2018年06月28日
一兵士の戦争体験 その7
その7
四 ビルマでの軍務と移動
◇ビルマに進駐(しんちゅう)
◆ラングーン港で荷揚げ
甲板(かんぱん)に上がり感慨深い気持ちで初めてパゴダ(仏塔)を見た。緑の丘の上に建って居り、沈んで行く夕日に赤く彩られた黄金のパゴダは何とも言えない美しい姿をして居た。これがビルマでの第一の印象だった。夕闇が迫り町の明かりが点々と点(とも)され始める様子を眺めながら「愈々目的地ビルマに着いた」の感を深くした。
パゴダ(仏塔)
日も暮れ、今夜はこのまま船に泊まるものと思って居ると「各小隊は班内の部屋に帰れ」との放送があり、帰ってみると瀬澤小隊長から「本日これより下船作業をする。昼間に為れば敵機の襲撃を受ける恐れがある。夜間作業だから特に気を着けて遣れ」との命令である。
輸送船のブリッジと波止場側に照明灯が明か明かと点灯され、船のウインチがガラガラと音を立てて動き始めた。日本から遥々(はるばる)運んで来た兵器、弾薬、輜重車、馬具類、馬糧、食糧、雑品等多くの荷物を降ろす重労働が続いた。
深夜の作業と空腹でスッカリ疲れ果てた時「今夜の作業はこれで中止する」との命令が届いた。それと同時に一人に二個ずつの握り飯が配られた。腹がペコペコなので有難かった。
何時もの事だが手袋も無く、素手の作業だから手は汚れに汚れて居るが夜の事でどれ程汚れて居るか分から無い。しかし手を洗う水が何処にあるのか分から無いし照明が効く以外の所は暗くて危険である。それに疲れ切って居るので汚れた手で握り飯を受け取りムシャムシャと食べた。
やっと一息着き、各自の装具を枕にし臨港倉庫のコンクリートの上に寝転んだ。広々とした大地に足を伸ばして寝るのは久し振りで気持ちが良い。
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2・3時間寝たのだろうか、夜明けと共に「起床」の声が掛かり再び船から積み荷を降ろす作業が始まった。馬も吊り挙げられ次々と波止場に降ろされた。長旅で疲れて居るのと吊られる事に慣れた所為か暴れ無く為り扱い易(やす)く為った。
私の馬「金栗号」も無事着いた。遥々ビルマ迄連れて来られた馬達も可哀相なものだ。全ての荷物を降ろし終え全員下船したのはもう午後に為ってからだった。
今度は輜重車を組み立てて弾薬等全ての荷物を乗せた。波止場の倉庫に積んで置くのでは無く港から兵站宿舎迄運搬しなければならない。ここからは愈々本番だから、以前とは違いしなければならない仕事が沢山あって時間も掛かり労力も大変なのである。
長い間、船底に繋がれ運動不足に為って居た馬に、行き成り鞍を置いて弾薬等の荷物を沢山乗せた輜重車を引かせるのは厳しい事だが仕方が無い。
幸いラングーン港から宿営地まで八キロ程度で余り遠くは無く平坦な舗装道路であった。その上に、雲の多い日で暑くも無く人馬共に助かった。船から見えた大きなパゴダはシュエダゴンパゴダと言ってビルマで一番立派で有名なものであるが、その横をグルリと半周し回って行った。このパゴダは近くに来て見上げると実に大きく、周囲に小さなパゴダを沢山従えた素晴らしいもので目を見張った。
輓馬で輜重車を引いてそこを通り市内を進み、夜八時頃ラングーン駿河台宿舎に到着する事が出来た。馬を近くの林の中に繋ぎ飼(かい)を与え、決められた兵舎に入って携帯する装具を片付け終わった時は深夜に為って居た。ここで五日間過ごした。
軍馬の手入れ、兵器の手入れ、備品等の員数点検と整備を行なった。長い旅の後、しなければならない事は沢山あった。馬には青草を刈って来て与えて遣らなければならない。林の中に沢山の馬がアッチコッチの木の幹に繋がれて居た。勿論屋根も無く小屋も無い。
それを見張る当番を交替でするのだが、三日目の夜は私が当番に為った。日暮れ前に皆が来て馬糧と水、乾燥の草を与え馬体の手入れをして呉れたが、作業を済ますと皆は帰りその後は我が班では私一人である。
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班の馬は17頭、この夜は雲が多く真っ暗だった。頼りはローソクの灯(あか)りだけで一頭一頭の顔を覗いて見る。ユラユラするローソクの灯りの所為かどの馬も元気が無さそうだ。私は休む処が無いので土の上に腰を降ろして居ると居眠りが着きそうに為る。でも充分見張りをしなければなら無いので立ち上がり繋いだ綱が解け無い様に見直しをした。
ローソクも沢山無いので必要の無い時は消して居た。暗い夜で林の中ではどちらが馬の頭か尻か見当が着か無い。夜中、2時頃だろうかポツリポツリと雨が落ちて来た。困ったナアと思って居る間に凄い雨に為った。用意して居た外套(がいとう)を着た。立ったままが一番好い。薄い外套を通して雨が浸透して来る。外套の頭巾(づきん)に雨がザンザンと音を立てて降り注いで来る。
好く、バケツをヒックリ返す様な酷い雨だと表現をするがそんな事では無い。ドラム缶の水を頭から浴びせ掛けられる様だ。 馬には覆う物等何も無い。ズブ濡れに為ってしまって居るがどうする事も出来ない。篠突(しのつ)く様な雨は一層激しく為り、傾斜地を水が駆け降りて流れて来るのを足に感じる。真っ暗闇の中で何処がどう為って居るのか見当も着かない。
馬が時々身震いをして居る気配を感じる。私も馬もじっと我慢するより仕方が無かった。早速、ビルマの雨の洗礼を受けたのだ。これが雨期末期九月の雨だった。 先々この五、六、七、八、九月と続く長く激しい雨期の雨に泣かされ、多くの戦友が命を奪われる事に為ろうとは思わ無かった。
雨期に対し、十、十一、十二、一、二、三、四月は雨は一滴も降らず乾燥してしまい草は枯れ灌木(かんぼく)は葉を落としてしまう様な乾期と為る。それ程気候の変化が激しい風土とは知ら無かった。
◆ピュンタザの町に移る
4・5日後、ラングーンを離れ他所へ移動する事に為り早朝より丸一日掛けて、全ての荷物を兵站から運び出して、輜重車を分解し弾薬箱等多くの荷物を次々に鉄道の貨車に積み込んだ。列車は機関車、貨車共小型のものであった。馬も夕方に為り天蓋(てんがい)のある貨車に引き入れ順序好く並べて繋いだ。陸の上だけの作業なので乗船時のウインチを使用しての作業に比べると楽であった。
しかし、長い踏み板を貨車の端に掛け、傾斜した板の表を馬に歩かせるのだから滑ら無い様に注意する必要もあり少しの事故でも起こさ無い様にしなければなら無かった。積込み作業中、フト見ると貨車の隅に小型のサソリが2、3匹蹲っていた。用心用心。
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馬に飼を与え厩当番を貨車に残し、我々はその晩は疲れた体を庇いつつ駅の倉庫の中でゴロ寝した。夜中に蚊がブンブンと顔を刺しに来たが跳ね除け跳ね除け眠った。
何処へ連れて行くのか知ら無いが、我々を乗せた貨車は北に向かって走って居る様だ。貨車の箱には左右に入り口の開口部があるだけで全く風の入る所が無い。日中は天蓋(てんがい)が焼けて暑い事暑い事、馬も同様に暑い思いをして居る筈だ。
山の無い広い平野や田園の中を、玩具の様な汽車は遅いスピードでコトコトと走って行った。半日位してピュンタザと云う町に着いた。マンダレー街道に沿った町で鉄道の機関庫がある一寸した町だった。レンガ造りの確りした家や木造でトタン屋根の家が多かった。その様な中程度の町であった。中心に大きな池のある町で、現地人は皆民族の衣装を着て居た。この町の比較的良い家を借り上げて使用した。
我々は異国の兵であるが、一つ場所に別に兵舎を建てて住むのでは無く地域混住の様な状態で民家を借りて住んで居るので、町の人々に接する機会が多く幾らかビルマ人の生活や言葉を見聞した。この頃は、日本軍の勢力が強く、敵の飛行機はこんな普通の町を空襲して来ないので安心して地域内に混住出来たのである。
◆当時のビルマに付いて
民家を借りて居るのだから道を通るビルマの子供が遣って来る。親しそうに「マスター」「マスター」と言って来る。何処の国の子供も可愛いいものである。大人達も道を通って居て目を合わせるとニッコリ会釈し「日本の兵隊さん、今日は」等と片言の日本語で挨拶をする。
初めて見るビルマ人は、男も女も大人も子供も皆ロンジと言って、丁度女性の腰巻きに似たもので少し余裕のある筒状に為って居るものを前の方で絞り大きく結んで腰に巻き付けて居る。別の紐(ひも)で縛(しば)って居るのでは無くロンジの端で上手に結んで居るのだが決して解けて落ちる様な事は無い。下には何も纏ってい無い。上半身にはエンジと云う袖の着いた薄手の上着を着て居る。それだけである。
戦場に架ける橋
男のロンジは茶色等地味なものが多く、女のは赤や緑等派手なものが主で、エンジは白い布のものが普通である。普段の作業着とお祭りで着るものとは色も物も違う。又、上流階級の人の身に着けている者には絹地に金糸銀糸を刺繍(ししゅう)した艶やかなものもある。
履物は普通、皮草履かサンダルの様なものを履いて居るが、子供達は裸足(はだし)が多く大人も農夫等は裸足で固い足の裏をして居る。
ビルマ人の大部分は、我々日本人や中国人と同じ黄色人種で、しかも日本人と殆ど変わら無い様な顔付きをして居る。強いて言えば、我々が夏に日焼けして居る位の色で、中国系の人は美人も多くスリムなスタイルの人が多い。ビルマ人にも色々な人種があり、印度系の人は色が濃くそれ為りの顔立ちをして居る。だが、多くの人は日本人と似て居るので先ず親近感を覚える。
ビルマは長い間英国の支配下にあったのだが、それを駆逐した日本人だと云う事で敬意を以て戦勝者を歓迎して呉れて居る様でもある。日本軍もビルマ進駐当初より軍規を守り決して現地人に対し悪い事はしないで良好な親善と宣撫(せんぶ)工作の結果信頼されて居た。
一般的に貧しいが、仏教国で皆が仏心を持って居て素朴で好感が持てる。後で分かった事だが民族の主流はビルマ族で、カレン族・シャン族・チン族など多くの部族・種族から生って居る様である。
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広い平野に恵まれ、米の大産地だが原始的農作業で牛や水牛による農耕が主である。田舎に行く程住居は見すぼらしく、丸木と竹の柱に竹で編んだアンペラの様な物で周囲を囲み、屋根は椰子(やし)の葉で葺(ふ)いたものであった。寒い国で無いからこれで住んで行けるのだ。
日常生活の主な道具は「オウ」と云う焼き物の瓶(かめ)で、これに水を入れて運んだり米を炊いたり、おかずもこれで煮る等万能の器である。女の人が上手にこの瓶を頭の上に乗せ水を運び、又大きな籠(かご)を頭に乗せバナナやマンゴーを売って歩いたり重い荷物を運んで行き来して居るのを見た。
ビルマでは何と言ってもパゴダだ。ラングーンを初めどんな田舎の町や村に行っても大小様々なもの、金色に輝くものから白亜に引き立つもの時には形の珍しいものなどがある。又、仏像が各地にあり様々な形や姿勢をして居る。
それにポンジーと称する僧侶が多い。僧侶は地域の指導者で知識人であり子供を集めて寺子屋式教育をして居る。又男の子は一度は小坊主に為って修養する事に為って居る。朝は托鉢(たくはつ)に出るのが日課で、大人から子供の坊さんまでが一列に行儀好く並んで歩いて居るのを見掛けた。
僧侶が修行の為お経を唱えながら鉢を持って家々を回りご飯やおかず等の施しを受けるのだが、市民もお祈りの気持ちで托鉢に喜捨(きしゃ)をして居た。ビルマ人の心はこの様にして培(つちか)われて来たのである。 又、僧侶は直ぐにそれと分かる黄色の法衣(ほうい)を着て居るが、格別な地位と考えられて居る。法衣を女性には触れさせず、母と言えどもその例外では無い事に為って居て厳格なものとされて居る。
・・・以上は50年余り前の戦争当時の状況であるが、現在は都市ラングーン(ヤンゴン)辺りは自動車も増え単車も走りテレビも上層階級には普及しており、僅かではあるが高い建築物も建ち変化して居る。しかし、その文明開化のスピードは遅く基本的に大きな変化は無く民情はそのままの様である。尚、政情不安定を伝えられて居るが早く平和で文化的な国として発展する事を祈念する。
・・・戦争中、一部には日本軍に敵対行為をした者も居たがビルマ人の温かい心に支えられ、終戦後の2年間の抑留(よくりゅう)生活中も陰に為り日向(ひなた)に為り俘虜(ふりょ)の我々日本人を気の毒に思って助けて呉れた。その気持と恩を忘れる事は出来無い。これは私個人だけで無く生還した戦友達皆のお礼の言葉である。
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本筋に話を戻そう。ピュンタザの一ヵ月は、空襲も無く平穏な日々が過ぎ要約雨期も終わりに近づいた。汚い話だが、便所に行き下をみるとその辺りで大きな魚が糞塗れに為りバチャバチャ遣って居る。今まで雨期で一帯の水溜まりの中を泳いで居た魚が便所の辺りに来て居る間に雨期が終わり、そこに取り残されてしまい糞魚に為って弱って居る所だ。この様に雨期には家の下迄水が来て湖に為るのだ。
その頃乾期を迎え火祭りが行なわれ、現地人が奇麗なロンジやエンジを着て集まって来た。ビルマの女性は髪にブウゲンビリヤの花を飾るのが好きで、若い女性の華やいだ姿もチラホラ見え若者達も楽しそうであった。我々は見るだけで、中に加わる程の親しさには為って居なかった。
何処の国でも女の子は美しいものだと感じた。メロデイーに合わせて日本語で「今日は〜楽しい〜水祭り〜水を掛けましょう〜あの〜人に〜」と替え歌として歌われて居た。こうして季節の変わり目を祝い豊作を祈願するのだ。
私達のこの頃の楽しみは、鉄道機関区にある大きな風呂に入りに行く事だった。長い期間水浴だけだったのでお湯に入り伸び伸び出来た事は有難く忘れ難い事であった。以後ビルマに居た四年間でドラムカンで湯を沸かし入ったのを除けば、湯ぶねのある風呂に入ったのはこの時だけであった。
ある日、飛行機が一機飛んで来た。「これは日本軍のだ」と誰かが説明した。頼もしく思い飛行機を見上げた。しかし残念乍ら私はその後ビルマに居る間中友軍の飛行機を一回も見る事は無かった。この様に次第に制空権を英印軍に握られてしまうのであった。
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平日は内地に居る時と同じ様に、厩作業や馬運動をし青草を刈って来て与え兵器の手入れをした。又時には士気の高揚(こうよう)図る為野外演習が行われた。 一ヵ所に纏めて炊事場があり、各班は飯上げにそこに行き持ち帰って分けて食べた。ビルマ米は内地米に比べるとパサパサして味が落ちるが、段々と慣れてこんなものかと思う様に為って来た。
軍服もボツボツ傷み掛け、膝拳の所が破れ始めたので木陰の下で慣れ無い手つきで補修し、その後序に洗濯をした。 ♪ 「泥に〜塗れた軍服を〜洗う〜貴方の〜夢を見た〜、本当に 本当に ご苦労ね〜」と云う歌を口ずさみ乍ら。我が家に居れば母親が針仕事も洗濯もして呉れるだろうナアと思いつつ身の廻りの事をした。
その後多少時間もありビルマに来て初めて軍事郵便の葉書を書いた。両親や、勤務先の東京の会社を始め、米沢の彼女 西澤とよ子さん、内田富士雄君の浦和の家等に送った。検閲(けんえつ)があるので元気に遣って居ると近況を知らせる型通りの文面にしか為ら無いが、心の中では本当に懐かしい思いを込めて書いた。
◇移動は続く
ビルマのお寺
◆モダン村お寺の境内
その後、十月上旬には移動が命じられ再び汽車輸送でヘンサダへ行き、そこから河を渡る事と為った。大きい舟が無いので馬を泳がせて幅30メートル位の河を渡ったが、馬も初めての事で馴れ無い泳ぎは下手だが一生懸命に泳いだ。
小舟に乗った兵隊が手綱を持って誘導し勇気付けて遣りやっと渡る事が出来た。又、蚊の大群に襲われ眠る事もどうする事も出来ず一夜を明かした事等、苦しい旅を3、4日続けて後、田園の真っただ中のモダン村と云う平和な部落に着いた。
我々十二班はお寺の境内の一棟を借りた。他の棟には僧侶や中学生や小学生位の子供の坊さんが大勢住んで居り朝夕のお勤めをして居た。我々も一層軍規を厳重に守る様注意した。
同じ境内なので井戸は共同使用で水浴もお互いに時間をズラして決まり好くした。広い境内の離れた林の中に馬を繋いだ。大人の坊さんも青年の坊さんも子供の坊さんも日本語を好く勉強して居る様子で「馬を叱らずに一草を与えよ」と標語を書いて置くとそれを読む様に為って居た。
戦いに勝った国の威信は大したものだと思うと共に、僧侶が知識人の上位にあると言われて居るがまさにそうだと実感した。収穫時を迎えた広い平原の田んぼ一面に稲がタワワに実って居た。流石米の国ビルマであると感じた。
その頃「敵の空挺(くうてい)部隊がグライダーの大編隊で、日本軍の守備の薄い地帯に一気に降りて来るから警戒を充分する様に」とのお達しがされたが、この辺りでは全くそんな気配は感じられずノンビリして居た。
◆歩哨(ほしょう)に立つ
深夜一人で歩哨に立って静かに澄んだ月を見て居ると、何時しか私の心は内地へ帰って居り内地の月も同じ様に出て居るだろうにと思った。星が美しいが、ここは南に寄って居るので内地で見る星座とは少し違う。遥か南の地平線の上に南十字星が十の字を象りサソリ座も大きく端から端まで姿を見せて輝いて居た。
今頃家では何をして居るだろうか?田舎の小学校の校長として父は、戦時下の教育に苦労して居られるだろうナア。 母は父の任地の学区で官舎に住み地元の人との融和に努め内助する立場だが、我が親ながら素晴らしい人柄だから、きっと円満に遣って居られるだろうと信頼して居る。
何にしても物資が無い時勢で苦労されて居るだろう。妹は学校の寮に泊まり勉強して居るが、食物が少なくそれに勤労奉仕で苦しい目に遭って居るのではないか?と思い巡らすのであった。
私が学生生活をした山形県米沢市。下宿させて貰った西澤家には大変お世話に為ったが、戦時下で物資の欠乏はそこにも及んで居るだろう、どんなにされて居るだろうか。取り分け、仄かに思いを寄せて居た言葉の綺麗なとよ子さんは、当時県立女学校(現在高校)へ一番で合格出来たとお母さんが喜んで居られたが、もう女学校の高学年に為り娘らしく為った事だろう。
才媛の面影が懐かしく思い出されて来る。その彼女も今頃はモンペ姿で勤労奉仕に駆り出されて居るのだろうか。
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青春時代、学生時代を過ごした所は誰にとっても懐かしい所だ。紅葉の吾妻(あづま)山、松川の清流、山並みに輝く雪景色、上杉神社の佇まい。それに私は米沢市民の礼儀の正しさと人情の豊かさ親切な心を忘れる事は出来ない。
又、学友達殆どの者が軍隊に入り気合いを入れ頑張って居るだろうが、何処でどんなにして居るか?お互いの消息も無いが皆の顔が浮かんで来る。
一年間勤務した東京無線電機株式会社の川添課長や斉藤係長を初め、先輩、同僚達はどんなにされて居るだろうか?私の手掛けた軍用無線機は実用化され活躍して居るだろうか?
イラワジ河
何時まで、このビルマの地に居なくてはなら無いのだろうか?丈夫で再び内地へ帰れる日が来るだろうか。戦争に勝って早く帰れれば好いが、そう為れば、あの会社に勤めうんと仕事をするのだが。
それから西澤とよ子さんにどの様にして自分の気持ちを伝えようか、等と空想を描いてみるのである。内地を出発以来、新聞も無ければラジオも無く太平洋戦争がどう為って居るか全然分から無い。只、戦争は容易には終わら無い戦い抜かなければなら無いらしい。どうも暗雲に閉ざされて居る様で明るさが感じられ無い。しかし、負ける様な事はあるまいと自分に言い聞かせるのである。兎に角、我々は確りビルマで戦うのだ。そうすれば、何時かは帰れる日が来るのだ。そんな思いが頭の中で堂々巡りをする。
歩哨(ほしょう)に立って誰にも邪魔されず、この様に過ぎし日を懐かしみ、現実を肯定し自分を労わり将来を描いて居ると交替の兵隊が来る。「不寝番交替(ふしんばんこうたい)」「異常なし」「ご苦労さん」と瞑想(めいそう)は破られる。
こうして、比較的平穏な日々が過ぎて行った。しかし鉄道が爆撃を受け直径十メートルもある大きな穴が開いて居るのを見た。この頃から敵の爆撃がビルマの中部平原に対してボツボツ始まった様である。このお寺の敷地に宿営したのは二十日ばかりで又移動した。
今度は鉄道利用、徒歩行軍、その後イラワジ河の支流を舟に乗って遡り、三日ばかり掛けて次の部落レミナへと進んで行った。
つづく
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