2018年07月04日
硫黄島 祖父の戦争体験記 その5
祖父の戦争体験記 その5
3月11日
昨夜は寝ずに陣地作りをしたが夜が明けた。3月11日なり。戦争は我軍に不利なり。必死の防戦も空しく段々と押されている。
考えてみると、ここ数日穴掘りや斬込みばかりである。戦死者も多かった。負傷者も多かった。元気な奴は骨と皮である。まともな兵は居らぬ。第一喰うものがないのだからである。支那からずっと一緒に戦ってきた谷川政一上等兵も死んだと聞かされた。頭に手榴弾を受けて、鉄カブト諸共頭が飛んだという。可愛そうな事をしたものだ。この友は出征途中、大阪駅ホームで妻と最後の別れを惜しんでいた兵だが、本当にあれが最後の別れであったのだ。
部隊に帰る
私のように生きていれば、次の戦いに出される訳だが、天山も敵が来なくなった。残った兵を集めて北部落の陣地に帰る事に為った。皆喜んだ。九死に一生を得て今ぞ部落の部隊に帰れるのだ。要約帰り着いた。陣地の中には負傷した者など沢山居った。私等を見て、好く帰って来たと大変喜んで呉れた。これで暫く休ませて呉れると思って喜んでいたがそうは問屋が卸さん、次の命令が出される。
3月13日
私は3月1日付で陸軍伍長に任ぜられて居た。死に土産の進級と思う。何れ死ぬのだからその土産だ。果して次の斬込命令が来たのである。今度は下士官として兵を指揮する事に為った。島は半分取られ、ジリジリ押されて3分の1も残って居ない様な状況だ。
今度の斬込が我が部隊最後の斬込である。1000に1つも生きて帰れる見込みは無い。必ず死である。今度は生きて居ても帰る所も無いであろう。この陣地も数日で落ちる。死は決定的と為った。これから斬込の準備をしなければならない。
昭和20年3月13日、最後の斬込命令が出された。下記の8名が決まった。
斬込分隊長 矢野 千郎 軍 曹 高知県 予備役
隊 員 高橋 利春 伍 長 高知県 〃
〃 吉岡 富造 伍 長 愛媛県 〃
〃 横山 義範 上等兵 高知県 〃
〃 石崎 薫 上等兵 愛媛県 〃
〃 林 正吾 上等兵 徳島県 〃
〃 木村 甫 一等兵 徳島県 補充兵
〃 野口勝二郎 一等兵 徳島県 〃
我等は工兵であり爆弾作りは専門家である。忽ち20キロ爆弾を各自が作った。これを背負って敵の戦車に我が身諸共飛込むのである。夜に為るのを待って爆弾を各自背負う。銃を下げた。誰も何にも言わぬ。言いたくも無い。明朝は嫌でも散らねば為らぬのだ。再びこの陣地に戻る事は無いのである。戦局は不利、師団司令部も危ない状況である。
サア出発だ。陣地に残る負傷兵は沢山居る。我等の出発を見て、一緒に死にたい連れて行ってくれと泣く兵も居る。私が仲の好かった高橋為数上等兵は足を撃たれ養生していたが、私に、連れて行って下さい共に死にたいと泣きながら頼むのである。私も可愛そうに思って、歩けるかと言うと歩けますと立ち上がったが再びバッタリ倒れた。
お前は無理だ、養生して治ってから斬込め、と慰めて出発した。あの上等兵の悲壮な顔は、今も忘れられ無い。
我等8名は穴陣地を出た。暗く為っている。弾丸が飛んで居る。横山上等兵が「高橋班長、今夜は敵弾が妙に飛んで来るのう、地面にブスブス入るが普段と違うなぜよ」と言った。あの声は忘れられ無い。
私は各兵の間を30メートル離して行く事にした。集団で行くと一人に弾丸が当たれば全員死ぬる。背中の爆薬に火が点き吹き飛ぶからである。それでは戦車に飛込めず目的が達せられないからだ。
陸からも海からもタマは飛んで来る。その中を天山に向かって進んで行く。明朝天山に来る戦車を破壊せねば為らぬ。私は日本を発つ時必ず生きて帰ると妻子に言ったがどうも約束は果たせ無い事に為った。死なねば為らぬ運命に為った。生きていても米無い水無い弾丸無いどの道生きられ無いのだ。妻子に許せよ私は生きて帰れない事になったと心で詫びた。今は只死を覚悟で進んで行くのである。
天山着
天山は何時も来ているので地形が判っている。横穴陣地に入る。天山に着いたのだ。朝まで休む事に為る。
昭和20年3月14日の朝に為る。今日が我等の命日と為るのだと誓う。交代で穴の出口で敵の来るのを待つ。私が交替して敵の方を見ていると、目の前がピカッと光った。ドカンと音がして私は土砂の中に埋まった。
砲弾が目の前に落ちたのだ。不発であった。助かったが、爆発して居れば木っ端みじんに為っていた訳だ。私は、何時でも死に直面すると何かが起こり助かるのだ、不思議である。
戦車来る
来る筈の戦車は未だ来んので飛込む訳には行かぬ。交代で見張る。戦車が来たぞーと見張りは叫ぶ。私が行ってみた。本当に来た。今迄3回も斬込に行ったが戦車が来んので助かったが今度はそうはいかん、戦車が来た。
茶色で大型M4という最も恐ろしい奴が来たのだ。200メートル位遠くに居る。大砲を突出し機銃を左右に着け火炎放射器も着けている。我等8名の死ぬ時が来たのだ。どう考えても助かる見込みは無い。覚悟は出来ている。恐れはせぬが死は我等に刻々と迫って居るのである。
別の陣地に4名を連れて見張りをしていた矢野軍曹が、戦車が来たぞー戦闘準備と叫んで走って来た。その顔色は蒼褪めている。私は早く見付けて居たので慌て無い。どうせ死ぬのだから恐ろしく無い。死ねば好いのだ。戦車に飛込めば好いのだ。他に道は無いのだ。
敵は前方を火炎放射器で焼き払い、機関銃で掃射し大砲でドカンドカンと撃ってズルズルと進むだけだ。これを繰り返している。1時間に10メートルも進ま無い。我等は戦車が10メートルに近づいたら飛び出せと決めている。一番先に飛込むのは私であり2番は矢野軍曹だ。3番は吉岡伍長、4番は横山上等兵、5番は石崎上等兵、6番は林上等兵、7番は木村一等兵、8番は野口一等兵と決めてある。
戦車は何10台も居り、我等は8名だから8台しか破壊出来ないが止むを得ん。二度は飛込めぬのだから、残った戦車は我軍の方に雪崩込むであろう。
私は4回目の召集なり。今日ここで死ぬとは運が悪い。しかし戦陣訓にも書いてある。散るべき時は清く散れである。その散るべきときが来たのだ。清く散るより他に方法は無いのだ。私は覚悟している。皆の顔を見た。みんな無言で頷いた。準備は終わった。10メートルまで戦車が近づくのを待つ。
私は兵に、好く休んで置けよと言って置いて穴の出口に行き、戦車を見詰めていた。矢野軍曹も今は同じ陣地で飛込む時期を待っている。一斉に飛込むが総指揮は矢野軍曹が執ることに為っている。幾ら待っても戦車は10メートルまで来無い。我軍の飛込みを恐れているのだ。後90メートルで私は飛込むのだと見詰めている。90メートル近づけば私が一番先に飛込んで見せるぞと自分に言い聞かせていた。その時意外な事が起こった。
決死隊
後90メートル進んで来るのを待っている私の80メートル位前に、一人の日本兵が這いながら先頭の戦車に近づくではないか。只一人だ。私が飛込むと決めていた戦車に向かって近づく。アッと云う間の出来事だ。戦車目掛けて飛込んだ。我が身と共に戦車に飛込んだのである。忽ち起こる爆音に戦車は火を吹き燃え始めた。ヤッターと私は叫んだ。
敵さん騒ぎ出した。日本の斬込隊が居ると知ったから大変だ。敵は火炎放射器で焼き出した。火炎はボーボー黒煙と共に真っ暗い。一寸先も見え無くなった。先頭の戦車を遣られたので敵さん怒ったに違いない。2番目の戦車が先頭になり大砲で撃ち捲る機関銃で撫でる火で焼く、物凄い。
花と散る
この我等より先に飛込み見事に戦車1台破壊した兵は何処の部隊の誰かは知る由も無いが、南海の島で花と散った。只一名のみだ。他部隊の生き残りかも判らん。知っているのは私一人だから功績を認める者は無い。誰の為に死んだのか、国の為とは言いながら爆弾を背負って戦車に飛込み戦死したのだ。
数刻の後は私もあの様に飛込んで散るのであると思った。世の中には不思議な事も奇蹟も起こる。私が飛込む戦車に味方の兵が飛込み、予定は狂ってしまったのも奇蹟だし私が今この様に当時の事を書いているのも奇蹟である。
生きる者が死に、死ぬべき者が生き残る。驚くべき事である。私が飛込んで死ぬ筈の戦車に別の部隊の兵が飛込んで死んだ。敵さん進まず、付近を焼き払い撃ち捲りしている。我等8名は出るに出られず非常に困った。出れば焼かれる撃たれる、目標の戦車に近づけぬ。何にも出来ぬ。戦車が近くに来るのを待つより方法は無い。じっと待つ。
この時だ。天地も崩れる様な大音響と共に地鳴り震動が起こった。黒煙立ち込め一寸先も見えぬ。ゴーゴーピカピカドンドンバリバリドカンドカン我等も身体が飛び上がる程震動する。何事が起こったか、地震か火山の爆発かと思う。何十台、何百台の戦車は我等の頭上を強行通過して行ってしまった。
生き埋め
敵は1台やられたので強行手段に出たのだ。台風の様に走り去った。我等はどうも出来ぬ。戦車に着いて来た海兵隊は我軍の陣地の出入口全部に手榴弾を投げ込んで潰して行く。我等は地中深く生き埋めに為った。天晴れの作戦だ。我等に飛込む隙を与えず穴の出入口を埋めてしまった。見事我等は戦に負けたのだ。
脱出
戦車に飛込んで死ぬ筈の我等8名は地中深く埋められた。空気と食料、水が無い。そのままではミイラに為る。地上に出るより生きる道は無い。出ることに決まった。
銃剣で土を掘り起こし、他の者がその土を後方に手で運ぶ。暗い所で必死で作業する。何時間経ったか判らんが、人間の頭位の穴が出来た。空気の心配は無くなった。外の様子は判らん。出ても命の保証は無い。誰も先に頭を出す者が無い。私が頭を出した。敵は居らぬ。夜に為っていた。照明弾が高く上り、明るく為ったり暗く為ったりしている。
穴の出口にはガソリン缶が沢山積んである。それで穴を広げて出る事に為った。次から次と穴から出る。全員出た処で矢野軍曹は、我等は斬込に失敗したが仇を打たねば為らぬ。一先ず我等は北部落に帰る。失敗を報告して次の命令を待つ。これから海に出て、水際を通って北部落に行く、と言う。それ行けとばかり動き出した。
3人戦死
照明弾が上っている時は這いながら行き、暗く為れば走りして海岸へ海岸へと行く。敵に発見されていない。100メートルも行った時、高い所に出た。我先にと飛び降りる。忽ち機関銃の音と共に火を吹いた。
パッパッと火が出て明るく為る。飛び降りた者は遣られた。待ち伏せにあったのである。後方に下がり砲弾の穴の中で調べてみると、吉岡伍長、岩崎上等兵、木村一等兵は戦死、野口一等兵は自分が来た方向に走った、行方不明である。残念である。
矢野軍曹戦死
4人を失った我等は矢野軍曹指揮の下に更に北へ100メートルも行った。海に出るに都合の好いところがある。ここは2メートル位高くなり、下に飛ば無ければ為らぬ。矢野軍曹自ら飛降りた。バリバリドンドンピカピカと機銃が火を吹き矢野軍曹は遣られた。助ける事も出来ぬ。敵は何処にも居ったのだ。
又1名失った。誰か一人でも北部落に辿り着き、状況を報告し無ければ為らぬが、敵の中を通って行くには容易では無い。敵は夜間絶対に動かぬ。動く奴は日本軍と決まって居るので見つかれば殺される。何とかして敵の中を突き抜ける事を考えなけば為らぬ。
下士官は2人遣られた。今度は私が指揮を執らねば為らぬ。残ったのは私と横山上等兵と林上等兵の3人と為る。中の好かった同県人の矢野軍曹も死んだ。涙が落ちる、止むを得ん戦争なんだ。
横山上等兵戦死
横山上等兵も同県人だが彼は私よりずっと若い。残った3人で又行く。伏せたり這ったり歩いたり進んで行く。暫く行くと、飛び降りるに都合の好い所があった。用心せんと下に又敵が居るかも知れん。横山が伸び上がりながら下を覗いた。
アッ痛いと言った。うつ伏せに為った。下から銃声が起こった。遣られたのだ。私が引き起こしたが駄目だった。胸から背中に掛けて撃ち抜かれていた。残念で為ら無い。
次から次へと死んで行く。今度は早く行か無いと夜が明ける。夜が明けたら御仕舞だ。忽ち発見せられて命は無い。
林戦死
私は林と2人に為った。林よ今度は海に出ず陸の真ん中を通って行こうと相談してその様にした。起きては這いながら行く。照明弾が上がれば伏せる。暗くなれば這って行く。随分行った。100メートルも前に敵の歩哨が2人見える。林よ右の歩哨は俺が殺す左の歩哨はお前が殺せ、その中を突っ走るぞと命令した。
2人はジリジリと進む。林上等兵は立ち上がった。ウロウロ見回している。私は慌てた。小さい声で林よ伏せよ林早く伏せんかと言うが返事をしない。その内パンと銃声があった。林はそのまま俯せに倒れた。走り寄って引き起こして見たがもの言わぬ。胸から背にかけて撃ち抜かれていた。何故こんな所で立ったのか判らん。
8名脱出したものが私一人に為ってしまった。生きる望みは無い皆死んだ。私も死のうと覚悟を決めた。東の空は明るく為った。夜明けだ。夜が明けたら駄目だ敵の真ん中だ直ぐ遣られる。
私も撃たれた
私一人残った。今度は走った。海の方に向かって走った。小高い所がある。明るく為ったので好く見える。飛び降りるべく覗いたその時だ、下から上に向けて敵が撃った。私は胸に焼け火箸を突き刺した様に感じたと同時に息が出来ぬ。
真っ逆さまに落ちた。アア私も遂に遣られた。全員死んだか情け無いと思った。血は飛び身体が動かぬ。気が着いたら敵の目の前だ。沢山米兵が居る、その前に私は落ちているが生きて居た。突然立ち上がり、横にある横穴陣地に走り込んだ。物凄く血が流れる。シャツもズボンも血で染まった。穴の壁に背中を押し付け少しでも血を止めようとしたが何の効き目も無かった。
敵さんは穴の口に火炎放射器を持って来て奥に向けて火で焼き出した。私の所まで火は届か無かった。もう少し前に居ったら焼き殺される処であった。私は左腕から背中に掛けて貫通銃創を受けていた。息をすると体が膨れるのでそれが痛いのだ。死ぬ苦しみであるが息をせん訳にはいかん。
全滅
最後に残った私も遂に遣られた。斬込に行った8人全員が遣られた訳だ。皆死んだのだから死ぬのは当たり前である。私もやがて死ぬ。医者も薬も無い。食うものも水も無い、死は目前だ。恨むことは無いと自分に言い聞かせた。
目は眩む血は物凄く出る。身体中冷たく為った。駄目かと諦めた。穴の奥から日本兵が出て来た。誰だヤラレタかと言う。この通りヤラレタと傷を見せる。奥へ来いと言う、着いて行く。奥に敗残の日本兵が沢山居った。傷ついたのや病人ばかり居った。
私の傷をシャツとゲートルで手当して呉れた。カンメンボーを少し呉れた。水が無ければ喰えぬ。人間重傷を負い血が出ると水が欲しくて堪らん様に為る。その時水を遣ると必ず死ぬ。それでもあれば飲む。死んでも飲む、飲まねば居れんのだ。
私も水を呉れと頼んだが、すずめの涙程しか呉れぬ。無いものは飲めんのだ。土の上に転がって痛さを堪える。傷は化膿して腫れて来た。左手は全然動か無くなった。疼く、息が出来ぬほど痛い。
米軍は穴の出入口を探して爆破して行く。今日も何ヶ所も爆破した。日本兵を穴の中に埋め込み出られ無くする作戦だ。出入口は至る所に開けてあり少し位埋めても空気の通わぬ心配は無い。空気はあるが水と食料が無いので何れ全員死ぬに決まっているのだ。重傷者は早や随分死んだ。水の代わりに自分の小便を飲む者もある。
歩兵の元気な奴は脱出する相談をしている。敵の小舟を盗み北硫黄島に逃げると言う。潮の流れを利用すれば行けると話している。我等重傷者にも話はあったが、とても一緒に行ける状態では無いので断った。10人位が夜を利用して外に出た。恐らく全員死んだであろうと思う。
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我等は食料が無いから明日頃は死ぬより致し方が無い。私は他の者に話してみた。君等脱出するかここで死ぬかどうすると言うと、私は動け無いのでここで死にますと言う返事ばかりだ。実際に動けん奴ばかりだ。
私は穴の中で死ぬより外に出て味方の居る所に行って死にたい。北部落に帰り状況を報告して水を貰って飲んで死にたかった。このまま喰わず死ぬより出ようと考えた。穴の口まで這って来たが出口が高いので片手で出ようとしたが身体を支える事が出来ず傷は痛い、身体は持ち上げることが出来ん。
又諦め元の所に転んで寝る。一晩中痛さに悩まされる。夜は明けた。喰うものは無い水も無い。今晩は出なければ明日は穴の中で死ぬ、出ようと又夜を待って這い出て行く。
その晩何回も何回も片手で身体を浮かす練習をする。落ちては上り又落ちる。長い時間掛かって遂に出ることに成功した。夜で照明弾が上ったり落ちたりしている。目的は北部落の味方の陣地だ。明るい時は座る、暗く為れば這って行く。右手で這い左手は動かぬ。少しずつ進む。北部落に帰って飯を貰い水を飲んだら死ぬと決めている。
立って歩いてみる。歩ける。海岸の30メートル位の断崖に出た。闇に透かしてみると人間が近づく。只一人だ。敵だったらそのまま死に繋がる。私は重傷者だ手が動かん銃も無い。合言葉は山と川である。私は山と言ってみた。川と答えがあった。友軍だ。日本兵であった。
互いに寄り合った。私は彼に事情を話して連れて行って呉れと頼んだが彼は元気なのだ。足手纏いと思ったかズンズン行った。私は残された着いて歩けんのだ。その男浜に下りた。そこで手榴弾の音がした。銃声も起こった。彼が敵に出会ったのであろう。死んだに違いない。私もそう為るやも知れんが行くより方法が無い。
目標物は砲弾で飛んでしまい方角が判らん。夜だから特に判らん。海に出て北に歩くより仕方無い。30メートルも高い崖が砲弾で撃ち砕かれて45度位の坂に為りザラザラの土と石に為っている。
私はズルズル滑り降りて行く。途中で岩がそのまま残っていた。夜だから判らず真っ逆さまに落ちた。途中背中の傷が化膿しているのを岩に打ち着けながらドンドンと落ちた。10メートルも落ちた。砂浜に落ちた。背中の傷が破れて膿がドッと流れ出しヌルヌルと為り流れ出る。背中だからどうも出来ん。流れっパナシである。ズボンまで血の膿で染まってしまった。アアこれで死ぬのか、残念であるが誰も居らんので手当して貰う事も出来ない。
それでも立ち上がり、砂浜を歩いて水際に行き着いた。海は戦争を知らずにザーザーと小波が立っていた。水を飲みたくて喉が焼け付きそうだ。海水は潮だから飲めぬ。付近にドラム缶が流れ着いていた。私は米軍の飲料水かも知れんと思ったので、石でカンカン叩いてみたがナカナカ開か無い。その音が敵さんに聞こえぬ筈はない。直ちに発見された。
2名が私を追って来る。射殺される。私は銃無し手榴弾一発のみ自殺用に持っているが使用出来ぬ。元の方向に逃げる。砂だから足跡は残る。敵さん足跡を追って来る。背中の傷が破れてヌルヌルに為っている。左手は完全に動かぬ。岩影に隠れ様と近寄ると、そこにも敵は銃を構えて私の近づくのを待っている。直ぐに私は姿を隠して元の方に走る。
先程落ちた所に来た。45度の崩れた坂を登る。這いながら右手を使用して掻き上がる。左手は全く動か無い。途中で私は力尽きて気を失ってしまった。
精も根も尽き果てた。4日も喰わずに穴の中で寝ており、今晩穴を抜け出してこの苦労だ。傷は化膿する、今破れて膿の出放し、敵に追われて居れば気を失うのも当たり前である。ここは日本軍の死体が山を為しており、その中に私が気を失ったのだから敵さんも死体と私との区別が着かず遂に私を見失い追跡を辞めたものと思われる。
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私が気が着いたのは朝に為っていた。45度の上り坂の中央部まで這い上がり四つん這いに為っていた。私は死んで居て今生き返ったのか全く意識が無い。坂を登り切り砲弾の穴に入った。
硫黄が吹き上げている。尻が暖かい。昨夜の出来事で私の身体は冷え切っていた。背中の傷から血膿が出放しであり、喰わず飲まず4日だから自分で自分のことが好く分から無い。傷ついてから何日ぞ、4日に為る筈だ。今日ここで死ぬであろう。3月18日だと思う。私の生まれは明治44年3月18日だ。死ぬのも今日、昭和20年の3月18日だ。
このまま自然死か、穴から出て射殺されるか自殺用の手榴弾で自殺するより方法は無い。命の無い事だけはハッキリしている。傷は重い喰うもの全く無し水も無し死より方法無い。
手榴弾を出してみた。振り上げた。しかし軍の命令は最後の一兵と為るも尚ゲリラと為り敵を悩ませ、である。今私は最後の一兵と為ったが死んでは為らん。ゲリラと為るのだと思い返して手榴弾を雑のうに仕舞った。
米軍の飛行機が一機私の頭上を地面スレスレに飛んだ。日本は玉砕したのだナアと思った。私の行く処は既に無く為って居るのだ。北部落にも味方は居らぬ。行くだけ無駄だと思う。女房や子供、母や兄弟に会いたいと思うが最早生きる事さえ出来ないのだ。
私はこの身体は生きる力は無い、死ぬなら敵の陣中に行って死んだ方が軍人らしくて好い。そうしよう。戦友は皆死んだんだ。死ぬのが当たり前なのだ、死のうと考え砲弾の穴から出た。敵に取り囲まれた。敵は10人位だが銃を全部私に向けている。動けば蜂の巣の様に為って死ぬのだ。止むを得ん、俺は死ぬのだ。何でこの命が惜しかろう。撃てと胸を叩いて見せた。
アメリカ軍の硫黄島占領
米軍は首を横に振り座れと手で指示する。私は座る。鼻の高い、背の高い青目の兵隊は銃を私に向けたままだ。私はどうも出来ぬ。殺すなら殺せ。覚悟は出来ているのだ。彼等の言うままに為る。
水を飲ませて呉れ、死ぬ前に水を飲ませて呉れと手で指示する。左手は動かんので右手で示す。兵隊は自分の水筒を呉れた。飲んだ飲んだ大きな水筒の水を飲んでしまった。サア満足だ殺して呉れと座る。彼等は私に来いと招く。着いて行く。私を中にして歩いて行く。私もヤケクソだ殺しやがれと着いて行く、何処までも着いて行く、日本軍の死体の中を歩いて行く。
つづく
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