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2018年06月28日

一兵士の戦争体験 その16


 その16
 

 ◆編上靴(へんじょうか)は破れ服も傷(いた)む

 敵の監視偵察が厳しいので、我が軍が平地で遮蔽物の無い所を転進する時は夜間行動をせざるを得無かった。実際は退却であるが退却と言う言葉を避け、少しでも勇気を出す様に奮起を促し転進と称したのである。
 山の中で大きな樹木や林に覆われて居て、敵の偵察機から見え無い所を進むの為らば昼でも好いが、それでも敵は我が軍の行動を不思議に好く知って居た。

 偵察機以外にも、日本軍が及びもつか無い観測計器や電波兵器を持って居たのでは無かろうか。ともあれ毎夜の行軍が続き、ポウカン平野を西から東へ曲りくねった道を横断するのだ。
 長い期間の行軍の為、履いて居た編上靴(へんじょうか)も遂に口を空けてしまった。修理出来る様な状態では無いので捨て、取って置きの地下足袋(じかたび)に履き替えた。この地下足袋が最後の履物だ。長くは持た無いかも知れ無いが、大切に履かなければなら無い。これが駄目に為れば、もう行軍には着いて行け無い。これこそ生命の綱である。
 各人は持ち物を段々捨ててしまい、背負い袋の中には携帯テント一枚、上衣一枚、貴重品若干、靴下に入れた米、小さな缶に入れたガピーか塩を持ち、背負い袋の外には飯盒を括り付け肩に水筒を掛けて居た。

 ガピーとは小魚と味噌状の物を煮詰めた日本では塩辛の様なビルマの食物である。着ている物は肌着の襦袢(じゅばん)か七部袖のシャツ、ふんどし、袴下(こした)(ズボン)、帽子、地下足袋で、どれも垢と土に汚れた破れ掛けの物ばかりであった。
 帯革(たいかく・バンド)には帯剣(たいけん)と手榴弾をぶら下げて居た。小銃を持って居ない兵隊もボツボツ増え始めて居た。

 

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 元気な兵士は、軽機関銃を担いで居り軽機関銃用の弾薬を携行して居る兵隊も居たが、人員も減少し兵器も少なくなり戦闘能力は当初の三分の二位に為っていたと思われる。
 聯隊長戦死の後は、足を負傷して居るが金井塚大尉が聯隊の中の最右翼で聯隊本部に所属して居るので、取り敢えず一時指揮をする形と為って居た。担架に乗せられての行軍は歩く者以上に苦しいものがあったと思われる。
 平坦な幅広い道で無いので担架は前後左右に揺れ滑り落ちそうに為ったことだろう。でも担いで貰っているので文句も言えず辛抱するより仕方が無い。気丈夫な現役軍人の誇りと責任感で、担架の上から配下兵士に大きな声で命令と激励をされて居た。間も無く植田大尉が聯隊長代理と為って采配(さいはい)を揮(ふる)われたのである。

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 ◆担架(たんか)搬送と耳鳴り

 担架と言っても竹で応急に拵えたお粗末なもので担ぎ難いものであった。乗って居る方も決して乗り心地の好い代物では無かっただろう。その頃戦闘で歩け無くなった兵士は第一中隊でも五、六人も居たと思うが、見捨てて行くに忍びず担架で搬送するのだが一人を四人で担架に乗せ運んで居た。
 交替要員も必要であり、その人の小銃等の兵器を代わりに携行しなければなら無いので、都合直接十人の兵隊に負担が掛かった。それで居て乗せられて居る者も楽では無く不自由で、大変な気の遣い様であったと思われる。或いはイッソ死んだ方が増しだと思ったかも知れない。

 私も毎日毎晩担架を担いだ。それ迄に体力の弱って居る体で担架を担ぐ事は大変な苦痛であった。こちらが担架に乗せて貰いたい位疲労して居るのに担がねばなら無いとは辛いが、でも仕方が無い。
 この頃から私は耳鳴りが始まった。担架を担いで居ると耳がガンガンと鳴る。今までに経験した事のない現象で気持ちが悪く、脈拍と同じ間隔でガンガンと継続して耳が鳴って居る。偉い事に為ってしまった。自分の声も耳に響いて来る。
 しかし、小休止と為り地面に横になり転がると止まるのである。起きて歩き出すと直ぐに又ガンガンと耳に響いて来る。栄養失調と貧血から来るのだろうと思うが、この耳鳴りは段々酷くなり聴力も衰えたように感じた。

 

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 この苦しさ耐え難さは、本人で無いと分から無いと思う。耳鳴りがする。そんなに弱った自分の体、だが、担架は担がねば為ら無い。一人の負傷者の生命を助ける為に多くの人の労力が提供されたが、気が着くと担架を担いで居る人が次々に衰弱し落伍したり動け無く為り出して居た。
 この様にして私の班や隣の班の田中上等兵、松下上等兵、山本上等兵が行軍から脱落して行った。担架を担ぐ為に自分の方が先に弱り落伍して死ぬ羽目に為り犠牲に為った兵はどんな気持ちがしたであろうか。担架に乗せられて居る人も耐えられ無い思いであった事だろう。
 段々担架を担ぐ人の心も荒み、戦友である担架に乗って居る人を罵(のの)しり手荒く扱う様に為って来た。私も落伍し隊列から離れてしまえば担架を担が無くて済むと思った。でも落伍したらもう道が分ら無く為り結局は自分自身が本当に行方不明者に為り死を選ぶ事と為るのが目に見えて居る。

 十日ばかりこの様な形での夜の行軍が続いた。知ら無い土地をグルグル曲がり、細い道を辿り岡を越え林を潜り東へ向かって転進した。広いポウカン平野の間を道なき道が、勝手に作られ勝手に消えながら部落間を繋いでいる。
 その頃のある日、一晩中歩き小休止も何回かした。夜が明けてみると前夜出発した部落に回り回って帰って来て居るのである。先導者が悪いのかそれとも敵の警備を避けて居る内にそう為ったのか知れ無いが、ビルマの道はそれ程までに分かり難い。

 夜の闇の中の事とは言え、不思議な事が起きるもので滑稽でもあり全くの骨折り損であった。ポウカン平野の中程、ポウカンと言う部落らしい所に集結した。そこには、我々より早く来ていた部隊も待って居り、又、同じ輜重隊でも第一アラカンからイラワジ河をパトン方面で渡河し他の経路を通って来た中隊本部や第三小隊等も居り合流した。
 久し振りに会う戦友達も以前の張り切った姿は無く、疲労し悄然(しょうぜん)として居り垢に塗れて居た。それに上官や古年兵や同年兵が負傷したとか戦死したとか言う様な暗い話ばかりであった。兎に角、ここポウカンには可成り大きな兵力が集まった事に為った。その部落に四、五日滞在し、食料等を収集する事にしたがもう軍票は役に立た無い。日本軍が負けて居るから軍票が役立た無い事を現地人は好く知って居る。

 従って部落民の米等を失敬するより他に生きる道が無い。勿論部落民は逃げて居り米と塩を捜した。椰子の実やマンゴーの実を捥ぎ取り鶏を捕まえ豚を殺して食べた。「ビルマ人よ許して呉れ、我々はもうどうする事も出来ないのだ、飢え死にしそうなんだ」と心の中で呟きつつ。
 兵兵団も内地を出発した時は一万六千人だったが、この時点で約八千人に減って居た様だ。それにしてもこんなに大勢がこんな部落に集結したのだからこの土地の現地人には気の毒で大変迷惑な事である。米を取られ塩を取られ全てを失った上に、日本軍が通り過ぎた後には沢山の屍と動け無い瀕死の兵隊が残されて居るだけであった。

 

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 ◆浜田分隊長倒れる

 ポウカン平野を幾日も掛けて歩きペグー山系に差し掛かる頃、浜田政夫分隊長がマラリヤに罹(かか)り竹の杖に縋りやっと歩いて居る。一歩踏み出し、私に「小田よ、儂、もうアカン」と言った。私は「幾ら苦しくても、頑張って行こうよ」と答え励ました。
 しかし私も弱って居り大きい声は出無かった。体力が衰えると声も出無く為る。この頃から、声が弱々しく為りヒイー ヒイーと言うばかりである。か細い声しか出無い状態はこの頃から始まり、終戦後半年位続いたが、体力の回復と共に自然に治った。重病人が弱々しい声しか出せ無いが、それと同じである。
 浜田分隊長は続けて「悪性のマラリヤに罹り、飯が食え無い。それに下痢をするんだ。高い熱が出て下らないんだ。儂も弱ったワイ」と言った。気の毒に思うがどうにも助けて挙げる方法が無い。今まで、凛々(りり)しい顔立ちの彼、軍人らしい気合いの入った立派な人柄、そんな人がよもやこんな姿に為ろうとは想像も出来なかった。

「小田よ、マラリヤは苦しいのう。今迄こんなに苦しいものとは思わ無かった。儂も分隊長として皆が病気した時元気を出す様にと気合いを入れて居たが、自分が為ってみると好く分かるのう。元気を出そうにも高熱でチットモ飯が食え無いのだからのう」「水ばかり飲みたくて仕方が無い」「何処かにマンゴーかパパイヤでも無いだろうか。バナナなら食えるかも知れ無いが」と問い掛けて来る。

 

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 でも、何処の部落にも果物など残って居なかった。もし在ってもこの高熱では喉を越さ無いだろう。もう一度元気に為りたいと願う彼、何としてもこの病気から抜け出さなければなら無いと祈る彼、しかし日に日に衰弱して行く現実と迫り来る不吉な思いに悩まされた事であろう。
 普通キリリとした服装で立派な下士官、模範的な態度のこの人がもうそんな風情は無く、破れた靴を履き小銃も帯剣も既に無く、真っ黒に汚れた背負袋をダラリと肩に掛けて居るのみで、帯革(バンド)に自決用の手榴弾が泥だらけになりブラ下っているだけである。
 もう誰も、自分自身の体を運ぶのに精一杯で他人に手を貸す程の余力も体力も持って居なかった。自力で治り自力で歩くしか無かったのである。

 それから数日後、誰からとも無く「浜田分隊長も自決されたのだ」と聞いた。私に取り直属上官の一人が又亡く為られてしまった。寂しく悲しい事が次々と起きるが感傷に耽(ふけ)って居る間は無かった。豪雨に打たれながら、遅れ無い様にと膝を没する深い泥濘(でいねい)の道を歩かなければならなかった。

 ここで、編成当初からの第二小隊第四分隊の分隊長で、浜田分隊長の前任者であった藤野禎久軍曹の事についても記して置く。彼は細かい事に動じ無い豪快な性格と勇気を持った方であり、体格も好く力持ちであった。
 ビルマに到着後間も無く他の部署へ転属されたので好く分から無いが、シッタン河渡河前に敵飛行機の爆撃を受け壮烈な戦死をされたと風の便りに聞いた。輜重車の車輪が六十キロ位あっただろうが、それをウエイトリフテングの選手の様に頭上に差し上げ、ワッハ、ワッハと高笑いされて居た豪快な姿が思い出され懐かしくもあり、戦争の残酷さ火薬の恐ろしさを痛感させられたのである。
 前途有為(ぜんとゆうい)なピカピカの青年がこの様に帰らぬ人に為ってしまうとは、戦争とは言え誠に残念な事である。藤野分隊長にも父母兄弟があり又思いを寄せる美しい人があったかも知れ無いのに、戦いは全てを引き裂いてしまう。非情なものである。

 

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 ・・・お二人の在りし日の颯爽としたお姿を思い浮かべて、ご冥福をお祈りする。遠い昔の事であるが、記憶は今ここに蘇(よみがえ)って来てまるで夢を見て居る様である。ワープロを打つ手を休め暫し夢を追う。

 ◆命を繋(つな)ぐ為に

 米が手に入ら無い。だが籾のママならあった。ビルマでは籾のまま保存して置き必要に応じて白米にする。その方が保存し易く味も失われ無い。それにそれだけの精米機械が無いからでもあろう。この部落で籾を見つけたが臼が無い。
 現地人が隠してしまったのか幾ら探しても無い。仕方が無いので鉄帽に入れて帯剣の頭で搗いて玄米にし、更に白米にしたのだが一升(約一・五キロ)の白米を得様とすれば半日仕事である。

 疲れ弱り果てた体には大変な労働であるが、食う為には省く事は出来ない。ヤッと搗き終わり正午頃飯盒炊事に掛かった。 その時敵機の襲撃である。皆出来るだけ煙を出さ無い様に心掛け遮蔽した場所に居るのに、敵は何処から監視して居るのか分ら無いが突如超低空で襲って来た。
 この時も三機が西の山を這(は)う様に飛来したかと思う間も無くパリ パリ パリと激しく機銃掃射(きじゅうそうしゃ)をして来た。田舎道に沿うて弾着が土煙を上げて行く。息つく暇も無く三機が次から次にと撃って来る。
 ヒュンーと言う機体が空気を切る音が聞こえる。家の細い柱の陰に隠れたり床下に隠れたりするが弾丸はそんな物は容赦無く突き破る。小型爆弾だろうかドーンと言う大きな音がする。民家は好く乾いて居り、直ぐに燃え始める。襲撃が終わるのを待って米と装具と飯盒を持って部落を出て行った。

 

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 同じ班の妻鹿(めが)殿夫上等兵はこの襲撃で持ち物を失い装具を焼かれ困って居た。以後の転進や生命維持に大変支障を来した事と思うがどうしただろうか。
 昔から鍋・釜提げて行くと言うが、生きて行くには飯盒と水筒が一番大切な物だ。これを打ち抜かれたり持って逃げる余裕が無く為ったりして置き去りにしなければなら無い場合もある。それに米と靴が大切であるが、激しい攻撃に遭えばどうする事も出来ない。これが戦場であり負け戦の現実である。

 もうこの頃裸足(はだし)の人も少し出始めて居た。 追われ追われ乍らも、米を少しでも手に入れて置く事、そして何かを食う事である。暇さえあれば地べたに転がり寝て体力の消耗を防ぎ、体力を貯えて置く事である。
 もう顔を洗う元気も無く、勿論体も洗って居らず汚れたまま二ヵ月以上が過ぎて居る。体も服も汗と泥だらけで、見すぼらしい姿であり乞食より汚く憐れで臭(くさ)い臭いを漂わせ、痩せたドブ鼠(ねずみ)と言った有様である。
 皆んなが臭くて煤(すす)だらけの顔をして居るのだからお互いには構わないが、将に死に掛けた乞食の憐れな行列であった。

 

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 ◆牛を食うて

 食う事に付いて小まめな小山上等兵が、アソコの部落に牛が居るから取りに行こうと言い出した。皆疲れ切って牛を執りに行く元気のある者は居ない。ベッタリと地べたに座り込んで鉄帽に籾を入れて帯剣の頭で搗いて白米にしたり、又別の人は先日取って来たたばこの葉を紙に巻いて吸うて居る者も居た。
 しかも皆半病人で動く事も億劫である。しかし、小山上等兵は頻りに「オイ行こう、牛を取りに行こう、取って食おうではないか、牛を食うたら又元気がでるぞ、サア行こう」と強く誘った。

 六人ばかりが腰を持ち上げ私も仲間に入った。目指す部落に着くと柵(さく)の中に赤毛の小柄な牛が一頭ポッンと立って居た。現地人が逃げる時急いだのでそのまま置いて行ったものらしい。
 牛は我々が行ったので、これは只事で無いと感じたのか柵の中を急ぎ逃げ回り出した。ユツクリ捕まえる余裕は無い。どうせ殺すのだから射殺する事にし早速三丁の銃で頭を狙った。この可愛らしい目をした牛が逃げ出した。しかし、一瞬立ち止まった処を狙い撃った。何の罪も無い牛、可哀相だと思ったが仕方が無い。
 パン パン パンと銃声が辺りに響いた。牛は倒れた。一瞬足をピク ピクと震わせたが、そのままで動か無く為った。今まで生きて居た牛を皆で殺してしまったのだ。誰かが、ダァーで首の皮を切り開いて頚動脈(けいどうみゃく)から血が好く出る様にした。皆で牛の腹に上がり踏み付けると首から鮮血が流れ出た。生(なま)暖かく泥(どろ)りとしたものであった。

 これ以上部落内に長く居る事は無用、敵が何時来るか分から無いし現地人が反感を持ち逆襲して来るかも分から無い。大急ぎで四本の足を切り離し皆で担いで林の中に引き返した。
 後足を担いだがズッシリと重く肉量を感じた。皆掛りで料理をしてありたけの飯盒で煮た。その他は携行出来、保存が効く様に焼肉にした。

 当時、肉を沢山食べる機会が無かったので、しゃぶり着く様に食べたが、マラリヤで熱を出して居る者は他人が喜んで食べて居るのを見るだけで食べられ無い。それも憐れであった。
 その夕方から肉を食べた者の半数が急に下痢を始めた。我々の胃腸は美味しいものを長い間食べて居らず何時もヒモジイ状態にあったので、急にカロリーの高いものを沢山食べるとこうした異常な現象を起こす事に為るのだが、誰もそんな事は考えず空腹を満たして居た。
 体力を着ける為に食べたのがいけ無かった。私も沢山食べた為か腹が痛み下痢が始まった。米と塩又はガピーしか食べて居ない私の胃腸に肉は強過ぎたのだろう。一日三回の下痢が始まった。 ナカナカ治ら無い。今まで以上に体が弱って来る。あの時牛肉を食べ無かったらこんな下痢に為ら無くて済んだのに、と悔んでみても後の祭りだ。夜事の行軍は下痢の体には厳しく辛かった。
 痔の手術をして居る私は、括約筋(かつやくきん)が弱く下痢が漏れそうに為り堪え切れ無く為る。と言って自分だけ立ち止まりお尻をハグリ用を足すと五、六百メートル遅れ取り逸れてしまう事に為る。汚い話だが、少々漏らし乍ら歩く事もあった。下半身便に汚れて臭く気持ちが悪い事この上も無い。

 もうポウカン平野の真ん中より大分ぺグー山系に近い所に来て居り、やがて山系に辿り着けそうである。北へ向かったり南へ向かったり、時には西に向かって細い道を辿りながらも、総体的には東へ向かって転進して居る。
 千人もの部隊が細い道を行くのだから、前の方で何が起きて居るか分からずに、進み方が早く為ったり遅く為ったり、止まったり、駆け足に為ったりし苦難な行軍である。兎に角前の人に遅れ無い様に、前の人を見失わ無い様に歩くだけである。

 愈々、雨期に入った様で、厚い雲に覆われた夜道は一層暗く足元も見え無い。大粒の雨が降って来て段々激しく為る。携帯テントを頭から被り雨を凌(しの)ぐ。しかし、行軍は続く。テントを通して雨が体を濡らし下半身は何時もズブ濡れで冷たい。
 南国と言ってもこんな時は寒い。凸凹の激しい道を探る様にして一歩一歩と歩く。冷たい雨が頬を流れる。涙は流して居ないが歯を食い縛り頑張った。足に豆が出来様が傷つこうが歩く事以外に生きる道は無いのだ。
一人取り残されれば全てはお終いである。餓死するか自決するか現地人に見つかり殺されるか助けられるか、又、敵英印軍に見つかり殺されるか助けられて捕虜(ほりょ)に為るかのドレかである。

 色々の場面が予想されるが、先ず殆どは死神に取り着かれるだろう。何にしても当時の軍人為らば、生きて捕虜の辱(はづか)しめを受けたく無い、絶対に捕虜に為ってはいけ無いと教育をされて来て居た。
 捕虜には絶対なら無い覚悟であっても自決する時を失い意識不明の状態の時、敵に見つかれば仕方が無い。弾に当たり取り残され動け無いまま昏睡状態の時、敵軍に見つかり気が付いたら英印軍の病院のベッドの上で生きて居た場合もあり、夫々特殊な事情の元にあった事を容認しなければなら無い。

 

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 闇夜の行軍でも、豪雨の中でも時に十分間位の小休止があるが、ザーザーと降り仕切る雨の中では腰を降ろして休む訳には行かず立ったままである。しかし疲労が激しい時には、地面が濡れて居てもヘタヘタとシャガミ込んでしまうのである。
 どうせ濡れており同じ事である。しかし休むとお尻から濡れて来て寒く為る。尻や下腹部が濡れるのが一番応える。 私の下痢は段々と回数が増え小休止の度に行かねば為ら無い様に為った。近くの草原に駆け込みピイピイ遣るのだ。碌に食べて居ないのに出るのは、どう為って居るのか、体内に貯えられた養分が引き出されるのだろう。
 その内に便が粘液性に為り、絞る様な便通に悩まされる。この絞る様な便意はアメーバー赤痢の前兆だとか。栄養不足の体は段々痩せ衰え一層弱って来る。

 下痢止めの薬等何処にも無く自力で直すより方法が無い。下半身を暖めれば好いのだろうが、雨に濡れ川を渡る事が屡々で何時も濡れて居たのでは治りようが無い。
 以前からの耳鳴りがゴー ゴー ゴーと相変わらず続いて居る。耳の鼓膜も可笑しい。人が話し掛けて来ても声が鼓膜に跳ね返り可笑しい響きがする。自分で話す声が耳に響きガン ガンして耳も可笑しく為ってしまった。どうすれば好いのだ。
 もう、この頃は負傷者を担架で運ぶ事を止めた。運ぶ人が次々に死んだり落伍してしまい犠牲が大きいので止めたのだ。そう為ると足を遣られ歩け無ければ自分で処置をし無ければなら無く為り自決者が増加して来た。

 つづく

 

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