2018年06月28日
一兵士の戦争体験 その19
その19
◇屍(しかばね)が道標(みちしるべ)
◆白骨街道を行く
本隊に追い着こうと毎日歩くがナカナカ追い着け無い。この山道を早い部隊は一ヵ月も前に転進し、十日前に通った部隊もあり様々である。我が手島中隊は半日程前に通った筈である。
その事を示す様に色々の屍が残されて居る。一ヵ月以前のものは、白骨と為っておりもう臭気も薄らいで居る。蝿は食べる部分を食い尽くしたのだろうかもう一匹も居ない。虚しさを感じる。「夏草や兵どもが夢の跡」の句を思い出す。
一週間程前の屍は非常に臭く何とも形容出来ない臭さである。どす黒い汁が流れ出て居り見られたものでは無い。屍によっては黒い大型のピカピカ光った蝿(はえ)が群がって居り、黒い大きな固まりがそこにある様に見える。
蛆(うじ)が湧き、ゾロゾロと腐った肉を食べて居るのだろうか這(は)い回っている。気持ちが悪く視線を逸らす。自然で一応清潔な山の中なのにどうしてこんなに沢山の蝿が居るのだろうか?最初は不思議に感じたが、蝿の好む腐れ掛けの肉があれば旺盛な繁殖力で一気に増える様だ。
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屍、それは尊い命であり日本軍の兵士の姿なのである。歓呼の声に送られて出征し頼もしかったその人なのである。余りにも酷い姿であり余りにも悲惨な姿である。半日前とか一時間程前に息を引き取ったのは、道端に腰掛けて休んで居る姿で小銃を肩に持たせかけて居る屍もある。又、手榴弾を抱いたまま爆破し腹わたが飛び散り真っ赤な鮮血が流れ出たばかりのものもある。その傍らに飯盒と水筒は大抵(たいてい)置いて居る。
又、ガスが屍に充満し牛の腹の様に膨れて居るのも見た。地獄とは正にこんな処か。その屍にも雨が降り注ぎ私の心は冷たく震える。
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その様な姿で屍は道標と為り後続の我々を案内して呉れる。それを辿って行けば細い道でも迷わず先行部隊の行った方向が分かり行けるのだ。皆これを白骨街道と呼んだ。この道標(みちしるべ)を頼りに歩いた。
ここら辺りは泥濘は無く普通の山道で緩い登り下りである。雨があがり晴れれば、流石に熱帯、強い太陽が照り着ける。暑い、衰弱し切った体には暑さは格別厳しく感じられる。
米はどうにか食い繋いで居るが塩が無い。ここ何日か全然塩分を取って居ない。塩分不足の為か体がだら〜っとした感じでピリッとした処が無い。今までに経験した事の無い気怠(けだる)さである。
食物不足と疲労だけで無い何か別のボンヤリして身体が怠けた様な感覚の苦しさである。自分自身塩分不足と感じた。しかし塩は何処にも無い。暑いので汗が出た。その出た汗を舐(な)めた。少しでも塩分不足を補う為に。身体を守る為に色々考え遣ってみる、これが戦地であり窮地に活路を見出す方法であろう。だがそんな事では塩分不足はどうにも為らず気怠さが続く。
処で、相変わらず裸足のままで歩いて居るが、数日前、糧抹収集に行った時、砂の小川を気持ち好く歩いたが、砂でフヤケタ足の皮が剥(は)がれ赤裸(あかはだか)に為り、ザラザラと言う表現が好いのかも知れ無いが痛い事痛い事大変な痛さである。
粘くても軟らかい土は好いが砂が悪かった。足の甲辺りの皮膚が剥けて痛く、砂・む・け・である。ザラザラで赤裸の足の皮膚である。これは、為った人で無いとその苦痛は分から無いがナカナカ治ら無い。そんな時、誰かが豚か鶏の油を塗れば好いと言い出した。何とか油身を貰って来て暇がある度に塗った。これは、痛さを和らげ好い治療に為った。有難い事であった。兵士達は色んな知恵を出すものである。
◆私の体調
前にも書いたが私の耳鳴りは続いて居り、立って歩いて居る間は何時も脈拍と共にドッキン ドッキン ドツキン と響いており、休憩して横に寝るとその間だけドッキン ドッキン が止まるが、何とも言え無い気持ちの悪い苦しさであり、聴力も次第に衰えた様だ。
それに大きな声も出せずボソボソと弱い声しか出無い。声帯が疲労してしまって居る所為か、肺から出る空気の圧力が乏しい為なのか、瀕死(ひんし)の患者が細く弱い声しか出せ無いのと同じである。力んでみてもハキ ハキ とした声に為ら無い。
何時の頃からか分から無いが両眼とも視力が次第に衰え、真正面が薄暗くしか見え無い。上下左右は明るく普通に見えるが足元が見難く歩き難い。恐らく栄養失調と体力減退によるのだろうが次第にその程度が進んで来る。
この頃から小便の終りに、血が赤い雫(しずく)と為りポタリ、ポタリと落ちジーンと沁みる。小便中も血が交(ま)ざって居るのだろうが見え無いだけであろう。弱り果てた体から更に血が外に出て居るので心配だ。恐らく、毎日水に浸かり下半身が冷えて居る所為か。膀胱炎(ぼうこうえん)だろう。
下痢の事は度々述べたが、絞る様な粘液の下痢が続いた。食べていなくても排泄があると言う事は体内に蓄えられて居る成分が体外へ放出されて要る事に為る。
下痢は止まったり始まったりの繰り返しである。これによる体力の消耗は激しく、相変わらず一日数回の下痢。お尻を拭く紙等無く為って久しい。木の葉を選んでそれで間に併せる。気持ちが悪いが他に方法が無い。
この頃は便と言っても便らしい便で無くズルズルした物であった。軍隊では皆んな褌(ふんどし)だがその頃私はその褌も汚れてしまい予備も無くスットコで軍袴(ぐんこ・ズボン)を履いて居るだけであり、それも垢だらけに為り、時には便もくっ付いて汚れに汚れた物であった。
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その軍袴は雨や水に濡れて腐り、それを火に当てて乾かすのだから焦げて痛み破れ始めており、裏の縫い目にはシラミが一杯鈴為りに着いて居りギラギラ光って居たが、そんな服で身体を包んで居た。
この様に下痢はして居たが悪性のものでは無く助かった。亦マラリヤらしい熱が出たり引いたりして居たがこの頃は、特別激しい悪性のものでは無く辛うじて持ち応えていた。タンガップで罹った様な激しいものだったなら死の道へ直行して居ただろうが、何時もスレスレに死の淵(ふち)を通り抜け不思議に助かった。
重い荷物は大分処分して居たが、痩せ衰えた肩に背嚢が食い込む。だが小銃だけは持って居た。手が神経痛に為り疼(うず)き、麻痺してしまい両腕とも水平より上に挙がら無くなってしまった。
勿論腕の力も無く為り、ダラリとぶら下って居る状態である。横目で自分の肩を見るとポキポキと骨が突き立って居る様であった。裸に為って自分の胸の辺りを注意して見る暇も余力も無いが、どうも肋骨が筋に為っており痩せて要る様だ。そう感じると心も傷着き弱く弱く為って来る様だ。
だが、自分の命を保ち身体を運び皆に遅れ無い様に歩か無ければ為ら無い。それが精一杯で自分の身体を点検する余裕も気力も無いのである。
戦友を好く見ると、頭髪と髭(ひげ)が長く伸び放題で顔は土色で垢に汚れて居り、それも相当な汚れ方である。若い勇士の顔では無い。顔を洗う暇も元気も無いのだ。自分自身の顔は見え無いが、同じ様に汚く痛んで居る筈で、もし自分の顔を鏡に写して見えたとしたらビックリしてしまった事だろう。
毎日雨に濡れ川を渡り、直ぐそこに水が沢山ありながら皮肉な事に顔を洗うユトリが無く、只生きる為に必死なのである。勿論水浴する様な暇と体力は既に無く、もう二ヵ月も三ヵ月も着たままで体中垢だらけである。先日ピュー河を裸で渡ったが、それは渡る為に裸に為っただけで顔や体を洗ったり点検する事はしなかった。その様な心の余裕と体力は既に無かった。
裸足で砂・む・け・の足を庇いながら歩く。足を傷つけては行け無い。傷つけて化膿でもすれば命取りに為る。幸いビルマは肌理の細かい土の所が多く小石や割れた石が無く助かった。昼は足元が見えるが、暗闇の中を裸足で歩くのは並み大抵の苦労では無かった。
この頃の事であるが私に取り悲しい個とが起きた。前に述べた様に私の班長は寺本班長で、ビルマに到着してから半年程で他の聯隊に転属(てんぞく)に為りその後戦死された。次に戸部兵長が班長をして居たが、この方も敵の陣地攻撃の時戦死されその後、玉古兵長が班長代理をして居た。
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私はこれ倮の方に終始気に入られ可愛がって頂いて居た。入隊以来、上下関係や戦友関係で辛いと思った事は無く、特に玉古兵長には「小田よ」「小田よ」と言って大事にして貰って居たのに、ある時急に「馬鹿野郎!」「小田お前はこの頃、何を遣らせても動作が遅くハキハキしない。隣の班の白髪上等兵等好くやって居るではないか、シャンとせい、早くやらんか」と大きな声で叱られた。白髪上等兵は私と同期である。
当時、叱られるのは当然なのだ。悲しいが思う様に動け無い。今まで信頼して貰っていた先輩上司の信頼を失った事は大変悲しく辛い。人間は信頼が最も大切なのに。しかし、残念だが体がどうにも動か無い。彼に叱られた事は私には大きなショックで非常に悲しい事であった。
後に為ってみれば、この頃玉古兵長自身も疲労して居り思う様に何事も出来ず焦って居たのだろう、無理からぬ事である。私はこうして気合いを入れられ奮起して頑張った。それが結果的には命を繋ぐ助けと為り全てについて彼に有難く感謝している。
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体調と言えば生命には直接関係無い軽易な事だが、転進作戦に入る前のタンガップに居た時の事である。ビ・ル・マ・か・い・せ・ん・と言う風土病の皮膚病に罹り、全身、特に手足一杯にデキモノガ出来て苦しんだ。
親指で押さえた位の大きさだが、無数に出来た。片腕に十個位、片足に十個位、何故か顔と頭それに胴体部分には出無かった。痒(かゆ)い事、痛い事、出来物だから膿(うみ)が出て汚い。数が多いし所構わずだから包帯の仕様も無い。
それ等は手の指や足の甲や男性のシンボルの先端に迄出来、誠に始末が悪い。痒く痛く汁が出て来る。男性ならばおよそどんな様子か想像出来るだろうが深刻で笑い処では無い。
石川軍医に見て貰い、薬を貰って約二ヵ月苦しみやっと治った。五十二年経過した今もその痕跡が太股当たりに薄く残って居る。私は幸い戦争による負傷は無いが、このビルマか・い・せ・ん・の痕が当時の戦線の証拠と言えようか。
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◆雨中の宿営
晴れの日もあるが、雨に濡れながら歩きやっと日暮れに為り宿る所を探す。為るべく先行部隊が屯した所で焚火をし火の気の残って居る所、そして一メートル四方でも木の葉で覆いをした場所があればそこに潜り込んで休むのだが、それは運が好い場合である。
大抵の場合は地面にゴロ寝である。雨が降って居る時は竹を背丈位の長さに切り三、四本並べ、その上に寝転び直接濡れた地面が背中に当ら無い様にし、装具を枕にし破れ掛けた携帯テントを体に掛けて横たわるのだ。雨が滲み込むので、野生の草や木の葉で大きいものがあればそれを携帯テントの上に置き覆うのである。
それでも激しい雨が夜中に降ると、体に巻き付けた携帯テントを通して雨が透つて濡れるし下からは並べた竹の上まで水が流れて来て浸かり、背中が濡れて来るので起き無い訳には行か無い。熱帯地方と言っても真夜中に背中まで雨に濡れると寒い。
明りが一つも無いので地面がどう為って居るのか分から無い。どんな降り方をして居るのか知れ無いが頭から被った携帯テントを雨が叩き雫が頬を流れる。雨は瀕死(ひんし)の兵士に降り掛かり、これでもかこれでもかと苦しめる。
前に通り過ぎた部隊が火の気を残して居る場合は稀で、大勢の部隊ならマッチを所持する者も居るが、四人や五人ではマツチはもう持って居ない。器用な兵隊が布で縄(なわ)を編んで火縄を作り携行して居た。それも雨に遭い長くは持た無かった。
何とか発火する物を持って居ても燃やし初めに為る紙一枚も無い。雨の山中ではグッショリ濡れた竹や木しか無い。生の木や竹の密林である。小雨も降って居る。
火を燃やし付けるのには困った。しかし窮すれば通じ人間は考える。生きる為に誰かが何かを遣る。青い竹の表面の皮の部分を剥ぎ、これを擦って乾かし細かく割って燃え点き易い細さにする。竹の表面の皮は湿って居ないし幾らか油気があるので、苦労はするが案外燃え始め易い。段々大きい火にし水筒で湯を沸かし煙に咽(むせ)びながら僅かな米を粥にする。
この頃、ひもじさを癒(いや)すに十分な物は無く飢餓の状態が続いた。私達四名は中隊主力より遅れ半ば落伍し掛かり乍ら愈々殿(しんがり)を行った。そんな或る日そこら辺りに馬の蹄(ひずめ)が二個転んで居た。先行した友軍が死んだ馬を心為らずも処分したのだろう。食べられ無い蹄のみが捨てられてあった。
日にちが経って居たが、蹄だから腐って居らず何とか食べられ無いものかと思案の末、時間を掛けて刻んだり削ったりして飯盒に入れて煮た。更に好く煮た。塩が無く味が無かったが、少しでも動物性蛋白源に為ればと思いガツガツと噛み砕いて食べた。
その為に下痢が激しく為る事は無かった。又、それを食べた為にどれだけ生き長らえたかどれだけ体力の維持に役立ったかも分から無いが・・・・
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◆命を支えた二合の米
ペグー山系を行ったり引き返したりして居る内に、日にちの経過と共にお粥で我慢して居たのが遂に一握りの米も無く為ってしまった。夕方露営の地に着いたが私には炊飯すべき米が無い。他の兵隊達は夫々に持ち合わせに応じて米を加減し飯や粥を炊いた。私は仕方無く筍と木の新芽を煮た。
食事が始まると中島上等兵が「小田、米が無いのか、これを食え」と言って、二匙(さじ)三匙のお粥を呉れた。その後で、彼は「小田、米が無いのか、俺は少々持って居るから、お前の持って居る象牙(ぞうげ)の印材と物々交換しょうではないか?」と言い出した。
元々彼は力持ちであり、最初から沢山の米を背負って居り、実際「未だ二升位は持って居るから大丈夫だ」と言った。
私のこの象牙は、昨年ラングーに無線技術教育を受けに行った時、財布を叩いて買った宝物で、米三十キロにも相当する値段で内地に凱旋する時に持って帰ろうと考えて居た大切な物であった。
しかし、命には替えられ無いと判断して、二合(三百グラム)の米と交換した。 彼は私を可哀相に思い、幾らか象牙に関心もあった。私は生きる為に米が絶対に必要であったからこの交換が出来た。
受け取った米を背嚢に仕舞った。だが、腹が減って居たので早速少しを炊いて食べた。美味しかった。身体が暖まり息を吹き返した。
この二合の米が二、三日間の命を繋いで呉れた。この二合が無かったならどう為って居たか、生命をこの頃落として居ただろう。米を沢山持って居た中島上等兵が一緒に居り私の命を助けて呉れたのだ。これも誠に幸運である。
七月十九日までにペグー山系の最後の集結地に集まる様に命令が出て居る事を誰からとも無く聞いて居たので一生懸命に歩いた。急が無くては間に合わ無い。我々四人は、愈々最後尾で中隊本部を追い掛けて行った。白骨の道標に沿うて裸足で歩き続けた。
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◆落伍しながらも辿り着く
先に象牙の印材と交換した二合の米を、少しずつ粥に炊いて食い延ばしながら毎日歩いた。しかしそれも無く為ってしまった。皆弱って居たが、少し元気な玉古班長代理と中島上等兵が先に行き、一人の兵隊と私が更に遅れてしまった。
到頭その夜は二人切りに為ってしまい、マッチも火の気も持って居らず炊くべき一粒の米も無いので、そのまま雨に濡れた地面に倒れる様に横になり眠った。幸いその夜は雨が降らず夜が明けた。
朝に為りトボトボと杖に縋(すが)り乍ら歩いて行くと、火を燃やした跡に僅かに火の気が残って居た。そこで一休みし湯を沸かして飲んだ。少しでも食べて居ないと今夜が危ぶまれるが食べる物が無い。
力無く二人で励まし合い歩いた。「もう後五百メートル先が集結地点の様だ」と道端にゴロリと寝て居る兵隊が教えて呉れた。そう言えば、その向うに大勢の人の気配を感じる。最後の力を出して歩き、やっとの事で師団司令部等の本隊に追い着く事が出来た。
決められた集結日の午前中にどうにか輜重聯隊の手島中隊長配下の自分の班に辿り着いてみると、私が遅れて居たその十日程の間に、戦友達も途中で落伍して中隊の人数は更に減ってしまって居た。そこに居る者も悄然として衰弱し切って居る。
午前中は筏(いかだ)にする竹を切り出す事に為り、直径二十センチ長さ二メートル余りの太く大きな筒一本を各自切って来た。シッタン河を渡るには竹を組んで筏を作り浮きにして、四人位が組に為り筏に掴(つか)まって泳がなければなら無いので竹の筒が是非必要である。
疲労困憊(こんぱい)し食べるものが無く足元はふら付き、弱い細い声しか出ないし汗も出無い状態であったが、その体に鞭打ちやっと竹を取って来て筒を準備した。
「夕方五時から下山行動開始」との連絡があった。山を下りて平野に出れば何か食う物があるだろう。それ迄もう半日の辛抱だが命が続くだろうか? ひもじいひもじい、少しでも腹に入れて置きたいが何も無い。耳鳴りが一層激しく為る上に体は寒さを感じる。
偶々、平井兵長が黒く煎(い)った籾を持って居た。私は彼に強請って一握り足らずを貰った。これは、籾を飯盒の蓋に入れて火にかけ煎(い)ったもので殻(から)が黒く焦げたものである。田舎育ちの私は、玄米の屑米(くずまい)を鍋に入れて煎り「焼き米」にしておやつの代わりに食べた事はあるが、焼いた籾を食べるのはこれが始めてで普通では食べられる様なものでは無かった。
しかし今は違う、焼けた籾の一粒一粒を噛み砕いてガシガシと食べた。籾の焼けた苦みが味と為って居た。湿りが来ない間はポロポロ砕けるが、湿ると砕け難く籾のガサガサした外の殻が喉に引っ掛かりそうだ。しかし、この黒く焼いた籾の百粒ばかりで幾らかのエネルギーが蓄えられた様に思われた。涙が出る程有難く平井兵長に感謝した。
考えてみると、十日間もの間本隊から遅れながらも、一緒に行動したからこそ本隊に追い付く事が出来、下山の日にどうにか間に合ったのだ。
一人で落伍して居れば絶対に本隊に追い付く事が出来無かった筈である。もし出発時間に遅れて到着したらペグー山系の中に取り残されてしまっただろう。誠に奇跡的な幸運に恵まれたのだ。一緒に助け合って行動した戦友に感謝の言葉も無い。
つづく
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