(とら)え、数々の話題作を提供して来られました・・・その最新のエッセイ集なのだろうと思います。勿論、私は未だ読んではいませんが、想いに溢れた内容の署作だろうと想像します。これを見て私は思わず気に為って書き留めて置いたのです。
 歴史を如何に解釈し如何に現実と未来に生かすのかが問われるのですが、中には、そうであるべきだ・そうでありたいと短絡的に自分の理想や志向に併せて歴史を美化し誤って解釈する人が居ます。そして誤解したまま現実と未来に当て嵌め様とすると引き返しの付か無い事に為るのは間違い無いだろうと考えます。
 それを防ぐ為に私達が出来る事は、如何に客観的に多面的に正しく広く深く情報を取り入れる能力を有しそれを高めるかに掛かっているのです。だから、私達受け取る側も真摯に学ぶ努力をし、著者自身の研鑽と努力に対し報いなくては為らないとも思います。本書は、そう云う啓発書だろうと想像しているのです。

 ここに来て、明治を、明治維新を新たな切り口で見直そうとする多くの動きが出て来た事に私は「ホッ」とし安堵しています。日本にはマダマダ多くの常識人が居ることを心から誇りに思うのです。
 明治以来私達は、徒(いたずら)に観念的に明治維新・明治時代を過大評価して来てしまった嫌いがありました。それまで「御一新」と呼ばれて来たものを「明治維新」へと呼び変えたのは、昭和の愛国者・青年将校達の5・15や2・26決起事件後に始まった事でした。彼等は「昭和維新」と叫び「御一新」を「明治維新」と呼び変えたのです。
 何れも、天皇の僕(しもべ)である政治家や高級官僚達の腐敗と堕落を糾弾(きゅうだん)し、天皇親政により真に困窮する国民の為の政治体制への変革を望んだ行動でした。しかし彼等の為した事は、天皇の周(まわ)りの政治家に「問答無用」とばかり刃(やいば)を向ける事でした。更にこの行動が結果的に民主主義を否定し、「軍の統帥権は天皇に在り政治から独立して居る(統帥権の独立)」と主張する軍部独裁の政治へと向かわせる大きな曲がり角と為ってしまったのです。
 決して彼等が政治を「私し」しょうと考えたのでは無く、その行動の結果が軍部の台頭へと繋がってしまった苦い経緯と為ってしまったのです。軍は政治のコントロール下にある、とするのがシビリアン・コントロールであり、彼等の為したことが日本をその逆に向かわせてしまったことに為るのです。

 当時世界的な不景気で、国内は街には失業者が溢れ更に冷害や飢饉が続発し大いに疲弊して居ました。特に東北の冷害・飢饉の被害は大きく、食べられず小作料や税も払えず「娘を売る」農家が続出したのです。そんな困窮する国民を見兼ねた若者達が、無策な政治や潤う財閥を批判して武装決起したものです。彼等はその行動の結果を予知出来ず、国民の関心・期待は海外の植民地・満州へと強まりメディアも国民を唆(そそのか)し、満州事変・日中戦争から太平洋戦争へと拡大してしまったのが戦前の歩みでした。
 最も、後に明治維新の精神的支柱と崇められた吉田松陰は「開国し富を軍備に集め近隣を切り従え・・・!」と海外への植民地拡大による我が国の発展を唱えて居たのですから、指導者の中にはそれを為したと考える人も居た事でしょう・・・その夢は空しく敗れ去ったのです。

 議院内閣制度の歪みなのか、憲法・法律の執行機関たる行政府の長(総理・首相)が先頭に立って憲法改正を声高に叫んでいるのが日本の呆れた現実です。本来それは、それを必要と考える国民と国民を代表する立法府(議会)の仕事であり、憲法を遵守する為の執行機関である行政府の長が云うべき事では無いのです。
 行政が思う通りに為ら無い、遣り難(にく)いから憲法を変えよう・・・この様な主客転倒の無様な姿を晒しているのが今の姿です。憲法とは、主権者(国民)が執行機関から無法な圧力を掛けられぬ様、主権者である国民を行政府から守る為のブレーキ・箍(たが)でありそれを文章に成文化したものです。
 GHQに押し付けられたものだから嫌だ・日本人が日本人の為に作ったもので無ければ嫌だ・・・そんなガキの戯言(たわごと)の様な事で未熟に稚拙に変えられたら大変な事に為るのです。主権者である国民の大きな声が有って初めて議会が論議し、それで立法府が国民に改憲案を提案して国民投票により承認を得る・・・と現憲法にも規定されて居る通り、それが本来の形なのです。

 行政府の長である人間の口から一切の憲法批判を出しては為ら無いのが原則です。現憲法によって自身の立場(執行権)を与えられた人間が、その憲法を批判するのは自らの立場を否定するものだからです。総理・首相をサッサと辞めて一議員に戻り憲法改正を唱えたら好いのです。
 憲法で否定されている「軍・自衛隊」を認めようと、その他の条項を残したまま「軍・自衛隊」の存在を新憲法に銘記しようとするのは余りに小手先の姑息な手法です。現憲法下での防衛省関連の法律が、特にシビリアン・コントロールの部分が宙に浮いてしまう危険性があるのです・・・上級法(憲法)と下級法がアベコベに為ってしまう矛盾が生まれるからです。

 今回、勤務時間外のマラソン途中の現役の幕僚(30代の3佐)が野党の議員と遭遇し、日頃の政治活動を批判する「バカ!国民の為の政治をしろ!気持ち悪い!」と激高して声を挙げたらしいのです。30代のエリート幕僚が、議員に対して日頃の言動への不満をブツケた事件が起きたのですが、防衛省は「自衛官の品位に欠ける・・・」として戒告(注意)処分で移動の処置をしたと発表した。
 これが妥当なのか軽すぎるのか・・・勤務外の私的な時間だと云い暴力事件でも無いからと判断したらしい。3佐とは部隊(中隊・大隊クラス)を指揮する立場の階級であり、統幕の幕僚として自衛隊中央の若きエリートなので思わず昔の事件を思い出してしまいます。この様な不満や憤りを自衛官の指揮官が日常的に心に持って居る現実を私達は見逃しては為りません。更に、単に憲法に自衛隊を書き込む事でその不満を鎮められるとも思え無いのです。

 私達は近い過去に強烈な経験を学んでいます・・・が、それを知る戦争経験者が次々と鬼籍に入り、それを発言する機会が少なく為りました。戦争を知らない世代が又同じ間違いをする可能性は無いのでしようか? シビリアン・コントロールが果たして機能しているのでしょうか?政治に彼等を統率する力があるのでしょうか?そのコントロールする技術を有しているのでしょうか?
 色々な危惧を覚えるのですが、この国は果たして大丈夫なのでしょうか?誰もが望んでない戦争への道へと知らず知らずに向かって行くのでは無いでしょうか、一人一人が見逃し後回しにして好いのでしょうか?と老婆心ながら思いを巡らしているのです。

 何時からの事だろう・・・美しい国・憲法改正・愛国心・日の丸・君が代・・・と矢継ぎ早に唐突に持ち出して人々を驚かせたのは?
 が、その言葉に直ぐに人々は慣れてしまうのです。郷土の誇りであり尊敬すると吉田松陰を持ち上げ、教育勅語を素晴らしいと持ち上げ、愛国心教育を教科に組み入れ教育基本法を改正し、戦後以来の民主主義を古臭いと平和・護憲の立場の人達を辱める。東京裁判・ポッダム宣言に疑問を投げ掛け、先の戦争は侵略戦争では無く聖戦だと言い包める。戦前を懐かしみ回顧する風潮は、確かにある意味目新しく新鮮だったからでしょう。
 それは、戦前のナチズムを自ら徹底的に排除したドイツにおいても右傾化の兆しが芽生えている事からも、戦後以来の民主主義と戦後からの政治の見直しの中から生まれたものでしょう・・・非人道的な殺戮を繰り返した過去から平和・協調へと路線変換したのですが、直ぐに東西の争いと為り冷戦へと時代は変化しました。更に、ソ連が解体されアメリカ一強へと為っても、自国第一だと協調性を軽んじる様に世界に可笑しな空気が漂うように為りました。

 歴史は繰り返す・・・有っては為ら無いことが今将に起きようとしているのでは無かろうか?そんな世界はもう懲り懲りだ決して有っては為らない。300百万人と云う血を流して得たのが今の憲法では無かったのではないか。武器も無く食料も無くただ精神力だけをもって餓死し病死された幾多の魂に守られた尊い宝物こそが二度と戦争しないと誓った憲法であり、国民主権と自由・平等・権利・義務を銘記した現憲法だったのです。
 何か問題があるのであれば改正も止もうえ無いのですが、抽象的に為らず何処がどの様に問題に為るのかを示して一つ一つ吟味し議論したら好いのです。稚拙に急がず、2年3年・・・5年10年掛かっても徹底的に議論すべきであり、多くの国民の納得の上で為されるべきでしょう。

 私はゴリゴリの護憲主義者ではありません、何処か不備があれば改正することに吝(やぶさ)かでもありませんし、憲法に環境保護や未来を唄う項目があっても好いし、男女平等を国家の意志として唱える事も必要だと思います。安全保障の問題は、多くの国民が納得するまでトコトン議論したら好いのです。但し、武力を持つと使いたくなるのは人情ですから、120%抑える事が必要です。

 短絡に決める政治が好いのか、グダグダと論議だけで結論の出せない政治が好いのか?二者択一を求めては為りません。事と次第に依ってスピーディーに結論を出すことも必要でしょうし、5年10年掛かって多くの同意を得た上で結論を出すものもあります。
 全てを国民投票で済ませたら?と云う人も居ますが、アメリカの大統領選挙やイギリスのEC選択の例を見ると大衆迎合的(ポピュリズム)な一時の国民感情に全てを任せるのは大いに危険だろうと思います。このことで国民が二分し対立を生み出すこともあるでしょうし、後に大きな後悔を生み出すかも知れません。
 後の時代に「時代の流れだった」と形容する様に、一時の流れに任せたのが戦争を期待した当時の多くの国民の存在でした。日清・日露と戦勝を続け戦闘的な国民を育てたのは、単に政府だけでは無くメディアや国民の側にも多くの原因があるのです。美しく強く大きな声で何度も叫ばれると、その気に為ってしまうのが人情で、少年時代より好戦的な人間を生み出してしまうのです。多くの少年が「天皇陛下の為に兵隊さんに為って戦う!」と心から思って居たのですから。

 「歴史は繰り返す」と分かっている筈なのに、何故こんなに歴史に学ぶことは難しいのか?

 巻頭のこの問は、私達が充分心して考えなければ為らない永遠の課題なのです・・・
 
 

 

 

 



 
 

 
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