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2018年06月28日

一兵士の戦争体験 その23


 その23
 

 ◆旧友との再会

 シャン高原に入り半月位経った頃だろうか、敵機が飛んで来るが爆撃も銃撃もし無く為った。「可笑しいぞ」と誰かが言い出した。「そう言えば、敵の飛行機が撃って来ないぞ。もしかしたらソビエットが仲裁に入り、戦争が終わったのではないか?」と誰とも無く言い出した。これだけ戦況が悪くても負けたとは考えられ無いし、負けたと思いたく無いのだ。
 日本が勝つ事は難しいが、負ける事は無いと信じて戦って居るのだ。「講和が出来たのかも知れ無いぞ」その頃から大きい部隊でも昼間の行軍に切り替え、色々の部隊が相前後して歩いて居る。岡山の歩兵聯隊も三々五々と言った形で東に向かって歩いて居た。

 

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 その時、中学(旧制)同級生の内田有方君に会った。五ヵ月前に第二アラカン山脈の中で奇遇して以来、これで二回目である。岡山の歩兵聯隊に所属して居り今度も偶然の出会いであった。この前は元気で逞しい将校姿であったが、今度は力無くヒョロヒョロと歩いて居る。服は着て居るが装具は何も着けて居無い。丸腰と言った姿。マラリヤの高熱に侵され夢遊病者の様にフラフラして居る。
 直ぐにお互いが分かり視線が合った。直ぐに彼の所に近寄り「オイ、内田か」「小田よ、元気かい」「この前アラカンで会って以来久し振りだが元気かい」と懐かしく声を掛け合った。
 元気かいと声を掛けたが、お互いに痩せ衰え元気で無い事は分かる。哀れな姿でお互いに手を握り頑張ろうと励まし合った。彼の手は高熱で熱く目は黄色く濁り光が無かった。私は、彼はこんなに弱って居るが悪性マラリヤではないか。大丈夫だろうかと心配した。彼も又、小田はアンナに骨皮に為って居るのに、持ち応える事が出来るだろうかと心配した様子。でも、彼に会った事が大きな気力の支えに為った。 

 ・・・その様に疲労衰弱して居たが、不思議に二人共幸運に恵まれ、九死に一生を得て終戦を迎え、更に二年間の抑留生活を別々の地方でしたので会う事は無かったが、昭和二十二年七月に夫々無事復員した。
 復員後暫くして中学の同窓会で会いお互いの無事を喜び合った。その後は、更に色々の事で会う事も多く密接な関係を保って居るが彼は岡山県ビルマ会の世話を好くして居り、後に私もその会員と為り関係行事に参加している。
 特に、慰霊訪問団の一員として私が二回ビルマへ行く機会に恵まれたのも彼の勧めによる処が大きい。今だに、彼は「あの時は苦しかった、生きて帰れるとは思わ無かった。小田、お前はメガネを糸で括り耳に掛けて居たが、痩せこけて居たぞ。お互いに運があったのだナア」と語り合った。

 その内田君も平成七年二月永遠の旅に出てしまった。彼が健在ならば私が今書いているこの原稿作成を支援して呉れただろうに。今は心よりご冥福をお祈りするばかりである。皆老いて来て、学友も戦友も次第に旅立ち寂しく為り時は容赦なく過ぎて行く。

 

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  ◆うわさ

 誰からとも無く噂が流れて来た。敵の飛行機からビラが撒かれ、それには「日本が降伏した。戦いは終わったのだ」「日本軍は兵器を捨てて降伏して来い」「アイサレンダー アイサレンダー(降参の意味)と言って、手を挙げて来い」「戦っても無駄だ」と書いてあるとの事だが誰も信じ無かった。

 しかし、嘘だと決め着ける情報も根拠も無い。ビルマ方面軍司令部とか策軍司令部とか師団司令部等の友軍側の正確なルートによる情報は全然入って来ない。当時師団司令部にある通信機は既に使用不能に為って居り、それにこれら司令部も聯隊も分散して居り統一性を欠いで居た。伝令の兵士が直接徒歩によって連絡するしか手段が無く連絡に何日も掛かる状況であった。
 情報と言えば、信じたく無い敵のこのビラしか無いのだ。嘘かも知れ無い?敵側の「日本が負けた」と言うこのビラは英印軍の謀略(ぼうりゃく)かも知れ無い。でも敵は、ここ数日攻撃をして来なく為っている。飛行機は飛んで来るが撃って来ない。不思議だが、負けたと言う事は信じられ無かったし信じたく無かった。それは八月二十二、三日の頃である。

 

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 ◆様々な戦い

 敵の飛行機が射撃して来ないので、昼間の行動が出来る様に為った。遮蔽物の少ない丘陵地帯を進むと、道端の屍が目に着く。手榴弾を抱いて自決したばかりなのか腹がポッカリと吹き飛び、真っ赤な血が流れ出て居る。夜間の行軍なら幾ら死体があっても見え無いが生々しく見え過ぎる。
 又、地雷に遣られて二人が道の真ん中で折り重なり死んで居る。死体が未だ新しい。蝿が二、三匹来て居るだけで未だ屍臭(ししゅう)も気に為ら無い位である。屍の傍らを避けるようにして通る。

 この様に、所々に地雷が仕掛けられて居るが、退却して来る日本軍を殺傷する為に現地人が仕掛けたとする為らば、その地雷は何処から入手したのか不思議である。だが、現実我々は被害を被って居る。
 山の谷間に行き奇麗な水を汲もうと近寄ると水を汲んで居る者が居る。動か無いので好く見ると、その姿勢のままで息絶えて居る。そう為るとそこで水を汲む気に為れ無い。幅十メートル位の浅い小川を歩いて渡って居ると、そこにも俯せに倒れた屍がある。何処の部隊の兵士なのか分から無いがこの様に点々と屍に出会う。ペグー山系に比べるとやや少ないがここにも幽気が漂って居る。
 今までに数えられ無い程の死骸を見て来て居り神経も麻痺して居る筈だが、可哀相にと思うと同時に臭く見苦しい姿には目を背け、自分だけはアンナ姿に為りたく無いと思った。戦争はこんな場面を数知れず作って居るのである。

 小休止に為りシラミ取りをして居ると、どうも股の間が痒(かゆ)く痛みを感じる。好く見るときん玉の近くにもう一つの玉があり、大きく紫色をして居る。ヒイルが喰い付いて思う存分血を吸い膨(は)れ上がって居るのだ。
 取ろうとしても固く喰いついてナカナカ取れ無い。やっと引き千切ってみると大きなヒイルだ。私は痩せ衰え血液も少なく為って居り一滴でも惜しいのにこんな吸血鬼に血を吸い取られて居るのだ。この憎い奴は木の枝に居り、動物や人間が下を通ると上から落ちて来て衣服に止まり、やがて体に喰らい着き皮膚から血を吸うのだ。気持ちが悪い位大型で凄いヒイルが居るものだ。

 次はダニだ。何時の間にか顔や耳などに喰らい着いている。戦友が顔をこちらに向け、この辺が可笑しいので見て呉れと言う。好く見ると目尻にポッリと黒子の様なものが少し盛り上がって黒く見える。ダニだ、一寸摘もうとしても摘め無い。爪を立ててやっと引き千切った。
 潰すと赤い血を一杯吸うて居た。所構わず、ダニがさばり着き血を吸う。山の中には物凄い数のダニが居る様だ。
 次はサソリだ。青黒い大きな奴を何回か見た。又小さな茶色をしたのも見たが、刺された事は無く刺されて困った話も私は聞いた事が無かった。
 次は蛇だ。首を持ち上げたコブラを一度見た事があるが、それは一回だけ。滴る様な緑色をした五十センチ位の蛇を見た。それは灌木に登って居たが美しいだけに気持ちが悪く忘れられ無い。猛毒を持つ蛇だと言う事だ。

 アラカン山脈シンゴンダインで二十頭の猿の群れに会った。その時自分一人だったので気持ちが悪かった。野性の象の群れを見たと誰かが言って居た。この様に色々の生きものに出会ったが、大した被害は聞か無かった。前に書いた虎についての被害と恐ろしさだけは格別だった。

 

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 十  終戦と抑留(よくりゅう)生活

 ◇終戦

 ◆終戦の知らせ届く

 八月二十日過ぎにビルマの南西地区の山間に到達し、そこに駐屯して居た兵士に出会った。彼等は、前線から退却して来た我々に僅かではあるが湯茶の接待や味噌汁を作り飲ませて呉れた。弱った我々を親切に迎えて呉れお陰で体の中まで温かく為った。
 彼等兵士は一応服装も整って居り、銃剣等も手入れしたものを持って居た。乞食の様に汚れ垢だらけに為り破れた服を着た裸足の我々とは余りにも違いお互いにビックリした。ビルマで戦争をしても、前線と後方、場所場所によってかなりの差があった事を知った。

 

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 この事は、我々がタンガップに居た時、それより前線から帰って来た兵士が弱り果てボロボロに為って居たのを見た事があったが、それと同じ様に今は私達がそんな姿に為って居るのだ。全て運であり人の所為では無い。
 数日後「小銃に刻印されている菊の御紋(ごもん)を消せ」との命令が下りて来た。今度は「兵器を一ヵ所に集め、返納(へんのう)せよ」との命令が来た。だが私は上官から明確に「敗戦」とか「負けた」とのけじめの言葉を直接聞いた事は無かった。
 只何と無く負けたのだと感じ悟ったのである。我々が転進して居る道の直ぐ近くに英軍の将校が立ち、その左右を日本の兵士が護衛し我が軍の状況を監視して居たが、その様子から英国が勝ち日本が負けたのだと実感した。その頃正式ルートから負けたと言う知らせが我々の耳にも入った。

 一日一日と敗戦の実感が心を締めつけて来る。全ての兵器を敵軍に渡し丸腰に為った。完全な武装解除である。敗戦兵士の屈辱を味わう事が始まった。
 英国とインド軍の指示に従いマルタバン方面に向かい毎日の行軍が続く。英印軍の兵士が武器を持って我々日本兵を監視警護しながら歩いて行く。給水車が遣って来て水を配給して呉れる。今迄の日本軍では無かった事で給水は有難い。
 群がる様にして水を水筒等に注いで居ると、英印軍の兵士がお互いに「ジャプ ピッグ」「ジャプ ピッグ」と言って笑って居た。日本人野郎の豚がと言って居るのだ。馬鹿にされた言葉だが仕方が無い。

 久し振りにアスファルトの広い道に出た。裸足の足には余りにも熱い道だった。今迄は主に山中で土の上や田んぼの畦道(あぜみち)だったので熱さを感じ無かったが舗装道路では足の裏が焼ける様だった。幾ら熱くても一歩一歩煮えて軟らかく為ったアスファルトの上を歩か無ければなら無かった。色々の試練があるものだ。
 マルタバンに着き何回も何回も人数を調べられ船に乗せられモールメンに着いた。その後チェジャンジーの村落に暫く滞在した。それは昭和二十年九月中下旬と思う。
 五月初旬、アラカン山脈のベンガル湾側のシンゴンダインを出発してから、ここに到着する迄約百四十日間、雨に濡れ野宿し道無き道を探しつつ、河を渡り迷ったり取り逸れたり、紆余曲折(うよきょくせつ)の道を行きつ帰りつした。千二百キロ、これは岡山〜盛岡間の距離に為るが、この長い長い道程を激戦、転進、敵中突破、飢餓、病魔と戦いながら裸足で歩き通し、やっと戦闘と行軍が終わったのだ。

 

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 ◆身体の回復を待つ

 チェジャンジーで民家を借り上げ宿泊した。もう弾丸に当たる心配が無くなり雨に濡れ食べるものが無く飢餓で死ぬ事を極端に心配する必要も無くなり最悪の状態から抜け出した。
 だが、これ迄に弱って居た兵士は次々に死んで行った。勿論、栄養のある食物が有る訳では無い。少しでも早く体力の回復をと願い器用な人が犬を罠(わな)に掛けて取り皆で分けて食べたりした。私も美味しく食べ体力が少しでも回復しそうな気がした。
 英軍の支配下に入ったとは言え未だ過渡期なので、日本軍が今迄管理して居た倉庫に行き米や砂糖その他副食品を貰って来る事が出来た。

 毎朝点呼と体操をする事に為ったが、この処私の腕は神経痛の為上に挙がら無い。真横までしか挙げられ無いし耳鳴りは未だ続いて居り、視力も衰えたままで声も依然として小さな弱い声しか出せ無かった。その頃戦友に「小田、お前の頭はうぶ毛ではないか」と言われビックリした。
 自分では今まで全く気が着か無かった。鏡がある訳では無いし、戦友達もやっと落ち着き私の頭を観察する余裕が出来たのだ。私も自分の頭がどう為って居るかなど別に痛くも無いし思いも着か無い事だった。治るだろうか?と心配に為った。
 それから、顔だ。自分の顔は自分では見え無いが、戦友の顔は皆土の様で煙突掃除から出て来た様な煤けた顔、髭(ひげ)は伸び放題で仙人の様だ。将校も下士官も兵隊も皆この様な顔をして居た。

 この頃に為り、嬉しい殊に血の小便が止まった。毎日雨に濡れ水に浸かり冷えて居たが、終戦後は水に浸かる事も逃げる事も無く楽に為ったからだ。戦争の最中は自分の命を維持し持って逃げるのに一生懸命で、身体の細部まで見る事は無かったが、ここに来て好く見ると手の爪が皺(しわ)だらけで黄色く土色をして居る。死人のそれの様である。

 

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 ◆水浴

 疲労衰弱の激しい時は水浴する元気も無い。水浴すると熱が出るのでは無いかと思い転進作戦中から戦後迄の五ヵ月間、裸に為り身体を洗う時間も無いし弱り果て洗おうとする気にも為ら無かった。転進中は、只生き延びる事命を持って逃げる事で一生懸命だった。
 九月中旬に為り、やっと水浴しようかと思う程度に体が回復したので、晴天の日に小川へ皆と一緒に行った。裸に為ってみると酷く両足の間が空いて居る。二本の足の間に大きく隙間が出来て居る。可笑しいなと思って好く見ると、太腿(ふともも)が痩せて細く為ってしまって居る。全く骨皮だけに為って居りビックリした。太腿に両手の指を廻して測ってみると健康な頃に比べて非常に細く為っており驚いた。

 胸を見ると肋骨が一本一本浮き出て肩の骨はゴツゴツと飛び出し、これ以上痩せる事が出来ない位痩せてしまって居た。恐らく、四十キログラムを切って居ただろう。小川の流れで洗うと垢が皮膚から剥がれ出し、何と流れる水が薄黒く濁る程であった。
 好くもこんなに垢が着いて居たものだ。石鹸も無いので擦って垢を落とすだけであったが気持ちが好い。でも一度に垢を落とすと熱が出たり体調を損なう恐れがあるので早々に引き上げた。

 長い間、積もり積もった戦塵の荒落しが出来たのである。その時は汚れたままの服を着て居り、これを洗う程の元気が無かった。 数日後の二回目には着たきりの服を水洗いし干した。干して居る間は着替えが無いので褌(ふんどし)一つで乾くのを待った。乾燥した空気、しかも太陽が強く照り着けて居るので三、四時間する内にほぼ乾いた。
 衣服を五ヵ月振りに洗濯し気持ちが好かった。好く見ると服も大分傷んでおり歴戦の跡を残して居た。服の裏の縫い目にシラミとその卵が鈴為りにくっ付いて居たが、この程度の洗濯では半分程しか取れて居ない様であった。その後もシラミに食われ続けた。

 

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 ◆シラミ退治

 シラミと言えば転進の半ば頃から次第に多く為り、体中シラミに食われ痒(かゆ)くて堪ら無い。食われた跡形で体全体がザラザラして居る。小休止の間も皆服を脱ぎシラミ取りに一生懸命だ。
 しかし少し位殺した処で繁殖力の方が旺盛で増えるばかりで処置無しである。昼と言わず夜と言わず痒くて痒くて堪ら無い。服の内側の縫い目に卵を産み着け、その辺りを根拠地として体中を這い回る。深夜余りの痒さで寝られず辛抱しかねて跳ね起きる。
 だが明かりが一つも無いので、シラミを取る事は出来ない。咄嗟の判断で服を裏返しに着てシラミが表に回って来る間に眠るのだ。

 或る日、使役で精米所に作業に行った時、ボイラーから熱湯が出て来て溜まって居る場所があった。その熱湯の中に浸ければシラミが死ぬだろうと思い衣服を十分間位漬けてみた。それでも全部は死な無かった。強いものである。
 一番効いたのは、英印軍にDDTを体と装具一式に真っ白に為る程掛けられた時である。将兵全員一斉に実施した。以後完全に撲滅した。凄い威力であった。当時日本軍にはそんな良い薬品は無いし、在ったかも知れ無いが実用化されて居なかった。そんな事にも彼我の衛生面での対策に大きな差がある事を見せ付けられた。俘虜(ふりょ)生活の中だが、シラミの居ない生活は健康で衛生的であった。

 

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 ◆蚊とマラリヤ

 序に蚊に付いてだが、蚊に対する防備は当初は頭に被る網の袋だった。未だビルマに着いて三ヵ月位過ぎた頃、ヘンサタ市方面の渡河作業をし夕方を迎えた時、物凄い蚊の大群に襲われた事がある。暗闇の中だからどれ位居るのか見え無いが、空気の中の半分は蚊ではないかと思われる程であった。
 その時、この網を被ってみた事があるが、鬱陶しいだけでどれ程効果があったか分から無い。焚火をしたり枯草を燃やして蚊を防いだがどうにも為ら無かった。手や足は剥き出しであり顔だけ覆ってみてもむさ苦しいだけなので、このネットはその後使用する事は無かった。
 十人程度入れる蚊帳(かや)があったが、纏まって家の中で生活する場合なら役立つが分散した露営には役立た無い。その内破れて無く為り常に蚊に刺され通しであった。
 或る平原地帯のビルマの民家に居る時も、アラカン山脈の中に住む時も無防備で、マラリヤを媒介する蚊に刺されパナシであった。次々とマラリヤの病に為るのは当り前の事である。

 悪性のマラリヤ菌を持つ蚊が一杯居り、昼も夜も所構わず刺して居るのだから仕方が無い事である。マラリヤの特効薬でキニーネがありその錠剤を毎食後飲む事にして居たが、蚊に刺され方が激しいのでどれ位効果があるか好く分から無かった。
 キニーネは胃腸には好く無いし、後にはこれも補給が無くなり対応策無しであった。昔からビルマは、しょうれい・病魔の地と言われて居るが将にマラリヤの蔓延(はびこ)る国である。

 ビルマ全土で、我が軍は三十三万人の内十九万人が戦死した。私の概算ではその内十二万人がマラリヤに直接間接関わりがあり戦死したと言って好いと思う。それ程迄にマラリヤ蚊によって大勢の兵士が殺された事に為る。悪性マラリヤに罹れば、四十度の高熱が一週間乃至十日間連続し亡く為る人が多い。
 マラリヤとアメーバー赤痢の併発で命を落とす人、間接には高熱で歩いて着いて行け無くなり落伍してしまった多くの人々。マラリヤと疲労で弱ってしまい自決した人、マラリヤで体力が奪われ糧秣を取りに行けず餓死した人も数限り無い。
 マラリヤに罹り衰弱して居たのでシッタン河を筏で泳ぎ切る事が出来なかった人達もある。考え方によるとマラリヤとの戦いに破れたとも言えるのである。

 処で、国が戦争で負けたので一括して捕虜に為った場合は俘虜(ふりょ)と言うが、そのビルマでの俘虜生活では間も無くアースとかD・D・T等が配給され、噴霧器による蚊の退治を徹底する様に為り、しかも三ヵ月後には早くも全員に個人用の蚊帳を配り防蚊体制が整備された。
 俘虜抑留者に対してこれだけの事が出来るのは大した事だと感心した。この様に英印軍の環境衛生対策は日本軍より遥かに上であると思った。

 戦争中の日本軍の様に「ビルマの山の中には、何でも食べるものがある、本来人間は草食動物であるからそれを食い生きて行けるのだ。食うものが無ければ敵のを取って食え」と命令した事と比較すれば大きな相違である。
 人命尊重の思想が全く異なるのである。万事に大きな差異がある事が次第に分かって来た。マラリヤで多くの兵士が死んで行ったのも人命尊重の思想が乏しく安全衛生思想が低く当然の結果であったとも考えられる。

 つづく

 

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