2018年06月28日
一兵士の戦争体験 その14
その14
◆敵陣地を攻撃 戸部班長、藤川上等兵戦死
今ここに居るのは、木庭(こば)少将が率いる木庭兵団を主体とし歩兵、野砲、輜重の一部等が一緒に為り約千人の集団の様である。好く分から無いが、我らの退路は断たれて居り敵は既に堅固な陣地を構えて居る。
袋の鼠(ふくろのねずみ)として置いて、空から或いは地上機甲(きこう)部隊で殲滅(せんめつ)を図って居る様である。我々は何としてでも退路を遮断して居る敵の陣地を突破し無ければなら無いのである。
この敵陣を攻撃する為、私はマラリヤで弱り疲労して居たが小隊長から命令された。どんなに、フラフラして居ても従わ無ければ為ら無い。輜重隊から十名が選ばれ、その他の聯隊から来た者も含めて総員約二十名が歩兵の田中中尉の指揮に入り敵陣地の攻撃に行く事に為った。
敵は前方の森のお寺に陣を敷いて居る。我々は静かにこちらの林の間を縫って近づいて行った。林を抜けるとそこに川があった。先ず水筒に水を入れ元気を出して進むべく、二人が川に下りると敵が急に撃って来た。パリ パリ パリと機関銃の猛射である。
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ここは敵から見え無いだろうと思って居たが、敵は好く監視して居たのか、こちらがそこに出るや否や素早く弾を浴びせて来た。先の二人は慌てて引き返し我々も皆窪(くぼ)みに体を隠し伏せた。そしてジリジリと後に退き、水の事は諦めて大きく迂回(うかい)して攻める事にした。
灌木の間を抜けて行くとそこに通信線が敷いてあった。それは敵の陣地と我々が今進んで居る道を挟んで、反対側の山の上の陣地を連絡してあるものの様であった。後で分かったが山の上には迫撃砲の陣地が構築され睨んでいたのだ。中尉はこの通信線を切断する様命じ誰かが切断した。
敵陣地の方に少し進み分散、散開、着剣、弾込め、安全栓を開放して一斉に攻撃を開始した。雑木が点々と生えて居り我らの攻撃を適当に遮蔽(しゃへい)するのに役立つ様に思えた。
私も走ったり伏せたり小さい灌木の間に体を隠したり、又敵陣地目掛けて前進し走ったり伏せたりしながら突進した。だが、敵の陣地がある森は分かるが、完全に模擬(もぎ)遮蔽(しゃへい)して居るので愈々何処に敵の兵隊が居るのか分から無いので照準を決めて撃つ処までに為ら無い。
そうする内に敵の機関銃が撃って来た。これは自動小銃なのだが連続発射して来るので我々は機関銃かと思ったのだ。
日本軍は自動小銃を持って居ないのでそんな兵器がある事を知ら無かったのだが。ドッ、ドッ、ドッ、パリ、パリ、パリ、ヒュー、ヒュー、ヒューと弾が飛んで来る。しかし、敵陣地攻撃を命じられて居るので、弾の間を縫う様にして進み攻撃して行った。
私の左手を突進していた戸部班長が「やられた!」と叫び転んだ。チラリと見ると右腕から赤い血潮が流れ出て居る様であった。「うむ」と苦しそうな声を出した。それを横目でちらっと見ただけで私は尚も進んだ。
次の瞬間、これも私の左側を突進して居た藤川上等兵が「アッ、きんだまを遣られたッ」と大きな声で叫んだ。「天皇陛下万歳!」と言いながら灌木(かんぼく)の間に倒れ込んだ。
彼は支那事変の経験もあり、中隊の中でも一番のモサで為らして居た古年兵。荒れ馬もこの人の前に行けば大人しく為る程の歴戦の勇士で私の隣の班で初年兵からは恐れられて居た人だ。私は彼の側に行って介抱(かいほう)したり見届ける余裕も無く、敵弾の中でどうする事も出来無かった。灼熱の太陽がギラギラと照り着けて居た。感傷に耽る場合では無く攻撃前進あるのみだ。
◆悲喜こもごも、大変な一日
私は、やおら立ち上がり敵陣目掛けて尚も突進した。十歩ばかり駆け出した時、危険を感じ右前方に滑り込む様に伏せた。その瞬間敵弾が三〜四発飛んで来て、私が走つて居た姿に照準を合わせて居たのだろう、伏せした私の三十センチ左の地面に土煙を挙げた。間一髪、十分の一秒の差で助かった。
更に止(とど)めの射撃か確認の為か、もう一度同じ地点に三発撃ち込んで来た。慌ててはいけない、動くと見付かるので伏せしたままじっと七、八分間辛抱した。長い時間に感じた。
その後は伏せたまま後へ後へと這(は)いながら退いて行った。二百メートルばかり退いた所に大木があり、その木陰に体を横たえて休んだ。彼我(ひが)の弾丸の音も静かに為った様だ。
フト見ると、地面に大豆が生えて双葉に為った様に柔らかい芽が生えて居る。この数日間、飯もお粥も殆ど食べられず、マラリヤで弱って居るにも関わらず攻撃隊員と為り激しく戦った後だけに疲れ果てて居り、喉が乾いて堪ら無いので潤(うるお)いを得たく若芽の水分を吸収したい衝動に駆られた。
この芽が毒かどうか分から無いが、この大木から落ちた種が生えたもので、大豆の双葉に似て居るから大丈夫だろうと判断した。
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もしこれが毒で腹痛でも起こせばそれ迄の事と決心し、引き抜いて口に入れてみた。噛んでみたが別に悪くは無さそうだ。一本二本と抜いて食べた。美味しいと言うのでは無いが不味くも無い。水分が喉を僅(わず)かに潤して呉れ心地好かった。マラリヤで熱があるのに不思議にこの双葉は水分が多いので、噛(か)んで居る内に喉を越し食べられた。次々と二十本ばかり食べた。
遠くで「集合」と叫ぶ声がありその方に行くと、指揮官の田中中尉は腕を負傷し三角布で縛(しば)り吊って居た。数人が負傷して居り痛々しかった。又何人かが戦死して居り皆元気なく悄然(しょうぜん)として居た。
戸部班長を誰かが抱えてそこ迄来て居た。私の直接の班長であり真面目なお人柄、それに私には特に目を掛けて下さった方で近寄って「元気を出しなさい」と励ました。
虚ろな目で私を見て居たが返事は無かった。顔は青ざめ頭から頬を伝って赤い血が細く流れて居た。手と腕の方も遣られて居たのか服を通して血が滲み出て居た。その内、ガックリと頭を落とし息を引き取られた。今も、その時の蒼白な顔を思い出す。岡山県阿哲(あてつ)郡の出身だと聞いて居た。国に忠誠を誓いながら旅立たれたのである。
藤川上等兵の最期を見届けた兵士によると、草叢(くさむら)に倒れ込んだ後「藤川確りせい」と声を掛けたが「苦しい苦しい」と悶(もだ)えながら息を引き取られた由である。この方達は日本の発展を願い、国家に対しての忠誠心を確り持って居られ立派な最期を遂げられたのだが、本当に頭が下がる思いがする。皆奮戦死闘の攻撃をしたが、攻撃隊は無残に破れ敵の陣地は攻略出来なかった。
真昼中に、敵が陣地を敷いて居る所を正面より攻撃する事は難しい事である。敵の兵力がどれだけあるか知ら無いが陣地を真面に正面攻撃した事は無謀であったと、後で思った。しかし、上からの命令は直ぐに攻撃し突破せよだったのだろう。夜を待って夜間攻撃でもするのが賢明だったかも知れ無いが、後から気が着くだけの事である。
結局主力部隊約千人は大きく迂回(うかい)して転進するより仕方無く、アレコレと退路の捜索(そうさく)をして居た。その頃敵の偵察機が二機上空に現われた。そこは大きい遮蔽物の無い所で、僅かに高さ二〜三メートルの竹薮(たけやぶ)が点々と団子状に生えて居るだけで、空から見れば兵士の姿は丸見え、若干の馬と車もあり隠れる訳に行かない。敵機二機は小癪(こしゃく)にも超低空で旋回する。充分偵察して帰る積りだろう。
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敵機は一発も撃た無かった。友軍からも一発も撃た無かった。この頃は敵機を撃っても無駄である事を皆知って居た。敵機は暫くして去って行った。この偵察の結果が報告されると敵の大火砲や爆撃機に遣られると心配した。
しかし、その日は空襲が無くて助かった。太陽は容赦無く照り着け、皆埃(ほこり)と汗に汚れ顔は泥の様であり汗がギラギラと光って居た。
私は、幸いに食べた豆の双葉のエキスが効いたのか、マラリヤの熱が少し下がった様で凌(しの)ぎ易く感じる。不思議な事だがこの双葉が解熱剤に為った様である。汗が出て居り何にも増して嬉しく有難い事だ。
汗が出れば熱を発散させ次第に好く為るだろう。しかし、ここ十日間ばかり体は過労とマラリヤで弱り、食事も殆どして居ないので息絶え絶えである。一日も早く完全にマラリヤから治り体力を回復し元気にならねばならない。
今回のマラリヤは、タンガップで半年前、悪性マラリヤをして居たので幾らか免疫に為って居たのか、或いは幾らか軽い種類のものであったのか、兎に角行軍行動や激戦中ながら助かった。これも幸運、紙一重で命が繋がったのだ。又、私が身を伏せるのが十分の一秒遅かったなら、三発の弾丸が私の体を貫き更に追い打ちの三発が止めを差して居たであろう。
敵は、走りながら前進して居た私を狙い撃ったが、瞬間早く右手前方に伏せしたので私の体が過ぎた後、僅(わず)か三十センチの所を撃ち砂煙をあげたのだ。
不思議で為ら無いが、食べられるものか毒を持ったものか何か分から無いが、渇(かわ)きを癒(いや)す為決心して食べた豆の双葉がマラリヤの解熱効果に役立ったらしい。神様のお加護(かご)を二重にも三重にも頂いた運の強い日であった。
大変な一日も日暮れに為り、煙を出さ無い様にして飯盒で炊事をした。マラリヤの熱が少し下がって来たのか久し振りにお粥が喉を越した。「嬉しい。粥が僅かでも腹に入れば元気に為れるのだ」と希望が湧いて来た。
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◆平田上等兵、萱谷(かやたに)上等兵落伍
夕方に為り出発と為った。平田上等兵が「もう駄目だ、着いて行け無い」と言って立上がって来ない。「そんな事ではいかん、シッカリセイ」と浜田分隊長が叱った。彼はスゴスゴとやっと立ちあがった。もう、小銃も持っていなく帯剣も外していた。持ち物は飯盒と水筒だけで杖を突きながらトボトボと歩き始めた。
西の空が夕焼けして居る。子供の頃「ゆうやけ こやけで ひがくれて やあまあの おてらの かねが なる ・・・・」と歌った事を思い出すような美しい夕焼けだ。
しかし今、この夕焼けはそんな牧歌的なものでは無い。今夜も夜通し歩く厳しい行軍が待って居るだけである。敵に追われその目を潜りながらの逃げる時の夕焼けである。その真っ赤な夕焼けの中を平田上等兵は力無く歩いて居たが遂に道端に崩れる様に体を投げ出してしまった。
「コラ、確りせんかい」と分隊長が強く気合いを入れた。「許して下さい。放って行って下さい」と答えた。見上げた目にはキラリと光るものがあった。涙した目、赤い夕日がその雫(しずく)を真っ赤に照らして居た。
私は、彼が姫路駅を出る時列車の中で、父が持って来て呉れたぼ・た・餅・だと言って、私にも分けて呉れた時の事が思い出され、そのお父さんが彼の今の姿を見られたらどんなに悲しまれる事だろうかと胸が痛んだ。だが、部隊は容赦(ようしゃ)無く前進をして行くのだ。我々も部隊の流れに押されて夕闇の中を声も無く歩くのみだ。
真っすぐ進んで居るかと思うと、クネクネ曲がって野原の中や部落の間を行ったり来たりした。ザブザブと小川を渡り進んで行く。その内に、どちらに進んで居るのか分ら無く為ったが、イラワジ河のカマの渡河点を目標にして闇の中を歩いて居る事だけは確かであった。
今度は、「萱谷上等兵が落伍してしまった」と言う。彼も連日の強行軍と先日の敵陣地攻撃で疲れ果て、着いて歩く事が出来なくなり闇の中に残ってしまったのだ。闇夜の落伍は何時の間にか姿が無く為って居る。
行軍の流れに押されて、前の人に遅れまいと歩いて行ったり止まったりして居るが落伍した戦友を探す為に引き返す事は出来ない。隊列を離れると方向が分からず自分も行方不明に為ってしまうから仕方の無い事だ。
萱谷君も召集を受け、新兵として入隊以来苦労してここまで好く頑張って来たのに残念でなら無い。こうして原稿を書いて居る今も、彼のやや丸顔でやや唇が厚い感じや、着て居た服が何故か緑色の濃い目の物だった事などが鮮明に思い出されて為らない。
こうして一人、二人、三人、四人と同じ小隊の人が減って行き、残念で悲しい事が続く。取り残す、執り残される、行く人、止まる人、誠に悲惨な光景である。
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◆米の確保
携帯する米も無くなり、一日強行軍しても一合(百五十グラム)の米を炊き三回に分けて食べ、塩を舐めながら空腹と疲労を癒(いや)すのだが、段々乏しく為りそれすら出来無く為って来た。
その頃は部隊と言う形では無く、切れ掛かったうどんの様にバラバラと三々五々弱った者同士で歩いて居た。我々も同じ班の者七、八人で転進して居た。こんな様子で二、三日歩いた処十軒程の部落があった。見すぼらしい家並みだった。でも久振りに家のある所に来たのだ。ビルマ人は既に避難しており誰一人も居なかった。
直ぐに食物を探しに家に入り、沢山の葉たばこと塩の瓶を見つけた。だが、米は無い、米は現地人が素早く持ち出してしまったのであろう。探しても何処の家にも無かった。しかし、籾があった。沢山あったが、籾は米にし無ければ食べられ無い。幸い一軒の家に足踏みの石臼(いしうす)があったので早速搗(つ)き始めた。
疲労し切った身体には苦痛だったが皆で交替しながらやっと玄米にした。籾殻と玄米をさ・び・分・け・る・にはテクニックが要る。でも仲間には農家出の人も居り皆手伝って三時間ばかり掛けてやっと約一斗(十五キロ)の白米を拵えた。骨が折れたが成功だった。皆に分け、これで安心だ。
井戸から水を汲み米を磨(と)ぎ、飯盒を並べて薪(まき)に火を点け一方では水筒に水を入れ沸かした。玉古先任上等兵が班長代理として皆を好く纏め協力したので、ここ迄出来たのだ。疲れた体を労わり乍ら炊き上がるのを待って居た。
◆又も空襲
その時急に爆音がしたかと思う間も無く敵機が超低空で飛んで来た。ここは幅八十メートルばかりのなだらかな見通しの好い谷間であったが、その上手(かみて)から谷に沿って来た。
皆一気に横っ飛びに走った。家の無い側に大きい樹木が二、三本立って居たので、遮蔽する様にそこへ滑り込むや否や、その瞬間飛行機三機が家並みに沿い谷の上手より疾風の如く急降下しパリ パリ パリと機関砲を撃ち込んで来た。弾着がハッキリ砂煙で分かった。
旋回し二回三回と繰り返し攻撃して来た。三回目は小さな爆弾を夫々の飛行機から一発ずつ落として行つた。民家は燃え出した。好く乾燥した季節であり木と竹で出来た家だから真に燃え易い。
飛行機が去った事が確認出来たので直ぐに民家に引き返し、中に置いて来た装具や兵器それに先程分配した米や塩等を燃え始めた家の中からやっと取り出して来た。これもやっとの事、二分も後なら火災が激しく取り出せ無い位切羽(せっぱ)詰って居た。
飯盒炊事の方は、どうにか飯が炊けて居た。だが、長代(ながしろ)上等兵の飯盒はぶち抜かれ跳ね飛ばされていた。幸いに兵士に損傷は無く必要な米や塩を兎に角入手する事が出来た。焼けて居る部落を後にしそそくさと荒野に出て行った。
あちらに一塊(かたまり)こちらに一塊、落伍した者が一人二人三人と歩いて居る。皆イラワジ河の渡河地点を目指して歩いて居る。夜の行軍に疲れたのかどうか知らないが昼間もこうして歩いて居る。小人数だから、敵機から逃れ易いし昼の方が道が分かり易いからであろう。
そこを、負傷し杖に縋りながら歩いて居る人が居る。好く見ると、先日敵陣地を攻撃した時指揮を取ったあの歩兵の田中中尉である。元気の好かった彼も負傷したが、その傷の痛みと疲労でスッカリ弱って居て一歩一歩喘ぐように歩いている。数日の間にこうも変わるものかと驚くばかりである。
足も傷ついて居るのだ誠に歩き難そうである。戦場で足を遣られたら最後と思わなくては為らない。足は生命を支える為に絶対に必要なのに気の毒な姿だ。私は一瞬靖国神社への道を歩いて居る姿である様に感じた。戦争に容赦は無く残酷非情(ざんこくひじょう)である。
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◆瀬澤小隊長の戦死
とある林に差し掛かった時、他の経路を来た瀬澤小隊長ら二十名ばかりの一団と、運好く私達も一緒に為った。合流して安心感も手伝い気分が好く元気に為った。小隊長は元気そうであった。玉古班長代理が手短かに、分かれて以後四、五日間の様子を報告した。再会を喜び小隊長を先頭に平地や森の中を進んだ。小休止がありお互いに無事を確かめ情報を伝えあった。
更に林の間を行っている時、突如銃声一発、弾は一番前を進んで居た小隊長を直撃した。それも携帯して居た手留弾に当たり爆発した。 一瞬にして腹が抉(えぐ)り取られ倒れた。即死である。温厚な丸顔はもう残って居なかった。壮烈な戦死である。その辺りを見回したが、それらしい曲者(くせもの)は見つから無かった。現地人による狙撃(そげき)と判断された。
巨星落つ。第二小隊の芯、大黒柱を失ってしまった。昭和18年4月編成された金井塚中隊の小隊長として百二十名の部下を率い温厚誠実な人柄で人望の厚かった方であったが、突如この様な事に為ろうとは思いも拠ら無い事である。しかし、戦争は殺しあいの場であるから仕方の無い事かも知れない。
私達は小隊長の右の親指を切り、遺品として拳銃と時計、万年筆を携行した。屍を埋葬するに道具も無く、疲れ果てた我々にはそれをする元気も無かった。それより私達は一刻も早く渡河地点に辿り着かなければならなかった。
イラワジ渡河最後の乗船に間に合う様に。残念無念の思いで皆で深々とお別れの拝礼をし、屍を残してそこを去った。皆、黙々と沈みながら歩いた。
処で、私も瀬澤小隊長から信頼して頂きタンガップの山中に居る時には将校当番を仰せ仕かった。充分なお仕(つか)えも出来無いのに可愛がって頂いた関係の深い直属の上官である。
・・・私の軍隊生活、特にビルマ戦線で忘れられ無い大切なお方であり尊敬する立派なお人柄であった。姫路市の出身だと聞いて居たので一度お墓にお参りしたいと思いつつも、年月が過ぎてしまった。責めてこの本に残す事で感謝と慰霊の心を捧げさせて頂きたい。
瀬澤小隊は前述の通り、クインガレからグワへの南アラカン山脈越えの輸送で虎との戦いもあったが、任務を完全に果たした。ベンガル湾タンガップ地区で約一年間、警戒警備、保守管理など苦闘の生活をする間に戦況は悪化した。
昭和20年2月からは更に激戦地のタマンド地区へ前進し海岸の警備をした。その時敵の砲鑑から激しい襲撃を受け、五月始めまで第二アラカン、シンゴンダインを最後尾部隊として守り通し、以後殿で転進を開始した。
イラワジ河の右岸で戦闘し敵陣地の攻撃等、瀬澤中尉指揮の下で堂々と戦い、遺憾(いかん)無く任務を完遂し名声を挙げて来た。小隊長戦死後、兵力が暫時(ざんじ)減少しながらも中隊長の直接指揮下に入り、任務を遂行し小隊の名誉を高からしめた。しかし、編成時百二十名の者が終戦時には二十名少々に為って居た。
悲痛、百名の勇士は帰らぬ人と為ってしまった。復員後五十年が過ぎ今は数名に為ってしまった。以上が瀬澤小隊の戦史である。
ペグー山系辺りまでは誰かが、小隊長の遺骨や遺品を携行して居たと思うが、皆が死んだり落伍したりしてその後どう為ったのか私には好く分から無い。今は御冥福をお祈り申しあげ合掌するのみである。
つづく
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