2018年06月28日
一兵士の戦争体験 その12
その12
六 戦況不利
◇戦況の推移
◆敵機頻繁(ひんぱん)に来襲
山の中で敵の監視を逃れながらヒッソリと過ごして居る間に、戦況は急速に悪化し敵の飛行機は度々飛来し爆撃も頻繁に為って来た。好く晴れた日に爆音が西の方インド洋のベンガル湾方面から聞えたかと思うと、爆撃機が二十機ばかり見事な編隊を組んで飛んで来る。未だ新しい飛行機だろうか太陽に輝いて銀色にキラキラと光って居る。
我々の居る所から三キロ程離れたタンガップの町の上空に差し掛かったかと思うと、一斉にパラパラと光る物を落した。飛行機から離れた瞬間のみ見える物体であるが、その後は見え無い。十〜十五秒するとドカン、ドカン、ドカンと大きな爆発音が聞こえ、その辺りから土煙が幾つも跳ね上がった。一帯は煙に包まれてしまいやがて火災が発生して来た。
日本軍には反撃する手だては何も無く、敵は縦横無尽(じゅうおうむじん)に攻撃を仕掛けて来る。敵の為すままで、幾ら歯ぎしりをしても仕方が無い。これが友軍であれば、どんなに嬉しくどんなに頼もしい事かと思ってみても敵機だ。残念ながら私はビルマに来てから友軍の飛行機を殆ど見た事が無い。
やがて、この頃から敵の大編隊が我々の遥か上空を東に向かって飛んで行くのを見る様に為った。何処を爆撃しに行って居るのか分から無いが、多分ビルマ中部平原の日本軍の拠点や我が後方の陣地や基地の他、食糧倉庫や兵器倉庫を爆撃して居るのだろう。
そして、偵察機が私達の隠れて居る山の中を縫う様にして低空で偵察に来るので身動きも出来ない状況と為って来た。日中は大きく好く茂った木の下に隠れ煙を出さ無い様にし、暗く為ってから飯盒炊事をする生活を余儀無くされた。
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その頃、ビルマの女性二人が我々が居る山深い所へ物売りに来た。一人は中年、もう一人は娘らしく若かった。私はラングーンから原隊に復帰して以来ここ三ヵ月位現地人、特に女性等見た事が無かった。日本人が餅(もち)が好きだと云う事で、餅を作って売りに来たのだ。軍票の値打ちが下がりかけては居たが、未だ使えたのでそれで支払いをした。
娘の方は赤いロンジを腰に巻いて居たが魅力的で印象に残った。顔にはビルマ風の、木の汁の白いものを塗る化粧をして居り、足は裸足だったが何と美しいナアと女性を感じた。一服の清涼剤で心の和む一時であった。誰も同じ気持ちだったと思う。只それだけの事を今も覚えて居る。
時まさに昭和20年1月、ベンガル湾ラムレ島方面に敵の軍艦からの砲撃が開始され、我々の所にもその砲声が遠雷の様に響(ひび)いて来た。戦場間近しの感深く様相が大きく変わり暗い気持ちで正月を迎えた。正月らしい食物も無くやっと飢えを凌(しの)ぐ程度であった。
だが、経理担当の金田軍曹が餅米(もちごめ)を何処かで調達して来て、炊事班の三木兵長等が丹精込めて餅を作り一個ずつ配って呉れた。大正天皇の御製に「軍人(いくさびと)国の為にと射(う)つ銃の 煙のうちに年経ちにけり」とあるがそれを思い出した。実際ここビルマでの戦況は日に日に悪く為って居る中で、私は数え年で23歳、満年令でもう直ぐ22歳に為る昭和20年の正月を迎えた。
その頃は、敵が何時上陸して来ても戦える様に武装したまま仮眠(かみん)する夜も屡々あった。その後、敵機の偵察から逃れる為、住む場所を変えより深い山の中で大木の下に半地下式の穴を堀った。次第に追い詰められて行くのが犇々(ひしひし)と感じられた。
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◆ドイツが負けたと云うビラ
二月になった頃「イタリヤが負けドイツも降伏した。ヒットラーが死んだ。一葉落ち二葉落ちて天下の秋を知る」と書いたビラを英印軍が播(ま)いて行った。
それを拾った人から人へと次々に噂が流れて来た。半信半疑ながら大変な事に為ったと思った。あれ程強かったドイツ軍が何故負けたのか。日本はどう為るのだろう?負けはし無いだろうが、勝つ事は難しく憂慮すべき戦況だと思わざるを得ない有様だ。
味方からの情報は全く入ら無い。敵の散布するビラしか無い。敵の宣伝を信じはしないがこれを否定する確実なニュースは何処からも入って来なかった。
この頃、ラムレ島の守備に就いて居た鳥取の歩兵聯隊が、物凄い艦砲射撃(かんぽうしゃげき)を受けて居ると聞く。強大な物量を持つ敵の攻撃に友軍は手も足も出ず苦心惨憺(くしんさんたん)して居るとの事であった。砲声は昼と無く夜と無く殷々(いんいん)としてここまで聞えて来る様に為った。
その島に私は居ないので好く分から無いが、実際そこで戦って居る兵士達がどんなに被害を被りどんな悲惨な状態に陥(おちい)って居るのかと思うと堪ら無い。只健闘を祈るのみであった。
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◆タマンド地区の警備と敵の襲撃
二月中旬に、瀬澤小隊はタマンド地区の海岸警備に当たる事に為った。ヤンコ川の上流の山中を出て海岸に沿い北へ向かって最前線に出動した。
数日間の夜行軍が続きタマンドの一部落の海岸に着いた。そこには現地人の家が二十軒ばかりあり、海岸の近くに公会堂の様な小屋があったのでそこに泊まる事に為った。野宿ばかりして来た者に取って、屋根のある家の中で休む事は有難い事であった。
ここに来たのは第二小隊の一部で、瀬澤小隊長以下浜田分隊長を含め第四分隊の四十名ばかりであった。この頃、既に小隊の中で第三分隊約四十名は他の方面に分散して居り小隊長の所を離れて居た。我々は周囲の状況を良く調査し敵の上陸に対処した。
ここは入江に為り小さな船着場と為って居て、ベンガルの海が前方に大きく開けて居た。好く見ると敵英印軍が上陸した形跡があり携帯食糧を食べた後の包み紙が捨てられて居た。
我が方の兵器は軽機関銃が二丁と小銃三十五丁余りで極めて軽装備である。弾丸の数は機関銃と小銃を合わせて二千発も無かったであろう。敵が艦砲射撃をしてどっと上がって来れば一溜(ひとた)まりも無い事は明らかである。しかし我々瀬澤小隊はここを厳守する事を命じられたのである。
もうこの頃は充分な食糧も無く、現地人の蓄えて居た籾を鉄帽に入れて帯剣の頭で搗いて籾から玄米(げんまい)玄米から白米へと時間を掛けて食べられる様にし、と・う・が・ら・し・の辛い刺激で食べて居た。
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ここで一寸、私の回りにどんな人が居たか思い出してみる。
瀬澤小隊長、この人は旧制中学校の図画の先生をして居た方で温厚な人柄であった。私はタンガップに居た頃、この方の将校当番を仰せ使った事があった。私は余り気性が鋭い方で無いので、充分に食糧を仕入れて来て小隊長に差し上げる事が出来たか否かは自信が無かったが、何かと心が通じ合って大変可愛がって頂き目を掛けて貰って居たのである。
浜田軍曹は分隊長で、張り切った下士官と言ったタイプの人情味のある聡明な方であった。
次に森剛伍長だが、シンガポールか何処かで最近下士官教育を受けてこの分隊に配置されて来たばかりで幾らか遠慮されて居り、若く人柄の整うた穏やかな方の様に見受けられた。分隊長見習い中と言った処であった。
戸部兵長は班長で真面目な方で班内を好く取り纏めて居り、古参の玉古上等兵は機関銃手として頑張り機転の効く人であった。戸部班長も玉古上等兵も、私を良い兵隊として常にその様に扱って下さった。厳しい軍隊で野戦の中にい乍ら温かい雰囲気の中に要られる事は本当に有難かった。
その他に田中古年兵、前田古年兵、松本古年兵、平田古年兵等が居た。そして、我々と同じ初年兵に橋本、妻鹿(めが)、長代(ながしろ)、三方(みかた)、中村、萱野(かやの)、山崎、中山等、その外同じ班内の人や他の班の人が二十名混じり合って、総員で四十名ばかりが行動を共にして居たと記憶して居る。
編成当時瀬澤小隊は百二十名居て、二個の分隊で六個の班で編成されて居たが、この時は既に色々の方面に分散され配置されて居たし既に数名は亡く為って居り、纏まって居たのはこれだけであった。
ここで思い出して書き出した方々はその後殆ど戦死され、内地へ復員出来たのは、妻鹿(十年前死亡)、中村(五年前死亡)、前田(三年前死亡)、田中、長代の諸兄と私だけである。班内でも大部分の方がビルマの地で散って行かれた。痛恨(つうこん)の限りである。
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サテ、この海岸の警備任務に就くに当り、森伍長を斥候長として私達三名で海岸線の偵察に出掛けた。我々が陣を敷いて居る湾は河口でもあり椰子の木も生えた緑の多い船着場であった。しかし海に向かって左手の方は岩ばかりの海岸が続きゴツゴツした処であり、右手の方即ち船着場の河を隔てた向こうはマングローブの茂った浜辺が続いて居り我々は重要地点を警備して居る事を悟った。
警備について二、三日後の深夜の事、ドゥ、ドゥ、ドゥと云うエンジンの音がして敵の砲艦が段々河口を上って近づいて来た。その時不寝番が「敵襲!敵襲!」と大きな声で叫んだ。皆武器を持ち外に出て予め用意した壕(ごう)に滑り込み、河口の方を見て居た。
小隊長が「射つな」「射つな」と命令した。「敵が上陸してここ迄来てから射つのだぞ。それ迄は射っては為らんぞ」と言った。射てばこちらの位置を知られるだけで、こちらが一発撃てば千発お返しが来る事が目に見えて居る。それにこちらは数える程しか弾薬を持って居ないのだから当然の命令だ。
そうする内にバリバリ、バリバリと敵の砲艦から砲撃が開始された。曳光弾(えいこうだん)が尾を引いて飛んで来る。高い木の枝が折れる音、飛び散る音が凄い。一旦止んだのでホッとした。
しかしそれも束の間、今度は少し角度を降ろして激しく撃って来た。地上スレスレに曳光弾が飛んで来て、我々は壕(ごう)の中で頭を縮めた。ガガガタと歯が震える。弾丸は我々が泊まって居る公会堂を貫いて居る。凄(すご)い恐ろしさだ。
砲艦一艘(そう)でこれだから、軍艦から攻撃を受けたラムレ島やチェトバ島はどんなに激しかった事かと思われた。敵の火砲と味方の火砲の比較は千対一、嫌万対一で、どうにも為るものでは無い。もう一つ不思議なのは我々がここに来てから一週間ばかりに為るが、敵の偵察機が来た事も無いし見え無い沖の方に居る敵の軍艦がここを監視して居る様でも無いのにどうして我々の存在が分かるのか。
常に木の陰に隠れて居る我々がどうして知られるのか。敵は我々日本軍が想像するより遥かに凄い探知器や観測計器を持って居るのだろう。霰(あられ)の様な攻撃が止んだ。静かで不気味な時間である。今にも敵が上陸して来るのではないかと、目を皿の様にし耳を欹(そばだ)てて居た。しかし、敵はエンジンを掛けて元来た方向に向かって引き揚げて行った。エンジンの音が遠くに去った後、やっと緊張が解れた。
「凄い奴だなー」と誰かが口を切った。「なかなか、遣りやあ〜がるナア」と誰かが答えた。「皆無事か」と浜田分隊長が尋ねた。やっと皆壕(ごう)から這い出て小屋に帰った。幸い誰も負傷して無くて助かった。興奮が納まらず誰も眠れ無い様である。
そうして居る間に「マスター」と外で呼ぶ声が聞こえる。何事かと思って出てみるとビルマ人が二人立って居る。一人が先程の弾で怪我をして居るので手当てをし薬を呉れと云う。中へ入れローソクを点(とも)し衛生兵を起こした。怪我人は背中を撃ち抜かれかなりの重傷である。
部落の長が連れて来たのだが、彼も緊張した趣(おもむき)で手には長槍を持ったままであった。それは彼らの身を守る為に用意したものらしい。衛生兵は傷口にヨウチンを流し込み包帯で縛り丁寧に処置をした。彼等は大変感謝して帰ったが、戦争の為に第三者迄こんな犠牲に為って居るのを見て本当に気の毒に思った。
それからは何時敵が上陸して来るか分から無いのでそれに備えより充分な警戒をした。私は橋本上等兵と共に、後方の少し高い山に行って見張りをする様瀬澤小隊長より命じられた。
それは敵艦が攻撃して来るのを早く見付ける為であったが、後から思うと、そればかりでは無く敵が上陸して来ると全滅する恐れがあるので、その場合にこの二人を連絡要員として残して置こうと考えたのかも知れない。二人は小高い山の上に上がり昼夜続けて見張りをし、敵の砲艦の様子を監視した。そこは海や入江の様子がかなり遠く迄見える適所であった。虎を警戒しながら過ごした。
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◆橋本上等兵と語る
橋本梶雄上等兵と私は、私が青野ヵ原に転属して来た時以来最初から特に仲良く助けあって来た仲で、今までに色々と身の上話をして来たが、ここでは二人だけであり時間は幾らでもあるので更に詳しく話をした。
彼は旧制高梁(たかはし)中学から秀才の行く旧制第六高等学校を経て東北帝国大学を卒業し、大阪で一流の会社に勤めるエリート社員で私より十二歳も年上である。温厚な人柄で、私の人生の大先輩、先生の様な人であった。先に述べた様に既に奥さんも子供さんもあり安定した家庭を持った方であった。
私は子供の頃、備中(びっちゅう)の高梁の町に住んだ事があり、岡山市で中学生活をし旧制高等工業学校は東北地方山形県の米沢市に行ったので、共通した土地の話が合い人生経験を教えられる事が多かった。元気で帰ったら、美味しいぜんざい屋に案内するから等と内地を懐かしんだものだった。
奥さんの写真を出して何回も見せて呉れた。その奥さんの写真の着物の柄は、姫路の駅に両親と子供さんを連れて送りに来られた時のそれである。
楽しい家庭が赤紙一枚でこの様に別れ別れに為るのかと思うと、気の毒でもあり現実の厳しさを感じ無い訳にはいかなかった。独身の私が想像する以上のものがあったであろう。
橋本君は年が三十三、四歳で兵隊としては決して若く無い。若い私が、こんなに苦しい思いをして居るのだから彼の肉体的精神的な苦痛は想像以上のものがあろうが、好く頑張って居られると感心したものだ。
私は自分の蝿(はえ)が追え無いのに、気が着けば彼の蝿を追う手助けをする程の親しい戦友であった。私は独り身であり両親の写真までは持って来ていなかったが、米沢のさくらんぼの話をしながら過ごす内に、親密さも更に深まりお互いに無事内地へ帰還出来る様にと祈りあった。
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◆アン河渡河地点の状況
こうした監視をして居る間にも、ここから二十キロ先のカンゴウ方面でも激戦が続き、岡山の歩兵聯隊が苦戦して居ると聞いた。この海岸警備は約二十日で打ち切られ次の地点に移動する事に為った。ここに敵が上陸して来無かったので助かったが来て居れば全滅して居ただろう。
更に北東へ行軍し移動が続けられた。その折、灌木の間に陣地を敷いて居た捜索(そうさく)聯隊の白井大尉に出会い、瀬澤小隊長が戦況を聞いた処、酷い負け戦に為り各部隊とも多くの損害を被り対応に苦慮して居るとの事であった。
私は白井大尉の勇姿を見たのはこの時が初めてであったが、この方面での戦争は日々苛烈(かれつ)に為って居る事を知った。
何の為に何処を目指して居るのか分から無いが、牛を貰って肉を食べての夜行軍、昼は木の下に隠れてフクロウの様な行動をした。もう、現地のセレーたばこも無く為った。畑にあるたばこの葉を取って来て乾かし、味が良かろうと悪かろうと吸って凌(しの)いだ。
飯盒炊事で少しでも煙を出すと敵機が低空で飛んで来て機関砲を射って来るので、余程注意しなければなら無い。敵機に対し何も出来ず只隠れるだけである。
一両日して第二アラカン道の西の入り口に当たるアン河の渡河(とか)地点に辿り着いた。そこで渡河作業をする事に為った。アキャブやカンゴウ方面から後退して来る兵士達の渡河を助けたり、ベンガル湾海岸方面より引き上げて来る弾薬等の渡河、運搬作業をした。
大多数の兵士は集団で来るので未だ纏まって居るが、落伍してフラフラ歩いて居る兵士達の姿は誠に惨めである。以前タンガップで見た姿よりもっと哀れで惨めであった。ボロボロに千切れた服、靴は殆ど履いて居らず裸足にロンジの切れ端を裂いた布を巻いて居る。杖を突いてトボ、トボと歩いて一人一人と来る。髭(ひげ)は伸び痩(や)せ衰え目は虚(うつ)ろで頬は落ち土色の顔は二十代の若い兵隊の姿では無い。
持ち物は雑嚢(ざつのう)に飯盒、水筒、自決用に手留弾一個を持って居るだけである。我々にも彼等を助ける食料も無ければ薬等勿論無い。哀れで気の毒にと思うのみでどうする事も出来ない。我々も野宿だが、彼等も道端の木の陰にゴロリと寝転ぶだけである。
休んだままで食べる物も無く動きもせず二、三日土の上に横に為ったままで、何時とは無しに事切れて行くのだ。
余りにも哀れで悲しい姿である。戦い、戦い、苦しみ、苦しみ、飢餓(きが)に悩まされ病魔に犯され、若い命が急速に衰え名も無き異境の原野に朽ち果ててしまうのである。
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その中で私は一人の知人に偶然出会った。彼は昨年ラングーンで共に無線通信の教育を受けた村井上等兵と云う鳥取の歩兵聯隊の兵士で、その後ラムレ島に行って居たがヤット此処まで帰る事が出来たとの事である。
過つての肉づきの良い紅顔の若武者の姿は無く、今は骨と皮ばかりでどす黒く汚れ垢(あか)だらけと為って居た。彼も他の人と同じ様に、杖(つえ)に縋って居た。
「ラムレ島に対する敵の攻撃は物凄く、全員の三分の二は海が渡れず、三分の一の俺達だけが筏(いかだ)を組み夜の間に海を泳いでヤット本土に帰って来たのだ。舟も無く敵の監視と攻撃が厳しいので昼間に渡る事は絶対に出来ない。その島で多くの戦友が餓死(がし)しつつある」と悲痛極み無き話であった。
再会したものの、衰弱した彼は多くを語る力も無くトボトボと去って行った。お互いにこれから大アラカンの山を越えて撤退して行かねばなら無いのだ。彼はラムレ島から此処まで来たので、もう大丈夫だと言ったが、これからどんな事があるのやらと彼の後姿を見送った。それ以後、村井上等兵の消息を聞いた事は無かった。
つづく
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