2018年06月28日
一兵士の戦争体験 その25
その25
◇俘虜(ふりょ・抑留者)生活
◆パヤジー収容所
昭和二十年十一月初め頃チェジャンジーの山の中の宿営地を後にして列車に乗り、ビルマの中南部地域にあるパヤジー収容所に到着した。
広い原野の中に有刺鉄線に囲まれた大きな収容所があった。数万人の旧日本兵がここに集められ有刺鉄線の柵の外は自動小銃を持った英印軍兵士が厳重に警戒して居た。
収容所は竹と椰子の葉で屋根を葺いた小屋が沢山並んで居た。愈々(いよいよ)本格的な収容所生活の始まりである。有刺鉄線で囲まれた柵は旧日本兵の逃亡を防止する為と現地人との接触を防止し警護をし易くする為だろうが厳重なものであった。
衛生管理を良くする為に深い穴を堀り、便所として蚊や蝿の発生を防止しその捕獲に注意を払って居た。
又、防虫剤や消毒剤のスプレー散布が好く行なわれ伝染病防止対策が為されて居た。これは英印軍の方式によるもので今迄の日本軍では考えられ無かった事である。
食料は少なく腹が減って困った。カロリーは十分あると言うのだが量が足ら無い。全体の労働作業の出来映えにより加減されるのだとか色々取り沙汰されたが、交渉したので少しだけ増やして呉れた。又配給されたバターやチーズを、ビルマ人が柵の外に持って来る多量の米と交換し空腹を凌ぐ事が出来た。英印軍の警護兵もこの様な物々交換をするのを黙認して居た。
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日にちが経つに連れ与えて呉れる食料は少無いながらも次第に増えて来た。 又、日用品も僅かだが配給された。炊事する為の薪に困った事もあったが何とか切り抜けた。
服には背中にP・O・W(俘虜)と、大きなスタンプが押してあり中古ながら清潔な物が支給された。戦争俘虜と言う烙印(らくいん)を押され敗戦者と言う卑屈(ひくつ)な立場に置かれて、毎日労務に引き出されての生活は楽しいものでは無い。 しかし、食べる物が無く飢え死にして居たペグー山系の中の体の苦痛に比べれば増しである。
労務と言っても、病人や留守をする炊事当番等は作業に出無くて好かったのだから、負け戦の最中よりは今の生活の方が体に無理は無く楽だった。作業が相手側の為のもので、自分の国の為のもので無い事に抵抗を感じ積極的に為れず、言われた作業を済ますと宿舎にサッサと引き上げた。何時も作業が終わる時間が早く来ないかと思う様な毎日だった。
パヤジー収容所に居る頃植田大尉が聯隊長として着任され「戦いに敗れたが、日本人としての誇りを持ち、耐え難きを耐え、統制の取れた組織を保ち頑張ろう」と挨拶と訓示をされた。今もその時の様子をハッキリと覚えて居る。
尚、その頃は土の上に枯葉や枯草を敷き寝て居たが、初めて毛布が一枚ずつ配給され嬉しいと思った。何故なら、転進作戦の途中から長い間毛布は無く寒い思いをして居たので。
パヤジーに居る頃の或る日、トラックに乗り作業に出た。序に、横に寝た姿で大きく有名なペグーの仏像を見た。寝た仏像は珍しいと思ったが、俘虜の身だから降ろして貰えないのでトラックの上から遠く拝観した。
・・・戦後ビルマへ二度慰霊団の一員として行った時、再びこれを見て俘虜当時を思い出し感慨深いものがあった。
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◆メイクテイラーでの俘虜生活
パヤジーで二ヵ月を過ごし、二十一年一月に列車に乗りマンダレー鉄道で北に向かいメイクテイラーに到着した。ここは、マンダレーの南西約百五十キロの所で、雨量も少なくサラリとした気候で暑いけれど住み好い地方だった。
大きな湖があり鉄道交通の要衝で飛行場もあった。遂十ヵ月前には彼我の大激戦が展開された地域で、破壊された自動車が山の様に一ヵ所に集められて居た。町らしい所は見当ら無かった。
少し前から、輜重聯隊を今までの一中隊、二中隊、三中隊で無く県単位の兵庫県、岡山県、鳥取県の三つの出身地別に、将校、下士官、兵隊を共に分け直し編成した。
これは、今迄の軍隊組織、上下階級の意識を多少でも緩和する為であり気分転換を図ったもので、この事は色んな意味で成功だったと思う。その様にして、秩序を保ち節度を守り抑留生活を過ごした。
我々は民家から離れた広い原野へ到着した。一両日すると大きなシートと、小屋を造る為の木材と結束(けっそく)材料、それに竹等の材料その他副材料を沢山トラックで運んで来た。比較的大きく丈夫なシート張りの小屋を建てた。今迄の椰子の葉と竹だけで造ったものとは規模や頑丈さが違う上に衛生的な建物であった。
便所は、ここでも深い穴を堀り上に板を渡した簡単なものであったが、消毒剤が常に散布され蝿や蚊の発生を防ぎ衛生的にされた。初めの内は小川で水浴をして居たが、後にはドラム缶を据え着けて風呂を造り湯を沸かし入浴した。
石鹸の支給もあり体を清潔に洗い日常生活も次第に向上して来た。又この頃に為ると、体の回復と共に、黄色い土色の爪とは全く異なった奇麗な新しい爪が伸びて来てクッキリ段が着いた。四〜五ヵ月経ち全部奇麗な爪に生え替わった。
ここ迄元気に為ると、特別な病気に罹(かか)れば別として衰弱により命を落とす事は無く為ったと自信が持てる様に為った。健康に為るのは本当に嬉しく心に明るい希望が持てる様に為った。
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◆食物
食糧の支給は、英印軍のもので小麦粉が主体でバターやチーズ、それに食油類が多く、羊や魚、野菜の缶詰等であった。カロリー的には足りるのかも知れ無いが、我々日本人は米が主食だから食べる量が足り無い。それに若い最中だから腹が減る。
我々が収容されて居るキャンプの柵の外にビルマ人が米を持って来て、これをバター類と物々交換をした。ビルマは米の産地で幾らでもあり、現地人の中には英国製の缶詰や珍しい物を食べたい人もあり結構交換が成立した。ビルマ人の日本人に対する好意もあり、それに見張りのインド兵も黙認の形を取って居りお陰でひもじさを補う事が出来た。
この頃は炊事をする人が専門に選ばれ、皆の分を纏めてして呉れるので大いに助かった。その人達が物々交換も一括して呉れる様に為り次第に食べる事の心配が無く為った。
収容所生活では、重い患者は英印軍の病院に入院し、病人と日常の炊事班、班内当番、その他若干の者等何パーセントかの人を残し後の全員が使役に出て行くのである。又、全員休日の日も決められ、無茶な労働が強いられた訳では無く俘虜に対する扱いとしては苛酷では無く比較的正しく扱われたと思う。我々にしてみると、初めの数ヵ月は一生労働させられるのでは無いかとの不安があった。
しかし、その後は色々の情報から、待って居れば何時かは内地に復員出来るとの希望が出て来た。でも、その時期に着いては全く分ら無かった。
余談に為るが英印軍の食料は清潔で運搬し易い様に殆ど全部が缶詰で供給されて居た。戦争中の我々ビルマ前線の飢餓状況を思う時、食糧補給態勢が全く違いその差異の大きさに驚くばかりであった。
それから食料品の缶詰等の運搬や倉庫からの出し入れ作業の時に上手に少し失敬して帰る事もあった。これを見つけて怒るニグロ兵、知らぬ顔をして居るインド兵等色々である。
我々も一年を過ぎると食物が少なくて飢えて居るのでは無く、運搬中に数を誤魔化したり少し盗んだりして実益とスリルを楽しんで居る節もあった。だが、美味しい物を沢山食べたいのは人情であり、若い俘虜にあり勝ちな事である。
食べる事に続いて飲む事だが、キャンプ生活が落ち着き日にちが経つと、器用な人が酒を作る事を始めた。黒い板砂糖から醸造するらしいのだが、案外簡単に出来る様であり酒の好きな人は喜んで飲んで居た。質しメチルアルコールで悪酔いする傾向があった。私も一、二回飲んでみたがマアマアの味だった。早く復員して畳の上で日本酒を飲んでみたいと思った。
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◆作業
英国印度軍の指示による労働作業であるから、日本の国や自分達の為のもので無く全て相手側の為のものだから、釈然(しゃくぜん)としないものがあった。しかし俘虜の立場では仕方の無い事であった。
作業は、近くのメイクテイラーの駅に行き、貨物の上げ降ろしをする作業が多かった。炎天下でする作業は楽では無かった。でも昼休みは一時間あるし途中で十分間の休憩時間もあった。
時々メイクテイラー空港に行き輸送機へ荷物を積み降ろしする作業もあった。飛行機に乗るのは初めてで珍しかった。その他穴堀り、草取り、土木作業、重量物運搬等色々の作業をした。遠くへ作業に出る時はトラックが来て我々を運ぶのだが、一度に大勢運べるし必要なら何台でも来て作業場へ短時間で連れて行くので誠に能率的に作業に取り掛かれた。
因みに、私がビルマに来て戦争中の二年間で輜重隊に居りながら、私は一中隊で輓馬隊だが、二中隊も三中隊も自動車隊なのにトラックに乗せて貰った事は殆ど無かった。只、通信技術の教育を受ける為タンガップからラングーンの往復に乗せて貰った事があっただけである。
それ程日本軍はトラックの輸送力が貧弱であった。我々は何時もテコテコと日数を掛け疲労困憊して歩くだけであった。 俘虜に為り作業に出てみて、彼我の輸送力に何百倍もの違いがあり行動力の桁が全然違う事を痛感させられた。
又、作業の事だが日本人が今までに見た事も無い超大型の運搬車を持って来て必要な特殊運搬をするので、全く比較に為ら無い能率である。それに、土木作業には大型、中型、小型のブルトーザーを持って来た。
人間五十人分にも相当する作業を一気に片づけるのだから全く驚異である。新しい道路を建設する位の事は造作が無いのである。 日本兵が百人掛で十日掛かる仕事を、二、三日で完成してしまうのである。我々日本軍がスコップとつ・る・は・し・で汗を流し流しするのと雲泥の相違である。
作業能率が二桁以上違う。こんな相手と戦争をしたのだから勝てる筈が無い。相手を知り驚くばかりである。ともあれ、この様な大型機械の間で人の手で出来る部分を割り当てられ作業をした。
作業は色々あり、便所の穴堀りから時には英人将校の日常生活、掃除の手助けを割り当てられる事もあった。当たり前だと割り切ればそれ迄だが複雑な心境であった。変わった処では、私を含めて三人が本隊より離れて泊まり込みで、英印軍の馬二十頭余りの飼育管理の手伝いに十日程行った事がある。私は通訳をする内に、二人のロンドン生まれの兵隊と仲良しに為り段々会話が好く通じる様に為った。
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◆たばこに付いての思い出
たばこに付いて少し記録して置くと、戦いの最初の内は内地の「誉(ほまれ)」とか「ゴールデンバット」等を配給で貰ったり買って吸って居たが、それが無く為ると現地たばこ(セレー)を買って吸った。
前にも述べたが、人差し指位の大きさにたばこの葉を巻き、中に鋸屑(のこくず)の様な物が入って居り、比較的辛く無いものを好く吸ったものだ。その他にと・う・も・ろ・こ・し・の鞘(さや)にたばこの葉と鋸屑状のものを巻いた太い物、たばこの葉のみをギッシリ巻いた辛口の物等があった。
セレーは中の屑がポロポロと零れて落ちるので、衣服に火の粉が落ちて焼ける恐れがあり用心して吸わ無ければ為ら無かった。日本軍が優勢な時は軍票で買う事が出来た。しかし戦況が悪く為り負けて来ると軍票の価値が無く為り買う事が出来無く為った。それに、山の中を逃げるばかりだからたばこも欠乏し無く為ってしまった。
その後、糧秣収集の時、煙草の葉を失敬して来る。たばこを吸う兵士に取っては米・塩に注ぐ必需品で大切なものであった。又、運好く何処かでたばこ畑を見れば青い葉を捥ぎ取り携行した事もあった。私自身たばこが好きだったのでこれを得る為に非常に苦労した。死にそうに為る程苦しくても、たばこは欲しくて止められ無かった。でも、転進中の山の中でたばこが無ければ仕方が無い事だった。
終戦で俘虜と為り収容所の有刺鉄線の柵の中に入れられてからは、どうにも為らず困り果てた。その頃から英印軍の命令する作業に出る事に為った。「窮(きゅう)すれば通(つう)ず」と言う言葉があるが、作業場に行くと英印軍兵士の捨てたたばこの吸い殻がありそれを拾って持ち帰り、薄手の紙に巻いてたばこを作るのである。
初めの内は矢張り日本軍人の誇りがあり、コッソリと拾って居た。乞食でもあるまいしと自尊心に悩んだ。しかし棒の先に針を着け突き刺すと屈ま無くても楽に拾え、しかも拾って居るのを人に気づかれ無いで済むので、情け無い事だと思いつつもそんな事をした。「モクヒロイ」と呼んでかなり長い間皆が遣って居た。
俘虜と為って半年位経った頃から、英国のたばこ「ネビーキャツト」を十日に一箱位配給して呉れる様に為った。又、作業が個人的なものだったりすると英国の将校が一箱呉れる場合もあった。又作業中に盗んだ缶詰や配給に為ったバターやチーズをビルマたばこのセレーと交換したりした。そんな事をして迄たばこを吸った。何れにしても、戦争中及び抑留中たばこを吸う為に大変な苦労と犠牲、そして恥を掻き乍ら過ごしたのである。
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◆キヤンプ内の娯楽等
メイクテイラーへ来た頃から皆顔色も好く為り、頭の髪や顎の髭(ひげ)も奇麗に剃り清潔に為り元通りとは言え無い迄も元気に為り規則正しくリズムある生活が出来る様に為った。
若い者同志であり体が弱って居る間は誰も黙って居たが、健康が回復するに従ってお色気話や女性の話が出る様に為った。心の中では、何時帰れるか分から無い不安が常にあったが、それはそれとして明るさを取り戻して来た。
厚紙を切って碁盤(ごばん)と碁石を作り囲碁を楽しむ者、将棋をする者、マージャンも竹細工で牌(ぱい)を作り遊んで居た。器用な人が居て飛行機の残骸のアルミ板を切りギターを作る人、それを奏(かな)でる人、習う人、詩や歌を作る人、英会話を勉強する人、戦記や名簿等を整える人、色々の趣味で憂(う)さを払い、希望を持ち、人間としての存在を確かめつつ内地に帰る日を待ち詫びた。
毎日全員で朝礼と体操をした。この頃は元の中隊編成で無く県別の編成に切り替わって居たが、階級制度に準じて組織を守りお互いに秩序ある生活をした。
「烏合の衆(うごうのしゅう)」で無く整然とした体制を整えて居り、これと言ったトラブルも殆ど無かったのは日本軍人の素晴らしい処である。
私も身体が元気に為り、英会話を習ったりバレーボール等をして楽しんだ。メイクテイラーは雨が少なく生活し易い環境でお陰で病気に為る人も少なく助かった。作業に出る以外はこれと言った仕事も無いのだから、呑気と言えば呑気な生活であった。
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それに、演芸会を見る楽しみが出来て来た。初めは、誰かが皆の前で歌を歌って聞かせる程度のものだったが、それが好評で次第に規模内容共に充実し、素人ながら役者に為る人は労務に出無いで芝居の練習をし、衣装や楽器等も作り劇団を編成した。娯楽の無い俘虜生活の中で皆に歓迎された。
皆も作業に出た時、布切れやペンキを持ち帰り衣装を縫う人に協力した。兵隊の中には器用な人や色々の職業の人が居るので何でも出来た。裏方さんが何人も居りカツラでも見事な物を造るし、何処からか白粉(おしろい)を持ち帰り顔に化粧をし女形の美人に仕上げた。
舞台も兵隊の大工さんが確りした物を拵え、照明装置も作業に出た時部品を貰って来て配線した。夜間照明の下では本当の女性かと思われる程に変装し立派な役者が出来上がった。
更にギターやマンドリン、尺八に太鼓等も手製で作り華やかに演奏した。全て本式である。こうして、一ヵ月に一、二回芝居が興業された。その度にヤンヤ ヤンヤの拍手で皆の楽しみに為った。男性ばかりの収容所生活ではこの様な女形が大変モテ、中にはこの女形に惚(ほ)れる人も出て来る有様だった。
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◆ビルマ人の好意
戦争の当初、日本軍がビルマ全域から英国軍を駆逐し我が軍の勢力下に収めた頃はビルマ人が歓迎し好意を示したのは当然であり、その後平穏な頃も引き続いて良好な関係が続いて居た。
しかし、昭和十九年の後半から日本軍が劣勢に為って来ると軍票の値打ちも下がり遂に只の紙切れに為り、これで物を買う訳に行か無く為った。二十年に入ると我々は愈々戦闘態勢に入り山の中で生活し現地人との友好的接触も無く為り軍票を使用する様な機会も閉ざされた。
食べる物が欠乏し、貰ったり拾ったり、失敬したりし無ければ生きて行け無く為り、この頃からビルマ人に迷惑を掛ける事と為った。こう為るとビルマ人の中の一部の人や被害を被った地域によっては、日本軍に対して反感を持つ者も出て来た。
しかも日本軍が敗れ武装解除され俘虜収容所に入れられてしまえば全く知らぬ顔で好いのだ。しかし、そこがビルマ人、仏教国で仏心があると言うのか或いは同じ黄色人種の親しさからか、或いは一時にしろ英国を排除した力を尊敬したのか大多数のビルマ人は何時迄も我々に親切にして呉れた。
収容所の回りに張り巡らしてある有刺鉄線の外に来て物々交換をして呉れた事が日本兵に取っては大いに助かった。英軍から配給に為ったチーズやバター等を沢山の米と替える事が出来たのは有難かった。
又我々が英軍のトラックに乗せられて、作業の為に少し遠い所に出て行った時など、印度兵が運転して居るが休む為に部落の中に止まるとビルマ人が直ぐに差し入れに来て呉れるのだ。日本兵が俘虜生活で可哀相だと思い、ビルマたばこのセレーを沢山持って来て呉れバナナやマンゴを呉れるのだ。握り飯迄作って呉れる事もある。
負け戦の最中には大きな迷惑を掛けて居るのに済ま無いと感謝した。印度兵が自動小銃で警備して居ても、それに構わず俘虜の我々に与えて呉れるのだ。この温かいビルマ人の心を忘れる事は出来無い。私は感激し今も忘れられ無い思い出である。
この様に現地人から恩を受けて居る私達は、出来る事があれば報いたい気持ちで心よりビルマ人の幸福を願うものである。
つづく
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