2018年06月28日
一兵士の戦争体験 その17
その17
◆歌に託す 林伍長
平素から優しく温和な人柄の林伍長は、聯隊本部付きで大阪外大の出身、本部で好く仕事が出来る人だと漏れ聞いて居た。その林伍長が草叢(くさむら)の中に転んで居た。色白童顔の面影は消え去り、昨日から激しい下痢で動く事が出来無い。しかもこの下痢はコレラであった。水を飲んではジャーッと下げ、嘔吐(おうと)もするのである。
もう、誰も彼の近くに行こうとしない。「水が欲しい。水が欲しい」と言って居る。しかし、その声にも力が無かった。不治の病で伝染性の強い病気である事、余命一日位しか無い事は彼も好く知って居る。
体は弱って居ても正確な頭と判断力は薄らいで居らず、決して治る事の無いコレラに自分が侵されて居ると感じた時の彼の気持ちや如何に。数十時間しか無い命と知り悲嘆に暮れ無い人があるだろうか。荒野の果て薬品一つ無く灼熱の中で苦しんで居るのだ。幾ら冷静に心を保っても喉の渇きはどうする事も出来ず水筒の水を飲み干し「水が飲みたい。水をくれ」「誰か水を呉れないか」と言って居る。
水を飲んでは下げ、飲んでは下げして刻々痩せ萎(しな)びてしまうのがコレラなのだ。聯隊本部の山本上等兵が自分の水筒に水を汲んで来て竹竿(たけざお)の先に括(くく)りつけ林伍長に差し出した。彼はそれをゴクリと飲み「有難う、俺は助から無い、死ぬ・・・・」「山本、わしはここで死ぬがお前が内地に帰ったら、故郷の父母にこの歌を伝えて呉れ」と言った。
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『身はたとえ ビルマの果てに朽ちるとも とどめおかまし大和魂』と言う辞世の歌を。そして「皆、アッチへ行って呉れ」と言い、手榴弾を自分で叩き轟音(ごうおん)と共に散って行った。実に見上げた最期であった。
この事があってから二、三日後、大西主計中尉もコレラに罹(かか)り自決された。主計は聯隊全部の女房役で財政全般を司る大役をされて居た。不治の病気コレラと知り自分の来るべき運命を悟り、部隊員が休憩して居る場所から少し離れた所まで這(は)う様にして行き自分の拳銃で蟀谷を撃ち抜いて逝かれた。
昨日まで元気な人もコレラに罹れば当時の戦場では薬も注射も無くもう助かる目途は無い。愛国の気持ちに燃えながらも、多くの兵士がコレラやペストで死への道を選ばなければなら無いのである。私達はこの伝染力の凄(すさ)まじさに恐れ戦いた。
◆戦車の攻撃
昨夜は夜間行軍をして昼間は細い道から入り込んだ灌木の間で大休止する事に為り、飯盒炊事をして飯を食べて居る最中、後の方向からドロ ドロ ドロと言う音が微かに聞こえて来た。 「敵の戦車が攻撃して来る!」と誰かが絶叫した。直ぐに兵器や装具を持ってその場を去ら無くてはなら無い。瞬間ポン ポン ポンと戦車からこちらを目掛けて射撃して来た。
皆慌てて雑草や雑木の間に身を伏せた。戦車のキャタビラの音とエンジンの音が近づく中で緊張し固く為り手を握り絞めた。逃げ出せば余計に敵に見られ易いだけである。
兎に角、体を草叢(くさむら)の中に隠して居るより他に方法が無い。愈々近づけばその時の事で見つかってしまえばそれ迄だ。私達は戦車に対抗出来る何物も持って居らず悲壮な覚悟を決めて居たが、戦車は我々の方には目を遣らずどうした事か通り易い大きい道の方へ出て行ってしまった。
危機一髪、危うく戦車の攻撃を受ける処だった。山の様な戦車を目の当たりにして彼我戦力の相違を思い知らされた。昼はこの様にして飛行機と戦車に攻撃され追われるので、出来るだけ山の中や樹木の繁った所を選んで逃げ遮蔽物の無い平坦地を行く時は夜行軍をせざるを得ない状況であった。
言うならば我が軍には、山の中の木の陰と闇夜だけが味方である。明るい昼と重火器と物量が敵の力であった。
この頃、交通の主要点、幹線道路、鉄道、主な町、便利の好い平坦地は完全に敵軍の支配下と為り、日本軍は山中に追い詰められ、ペグー山系を東へ横断しシッタン河を渡りビルマの東南マルタバン方面を目指して落ち延びて行くのみである。転進作戦と称して居たが実際は退却であり、敵中横断一千キロの道程は容易な事では無かった。
八 雨、飢餓、屍(しかばね)
◇ペグー山系の悲劇
◆屍から装具を失敬
やっと山系の西の入り口の部落まで到着した。我々は他の師団より一ヵ月も遅れて居り、更に同じ兵兵団の中でも殿であった。現地人は既に誰も居ない。しかも、大きな部隊が通過した後なのでもう米も無く家は蛻の殻で死体が散らばって残って居るだけである。
未だ死んで一日位だろうか、形が崩れて居無く蝿(はえ)が沢山集まって居た。黒い大きい蝿が一杯で気持ちが悪い。その死人の飯盒、水筒は既に取られて無い。勿論背負い袋の中に米は無さそうである。死を見届けた後に誰かが貰って行ったのだろう。
この頃は、色々の事情から兵器は勿論、飯盒や水筒さえ紛失した兵隊が多く、こうして必要で無く為った死人の道具を譲り受けるのだ。
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そんな或る日、山岡伍長が戦場で飯盒を無くして困って居た。丁度道端で死んだ兵隊が飯盒を手に持ったまま倒れて居り息もして居ないし足で一寸蹴ってみたが動か無いので伍長は飯盒を取り上げた。
その瞬間「ハンゴウー」とやっと聞こえる微かな声がした。死んで居ると思って居た兵隊は未だ生きて居り大切な大切な飯盒を取られた事だけは分かり必死で叫んだのだ。未だ生きて居たのだ。その恨めしい細い声が何時までも耳に残り忘れられ無いと彼は話して居た。
人情は人情だが臨終の人に飯盒はもう必要では無い。生きて歩いて居る人には飯盒は片時も無くては為ら無い命の次に大切な物である。無残、憐れな事であるが戦争とは絶体絶命どうしようも無いこんなものである。
上着も軍袴(ぐんこ)(ズボン)も、自分のものが焼けたりボロボロに為ったり無く為ったりすれば死人のを貰う。自分が裸足なら死者の靴、それも大分草臥れて居るのでも脱がせて失敬する事もある。 ペグー山系の悲劇がこの様に始まるのである。
◆米を確保し、最後尾で山系に入る
ペグー山系に入る前、米を集める為に今まで他の部隊が入って無さそうな部落を探した。運好く現地人は居らず籾と岩塩を手に入れ、たばこの葉と置き残した鶏五羽、豚一頭を捕らえた。長居は禁物、サッサと村落を引き揚げた。
丁度一日行程ばかり山系に入った所で、鉄帽に米を入れて搗いた。これからペグー山系の中に長い期間滞在する事に為るらしい。しかも輜重聯隊は師団司令部の将兵の分も確保して来いとの命令を受け、もう一度引き返して部落に取りに行った。
その部落はこれ迄に日本軍の部隊が通過した形跡が無く、現地人の姿も無く敵襲にも会わず相当量の籾と木製の臼を持ち帰る事が出来た。
二日を掛けて山の中で皆で籾を搗いて白米にした。しかし、兵兵団の司令部や主力は四、五日先に山の中程へ前進して居り我々は殿で山の中を追及(ついきゅう)する事に為った。
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ペグー山系はアラカン山脈の様に高い山では無く標高二百メートル位で、南北に約四百キロメートル東西に約八十キロメートル伸びる山塊である。この広大な山系には殆ど民家は無く行っても行っても山と谷、森林と竹薮の連続である。
道と言っても獣道(けものみち)を日本軍が最近急に歩ける楊に開いた山道で、細く柔らかく泥濘曲がった緩急の坂が混じったものであった。坂を登り、下り谷を越え水に浸かって河川を渡り、酷い泥濘の所もあり困難を極めた悪戦苦闘の道であった。
臼で搗いた白米を夫々に分配し、五〜七キログラム程度を持ち山系の奥に入って行った。師団司令部へ渡す米を皆で分けて携行して居るのだから、衰弱した体には堪え難く重い荷物で肩に食い込んだ。
もう、完全に雨期に入って居て雨の降ら無い日は無く、豪雨性の雨が降るかと思えばシトシトト降り続く雨もある。好くもこんなに雨が降るものだ。好く降ると感心すればする程猶更(なさら)降って来る。しかし、我々は全くの野宿だ。雨に濡れながら歩き雨に打たれて寝る。内地の乞食でも橋の下があり雨宿り出来るが我等にはそれさえも無い。
今までに大部隊が何組も何組も通った後の為、赤土の山道は粘って居り、田植えする田に入って居る様である。嫌、それよりもっと粘っこく赤土で壁土を作って居るのと同じ様な粘さであった。
最初の二日は所々だったが、三日目からはこの泥濘が延々と続くのである。一歩、歩いては、ズッポン、二歩、歩いてはズッポン、ズッポンと膝まで泥濘に入り足を抜き出すにも力が要り大変である。一日歩いても四キロ位しか進め無い。
泥濘膝を没すと聞いた事はあるが、まさしくその通りである。力尽きた兵隊が道の畔に蹲り息絶えて居る。息絶えて居るが小銃をここ迄持って来ておる。立派なものだ。
一歩泥濘、次の一歩も又抜かり込み、グッショ グッショ ビチー ビチーと粘り込んだ。粘った土の中に地下足袋はズルリと入る。その足を抜き出すにも力が要る。強く引き出さ無ければ抜け無い。やっと抜いて、次の足を泥の中に突っ込んで進んだ。
何処を通っても泥だらけである。こんな酷い道を私は見た事も聞いた事も無かった。例えが悪いかも知れ無いが、臼で搗いた餅の中を歩いて居る位の粘さである。ここら辺りのビルマの土は肌理の細かい赤土で、日本軍によって急いで造られたのでバラス等は全く入って居ない。
雨期で無ければこんな酷い事には為らないが、雨期の最中大部隊がニヤクリ、ニヤクリして通った後を、最後尾の我が部隊が進んで居るのだからこの様にネバイ泥濘に為って居るのだ。
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そんなある日の事、私が泥濘の中を一歩一歩足を運んで居ると前方の泥濘の中に兵隊が立って動こうとし無い。追い着いて好く見ると自分と同じ班の三方(みかた)上等兵ではないか。
動か無い筈、息絶えて居るではないか。立ったまま死んで居るのだ。彼は丸々と頬の張ったユーモラスな男であったがその顔も痩せ垢と土に汚れて居る。しかし彼である事は直ぐに分かった。小銃は持って居なかった。足がねばり込んで抜け無いで力尽き果て死んだのだ。
重心がそのまま残り、立ったままの姿である。私は唖然とした。世にこんな死に方があるのだろうか?酷(むご)い!
その頃私の班の者は皆銘々勝手に散り散りバラバラに歩いて居た。ここで何と処置して好いか判断も思考能力も無く弱り果てた。マゴマゴして居ると自分も落伍してしまう事に為る。困惑の極みの処へ運好く玉古班長代理と他に二名の兵隊が遣って来た。
玉古兵長は「三方(みかた)か、酷(むご)い事。立ったまま死んで居るのか?」「力が尽きたのか。皆で道の縁(へり)に運んで遣れ」とテキパキと指示した。四人掛で、やっと泥濘から引き出し道の縁に寝かせた。
「責めて右親指を切り取り、遺骨として持って行こう」と言った。誰かがビルマのダアー(斧)で指を切り取った。「お前持って行け」と私に指示された。その頃一枚の紙も無いので、私は木の葉に包みポケットに入れた。
この遺骨が内地の三方家に届いたらどんなに悲しまれるだろうか。しかし、考え方では親指一本でも届けられれば未だ良い方である。今迄にも行方不明に為った人の遺骨等どんなに為っただろうか?遺骨の無い人が大勢あるのだから。
瀬澤小隊長の親指の遺骨も本山上等兵が大切にして持って居たが、彼が行方不明と為ってしまったし、大西主計大尉や林兵長はコレラだったので屍に近寄れず遺骨を持ち帰る事が出来なかったと聞いて居る。この様に遺骨の無い人は大勢居るのだ。「三方君きっとお前の遺骨は郷里に届けて遣るからな」と誓った。
その日も夕方迄泥濘の中を歩き露営した。飯盒炊事の時、その火の中で三方上等兵の親指を火葬にした。尊厳な筈の火葬と炊事が一緒で申し訳無いが負け戦の最中はこんな事である。誰かが小さな布切れを持って居たのでそれに包み、背嚢の奥に遺骨を収めた。 自分の事だがその頃、私の地下足袋には土がべったりひっ付いて重い事重いこと。
泥濘中の行軍が続き一日の行程が予定の三分の一にも達せず、全く遅れてしまい、ペグー山系横断に予想外の日数を要する事に為った。もう、靴を無くして裸足(はだし)で歩く人も大勢出て来た。私の地下足袋もこの泥道で急に傷み、ゴムと布との間が口を開けて履く事が出来無く為り裸足に為った。
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裸足のままでは頼り無いので、ビルマ人のロンジの布端を引き裂き足に巻き着ける事にした。しかし、つるりと滑っては転び、滑っては転び、布にも土がべっとりと着き、数日の内にそれも破れてしまい愈々裸足の行軍が始まったのだ。
幸いペグー山系の中では森林が多く敵機に見つから無い。昼間の明るい間の行軍が出来たので地面が好く見え障害物を避けて進む事が出来た。しかし、裸足で泥濘を歩くのだから堪(たま)ら無い。水気で足はフヤけて泥だらけ、木の株や竹の折れ端で足を痛め無い様に用心して歩いた。ここで足を痛めたら最後であり命取りに為るのだ。酷い泥濘だが、その中に石も砂も無く粘土だから割合足を傷め無いで歩く事が出来助かった。
我々が平地より運び込んだ籾を白米にしたが、それを師団司令部に相当量渡し残りを夫々が分けて持ち、山に入って来たが日数を重ねる内に段々少なくなり心細い。
蛙を捕まえて食べた事もあるが、滅多に居るものでは無い。食物が無いので、誰かが「この木の実は食べられるぞ」と言うので、その実を千切って食べた事もあるが、味も無くガサガサとしたもので食べられる様な物では無かった。
◆盗まれた米
携行している米が少なくなり皆困り始めたある日、道の縁にゴロ寝した時の事である。疲労困憊(ひろうこんぱい)した体は何時しかグッスリ眠った。朝、目が覚めてみると背嚢の中の米が無い。『靴下の中に入れて居た米がゴッソリない!』一粒も無いのだ。
身体の中の血が逆流しそうだ。確かに昨夜は枕元に背嚢を置いて寝て居たが、眠って居る間に一升五合(二・二キログラム)の米がゴッソリ抜き取られてしまったのだ。
米が無ければ死ななければ為らず、そうで無くてもここ数日、米を節約し食い延ばしヒモジイ目をして居るのに。だが、誰が盗んだのか証拠が無い。聞いて歩く訳にも行かず、盗まれた盗まれたと騒ぎ立て無い方が好いだろう。
我慢、我慢、今日一日は食わ無くても死な無いだろうと思う事にした。だが残念でなら無い。悪い奴が居るものだ儂を殺す気か。一日中食べずにフラフラと皆に着いて歩いた。腹が立ち、腹が減る。畜生め!
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この日は昼歩き夕方山の凹地で大休止と為った。皆は銘々炊飯をして食べて居るが、私には炊飯すべき米が無く食べるものが無い。ああヒモジイ。何か食べたいけれども何も無い、体が弱るが仕方が無い。
心易い戦友に強請れば少し位は呉れたかも知れ無いが、これから何日も貰うばかりは出来無い。敢えて誰にも言わず我慢した。水筒に湯を沸かして飲んだが腹の足しには為ら無かった。『今夜盗み返すのだ、それより他に方法が無い。飢え死にして堪るものか』
乾坤一擲(けんこんいってき)遣るのだと決心した。この凹地には我が中隊の一部と他の部隊や落伍者達が入り乱れて休んで居た。腹が減って眠れ無い。それに今晩こそ何とかし無ければ自分が死ぬのだと思えば、ジッとして夜が更(ふ)けるのを待つより仕方が無い。眠っては行けない時間を待つのだ、興奮して眠れ無い。
木の繁った山の谷で真っ暗い夜だった。自分の休んで居る処を這い出して少し離れた所で四、五人が並んで寝て居る場所に行き一つの背嚢の口を開き靴下に入った米五合を静かに失敬した。更に離れた場所の兵士の背負い袋の中から、靴下に詰めた三合ばかりの米をも失敬した。
一つ取るのも二つ取るのも同じだ。闇の中で半ば手探りで事は成功した。参考までに軍隊では、内務班に居る時から員数合わせする事が重要な事で、その為には常に人の持ち物を盗む事が行われて居り、世間一般での盗みの感覚とは異質なものがあった。
その様な軍隊生活の中でもあり、この場合は将に生死の明暗を分ける時である。取られた物は取り返さ無ければ生きられ無い絶対の場面で、静かに反省して居る余裕の無い時である。
腹が減って仕方が無かったので、夜中であるが残り火を起こし早速炊飯して食べた。暖かいご飯が喉を越した時は久し振りで美味しかった。
この米でこれから暫く命を繋ぐ事が出来るとホッとした。その時一人の兵隊が闇の中からこちらへ歩いて来た。私は飯盒の飯を食べて居る最中であった。彼は夜中であるが自分の米が盗まれたのを何かで感じて起きて来たのだろう。こんな真夜中に飯を食うて居る私を闇を通して見て可笑しいと思ったのだろう。
「お前飯を食うて居るが、わしのを取ったのだな?」「わしのを返せ」と来た。私は「自分の物を食うて居るのが何が悪いか、腹が減ったから自分の米を炊いて食うて居るのが何故悪いか、人を疑うのも程々にせい」と切り返せば好かったのだが、そう嘘が言え無かった。
黙って居ると彼は私が取ったと感じとってしまった。私は咄嗟に嘘を着いてしまえ無かった。「米を返せ」「わしのを返せ」と迫って来た。
「返してやるわい」と言って米の入った靴下をポイと放り出した。かの兵隊はそれを拾ったが、闇の中で私を睨(にら)みつけ三発ゲンコツで殴った。
私は抵抗し無かった。既に腹に入れただけは儲(もう)けである。少々殴られても腹の中では消化されて居るのだから。それにもう一つの袋の米は私の背嚢の中に納まって居るのだから、歩留まり五十パーセントだと思い殴られるに任せた。
その兵隊は暗闇の中に消えて行った。暗闇の中の出来事でお互いに顔は分ら無いままであった。この様にして私は幾らかの米を入手出来生命を繋ぐ事が出来た。
夜が明け山中の行軍が始まった。この頃は飢えの為顔も痩せて居る筈なのに殴られて顔が腫(は)れて居たので、溝口曹長が直感で「小田、お前顔が腫れて居るがどうしたのか?」と尋ねられた。私は「蜂に刺されて腫れたんです」と体裁を整えて答えた。でも久し振りに腹が満ちて元気好く歩けた。
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◆筍(たけのこ)で命を繋(つな)ぐ
ビルマの山には竹薮(たけやぶ)が多く色んな種類の竹が生えて居るが、ペグー山系に入った頃丁度筍の生える季節で幾らでも生えて居た。これ幸いと筍の先の柔らかい部分のみを採って来て、灰の汁で灰汁を抜き湯がして食べた。お陰で空腹を満たして呉れた。
私は中学生の頃、筍を食べてジンマシンが体一杯に出て大変困り、医者へ行って注射して貰っ事があったので、筍を食う殊に抵抗を感じて居たが、腹が減るし米を節約しなければなら無いので用心しながら少しずつ食べた。しかし、幸いにジンマシンは出る事も無く助かった。
初めの内は塩の手持ちがあったが、塩が無く為ってからは茹でただけの筍を口にしたが、それは味が無くて食べられ無かった。
誰かが「こんな物は栄養に為ら無い」とか「腹の中を通るだけだ」とも言ったが、食べる物が乏しいのでこれを食べた。沢山食べ過ぎ消化不良を起こした人も居た。中にはこれが原因で体調を崩し命を絶った人も出た。でも全体としては飢えを若干でも凌ぐ事に為ったのではなかろうか。
私は筍の所為では無いだろうが、毎日水に浸かり冷えと体力の衰弱の為か、この頃又下痢が始まり回数が増え苦しい。何処にも下痢止めの薬ナどあろう筈が無い。
物知りの兵隊が炭を食べれば好いと教えて呉れて居た。炭は吸湿性がある。内地に居る頃腹痛の時、黒い粉の薬を飲んだ覚えがある。それに燃やしたばかりの炭ならば黴菌(ばいきん)は無い筈だ。「そうだ、これを食べよう」と決心した。
早速、飯盒で炊事した後、燃え残りの炭の奇麗そうな処を拾いあげガシガシと噛んだ。甘味も辛味も何も無い。燃え指しで炭に為って居ない部分は吐き出した。炭を口の中に入れてもナカナカ喉を通ら無いが、このまま下痢を続けて居ると命取りに為るから、治したい一心で薬だと思いかなりの量を歯で砕いて粉にして食べた。確かに効いた様で次第に下痢が治り、ここでも命拾いをし本当に嬉しかった。炭のお陰である。
・・・ともあれ、ペグー山系の筍は忘れられ無い。私は、未だに食卓に筍が出ると一瞬ペグー山系で食べた筍の事を必ず思い出す。複雑な感情で簡単には表現出来ないが、普通の野菜とは異なり筍に対しては特別な心の動きをするのである。
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◆次々と落伍して行く
私と一緒に二月に召集を受け同じ様にこの野戦部隊の金井塚隊に転属して来た戦友の小林君や山田君が自決したとか、大井君がポウカン平野で敵弾に倒れたとの悲しい知らせが風の便りに次々に耳に入って来る。
あの確り者の小林君、あの機転の効く大井君。姫路に入隊した頃、美人の妹さんが大井君の元へ面会に来て居たのを見た事があるが、それももう昔の夢と為って市まった。 しんみりと弔う時間も落ち着いて悲しむ余裕も無く、現実に直面して茫然とするのみである。
敵弾と飢えと疲労に死にそうな日々が続く。自分の人間らしい温かい感情は薄れてしまったのだろうか。ペグー山系の転進で、将校も下士官も兵隊も下痢を起こし衰弱し、又はアメーバー赤痢に為り歩け無く為り置いてきぼりに為る。自分から「頬って置いて行って呉れ」と言う者もある。
皆、元気に為り病気が治れば本隊に必ず追い着こうと思って居るのだが、実際は一度皆から遅れ山の中に残るともう追い着く事は出来ない。「落伍してはいけない、必ず追及するのだ」と決心はするものの体がどうにも為ら無い。
僅かな米を持って居ても数日分しか無い。そこで飢え死にするかある時期に自決するかである。この様にして一人、二人、三人と落伍して行く。彼等はその後どう為ったか実の処分から無い。殆どの人はその地に朽ち果てたのではなかろうか。
取り残され動けず、次第に無くなる一握りの米を眺め、自分に残された命の日数を数える事がどんなに大変な事か。望郷の念耐え難く息を引き取って亡く為って行かれた将兵の心中や如何に。
敢えて言うならば、最後に手榴弾を抱いて自決した人にしろ、次第に劣り自決する判断力すら失い餓死した人にしろ、敵の弾丸に当たり一瞬にして死ぬのに比較すると考える日日や時間が有り過ぎる程あった筈で一層哀れである。
内地の土をもう一度踏みたい、父や母の顔を何回も何回も思い出し一度で好いから会いたいと念じた事だろう。妻子のある人は写真を出して頬摺(ほほず)りをして別れを惜しんだ事だろう。残酷な時間が継続したのだ。余りにも哀れで悲惨な事である。これが戦争で負け戦である。
私はこの様にして別れた多くの戦友の事が何時までも忘れられ綯い。同じ班だったかどうか覚えて居ないが、笠原上等兵は私と一緒に馬の作業をし、私の輜重車が脱輪し引き上げるのに困った時助けて呉れた事があった。
軍隊では共同作業が多く助け助けられるのである。落伍する彼が最後に「小田、わしはもう動け無い、少し休んで行くから」と寂しく弱々しい声で言って道端に蹲ってしまった。細い雨が降り雨霧が辺りの山々を包んで居た。彼の顔と山河の光景が網膜に焼き付いて居り、歳月は流れても忘れる事の出来ない悲しく遠い日の出来事である。
・・・衣食足りた平和な今日では、到底想像も出来無い事であるが、日本の国を守り民族と家族を守り祖国の発展を祈りながらこの様にして多くの若い戦友が散って行ったのである。半世紀を経過した今も、白骨は雨期の豪雨と乾期の炎熱に晒されたままペグー山系の山深くに朽ち残されて居り痛恨の極みである。心よりご冥福をお祈りするばかりである。
二十一世紀の若人よ、祖国を守り日本国の発展を願いつつビルマに散って行った二十万人の霊魂が、無念の思いをしながら残って居る事だけは心に銘記して置いて貰いたい。
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◆命懸けの糧抹収集(りょうまつしゅうしゅう)
ペグー山系の中を苦難の転進をして居る頃、我が第一中隊の主力は手島中隊長以下約七十名に減って居た。
内訳は私の所属する第二小隊では、瀬澤小隊長戦死後は誰が小隊長の代理をして居たかも、浜田分隊長戦死後は誰が分隊長代理をして居たかも明確で無い。片岡邦夫軍曹が小隊長代理をし、若い森伍長が分隊長代理をして居たのかも知れ無い。
次々に指揮者が戦死し、兵士達は泥濘の中を息も絶え絶えに歩いて居る頃で、人事の任命も我々兵隊迄には徹底して知らされる余裕も無く 、指揮系統も明確で無い状況であった。
第三小隊も当初の黒田小隊長の後任である岸本小隊長が戦死されて居り、各分隊長も次々に戦死されその頃には片岡東一軍曹が小隊長代理を勤める等、指揮者が激減して居た。
私には確かな記憶が無いが、第一小隊は福田中尉が指揮し別の方面に転進して居たのだろうと思う。何れにしても、これ迄に第一中隊は編成当初の半分以下に激減して居たと思われる。七十名と言えば一個分隊の人数より少し多いだけである。そして既に将校は手島中隊長のみで、溝口曹長が指揮班長として細部の命令を直接兵士達に伝達し取り仕切って居た。
第一中隊は手島中隊長以下で、この頃から師団司令部直轄(ちょっかつ)部隊として行動をする事に為った。
ペグー山系に入ってから半月以上苦難の行軍を続け、山系中を流れるピュー河を渡り山系の東に到達した。眼下にシッタン平野が見える。更に進み山を下り平地に近い山麓の林が覆い被さる中に野宿する事に為った。
これから折りを見て平原を突破しシッタン河に挑(いど)むのだろう、もうあの屍の塁々とした苦難の山系へ逆戻りして歩く事は無いだろうと私達兵隊は思って居た。
師団司令部は山系の中程に宿営して居るのだろうが、手島中隊に米を取って来る様にとの命令を下して来た。我々自身も米が無く為って居るので兎に角糧秣を収集する事に為った。
山裾の中隊が屯して居る場所からシッタン平地に点在する現地人の部落へ取りに行くのだが、ナカナカ容易な事では無い。夜明け前に起き、山を出て平地にある部落を探し払暁(ふっぎょう)に襲うのである。
私達三人は斥候を命じられ、暗闇の中を一足先に部落の様子を探り報告する為に引き返して居ると、行き成り友軍が機関銃で撃って来た。未だ夜が明けて居らず薄暗いので、私の方からも機関銃を構えて居るのが見えず、機関銃手の方からも私達三人の姿が見え無かったからこんな事に為ったのだが、命令の不徹底があった為でもある。
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私達三人の方向を目掛けて行き成り薄暗い所から機関銃がダッ ダッ ダッと火を吹いた、丁度七、八メートルの至近距離からである。私はビックリして「友軍だ!友軍だ!」と叫び仰天し横跳びに走った。
他の二人はどう逃げたか知れ無いが銃口の前を飛び退いた。機関銃の銃口の高さは三十センチ位で私の股の間を弾が通ったと感じた。それも三発点射だから三発全部が股の間を通る事は無い。どう為ったのか知ら無いが足に当たら無かったのが奇跡的で不思議である。
機関銃は部落民を追い払う為に威嚇射撃(いかくしゃげき)をしたのだが、我々斥候三人は撃ち殺されるか重傷を負わされる処だった。当たる筈の関係位置であり、極めてタイミングも好く当然撃ち抜かれて居る筈だが、当たら無かったのだ。
その時足を遣られたらもうお終いだ。どうする事も出来なく為り死ぬより他に手段の無い戦況であった。神様は私を助けて下さったのだ。不思議だ。今思い出しても戦慄を覚えるし、復員後二、三回、夢でこの恐怖を見た事がある。
・・・この時の機関銃手であった光畑上等兵は私と共に復員し現在も元気で活躍中である。戦友会で会う度に「あの時はビックリした、行き成り闇の中から大声で『オイ!オイ!』と絶叫し小田君が飛び出て来たので『撃ち殺した』『しまった』と一瞬血が逆流した」と話す。
「当たら無くて好かった、当たったと思ったが本当に幸運だった」と当時を懐古するのである。当たって要れば光畑君も一生重い心の負担を背負って居ただろうから。両者にとり何事も無く誠に運が好かったのだ。
光畑上等兵は戦争中元気で重い機関銃を常に持ち、部隊の先頭に立ち敵軍を懲(こ)らしめ、味方を好く守り、ある時は宮崎師団長閣下の直接護衛をする等輜重隊の名誉を高からしめる貢献をした勇者である。彼は終始マラリヤにも罹らず下痢にも悩まされず元気者で通して来た。こんな人は極めて珍らしい。
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・・・戦後彼は私達と共にビルマへ数回慰霊団の一員として参拝して来て居るが、今日では数少ない生存者の中で私と親しい戦友の一人である。彼は敵に直面した回数も多く激烈な戦闘の話を好くしており貴重な存在である。
話を元に戻すと、平野の中にある十戸ばかりの部落に入る前に、機関銃で威嚇射撃して部落民を追い出した。現地人は素早く反対方向に逃げ出したので家に入り、米と塩そしてたばこの葉を取って帰った。その時一頭の牛を連れて引き挙げた。成果は上々と言う処であった。
この成功で師団司令部に渡す米も目標の三分の一程度と自分用が少し貯えられた。早速飯を炊き久し振りに腹が膨れる位食べた。塩と米だけでも美味しかった。
翌日は昼、斥候に出る事に為った。中村伍長と古角上等兵と私の三人が一組の斥候と為り、何処に部落があるか道順はどうか等を調べ、明日の未明に糧秣を失敬に行く部落の様子を偵察する為であった。
三人は山麓の隠れ場所を離れ平地に通じる約二メートル幅の道に出た。そこに西岡軍曹と小谷上等兵、富田上等兵の三人で一組の斥候が道端に休んで居た。私達の中村国男組は先に行くからと言って追い越して前にドンドン進んだ。
三百メートル位先に行った時、敏感な中村伍長が「自動車の音がする」「可笑しい、自動車のエンジン音だ、隠れよう」と言って、道の縁(へり)に沿った川の茂みの方へ下り隠れた。
隠れるや否や敵のトラックが、英印軍の黒人で頭にターバンを巻いた兵隊十人ばかりを乗せて目の前を通り過ぎて行った。私達は川の中から見上げた。三メートルも離れて居ない至近距離だ。気味の悪い事、見つかればそれ迄だ。エンジンの音が軽いのに好くも中村伍長は感じたものだと感謝した。
西岡組はどう為るだろうかと心配して居たら、銃声がパン、パンとし、何発もの射撃音が続いた。見つかったのだ。やがて銃声は聞こえ無く為ったがどうも遣られた様である。 私達中村組は、もう前進して行く元気も無く為り、さりとて後方に敵が居るのだからこの道を後退する訳には行か無い。道から直角の方向に離れ、雑木林を横切り大回りして中隊が屯している山麓にやっと帰った。
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暫くして西岡軍曹が一人で帰って来た。「小谷上等兵と富田上等兵は二人ともあそこで遣られてしまった。敵は自動車から降りて迄は追って来なかったので自分は助かったが二人遣られてしまった。残念で為らない」との事。流石下士官、激しい攻撃を今受けたばかりなのに慌(あわ)てず焦らず泰然(たいぜん)とした態度であった。
翌日の夜明けに二人の死体収容に行った。現地人に服を剥ぎ取られて居り痛ましい姿に為って居る。誰かが二人の親指を切り取り持ち帰った。大した弔(とむら)いも出来ないが許して呉れと合掌し皆で別れを惜しんだ。その日は米の収集はし無かった。
・・・小谷君は私と同じ二月に召集を受け、後に私と一緒に金井塚隊に転属に為って来た兵隊なので縁が深かった。岡山県御津郡(みつぐん)馬屋村(まやそん)の出身だと聞いて居たが、小まめに好く動き爽やかな感じの青年であった。
小谷お前も死んだのか!小柄でやや角張り気味で少し日焼けした顔が、何故か五十二年前のタイムカプセルを通して現われて来る。
もっと米を集めなければなら無いので、次の日にある部落を目指して五十人位で徴発(ちょうはつ)に行った。小さな小川があり冷たい砂と水を踏むと気持ちが好い。砂もきめが細かく足障りも好かった。靴を履いて居る兵隊はホンの一部で、私を含め多くの兵士は裸足であった。その時は何とも無かったが、これが後に大変な事に為ろうとは誰も予測しなかった。
それはさて置き、目指す農家は二十軒ばかりの集落である。その部落は約二十メートル幅の川を隔てて向う岸の小高い所にあり未明の薄暗い中に静かに佇んでいた。手前の川岸から機関銃で威嚇射撃をした。それに呼応して、皆一斉にザブザブと腰の上まで水に浸かりながら川を渡り部落に入った。その時誰も居ないと思って居た民家の中から小銃で撃って来た。
現地人は兵器を持って居たのだ。一昨日の事があり部落を守る為に武器の用意をしたのだろうか、パン パン パンと音が交錯した。変だなと一瞬感じたが、私は構わず家の中に入って行った。そして約一斗(十五キロ)の米を袋に入れた。かなりの量が取れたのでそれ以上は何も捜さ無かった。
外では銃声が響き犬が気が狂った様に吠えて居る。中隊の皆も活動が鈍い様だし家の中に入って来無い。可笑しい気配を感じた。
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私も早く出ようとしたが、銃声が激しく危ないと感じた。咄嗟に床の下に米を持ったまま潜り込んだ。暫くそこにしゃがんで様子を伺った。夜が段々明けて来るし犬は益々吠え立てる。
このまま時間を経過すると逃げ出せ無く為る。危ない!と判断するや否や床下より這い出て、一目散に川に向かって走り、重い米を背負い川へ飛び込みザブ ザブと水の中を走った。走ったと言っても水の中は歩く程しか進め無い。その部落から私を目掛けて弾が飛んで来る。前後左右にその水面に弾着を示す様に飛沫(ひまつ)が上がりもう駄目かと思った。
だが彼等は現地人だから射撃は上手で無いだろう等と考えてもみた。もし、背中に背負うた米に当たれば、一斗の米は貫か無いだろうと思いながら一生懸命に水の中を走った。
走ったと言っても、腰の上まで来る水の中では容易に進め無い。折角取った米を捨てては為らぬ。濡らしては為ら無いし転んでは何にも為ら無い。アア息が苦しいああ苦しい。敵からの照準を惑わす様にジグザグに進んでみたり走ってみたりした。
キツクテ溜まら無いがもう少しだ。ヨロケテは駄目だとザブザブと水を分けて走り、やっとの事で岸に辿り着いた。一気に土手を這い上がり土手の頂上から転げ落ちる様に反対側の斜面を降りた。
暫く動け無かったが助かったのだ。引き返して来た中で私が一番最後の様であった。殆どの兵士は状況不利と感じ、部落の中に入らず米も取らずに引き上げたのだった。結局三人が米を取って来ただけで成果は上がら無かった。それよりもここで叉三人の戦友が帰らぬ人と為った。
一昨日斥候に一緒に行った中村伍長は気合いの入った鋭敏な下士官で、今日も真っ先に民家に入り掛け階段を四段程上がった時、家の中から小銃で顔面を真面に撃たれ「ウ、ウ、ウ」と言って倒れ、階段をゴロゴロと転げ落ちた。見ると払暁(ふっぎょう)の薄明りの中で、ベットリと赤い血で顔が覆われ衣服も真っ赤に染まって居る。
だが彼は「わしは、もうお終いだ」「これを頼む、これは、瀬澤中尉の遺品の拳銃だ、持って帰って呉れ、頼むぞ」と言い終わら無い内にグッタリと為ってしまったと言う事である。
上官瀬澤小隊長の遺品をこれ程迄に大切に思い、内地の御家族に届け無ければなら無いと責任を感じて居たのである。
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私は通信班で中隊本部に一時所属して居た縁で中村伍長には特に親しく可愛がって貰って居り、又一昨日の斥候に出た時も彼が敵の自動車の音を感知し敏速な対応をしたお陰で命拾いをしたばかりなのに。その彼が今日はもう帰らぬ人と為ってしまった。彼を思い心の中を大粒の涙が流れ、運命の変化の大きさに戦いた。
中村国男伍長は中隊本部で川添曹長の下で、人事の事等中隊の重要な仕事を手伝って居り、将来が大いに嘱望(しょくぼう)されて居ただけに一層哀れで悲しかった。
この時縄田(なわた)兵長ともう一人の兵士も遣られたのか逃げられ無く為ったのか分から無いが、帰って来無かった。結局三名が戦死し糧秣はホンの僅かしか徴発(ちょうはつ)出来ず、大失敗に終わり中隊はスゴスゴと山へ引き揚げた。糧秣の確保掠奪(りゃくだつ)も死に物狂いで容易では無かった。
つづく
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