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2018年06月28日

一兵士の戦争体験 その10


 その10


 五 ビルマ西部海岸警備

     
      i5.jpg

 ◇第一アラカン山脈を目指す

 ◆イラワジ河を西に渡る

 昭和19年3月下旬、前進命令が第一中隊に下りた。大アラカン山脈を越えインド洋に面するタンガップの町に前進する事に為った。
 イラワジ河の東側、左岸渡河地点近くに来た。敵機から見つから無い様にネットや木の枝で擬装(ぎそう)し、乗り場に至る道や船着場を覆う様にして居た。又道端のアチラコチラに止まって居るトラックにも充分な擬装をして居た。
 ここで、珍しい人に巡りあった。金平操(かねひらみさお)さんである。同郷の可眞(かま)村弥上(やがみ)の出身で家が300メートル位しか離れて居ない。可真小学校では兄貴分で、しかも岡山二中に進んだ時も先輩として大変可愛がって貰い仲良くして頂いた方である。

 

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 操さんは岡山師範学校(岡大教育学部の前身)を卒業され先生に為って居られたと聞いて居たが、長身でスマートな先輩で懐かしい。こんな所で好くもパッタリ会ったものだ、奇遇と云う他は無い。
 何処の部隊に属して居たのか覚えて居ないが、本当に嬉しく元気で遣ろうと励まし合った。南方の軍隊生活で日に焼け、逞しく為って居られ野戦で苦労されて居る様子が伺われた。お互いに、軍務の途中でユックリ話す事が出来無いまま武運長久を心に祈り誓いあって別れた。その後操さんに会う事は無かった。

 ・・・操さんはその後、何処でどう為されたのだろうか?きっと苦労され戦死されたのだろう。ここでも又、立派な若い先生を失ってしまった。
 戦争は苛酷(かこく)であり無残である。私は抑留生活二年をビルマで過ごし、昭和22年7月に復員し、郷里の弥上部落内を挨拶して回った。当然操さんの生家にも行った。既に戦死の公報が来て居り悲しんで居られた。私のみ生きて帰り悪い様な気持ちがしたが、イラワジ河畔(かはん)で会った時の事を話してお慰めした。

 ・・・その時、彼のお母さんは「戦死の公報は来て居ても、未だ操が帰って来ると思う。夜帰って来るかも知れ無いから、庭や入り口辺りに物を置か無い様にし操が躓か無い様に何時も片づけて居るのですよ」と言われた。
 その時私は、操さんが元気で帰って来られるの為らば、ビルマの山河を何ヵ月も裸足で夜道を歩き通し大変な経験をして居るのだから、庭先の物や小石に躓く様な事は無い、もっと確りして居る筈だと思ったが、親はこれ程我が子の事を思って御出かと目頭が熱く為った事を今も覚えて居る。

 

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 この辺りの河幅は3キロ位だったろうか。30トン程度の船で夜の闇に助けられ何事も無く無事渡河出来た。幸いこの頃は乾期の為水量も少無かった。渡ってしまうと何の事は無かった。
 でも、渡河後は成るべく早く渡河地点であるセダンを離れ無ければ為らない。夜明け迄に10キロ程を歩いた。大した距離では無かったが装具の重さが肩に食い込んだ。それでも道も良いし平坦地であり夜間の涼しさで思う様に行軍が出来、ある部落に着いた。現地人は既に山の中に逃げ込んで何処も空き家に為って居たのでそこに入って休んだ。

 次の日は朝より行軍だ。西へ西へ向かって歩く内にアラカン山脈の麓(ふもと)に近づいて来た。次第に林が多く為り道も埃(ほこり)だらけの道と為って来た。
 時折友軍のトラックが埃を残して走って行った。我々は一個班に一つの輜重車のみは残して居り、出来るだけそれに荷物を積み積み切れ無いものは各自背嚢(はいのう)に詰めて背負い、車を皆で引いて汗みどろ埃だらけに為って歩いた。
 午後に為ると緩やかな坂道が曲りクネッテ来た。夕方に為り大休止と為ったが、もうここは山の中で民家は無く露営である。

 山から薪(まき)を拾って来て飯盒で飯を炊いた、幾人もの飯盒を並べて炊いた。出来上がる少し前水分が出無く為ると一つ一つ取り出し逆さにして置くと、良く蒸せ美味しく為り暫くすると食べ頃に為る。
 もう何回と無く使用して来た飯盒なので貫禄(かんろく)が着き外側は真っ黒に為って居た。残りの飯盒で乾燥野菜と乾燥醤油で汁を拵える。干し肉や干し魚がある時は良いがこの頃は欠乏し掛けて居た。木の若芽を摘んで野菜代わりにしてみたが拙かった。

 

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 ◆第一アラカン山脈を越え

 次の日も行軍は続いた。坂道は段々急に為り谷を渡り山を越えながら登り坂が多く為り標高も高く為って来た。乾期の最中だから山道の埃は我々が歩くだけでも濛々と舞い上がった。
 この第一アラカン道は日本軍が2年前に造った道で、一応自動車が通れる様に応急的に造ったのだが、ビルマでは粒子の細かい土質の所が多く切り開いただけの道で、長い間雨が無く乾き切って居るので大変な埃が立つのだ。
 3日目からは昼間の行軍はしない事に為った。敵の飛行機に見つからぬ様夕方から夜明け迄歩いた。夜は暑く無くて好かった。見も知ら無い曲がりくねった山道を夜行くのだから、どの方向に進んで居るのか全然分から無い。全体として西に向かってアラカンを進んで居り毎日登って行った。
 黙々と前の人に遅れまいと歩くだけである。背嚢(はいのう)を背負い車を皆で押したり引いたりしながら、時には「ワッショイ ワッショイ」と掛け声を掛け元気を出して登ったが、疲れて何時の間にか黙ってしまうのである。

 イラワジ河を渡ってから4日目、やっとニューワンギョと云う地名の所に着いた。ここはアラカン道の中央で山脈の頂上である。夜明けに着いた。そこには大きいチークの木が沢山茂って居た。寒い、寒い、標高1200メートル位だと誰かが言った。携帯の毛布二枚を引き被りやっと寒さを堪え眠りに着く事が出来た。
 昼の間は休み夕方前にニューワンギョを出発した。暫く行くと見晴らしの好い所に出た。アラカン山脈の山々が雲海の上に頭を出し西の山に夕日が沈みかけ赤く染まって居る、何と美しい眺めであろうか。自然の偉大さその見事さに、暫し疲れを忘れ戦を忘れ目を奪われた。絵にしたらどんなに美しいだろうかなどと思った。

 道は次第に下りが多く為った。開けた所は星明かりで助かるが高い林の間を行く時は真っ暗なので足元が全然見え無い。各班に一台ずつの輜重車を皆で力を合わせ引くのだが、下りはガラガラと惰性で早く転がるので、自分が転倒でもすると本当に危険であった。皆一生懸命に走った。暗闇の中を下って行く時は奈落の底に落ちて行く様であった。
 当初携行した食糧も次第に減り途中の倉庫で支給を受けた。しかし、これまた少なく形ばかりの支給であった。飯を、塩とと・ん・が・ら・し・の辛さで食べて居る様なもので他に副食は何も無い。

      9-1-2.jpg

 私はこの行軍で肩と手が痺(しび)てしまった。銃を持ち重い背嚢が肩に食い込み、筋肉と神経が麻痺したのだろうか。日に日に痺(しび)れが増し手が殆ど動か無く為ってしまった。しかし、そんな事は言って居られ無い。苦しいのは自分一人では無い筈である。
 銃を持つ手が痺れて居るので落ちそうに為る。足の豆も次第に大きく為り潰れて汁が出て居る。しかし、こんな事で挫(くじ)けては為ら無いと困苦欠乏の行軍は続く。

 坂道を下ると言っても、中途では登り坂もあり道程は長い。ニューアンギョを出てから4日目の夜明け前、誰れかが「平地に出たぞ」と叫んだ。
 印度洋海岸に沿うたタンガップの平野に来たのだ。平坦な道を2キロ位行った所で本道をそのまま4キロばかり直進すればタンガップの中心地に行くのだが、左へ曲がり細い脇道をうねうねと30分ばかり歩いて林の中に止まり大休止する事に為った。もう東の空が仄かに明るく為って来た。
 ここまで歩いて来たのが、プロームとタンガップを結ぶ第一アラカン道170キロの横断道である。野宿野営の毎日だったが幸い虎にも遣られず無事到着したのである。しかし、第二小隊で途中三名の者がマラリヤに罹り落伍してしまった。その後どう為ったか知ら無い。疲れた体を毛布に包まり安堵(あんど)の気持ちでグッスリ眠った。

「皆起きろ」と云う浜田分隊長の声で目を覚ますと、もう太陽は空高く昇って居て時計を見ると十二時だ。「食事の用意をせい」との号令で、近くの川に行き水を汲み薪を集めて各自飯盒炊事をした。サテ、今日はどの様に為るのだろう。我々兵隊には予定は分から無い。命ぜられるままにするだけである。午後も休み疲労回復に努める事に為った。

 

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 ◇タンガップ地区の警備

 ◆ヤンコ川沿いと山中の生活

 その次の日から色々の作業が始まった。当分ここに宿営する事に決まり家を建てる事に為った。竹を切って柱にし、梁(はり)を組み屋根と床の骨を造り割った竹で床を張るのだ。
 屋根は椰子の葉を一枚づつにしたテッケと云うものを並べるだけ、横の壁に相当する所は竹を薄く編んだアンペラを取り付けるだけである。主な柱も屋根の椰子の葉も全て竹を割ってヘギにしたものを紐(ひも)代わりにして縛(しば)り固定するのである。竹細工の家である。

 一個班の入れる宿舎の小屋を建てるのに一日あれば出来上がる粗末なものである。もう何回もこの様な家を建てて来たので作業も慣れて来た。結構これで住めるのだ。
 以前に虎が屋根から飛び込んで来た事はあるが、そう簡単に壊れ無いし壊れたら直すのも簡単である。乾期には屋根のニッパ椰子の葉が萎(しぼ)み、その間から空が見えて居ても雨期に為り雨が降るとその湿りで葉が広がり案外漏ら無いのである。その国その地方で気候風土に適した住み方があるものだ。

     9-1-1.jpg ダァー

 現地人はダァーと云う刀か斧(おの)の様な道具を一本持って居るがこれさえあれば全ての大工仕事が出来るのである。我々もダァーの使い方を覚え、器用な兵隊は上手に使う様に為った。設営に当たり、何人かはこうして住居を拵える作業をする。又、何人かはタンガップの町外れにある野戦倉庫に行って食料や嗜好品(しこうひん)を受け取り、幾らかの衣類等も受け取って来る。
 又、当分転進が無いと見越して共同炊事をする事に為り、大きい鍋を使う為、それ用の竈を石と土で固めて作る等、分担して各種作業に精出した。又野菜や、鶏、家鴨(あひる)等現地人から購入出来るものはその様な収集班を決めて食料の確保を図った。

 次の日は暇を見て川へ水浴に行き、十日間の垢(あか)を落とし洗濯もし爽やかな気分に為った。その時、急に爆音がしたので、川に食み出して居た大きい木の陰にいち早く隠れた。裸のままだ。双発双胴(そうはつそうどう)の飛行機が2機超低空で飛んで来た。ロッキードだと誰れかが教えて呉れた。薄黒い色をして居た。
 敵は我々の中隊がここに来て居るのを察知したのか、それとも飛行中に今見つけたのかも知れ無いが、我々宿営地の上空を旋回し2回目には機関砲をパリパリと射ち込んで来た。3回、4回と旋回しては撃って来た。
 ピューン ピューン と云う不気味な音、早くも昨日造ったばかりの宿舎が撃ち抜かれた。私は裸のまま木の下に隠れ身を震わせて居た。未だ、ここに到着したばかりで防空壕も掘って居なかったので避難する所も無かった。

 こちらが一発や二発を撃っても仕方が無い。お礼返しが百倍も千倍も来るだけである。だが、どうした事か攻撃は4回で終わり飛行機は去って行った。ヤレヤレだ。しかし、兵隊の一人が大腿(だいたい)部を撃ち抜かれて重傷、二人が軽傷を受けた。
 重傷の人には応急手当をして直ぐにタンガップの野戦病院に連れて行った。タンガップ地区に来た途端に重傷者を出し、敵に小屋を見つけられてしまい愈々最前線へ来たとの感を深くした。その翌日は、もっと山奥で大木があり好く遮蔽した場所への移転の作業が早くも始められた。

  

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 ◆弾薬倉庫等の警備

 空から絶対見え無い場所を選び分散して小さい家を建てて宿る事にした。どの分隊も夫々暗い木立の下に粗末な小屋を建てた。ここはヤンコと云う地名だが民家も何も無い山の奥深くであった。もう日本軍は平地で部落のある様な所には住め無い程に敵の飛行機に追い詰められて居た。
 我々瀬澤小隊は、馬がいないので輸送業務は無く為りタンガップ地区の警備に当たる事と為った。この地区にある弾薬倉庫、糧秣倉庫、被服倉庫、燃料廠(ねんりょうしょう)、海岸の警備、野戦病院の使役、その他兵站(へいたん)の各種勤務に就いたのである。
 これらの品々は何れも山の中に分散し敵機に見られ無い様に遮蔽して野積みにされて居た。その監視に当たるのである。

 私も弾薬置場の監視に就いた。弾薬置場と言っても山裾の樹木と草原の交じった寂しい所にある。大きい木の陰に弾薬箱を置き、更にその上を擬装(ぎそう)して集積して居り昼夜三交替の勤務である。
 監視であるから銃を持ち節度正しく警備し周りを歩いて警戒するのであるが、考える事も無いし特別する事も無いので、一人ぽっちで夜空を眺めて居ると又しても故国の事が思い出される。これから先の事が明暗色々に頭を駆け巡る。
 何時の日故国へ帰れるのだろうか?今に新兵が来れば交替して帰れるだろうが。戦いに勝ってしまえば凱旋(がいせん)だがどんなに嬉しいだろうか。
 しかし、戦いはどうも見通しが明るく無い。今の我々には、新聞も無ければラジオも無い生活である。噂だが西南太平洋方面の海戦で次第に押されて居りサイパン島も危ないとか?事実ここでも日を追って敵の空襲が激しく為って来ており、友軍の飛行機等見た事も無い。戦況が次第に悪く為って行くのが分かる。

 何であろうと戦い抜いて勝たねばならないのだ。与えられた軍務に精励すれば、それがお国の為なのだと思い返してみるが考えに前進は無く、何時も堂々巡りである。
 暫く深夜の静寂が続く。急に近くの山で「ゴオー」「ゴオー」とビルマの山鹿であるノロが悲しそうに啼いた。虎にでも追われ逃げて来たのかも知れ無い。厳しい現実が襲い掛かって来た。銃を握り直し、警戒を続けた。私の空想と現実の隔たりは余りにも大きい。
 この辺りはビルマの西海岸アラカン山脈の西側で、辺境地と言われる不便な所で経済的にも価値の無い所である。しかし戦略的には、英軍と印度軍が何時上陸して来るか分から無い重要な地点と為って居り、我が軍もこの地の防備に力を入れて居る。
 ここからアキャブ方面にも通じており、海岸防備の為のラムレ島・チェトバ島への渡航地点にも為っており、行き来する人が泊まる場所と為って居た。

   9-1-4.jpg メニョーの兵站宿舎

 私はその後、弾薬庫勤務からタンガップ兵站宿舎の勤務に為った。言わば旅館勤務と行った処だが、とてもそんな粋(いき)なものでは無かった。前線へ向かって行く兵隊は、アラカンの険峻(けんしゅん)を歩いて来たとは言え、衣類も痛んで居らず兵器もキチンと持ち顔色も好く元気で兵隊らしかった。
 しかし、アキャブ方面から帰って来る兵隊は哀れだ。服はボロボロ、シャッもボロボロ、空の背嚢を背負い兵器は殆ど持って居ない。顔色は悪く杖をついてやっと歩いて居る。乞食(こじき)の様だ。飯盒と水筒をダラシナク持って居る。
 兵站宿舎と言っても、屋根と座がある程度のお粗末なもので野宿よりは少し増しと言った処だ。「兵站はここですか」と細い弱い声で尋ねる。「ここです。どうぞ休みなさい」と答えるとホットした様子で疲労し切った顔に嬉しさが微かに窺われる。しかし一日二日と泊まる内に、そこで息を引き取ってしまう兵隊が何名かあった。

 負傷したり病気に為ったり、アキヤブの方から後退を命じられ乗り物も無くやっとここまで辿り着くが、体力は非常に弱って居り息を引き取ってしまうのだ。気の毒な事と思う反面、これが日本の軍人兵士だろうかと唖然(あぜん)とするのである。
 死体の片づけも私達勤務者の仕事だが、余りにも惨めな姿は目を覆うばかりである。二十日ばかり勤務したその頃、思い掛け無い命令が来た。

  

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 ◇無線通信教育隊に

     9-1-5.jpg 首都ラングーン

 ◆首都ラングーンへ

 私は、聯隊本部から突然「ラングーンで通信技術の教育があるから、教育を受けに行く様に」と命じられた。我が輜重聯隊から、私の他に、藤井、山本、西谷、矢野の各上等兵の計五人が選ばれた。
 中隊本部へ行き金井塚中隊長に申告した。中隊長はレミナの町に居る時一緒に生活して居た関係もあり特に私の方へ向かって「確り勉強して来い」と激励の言葉があった様に思われた。それからタンガップの他地域にあった聯隊本部へ行き、ラングーンで教育を受ける旨の申告をした。
 こんな場合何時でも、同年兵ばかりの時は私が引率者の立場で号令を掛けるのが当たり前の様に為って居り皆もその様に認めて居た。この時は後方、ラングーンへ向かう自動車に便乗させて貰う事に為り、タンガップを夕方出発し夜明けには大イラワジ河を渡りプローム迄来た。歩いて八日も掛かった山道を一夜の内に走った。流石自動車は早い。夜の内なら敵機に見つかる事も無い。

 トラックの荷台に乗せて貰ったが、路面は凸凹道だから前後左右に揺れるやら上下に跳ね上げられてはドサンと落とされるやら、荷台には周囲の枠に掴まる以外には掴まる所が無いので五人は懸命に枠にしがみ付いて居た。
 しかし、文句を言う処では無く自動車は本当に有難いものだと思った。運転手は一睡もせず大変な仕事だがこれも軍務の中、ご苦労な事である。太陽が上がる前に町外れの木立の茂みの中に入り車を止めた。大休止の後、夕方に為りそこを出発した。プローム街道を南南東に向けて走った。
 舗装道路だから昨夜に比べれば雲泥(うんでい)の差で、荷台に仰向けに寝転び夜空の星を眺めながら進んで行った。気持ちの良い夜だった。幸い夜の事でもあった為空襲にも遭わず、次の朝はラングーンに着き、ビルマ方面軍司令部直轄(ちょっかつ)の森部隊の通信教育隊に編入された。

 私達の兵兵団(つわものへいだん)(五十四師団)からは姫路の歩兵、鳥取の歩兵、姫路の野砲、姫路の捜索(そうさく)聯隊等からで、他の師団から選ばれて来た者を含めて総数約五十名であった。教育の内容は無線通信機器の操作技術に加えて、モールス信号の発信オペレーターの技術学習であった。
 私は学生時代にそれ等の基礎を習って居たので、取り着きも好く皆より好く出来るし完全に頭の中にスイスイと入るので楽しかった。全体の雰囲気は良く軍隊の中としてはスマートな教育と言えよう。教育時間外も比較的自由に生活が出来る様にされて居た。 それだけに、厳しい教え方で無くても頭と体、指先と耳で、早く技術を修得しなければなら無かった。

  

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 ◆辺境タンガップとラングーン市内の比較

 時折ラングーン地域にも空襲警報が発令されたが、敵機は現われず被害は出無かった。日曜日には市内に外出する事も許された。ビルマ人の住宅地にはブウゲンビリヤの真っ赤な花が咲いて居り、庭には美しい草花が咲き乱れて居た。家庭の温かい雰囲気が懐かしく思い出される。
 市街の商店街では、日本の将校や兵隊が見物や買物をして居た。ビルマの若い女性が髪に花を飾り奇麗なエンジに色鮮やかなロンジを纏(まと)い皮製のサンダルを履いて2・3人が歩いて居る姿を見ると、今までアラカンの山や辺鄙(へんぴ)なヤンコ川岸で警備に当たって居た私にはとても美しく感じられた。この様に、和やかな女性の姿を見る 。男性も下はロンジだが上はスマートに洋服の上着を着て垢抜けしたビルマの衣装を身に着けて 。流石ビルマの首都である。

 我がビルマ方面軍の総司令部が置かれて居た所だけに、日本人の経営する店もあり日本人の女の子をウエイトレスにしている喫茶店もあった。
 戦友と一緒に早速入ってみた。久し振りに見る日本女性はとても色が白く天使の様な感じであった。コーヒーを一杯注文したが、内気な私は一言二言声を掛けただけだった。でも心が和む感じがした。市内にはもっと遊べる所があるのだろうが、我々兵隊には無縁な事だしどう為るものでも無かった。

 只、ここで感じた事は、第一線の戦場と後方との大きな違いである。あの、タンガップの村落へ、アキャブ方面から戦いに破れ、食物も無く息絶え絶えに為り乞食の様な姿でボロボロの服を着て杖に縋り帰って来る兵隊と、後方のラングーンで整った服装に身を固め便利の好い恵まれた市内を闊歩(かつぽ)して居る兵隊を比較する時、同じ戦地と言っても場所によって大変な籤運(くじうん)の違いがあると思った。
 私自身も、数日前まで深い山の中で、虎の出そうな深夜、弾薬庫の警備をして居た事を思うと、その境遇に雲泥の差があり今をシミジミ有難く感謝した。

 ラングーンにも雨期が遣って来て毎日毎晩雨の日が続いた。室内での講義と教育はあるが屋外での実地演習は出来なかった。気分も何と無く重かった。
 その頃のある日、急に寒気がして来た。ガタガタガタガタと震え出した。生まれてこの方こんな悪寒を感じた経験は無い。マラリヤかも知れ無いと思いながら3時間ばかり毛布に包まって震えた。それが終わると、こんどは熱が出て来た。ドンドンと高い熱に為り、ご飯もおかずも喉を通ら無く為ってお茶だけが欲しく為った。飯を食べ無いでお茶をガブガブ飲むと胃に悪いのだが、無性に飲みたい。

 皆が学習に行き、自分だけ班内に取り残され熱に悩まされて居ると、健康の有難さがツクヅク感じられる。どう為る事かと心配で心細く寂しい事、何とも形容のしようが無い。
 マラリヤで亡く為った谷田君を始めタンガップで悪性マラリヤで息を引き取って行った兵士達の悲しい姿が思い出され滅(めい)入ってしまう。軍医に見て貰い薬を飲み休む事数日、悪性で無く三日熱程度のものだったのだろう、幸い3・4日で熱が治まり元気な体に回復した。ヤレヤレと安心し嬉しかった。他に同じ程度の熱発患者が3・4人出たが、皆大事に為ら無くて済み訓練を続ける事が出来た。

  

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 ◆西谷上等兵の病

 この頃、輜重聯隊から一緒に来て居た元気者の西谷矯正(にしたにきょうせい)上等兵がマラリヤと赤痢を併発し急激に衰弱した。
同僚であるが私が引率して来た責任もあり一生懸命に看病した。しかしここでは充分な手当が出来ないので、ラングーン市内にある陸軍の基地病院に入院する事に為った。少しばかりの彼の装具やお守り等を持ち、付き添って病院に行った。鉄筋の大きな病院で設備も整って居る様であった。

 彼は私に、赤痢の事に付いて「絶対に外で物を買って食べてはいかんぞ、儂(わし)は菓子を食べてからこう為ったんだ。お前も気をつけろよ」と後悔の気持ちを込め注意して呉れた。
私は「ここは大きな病院だから薬もあり設備も良いからきっと治るよ」「通信技術の勉強の方は後から頑張れば好いのだから」と励まして帰った。その後見舞いに行った時、丁度内地から来て居る看護婦が「ご案内します」と言つて案内して呉れた。将に日本女性の優しい声である。
 私の心は疼き清々しさを感じた。白衣が目に痛い程で白い肌が美しく黒い髪の匂いがホンノリと漂って来る。何故日本の女性はこんなにも美しいのだろうかと思いながら後について行くと「こちらです、どうぞ」と教えて呉れた。  

 少し位の病気をしてもこんな優しい女性に看護して貰えれば好いナア等と詰まらぬ事を考えた。 内科の部屋に入るとベッドが幾つも並んで居た。この部屋の人は皆重病なのか起きて居る人は居なかった。案内の看護婦は西谷君のベッドに近づき「ここです」と云うとそのまま出て行った。
 西谷上等兵は気配を感じてこちらを向いた。私は「西谷、来たぞ」と言うと「有難う、好く来て呉れて」と元気の無い細い声で答えた。普段でも細い顔が一層痩(や)せて青く、くすんでおり目は窪んで居た。これが20歳台の青年かと疑いたく為る程衰弱して居た。
  私は余りの変わり方に多くも語れず「充分養生して早く治れよ。お前は心臓が強いのだから大丈夫だよ」と励ました。それ程に西谷君の病状は重く、平素気丈夫な彼であったが病魔の侵すところい・か・ん・ともしがたく、闘病の日を過ごして居た。

 私が思う以上に、その時の彼は看護婦さんを頼りにし祈る気持ちだった事だろう。他に現地採用のビルマ人看護婦達も甲斐甲斐(かいがい)しく働いて居るのが印象的であった。
 タンガップの野戦病院は病院と言っても野宿同様の小屋で薬も設備も無く、死出に旅立つ人の溜(たま)り場の様なものであるが、それに比較しここで治療が受けられるのは幸運だと思われる。でも重い病気には適わ無いが。
 何回か見舞いに行ったが、一進一退と云うより心配の方が多く為って来た。励まして遣るのだが、頷くだけで心無しか目には涙が光って居た。

 異境の地に来て、華々しい戦いにも出られず、病気に倒れての苦悶(くもん)の日々。さぞ残念であろう。そして故郷の父母兄弟を思い懐かしんで居るのだろう。その内、看護婦二人がリンゲルを打ちに来た。毎日打つのだろうが、大きな針が痩せた太股に刺されて居る。
 果たして治るのだろうか?彼が快方に向かうことを祈りつつ兵舎に帰った。 彼が私を頼りにして居るのが好く分かるので学習の合間を縫って何回も見舞いに行った。
     
 つづく

 

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