2018年06月28日
一兵士の戦争体験 その11
その11
◇原隊復帰(げんたいふっき)
◆再びタンガップの山中へ
そうこうして居る間に、愈々教育効果試験も済み四ヵ月間の訓練を卒業した。彼を病院に残したままで元の輜重聯隊に復帰した。教育の効果試験の結果は私がトップだった様である。先にも述べたが、学生時代に基礎を習って居るし、真面目に学習したのだから当り前と言えばそれまでだが、聯隊本部に復帰の申告に行った時も金井塚中隊長に申告に行った時も大変褒(ほ)められた。
恐らく成績が原隊に通知されて居たのではないかと思われた。自分自身に取っては便利の好い首都ラングーンで、前線の苦労から開放されて勉強させて貰った上に聯隊や中隊内での印象も更に上がり有難い事であった。
タンガップの中隊本部に帰った頃は雨期も終りに近い九月中旬だった。私は激しい雨期の期間をアラカンの辺鄙(へんぴ)な山の中で無く都市ラングーンで食糧にも全く不自由せず過ごせたのだから、その事自体本当に有難い事であった。
主要な方に挨拶を済ませ、私の属する瀬澤小隊に帰ってみると、山の中の掘っ建て小屋の中に4・5人の兵隊が残って居た。建物は雨期を過ごして来たので古ぼけ痛んでおり、言わば乞食の小屋の様であった。殆どの兵隊は各場所に分散して海岸警備等の任務に行って居り、警備先でも皆この程度の小屋に住んで居るのだろうが、瀬澤小隊長も何処かの警備の指揮に当って居てここには居られ無いそうである。
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この兵隊達は皆半病人の様で顔色も悪く元気も無く、小屋の中の土間で小さな焚火(たきび)をして居た。
その兵隊達の話によると、中隊も小隊も分散して色々の所に配置されて居るが、雨 雨 雨の毎日で、山の中で食物は無く雨期の間に大勢の人が栄養失調やマラリヤで死んで行ったそうである。
この間もタンガップの倉庫が空襲で焼かれた為、物資が猶更欠乏し爆死した人もあったと云う暗い話ばかりであった。
私がもしラングーンに行かずここの警備任務を続けて居たら、悪性マラリヤに罹(かか)り、或いは食糧不足で病死して居たかも知れ無かった。幸運であった。
その後暫くして、西谷上等兵が不帰の客に為ったとの知らせが中隊本部に届いた。ヤッパリ駄目だったか、と私は暗然とした。
元気な頃、彼のお父さんから来た手紙も見せて呉れた事があったが、身内の人が聞いたらどんなに悲しまれるだろうか。彼は立派な病院で日本人看護婦に見取られて逝ったのだろうが、同じ聯隊の戦友に見守られる事も無く寂しくこの世を去って行ったのである。その後、遺骨がどう為ったか知ら無いが、今も在りし日の彼の特徴ある面影が思い起こされてならない。合掌
その頃、ヤンコ川の畔にある中隊の医務室は患者で満員であった。殆どの人がマラリヤで重い患者が多く赤痢の人も居たが、繁盛するのは医務室ばかりであった。しかし薬も乏しく悪質な病気にはどうする事も出来ない状態で只寝させて居るだけの様でもあった。
◆久保田上等兵の最期
久保田上等兵がマラリヤでもう五日間高熱が続き、全く何も食べていないので入院する事に為った。彼はこの間まで元気で作業して居たのに四十度の熱が出たきり下がら無くて、それに下痢までする様に為ったのだ。
私が牛車に乗せてタンガップの野戦病院に連れて行った。道なき道を行くのだから揺られ揺られて大変な苦痛だっただろう。それにどんな思いをしているのだろうかと心配だった。
やっと、野戦病院に着いた。「まいったなあ!」と彼が言った。「確りしろ大丈夫だ。病院に入れば薬も沢山あるし、少しすれば熱も下がるよ」と勇気付けた。しかし、病院とは名ばかり、我々が住んで居るあ・ば・ら・や・と何ら変わりが無い。
幾棟かの貧しい小屋が山中の薄暗く湿気の多い場所に建って居るだけである。ここも患者が一杯で空いて居る所が無かった。やっと一人分のスペースを見つけそこに入った。奥の方に大勢の患者が居る様だ。
でも薄暗くて好く見えず不潔な感じが溢(あふ)れて居る。こんな処で治るのだろうか?椰子の葉で造った窓の蓋(ふた)を押し上げて開ける元気も無く皆寝て居るだけなのである。その為暗く陰気な事この上無い。
病院はタンガップ地区に居る兵隊ばかりで無く、前線から傷ついて下がって来た者も居り患者で一杯だ。軍医も看護兵も足らず薬剤も何もかも不足している事は明らかであり、久保田上等兵を寝かせて「又来るから元気を出しておれよ」と勇気づけたものの心配しながら中隊へ帰った。
この野戦病院でどんなに多くの人が死んだのだろうか。金井塚中隊から入院した人がもう五人も死んで居るそうである。恐ろしい事である。それから一週間後「久保田上等兵の遺体を受領に行って来い」と命令された。やっぱり駄目だったのか彼は死んだのだ。私は愕然(がくぜん)とした。
◆屍(しかばね)の処理
この地で悪性マラリヤに罹れば治る事は殆ど無い。それに下痢を併発したとあっては仕方が無い。幾ら病院と言っても、薬は殆ど無く看護する兵隊が病気で倒れ次から次へと増える患者の世話をする事は出来ない現状である。
結局、病人や負傷者は自力で回復するより方法が無いのである。既に弱り切った体では為すべき手段も無く最期を待つのみである。死んでしまえば病院側も原隊に知らせるのが精一杯と言った処の様である。野戦病院やその勤務者が悪いのでは無い。戦況がこんなにも悪いのである。
この様にして、薄暗い竹で造った野戦病院とは名ばかりで手厚い看病も充分な薬も与えられず、亡く為って逝つた兵士達は、自分の運命はこれ迄かと諦めながらも、又生への執着と故国への夢には去り難いものがあったであろう。
案内されて行ってみると、久保田上等兵は昨夜十二時過ぎから様子が変わり午前三時に息を引き取ったとの事である。遺体には彼の毛布が被せてあるだけである。枕元には飯盒と水筒、薬の袋と少しの日用品があった。これが彼の全財産である。余りにも寂しい旅立ちである。彼にも内地に両親があり息子の武運を祈って居ただろうに・・・・浅黒い整った顔立ちの気持の良い男だった彼は、哀れな姿に変わり果てて居る。
・・・一年四ヵ月前内地出発の時、姫路駅から宇品駅に行く夜行列車の中で私の前の席に腰掛けて居たが、シンミリと「何時叉この汽車に乗れるだろうか?」と話し掛けて来た事を思い出し、私が彼の最期、遺体の処置をする様に為ろうとは露ぞ思いも掛け無い事であった。
迎えに行った我々三人は、彼の屍(しかばね)を担架に乗せて病院敷地内の火葬場に運んだ。この病院にそんな仕事をする兵隊も居るのだが、余りにも死人が多く手が回らず、疲労し切って居り処理が出来無いので、原隊の責任で遣って呉れとの事である。
そこには大きな穴が掘られ鉄の太い棒が数本渡されて居た。我々は教えられるままに久保田君の死体をその上に乗せた。近くの山から二時間も掛かって薪(たきぎ)を取って来て、斧(おの)を病院から借りて割り木を作り窯(かま)の中の方に放り込んだ。
屍の上にも一杯積み上げた。病院から灯油を十リットルばかり貰って来て屍の上や焚き木の上に掛けた。それは予めこの為に用意された油であった。
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内地からここ迄苦労を共にして来たのに、その友をこうして火葬にしなければならなく為った私、与えられた命令とは言え余りにも耐え難い事である。しかし、屍をこのままにして置く訳には行か無い。今ここでは感傷は無用である。
軽く合掌(がっしょう)し点火した。火は油の為か好く燃え広がり、ドンドンと燃え久保田君の着て居る服にも火が点いた。暫くその場を外した。その内なんとも言えぬ臭いが鼻を突き気持ちが悪い。体が焼けて居る臭いだろう。
この火葬場で次から次に大勢の人が白骨と為った事だろう。嘔吐(おうと)を催す臭いが立ち込める。大分時間も経過したので、臭(くさ)いのを我慢して行ってみると、内臓辺りが焼け切らずジュウジュウと音を立てて居た。長い棒で好く焼ける様に直し追加の薪を重ね、風上の林の中に行って待つ事にした。誰も口を効か無い。
私は「人間もこう為ってしまえばお終いで、全ては終わりだ。肉体はこの様に為ってしまったが、人の魂はどう為るのだろうか?故郷の国へ帰る事が出来御仏と為る事が出来るのだろうか。責めてそうであって欲しい」と思った。敵機に発見されると攻撃されるので、成るべく煙の出無い様に努めやっと焼き終った。多少焼け過ぎてボロボロに砕けた部分もあった。
幸いにこの時間に敵の飛行機が来なくて助かった。骨を入れる壷が無く適当な容器も無いので、もう必要の無く為った彼の飯盒に骨を拾って入れた。英霊に対しご無礼な事かも知れ無いが、これが一番安全確実な方法だと思わざるを得ない。大切に中隊本部へ持って帰った。命令とは言え戦友の屍の処理に当たる事はどんなに辛く悲しい事か。
その日の夕食は吐き気がして食事が喉を通ら無かった。ご遺骨はその後どう為ったか、内地まで届いただろうか?それは昭和19年11月頃の事で戦況は次第に悪く為り、その可能性は薄いと思われるが。届いて居る事をお祈りする。
◇悪性マラリヤで死の淵(ふち)に
◆発熱
雨期もスッカリ終わり晴天で平穏な数日が続いた。そんなある日、私達4・5人は、タンガップにある野戦の食糧倉庫に糧秣受領に行った。待って居る間に私は急に寒気がして来た。その悪寒は急激に増し、ガタ、ガタ、ガタと音を立てて歯が震えて来る。幾ら日の好く当たる場所に行ってみても寒いばかりである。
アア、マラリヤだと感じた。しかし、ラングーンで罹った三日熱位では無かろうか、そうであって欲しいと思った。そう為らば二、三日もすれば熱は引くだろうと思った。
しかし、糧秣(りょうまつ)を受け取り帰る間に悪寒(おかん)は急激に増し次に発熱を感じて来た。中隊に帰ると直ぐに医務室に行き診断を受けた。マラリヤだと云う事で医務室に続く病室に入った。ここも粗末な竹の小屋であった。
夕飯はホンの一口食べただけで何も欲しく無く、水やお茶が飲みたいばかりであった。夜に為っても熱は一向に下がら無い。体温計は四十・五度を指して居た。熱の為身体からは汗一つ出ず気持ちが悪い。
夜も更(ふ)けて来たが熱は下がら無い。うつらうつらと眠る様な眠ら無い様な一夜が明けた。朝飯は一匙(さじ)おかゆを口に入れてみたが全く味が無く喉を越さ無い。スッパイ梅干を一個だけやっと口に入れた。食後に苦い液体のキニーネを飲んだ。今飲んでも効く筈が無いし、食べていないのに飲むと反って胃に好く無いが責めてもの慰めだ。
体温を計ったが四十度のままで変わら無い。熱で頭がズキンズキンと痛む。少しの汗も出ず、つるつるとした肌触りである。毛布を被ってみても気持ちが悪い。熱の為に毛布の端がピリピリと震えて居る。毛布を脱いでみても気分は良く為ら無い。
隣に寝ている戦友が「小田どうか」と尋ねて呉れるが、「ウン」と答えるだけである。喉が乾く水筒のお茶をゴクリ ゴクリと飲んだ。何と美味しい事か。このお茶が堪らなく美味しい、一口では足り無くまた一口また一口と飲む。
「水やお茶を余り飲むと胃を弱くするからいけない」と軍医から言われて居るが欲しくて堪らない。キニーネで胃を傷めて居るのに水を飲むと更に胃を傷め下痢と為るのだが。胃に障害が起こり、アメーバー赤痢にでも為れば余計に衰弱する事は明らかである。
しかし、今の私にはお茶に勝るものは無いのである。こんな時にリンゴとかミカンがあれば食べられるのではないかと思ってみるが、この山あいには果物等何も無い。バナナさえ買う事も出来ない程の山の中である。又野生の果物がそうそう在る筈も無い。実際には果物があってもこの高熱では受けつけ無いだろうし、色々と思ってみるだけである。
ママよと思い、配給に為った日本のたばこを口にしてみたが、気持ちが悪いだけで受けつけられるものでは無い。やがて、石川軍医の診察が始まった。期待して診察を受けたが「これはマラリヤだ」と言っただけだった。
衛生兵がビタカン一本を注射し、キニーネを五粒ずつ飲む様にと言って袋を呉れた。午後もその夜も高熱が続き体が次第に弱って来る。眠ったり目が覚めたり、ウツラウツラして居る間にその夜も明けた。段々と心細く為って来る。食べる物は何も食べられずその日もお茶を飲むだけである。隣に寝て居る戦友が「心配するな、三、四日すれば好く為るよ大丈夫だ」と言って励まして呉れた。
それを聞くと、自分の事は贔屓目に考えられ、この熱はきっと下がり自分だけはきっと治ると思った。小便の為に建物外の便所迄行くのが苦痛に為り、フラフラする体を柱や庭の立ち木に掴まりながら支えて行くのがやっとであった。クラクラと目が眩(くら)む、アア情け無い。
小便の色は濃い茶色で、恐ろしい程の濃いさだ。血が溶けて出て居るのではなかろうか。気持ちが悪く長く見て居る気もしない。自分の床までやっと帰り身を投げ出す様に転ぶ。この様にしてその日も暮れた。石油ランプの明かりも無く暗い静かな夜が更ける。
少しでも寝ようと思っても熱に魘され眠れ無い。心臓の鼓動がドキドキと早く脈を打つ。何でこんなに早く脈を打つのだろうか、果たして治るだろうか?
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◆高熱が続く
先日久保田上等兵が罹って居た状態と同じではないか。そして多くの兵士が命を落とした悪性マラリヤではないか。一度発熱したら最後、余程の良い薬があるか余程の幸運に巡り合わ無いと高熱は何時までも続き、一週間もすると下痢を伴い脳症(のうしょう)を起こし意識不明と為り、更に三、四日すると死んでしまうと言われている。
私も、将に同じ症状の三日目である。あの暗い野戦病院行きと為るのだろうか。野戦病院に行けばそこで四、五日すれば脳症を起こし意識不明と為る。後二〜三日であの世行きに為るのかと思うと、暗然とした気持ちに襲われ不吉な事だけが頭の中を駆け巡る。夜明けに為りやっと浅い眠りに入る事が出来た。
朝に為り、飯盒に少しの粥(かゆ)を入れて呉れた。幾ら塩を入れても苦い、一匙(さじ)二匙口に入れてみたが食べる気がしない。粉味噌で作った汁も苦いだけで飲め無いので力無く向こうに押しやった。
隣の戦友に後片づけを頼んだ。飲めるのは水筒の水のみである。水が美味しい。でも、昨日辺りから下痢が始まり段々回数が多く為って来る。水を飲んではいけないのにガブガブ飲みたい。胃の中はどう為って居るのだろうか。素通りして下痢と為って排泄(はいせつ)して居るだけである。
今日はビタカンの注射をして呉れた。キニーネは胃に好く無い。続けて飲んで居るが今更(いまさら)効く筈も無い。フラフラしながら外の便所に行く回数が増えるが、もう堪ら無い。
私は痔が悪く、手術した事があり肛門の括約筋(かつやくきん)がやや緩いので、漏らさ無い様にするのが大変なのである。クラクラする頭、ヨロメク足元、濃い茶色の小便、血の様な粘液物が混じった大便、アア恐ろしい。
その日も暮れ、夜に為ったが熱は一向に下がら乃。体温計は四十度一分を指したままで、汗は全然出て来ない。衛生兵もこの悪性マラリヤにはホトホト手を焼いて居る。私も、次々に倒れ死んで行った兵士達の姿を見て来た。先日も久保田君の罹病(りびょう)から最後の姿を見届けたばかりであり、死の恐怖をヒシヒシと感じる。でも自分だけはそのコースを取らないで好く為るだろうと欲目な事を思うのである。
椰子の葉で葺(ふ)いた屋根の隙間から残月の明かりが病室に差し込ん居り、周囲の患者は寝静まって居る。内地から持って来て肌身離さず着けて居るお守りをもう一度固く握り直してみると、母の姿が思い浮かんで来る。
「敦ちゃん、お母さんが一生懸命信心して居るから、元気を出せ」「お前の為に一心にお祈りして居るから、お前はきっとお陰を頂けるから」と、母がハッキリ夢枕に立ち幾らか気分が落ち着いて来た。そして「神様どうか助けて下さい」と深く厚いお祈りをした。声には出さ無いが悲壮な願いであった。
高い熱に魘され体を反転させ、ウツラウツラして居る間に夜が明けた。昼中は今日も暑い日である。発病してから四日に為る。一日一日と悪く為って行くだけで、又しても不吉な予感に襲われる。
周囲の者も「小田はもう駄目だろう」と感づいて居るのだろう。誰も声を掛けて来無い。今日か明日には野戦病院に行く様な命令が来るのではないかと皆思って居る様である。午後に為ると熱に加え段々と下痢が激しく為って来た。衰えて行く体、急転直下奈落(ならく)の底に転落する様だ。今日もそのまま日が暮れて来た。
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◆救いの神
夕方、志水衛生伍長が病室に入って来て「小田どうだ」と尋ねられた。「ハア」と力無く答えた。勇気付ける為かワザワザ笑顔で親しそうに「弱ったか、熱が出て何日かのう」と聞かれた。私は「今日で四日ですが、ずーっと熱が出た切りで下がら無いんです。それに下痢も始まり・・・・」と哀願(あいがん)する様な気持ちで答えた。
神様にお祈りする様な心境で、それに知って居る人だけに些か甘えたい心理も働きつつ答えた。「そうか」と言って衛生伍長は立ち去った。
暫くして「小田一寸此方へ来い」と呼ばれた。病室を出て奥の部屋にフラフラしながら行った。誰も居ない治療室だった。もう室内は薄暗く為りカンテラに明かりが点されていた。
「腹ばいに為って尻を出せ、打って遣るから。この注射は人によっては好く効くんだ。だけどこれはもう殆ど無い、取って置きなんだ。もう補給も無いだろうし」と言いながら「痛いぞ、我慢しろ」と言って、グサリとお尻に一本打って呉れ「もう一本だ、こちらの尻だ」と言ってグサリと二本目を注射して下さった。
バグノールと云う薬だそうだが、当時貴重品中の貴重品だったのだろう。兵隊の私にもこんな戦況で辺鄙(へんぴ)な山奥に居る中隊の医務室に貴重な薬品が沢山在る筈が無い事は分かる。それを私に打って呉れた様である。
尻の注射は痛かったが、これ位有難い痛さは無く感謝の注射であった。注射が終わった後、志水衛生下士官は「元気を出して居らんといかんぞ」と一言励まして下さった。
しかし、熱は下がる事無く暗い夜は更けて行った。矢張り駄目なのだ、もう駄目なのだ、私の運命もこれ迄かと悩み不吉な事のみが頭の中を駆け巡り、眠るでも無く目覚めて居るでも無い状態が続いた。その内何時の間にか眠った様である。ふと目が覚めるともう朝だった。
少し気分が良いではないか。「少し好いぞ!」心が明るく為った。「シメタ、あの注射が効いたのだ」きっと志水伍長の措置が効を奏したのだ。有難い、志水伍長有難うと思わず手を合わせた。
体温を計ってみると三十八度だ。四日間ぶっ通しで四十度続いた熱が下がって居る。あのバグノールと云う注射が私には好く効いたのだ。病状により、何時でも誰にでもどのマラリヤにも効くのでは無い様であるが、私には幸運にもピッタリ効いたのだ。
昨日までは何も食べられ無かったのに、今朝はお粥(かゆ)が少し食べられた。昨日に比べ今日は本当に嬉しい。夕食のお粥はもっと食べられた。病気が快方に向かう時の嬉(うれ)しさは格別である。希望が湧きその夜は好く眠れた。
翌日、体温は七度五分に下がり下痢も止まった。素晴らしい治り方だ。不思議な位熱が下がり下痢も全く無く為った。私は死の淵から救われ、日々快方に向かい半月も経た無い内に元気に働く事が出来る様に為った。
三途(さんず)の川まで行って引き返して来た大変な幸福者である。この事は何時までも忘れられ無い。復員後戦友会で私はこの命の恩人に時々お目に掛かる機会に恵まれて居る。
つづく
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