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2018年06月28日

一兵士の戦争体験 その2



 その2


 ◆点呼

 軍隊では、朝夕、人員の状況を調べる為の集合があり「点呼(てんこ)」と言って居たが、その日は夜の点呼前に為り、助教の大仲伍長が来て召集兵の皆を整列させた。「気をつけ」「休め」「気をつけ」「休め」と何回も号令を掛け、又「番号」の号令で「一」 「二」 「三」 「四」・・・・と次々に番号を唱えた。
 何回も遣り直しがあり、その後は一人一人を見て回り「お前は腰が伸びていない、シャンとせい」「お前は右肩が上がって居る、少し下げろ」「ああ、よし」等と注意を与えた。

  

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 次は、服装だ。「ボタンが外れて居る」「衿の掛け金が掛かって居ない」「靴下の履き方がだらしない」等と注意を受ける。自分も注意されるのではないかとひやひやする。 ここでも、もう一度「官等級氏名(かんとうきゅうしめい)を言え」と命ぜられ、次々に名乗った。「声が小さい」「発音が不明瞭だ」等と指摘された。その内、週番士官が赤い襷(たすき)を掛けて遣って来た。見習士官であった。週番下士官も付いて居た。教育係班長で助教の大仲伍長が「気をつけ」「敬礼」と号令を掛け「教育隊第四班、総員三十名、現在員三十名、異常無し」と報告した。入隊最初の点呼も無事終わった。

 大森助手が寝床の作り方を教えて呉れた。四枚の毛布を上手に敷き包んでそこに入って寝るのだが、何回か遣ってみた。そして折り畳んで片づける事も早くし無ければならないので皆練習をした。三回、四回と競争させられた。遅い者は「お前は何時も遅い、ナメクジか」と叱られた。
 万事、軍隊は機敏で要領の良いこと、荒くても動作を早くする事が肝心である。やがてラッパが鳴った。消灯ラッパだ、皆用を済まし寝床に入った。電燈が消えた。兵営生活の長い初日を振り返って居るうちに、何時しか眠りに着いた。

       8-30-34.jpg
  
 ◇軍隊生活と教育訓練

 ◆起床


 起床ラッパが鳴った瞬間皆跳ね起きた。六時丁度である。室内は騒然とし大急ぎで毛布を折り畳んだ。少々荒くても何でも好い。早く服装を整え靴を履き外へ出た。
 一番後や後から二番目当たりに為ると叱られ気合(きあい)を入れられるからだ。当時軍隊では、早くしろ、元気を出せ、怠けるな、弛んでいる、しゃんとしろと言葉で注意されるだけで無く鉄拳制裁(てっけんせいさい)をも受ける事と、自分自身に対して勇気を出す様奮起する事をも『気合を入れる』と言って居た。
 何にしても気合を入れ早く行って整列し、上半身裸に為ってワッショイ、ワッショイと掛け声を挙げ乾布摩擦をするのだ。二月の朝六時は薄暗く寒いが、擦(こす)って居ると背中が段々暖かく為った。
 終わると直ぐ上着を着て整列、番号を二、三回繰り返し、ヤット人員異常無し。その内、週番士官が遣って来る。各班毎に異常の有無の報告がされ、軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)の奉読が始まる。

     8-30-35.gif

 一ッ、軍人ハ忠節ヲ尽クスヲ本分トスベシ
 一ッ、軍人ハ礼儀ヲ正シクスベシ
 一ッ、軍人ハ武勇ヲ尊ブベシ
 一ッ、軍人ハ信義ヲ重ンズベシ
 一ッ、軍人は質素ヲ旨トスベシ


 やがて東の空が明るく為って来る。こうして軍人精神を叩き込まれるのだから強く為るのも当たり前であると思った。私生活においてもこれ位の気概で遣れば如何なる仕事も成功するであろうと感心したのである。しかし自分の自由意志のみでは実行する事は困難であろう。こうして強制され皆と一緒だから出来るのだ。

 体も暖まり気合いも入った処で、各班共、当番兵を残して全員厩(うまや)へ隊列を組み駆け足で行くのである。軍隊では大抵の場合駆け足であり歩いて居ては間に合わ無い。ボツボツ歩けば、ダラダラして居ると言って叱られ気合を入れられるのだ。

        8-30-36.jpg
  
 ◆厩動作(うまやどうさ)

 第四班の厩に行くともう古年兵が来て、馬房(ばぼう)と云う馬が一頭ずつ繋(つな)がれて休む場所から馬を外に引き出して居る。新兵の我々がウロウロして居ると、古年兵が「コラ!教育兵、タラタラせずに遣らんか」と怒鳴った。
 厩に入っても何をどうするのか分から無い、その上馬が恐ろしいから手のつけ様も無い。「寝藁(ねわら)を外へ出さんか」と言われて、古年兵が馬を連れ出した後の馬房にヤット入る事が出来た。

 馬糞(ばふん)塗(まみ)れに為った寝藁を手で掴むと、糞の臭いと汚らしさで何とも言え無い。「愚図愚図せんと遣らんかい!」と罵声(ばせい)が又も飛んで来た。 馬の糞と寝藁を担架に乗せて二人で担(にな)って運び出し、広場へ広げて天日に当てて乾かすのである。馬糞の臭い事、生まれて初めて馬糞を手で掴んだのである。
「何を愚図愚図して居るのか」「何をしとるか!」と言われ追い回された。こう為ればもう臭くも汚くも無い。叱られるのが恐くて一生懸命に藁を掴んでは担架に乗せ外に運び出し広げた。

  

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 その内また「お前らは藁ばかり運んで、馬を出さんかい、馬を。お前らはタルンで居るぞ」と来た。サア大変だ。ウロチョロと箒(ほうき)を持ったり藁を運んで、成るべく馬に触れ無い様にして忙しい振りをして居たがもう許して呉れそうに無い。
「馬を連れて出すんだ」と古年兵が言ったかと思うと、アッと云う間も無く私は馬房の中に突き飛ばされた。馬は頭を奥にして繋(つな)がれ尻を入り口に向けて居るので、丁度馬の後足の横辺りに押し込まれた格好だ。馬に蹴られるのが怖くて馬に近づか無いで居るのにこう為っては死にもの狂いだ。外へ逃げて行く事も出来ず、仕方無く馬の腹の横を恐る恐る通って頭の所に行った。

 咬(か)まれるのでは無いかと近づいたが、幸い馬はジーッとして居た。しかしどう遣って繋いだ金具を外すのか分から無い。やっとの事で金具を解き馬を外に連れ出す事が出来た。他の教育兵達もアチラコチラで、「これ位のものが怖いのかバカ野郎」と怒鳴られて居た。
 全部の馬が外に出された。馬の手入れが始まったが、昨日入隊したばかりの我々には全く知ら無い事ばかりだった。何も教えて呉れず「そら遣れ、そら遣れ」だから適わ無い。馬に触った事も無い召集兵ばかりで皆オドオドして居る。
「早く馬の手入れをせんかい、こうやるんだ」「好く見ておけ」と言って、古年兵は馬の前足を引き上げ手入れをし、続いて後足の手入れをした。案外容易くやって居る様である。

「わかったか」「そらやれ」と道具を渡された。彼方でも此方でも馬の手入れがされて居る。早くしないと叱られる、恐ろしいがそんな事を言っては居られない。何が何でも遣らねば為ら無いのだ。古年兵が傍で見て居るのだから仕方が無い。
 恐る恐る馬に近づいた、馬が首を振ってもドキリとする。やっと、前足の所に行き中腰に為り足首を持った。思い切って両手で持ち上げた。案外容易く足を曲げて持ち上げさせて呉れ、先の古年兵が遣った様に膝の上に足首を左手で持って乗せた。手が離れて滑り落ち、ポカリと蹴られはしないかと一生懸命だ。

「お前の持ち方は反対だ。逆に持ち替えろ」と注意された。持ち替えると矢張りその方が確り持てる。右手にへ・ら・を持ち馬の蹄(ひづめ)の裏の汚れを落とした。へ・ら・の当て方によってか、馬が時々足を動かすので無我夢中だった。水の入った鉄製の桶を引き寄せ、た・わ・し・で足の裏を洗った。
 二月の水は冷たく手が凍えそうだ。手がカジカンでも馬の足だけは離しては行けない。離すと私の足を踏みつけたり、暴れる事にも為る。洗った後は蹄油(ていゆ)を塗ってお仕舞だが、二本の前足を済ましてヤレヤレと思って居た。

  

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「こら、早く後足もせんかい」と怒鳴られた。前足より後足の方が一層恐ろしい。一発蹴られたら大変だと思ったが仕方が無い。そろりと左足を両手で掴み引き上げ様としたが上がら無い。もう一度力を入れて引き上げた。今度は案外楽に上げて呉れた。滑り落ちそうに為るのを引き上げ引き上げしながら、どうにか四本の足を済ました。非常に長い時間の様な気がした。
 左右を見ると、今述べた様にして足を洗って居る者や馬の背中を刷毛(はけ)で奇麗にして居る者も居た。上等兵達は皆ノンビリ遣って居るが、新入兵達は恐る恐るして居る。次に馬の胴体の手入作業に入った。大きな鉄製の金櫛(かなぐし)と大きな刷毛(はけ)を使って胴体や足の方まで奇麗にするのだ。慣れた兵隊が遣って居るのを見ると訳無い様だが遣ってみるとどうにも上手く行かない。
 刷毛には毛や垢(あか)が一杯着き、それをどうして落とすのか分から無い。慣れ無い事ばかりである。前に行けば咬まれはしないかと思い、後へ回れば蹴られはしないかと思い、馬が動けばヒヤリとして、恐る恐る触る始末であった。

 それが済むと、馬糧(ばりょう)の豆粕(まめかす)、コーリャン、ボレーマツ、奇麗な藁を小さく刻んで水に漬けたものを混ぜて、馬房の奥にある桶に入れて遣り、その他に乾草(かんそう)を一抱えずつ入れて置くのである。
「ヒョロ、ヒョロせずに駆け足で遣らんか!」又も気合いが掛かり、ドンドン遣らされ息つく暇も無い。次は馬を元の馬房に連れて入れるのだが、どの馬が何処の場所だったか分から無い。

 そこは古参兵「その馬はそこだ」「この馬はあそこだ」と、又「金甲は五番目だ」「その金錦は八番房だ」と馬の名前を呼んで指示する。初年兵の我々は懸命に馬の鼻を捕まえて連れて入れるのである。金具の外し方掛け方も考え乍らの動作でありどうしても早くは出来ない。それに馬が何時どんな動き方をするか分から無いから心配だ。やっと馬を全部厩へ入れた。
 手を充分洗う間も無く、うがい水でガラガラとうがいをして居ると、早くも「集合、駆け足」の命令、夫々の内務班(常に兵隊が起居する所)へ帰る。
 朝飯までに歯磨き洗面終了なのだが丁寧にする暇は無い。当番が、アルミの茶碗に飯をアルミの汁碗に汁を注いで呉れて居る。各人に一杯ずつである。箸もアルミだから割れたり折れたりする心配は無い。大急ぎで食べなければ間に合わ無いのである。

 味わう様な食べ方をする暇は無い。兎に角早い事全部を食べて置かないと次迄腹が持た無いのである。食べ終わら無い内に「全員服装を整え、弊社前の広場、社前(社全)に集合」と助手の大きな声。一寸一服と云ってタバコを吸う間は無い。
 集合すると「右へならえ」 「気を付け」 「番号」これの繰り返しであるが、その前に「集合が遅い」 「最後の三人は、中隊の兵舎を一周走って来い」と、罰として労働を余計に科せられるかビンタかである。

 その時の風向きによると最後の一人には更に「もう一度走って来い」と為る。その人はハアハア息を着きながらヤット帰って来たのに、もう一度とは泣けそうに為るが仕方が無い。続けてもう一度走りに行った。その間じゅう、こちらはこちらで皆「気をつけ」の不動の姿勢のままで服装の検査で帽子の被(かぶ)り方が悪い、服に名前が着いていない等厳しく注意を受ける。
 二回兵舎を回った者がやっと帰って来る。ハアー ハアーと息をし大変苦しそうである。「よし」と言ってやっと許して貰うが、私達教育兵は何時誰がこんな目に遭わされるかも知れ無いのである。昨日から始まった軍隊生活は新兵の誰にとっても厳しいものであった。

     8-30-37.jpg 38式歩兵銃


   ◆兵器受領

 大仲助教は「今日はこれから兵器受領だ」 「駆け足」の号令と共に我々を引率して兵器庫の前まで行った。皆、三八式騎兵銃(さんぱちしききへいじゅう)と帯剣(たいけん)を受け取った。この兵器の番号を兵器係の人が控えて居る。
 又助教から兵器について話があった。「銃には菊の御紋(ごもん)が着いて居る。絶対粗末にしては行けない。銃の手入れい・か・ん・で、その人の精神状態が分かるから、充分手入れをしなければいけないぞ」

 その様な話を聞いて居る最中に後の方でガチャンと云う音がした。皆がハッとしてその方を見ると、新井二等兵がどうしたのか銃をヒックリ返し急いで拾い上げて居るではないか。
「出て来い!」助教の鋭い声がした。新井二等兵の顔色は無かった。「バカヤロウ」と言うが早いか、ポカリ、ポカリと左右の頬を殴られた。「こんな奴が居るからいけないんだ。バカヤロウ!皆も気をつけろ」と大きな声がした。
「兵器を粗末にしたら営倉(えいそう)だぞ、営倉と云うのは軍隊の刑務所だが、そこに放り込まれるのだ。分かったか」と脅された。

    8-30-38.jpg 分解組み立て

 それから細かく、銃、剣の手入れ方法の説明があり、各自、自分の兵器の手入れをした。私は学校で何年も習って来たので容易い事であったが、これ迄に遣った事の無い人に取っては覚え難い様であった。
「一回言ったら覚えておかんか」と怒鳴られて居る。全てこの様に強制的に詰め込む教育である。ガンガンと叱りつけて覚えさせるのである。体で当たって悟らさせるのである。気合いを入れ、殴ってでも遣らせるのである。学校や会社での遣り方とは大分趣が変わって居るがこれが軍隊のスパルタ式教育である。

 一通り兵器の分解、組み立て、掃除手入れの仕方等を教えられて班内に帰った。班内の所定の場所、銃を立て掛ける銃架(じゅうか)に銃を立て架け、枕元の棚の下にある鈎(かぎ)に剣を吊した。
 他人の物と自分の物と間違え無い様に、又間違えられ無い様に気をつけなければなら無い。早速自分の銃と剣の番号と一目見て分かる特徴を覚え右から何番目に置いたかを確認した。暗闇でも握っただけで自分の銃が分かる様にしなければならないのだと教えられた。

 それが済むと、「全員駆け足で外に並べ」の号令で外に出て並んだ。部隊内の建物や設備の位置を知る為駆け足で一周した。一中隊の位置は分かって居たが、二中隊三中隊の建物、聯隊本部、お菓子やたばこや日用品を売る酒保(しゅほ)、炊事場、物干場、将校集会所等々を教えて呉れた。
 未だ十二時前かと思って居たらトックに過ぎて居り、そのまま厩に向かって駆け足だ。馬に昼の馬糧(ばりょう)を遣りに行くのだ。馬は頭を奥にして繋がれて居るので奥にある桶に馬糧を入れるには、馬の尻の側から入り胴体の所を潜る様にして入らなければならない。

  

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 馬は腹が減って居るのでガタガタして居る。慣れて居ない我々には容易な事では無く、またしても恐る恐るの作業である。それが済むと、やっと兵隊達の昼飯と為る。班内に帰って昼飯を食った。飯は幾らか臭いが、腹が減って居るので全部食べた。食事が済みアルミ製の食器を洗って、たばこを取り出そうとした。途端に「貴様らは、食った後の机の上を奇麗に掃除しないのか」と大きな声で雷が落ちた。皆で、零れた飯粒を拾い、机の上を拭いたり床の上を掃いたりした。

 軍隊では金物で出来た丈夫な灰皿を煙缶(えんかん)と云うのだが、「たばこは煙缶の所で吸わ無くては為らんぞ」と言われて居り、やっと火を点けて一服した。今朝から初めての一服であり、何とも言え無い美味しさであった。
 ものも言えず良い気分に為り掛けて居た処、三分も経た無い内に「これから卷脚半(まききゃはん)を着けて舎前に集合」との号令が掛かった。遅く為ればなる程叱られ、余分に駆け足をさせられる事は分かって居る。たばこの火をもみ消し、皆、靴を履き、卷脚半を巻き、外に整列した。

  
 ◆訓練

 午後の訓練は三班と四班と一緒であった。教官は橘(たちばな)見習士官で我々四班担当の助教大仲伍長、助手の大森上等兵。三班にも助教と助手がついていた。
 まず徒手(としゅ)の基礎訓練からである。不動の姿勢「気をつけ」「休め」の繰り返し、敬礼の仕方、歩行中の敬礼、停止敬礼等何回も何回も繰り返しやらされた。午後とは言え寒風の吹く冷たい日であった。
 訓練中に三班の谷田二等兵は教官の目を盗んで、冷たく凍えた手をポヶットに入れた。直ぐに見つかり、教官が「コラ出て来い」と一喝したかと思う間も無くビンタ一つ。激しい一撃で彼はヨロメキ倒れそうに為った。教官は皮の手袋を履いて居て、好いなあと私は思ったが、仕方が無い。今の身分は違い過ぎる。手が幾ら冷たくても我慢我慢。

 その後は駆け足と為り、庭を何回も何回も皆で走った。走る事の苦しさは段々増したが、次第に寒さは感じ無く為った。
 午後の訓練が終わると、又厩行きだ。今度は馬を先ず出して繋ぎ、日中乾かした寝藁を馬房に運び込み、馬糧を桶に入れて遣り、それから馬を連れ込むのだ。これらの動作も皆駆け足だ。歩いて居ると「こら!」と怒鳴られ叱られる。
 夕方の馬の手入れは簡単で、時間は余り掛から無いが、私は馬の出し入れは怖い。やっと厩作業が終わったと思うと「集まれ」の号令、暫くの間「軍歌演習」をした。先輩の兵隊達に先導され、我々教育兵も小さい声で軍歌を歌った。「知っている歌は大きな声で歌え」と活が入る。その頃西の空には夕日が沈み掛けており、一瞬故郷を思った。こうして色々の場面で気合いが入れられ、段々兵隊らしく為るのである。

 やっと夕食の時間を迎えた。肉と野菜のこってりとした汁と漬物と、ご飯の山盛りだが、腹が空いて居たので直ぐに食べ終える。その後、銘々食器を洗いに行くのだが、多くの兵が一度に為るので混雑し時間が掛かり、その上肉の油でぬるぬるしたお碗は洗い難かった。

     8-30-39.jpg  

 ◆入浴その他日課

 それから、入浴しなければいかんぞと言われて居るので大急ぎで行った。風呂場には一杯の人が入って居る。脱いだ服を盗まれる事があると注意を受けて居た。そんな事に為ら無い様に、隅の方に脱いで硬め、その上に眼鏡を置いて間違われ無い様にした。

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 盗まれたらそれまでだ。風呂に入ら無い訳にはいかない。風呂の中では裸だから、二等兵か一等兵かの位を示す肩章を着けていない。ウッカリすれば初年兵の我々は、上級の古い兵隊に何時叱られるかも知れ無い。早く洗って出た方が安全だ。それに服を取られるのを防ぐ為にも、早い方が良い。「烏(からす)の行水(ぎょうずい)」で、石鹸をユックリ使う間も無くサッサと出る。風呂から出ても着替え等は無く、脱いだこの服のみである。同じ物を着て同じ靴下を履き、急いで班へ帰るのである。

 靴の手入れをしたり寝床を用意して居ると、助教が「皆床の前に並べ、早く並べ」と言った。三人が未だ班に帰って居無い事を確認の上、「整理棚の整理が悪いから直せ」と指摘され、皆懸命に直した。
 今着て居る服が下装用の平生着(へいぜいぎ)で、その他に少し良い上装用の服があり、着替え用の下着も同じ棚の上に並べて居るのだが、それ等の整理が悪いとの事である。服は四角に為る様板で叩いて、キッチリ整理しなければならないのだ。

「お前のは何だ、もっとキチンとせい」「お前のは幅が広い。この整理棚に丁度に為る様にするんだ」と一つ一つ注意され、やっと終った頃、三人が戻って来た。
「お前達は何処へ行っていた」助手の厳しい問いに黙って居た。「返事をせい」と言われ「酒保(しゅほ)へ」と小さい声で答えた。「馬鹿者、早酒保へ行きやあがって、靴の手入れも寝床の用意も出来て居ないじゃあないか。それにお前の整理棚は何じゃあ!」と言った調子。三人は呆気に取られて居たが、急いで整理に取り掛かった。

  

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 続いて「中隊長の名前を言える者は手を挙げよ」と問われた。私は直ぐに手を挙げた。続いて五人ばかりが手を挙げた。他には手を挙げる者は居なかった。「お前達はもう忘れたのか、昨日教えたばかりなのに」「お前教えて遣れ」と私が指名された。「金井塚久(かないづかひさし)中隊長です」と答えた。
「そうだ、皆好く覚えて置け」と助手は言った。この辺りから、私は助手に認めかけられて来た様だ。   

 ---この時初めて「金井塚久中隊長」の名前を口にした私だったが、二年半後にこの方の最期を見届ける屍衛兵(しかばねえいへい)に為り、しかもビルマの土地に埋葬する役目を勤める事に為ろうとは思いも拠ら無い事だった。

 点呼前に為り助教の大仲伍長が入って来て「気をつけ」の号令に皆不動の姿勢に為る。それから一巡回って顔と姿勢と服装を見た後「今週の週番士官の実行方針は何か」と尋ねられた。皆ポカンとして居た。「未だ知らないのか、教えて遣る。今週は森野見習士官が週番だ。一つ規律の厳正、二つ起床動作の敏速、三つ敬礼の正確である。好く覚えて置け」やがて点呼のラッパが鳴った。

 週番士官が赤い襷(たすき)を掛けて入って来た。昨日と同じ人であった。大仲伍長が「第四教育班、総員三十名事故無し。現在員三十名」と報告をした。付き添いの週番下士官が記録をして居る様である。森野見習士官は全員を目で追う様にしたが、「よし」と言って立ち去った。
 その後も大森助手から色々の注意があり、消灯ラッパが鳴ると同時に皆ベッドに潜った。今日もこれで一日終わった。寝ている間は誰にも邪魔され無い。

 つづく

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