アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2020年09月24日

「お箸を持つだけなんです。」


ランチに時々伺う和定食屋さんがある。

夫が留守で夕飯が独りなので、そのお店に行った日のこと。



お店に入るとすぐに奥様が、(夫婦二人で切り盛りしている)

「あ、珍しいですね!(いつもはランチ時なのにという意味)」

と声を掛けて来た。



このお店は繁盛しているのだけれど、最近ご主人の体調が良かったり悪かったりで、

営業時間を短縮、営業日も4日/週となっている。

それも、夜まで通して営業は土日だけとなり、普段はランチのみになってしまっている。


だから、余程自分の予定や行動と合わせないとお食事が頂けない。


そんな中、様子を見ながら行ってみたら営業していたので、久し振りとなったのだ。


他のお客さんが帰られたので、奥様と久し振りに話すことができた。

ランチタイムの時など、話す暇など無いし、他のお客様もいる。



最近の営業形態やご主人の体調などの話をしていた。


私も、一度聞いてみたいと思っていたことを訊いてみた。


調理の仕事をしているご主人は家庭の食事は作らないと聞くけど、どうなのかと。


彼女の返事、

「朝から夜まで全部作ってくれるんですよ。朝なんか私より早く起きてお店の準備から全部やって、

二人分の食事が並べてあるんです。だから私はいつも”お箸を持つだけなんです”。」

と、返ってきた。

「え〜〜〜〜!!!羨ましい!。普通の主婦は結婚生活も長くなると、もう食事の支度したくな〜〜い!、って

言ってますよ。それを、全部作ってくれるんですか〜〜?!」

と、私。

一生食事付ってことになる。



お店のお仕事は大変なことがいっぱいあると思うけれど、食事の支度を考えなくていいなんて極楽ですよね。

ほんっと羨ましい!


そんなことが発覚して、久し振りのお喋りの時間を過ごすことができました。


カウンターに置かれた葉っぱが素敵だったので訊いてみたら、里芋の葉っぱでした。

里芋丸ごと一つの、底の方にだけお水を張っておくだけなのでお薦めということでした。

DSC_2119.JPG


こんなちょっとしたことに気を遣っているのがわかるので、そんな所も好きなお店なんです。


我が儘言って写真撮らせてもらいました。


ご主人様のお身体大切にされて、我が儘な営業で構わないので長くお店を続けて下さいと、お願いしてきました。






















2020年09月23日

”老後はむしろ「孤独なほうがうまくいく」理由”

https://ameblo.jp/kickbell/entry-12527477216.html

昨年の今頃の記事のリブログです。


「こんなこと書いてましたよ〜!」を読み返してみました。



敬老の日のニュースが入ってきた。

日本人最高齢117歳で、120歳を目指してお元気に暮らしているおばあちゃまの様子がTVに映る。

おめでたい。


2wPC2K5xwzAN.fckpPiVjNLXPw6hHw4e0zxx8mSRLEieoRrMLEVoAdeAlNSYqKGntJ[1].jpg


が、自分が生きるとなったら、変化の激しい今の社会で生きるのは、どんな世の中になっているのか不安と恐怖で、

勘弁して欲しいナと思ってしまう。





自分が何を思っていたのか?

もう一度読んでみました。



以下当時の引用です。



何か、「老後資金2000万円」なんて年金問題で不安になって、若い楽しい時代から将来の不安の為に、

せっせと預金に励む若者が増えていると聞く。

確かに必要なことかもしれない。



でも、勿体なくないですかね?

若い時は身体は元気でなんにでも挑戦できるし、いろんな経験はその後の人生の幅を広げてくれるし、

行動が広がれば出会う人も増える、それによって益々人生は彩り豊かになる。



だから、貯め込むよりも自分に投資する時間だと思うんです。


この「老後」の記事は逆に若さ溢れる時期をどう生きるかっていうことになるのではないか?

「老後」の様子が見えて、家族がなくちゃ、とか孤独死になるのかなんて思わなくても、

「孤独がうまくいく」なんてことなら、若い時は何でもできそうに思える。


恋愛がうまくいかなくても、してみる。

結婚が上手くいかないかもしれないけど、してみる。

家族が続かないかもしれないけれど、家族作ってみる。


最後に独りになってしまったとしても「孤独がうまくいく」らしいと分かっていれば、

いろんなことやってみておいた方がいいのではない?


そうすると、気持ちは、すご〜く楽ですよね。


この記事は、そんな作用をもたらしてくれそうな思いがしたのです。


以上引用






結果、考え方は変わっていないようです。

今でもそう思っています。


老後が孤独になるのか、沢山の家族や友人に囲まれているのか、人生ひょっとしたことで

流れは変わることもあります。


あまり先のことを心配しないで、目の前にあることをやってみるしかないようです。

どうせやるのなら楽しくやってみたいみたいですね。



まだまだ「with コロナ」ですが、4連休の敬老の日にちなんで考えてみました。



















2020年09月22日

”イタリアでの非常識”

「カプチーノって朝飲むものなの!?」

「子連れ滞在記」さんの記事を読んで先ず、驚いたことでした。

https://ameblo.jp/ortigia5/entry-12624306541.html


カプチーノは朝飲むもの・・・・。

c21d8731c01d52a09ddd060c8d532f71[1].jpg




私は長い滞在ではなかったが、友人の当時カナダ人だったエルサルバドル出身の

日本語の話せる英語講師の女性と二人でイタリア旅行をする機会に恵まれたことがある。


中心はスペインだったが、イアタリアから入り、スペインを回り、バルセロナから南仏を巡り

、またバルセロナに戻るという旅だった。


イタリアのローマだったが、駅で乗り換えの前に、日本の「キオスク」位に手軽なカフェでコーヒーを飲んだ。

それが、美味しかった!

生ハムと野菜を挟んだだけの堅いバタールのようなパンのサンドウィッチも大好きになった。



そんな風にしていて出会ったのがカプチーノだった。

昼間でも飲めたように思ったが、その美味しさに目覚めて、帰国してからもお気に入りの飲み物はカプチーノになっている。

それが、朝飲むものだったとは・・・。


海外滞在者さんの記事は、こういう所が楽しいんですよね。

意外な発見!




記事の中に紹介されている簡単なイタリア語という

YOUTUBEが貼られていて見入ってしまいました。


画面の下に英語字幕があって、英語に堪能なわけでもないのに英語に頼っていました。


そういう意味では英語って世界共通語になっているんでしょう。


海外に住まわれるとこういった番組を観ることによって、益々語学力の幅が広がって、

自然に、勿論ご本人の意識と努力もあることだと思いますが、身に付いていくんでしょうね。


日常生活にはいろんな苦労もおありでしょうが、羨ましい生き方ですね。





























2020年09月21日

「いいね」の奥にある「コメント」。

沢山のブログを楽しませて頂いてます。


本当に、膨大な種類のカテゴリがあって、その数たるや想像の域に収まりません。

そんな中に、直接コメントしたいと思う記事に出会うことがあります。

”生の思い”のやり取りができます。

心温まります。




動物に対する思い遣りに溢れているブログの記事に涙してコメントさせて頂く。

その思いに応えて下さる筆者さんに、また感謝。

o0525108014760398678[1].jpg




映画に深い造詣があって、観たことある映画には懐かしさを、観たことない映画には

興味をそそられる楽しい記事に、

「観ました〜!その曲私も好き!」

とか話題の中に引きずり込まれます。

yjimage[1].jpg


その思いをコメントして、また楽しい返信を頂いたりします。





ご自分のお仕事に真摯に取り組まれていらっしゃる筆者さんには、憧憬の思いを伝えたくなります。

そして、その思いをコメントさせて頂き、丁寧に返信を下さる。

o0610041814287494737[1].jpg





遠くヨーロッパにいて、毎日の事を書いてくださる貴重な体験を読む機会を作って下さる海外のブロガーさん

には、未知の体験に興味や驚きをコメントしないでいられずに正直なコメントを送る。

そんなコメントにも、記事にも勝る程のコメントを返信して頂く。

o2592193614813849982[1].jpg



投稿された記事は、どなたの記事も私の気持ちや知識欲を刺激されるものばかりです。

そして、コメントは個人との交流になります。



直接のお気持ちを頂けるのです。


自分がコメントを頂けば、交流が深まった感があって嬉しいです。


でも、沢山の”いいね”やコメントに返信されるのは大変だろうなとも推測します。




でも、SNS社会によって、お互いに居ながらにしてコメントによって、記事のもっと奥にある

それぞれの方の”生のお気持ち”がうかがえるのって”凄い事”ではないでしょうか?


私は最近そのことで感激しています。


高が?”コメント”?されど”コメント”?



いえいえ、一つ一つが繋がる”スーパーツール”です。


コメントに返信して下さった方々に心よりお礼申し上げます。

これからも宜しくお願いいたします。















2020年09月20日

”猫の首輪。”


https://ameblo.jp/kickbell/entry-12527995248.html

一年前の私自身のブログのリブログです。



ブログトップページの左端に、

「一年前に書いたブログに意見を書いてみよう」

みたいなコーナーがある。


最近、そこに我が家の猫が下向きに写っている。


「う〜ん、あの首輪のことね、書いた書いた。」

と、もう一度読み返してみた。


そうなんだ、あの日からもう一年が経とうとしているのだ。


あれからの首輪跡は順調に回復していることを記しておこう。


DSC_1979.JPG

2020/07/03の写真。


首輪は、散歩の時以外はしていません。

鈴も無しです。


首輪の幅で薄くなっていた毛は大分復活してきましたが前身頃?の方は後ろ足で、

カッカッよく掻くので後頭部よりまだ薄いです。



最近の猫の様子ですが、

今夏はやはり活動が鈍くなったように思います。



最近、3日間位続けて、

「散歩?行かない・・・。」

なんて態度で、私の誘いを無視してました。




ところが、もう陽も高くなった時間になって、

「外に出たいよ〜、玄関開けて〜!」

なんてじっと待ってたりしたのです。




でも、もう屋外が暑くて私の方が散歩に付き合えないので、

「時間外は、申し受けできません。」

と、応じなかった。




こんな時、猫の意志ばかり尊重していると、いつでも何でも応じてくれると、猫本人の我が儘を

通してしまうことになるので、

「するべき時その時を逃してはいけない。」

ということを覚えてもらうように導いていかなくてはいけないと堅く思っているのです。




次の日、私より先に玄関でスタンバイしてました。


また次の日、誘っても動かないので、庭の掃除など済ませて玄関に入ると、

ま〜〜ん丸の目をしてこっちを見ている猫と鉢合わせ。



「もう、お散歩時間過ぎちゃった?!ごめんごめん、行きたかったんだよ〜、もう駄目?」

と確実に訴えている目だった。



「もう、お掃除も終わったけど、しょうがないなア、まだ陽も高くないから行くね!」

と、もう玄関扉に顔をくっつけて上下している猫の首に首輪を付け、散歩開始となった。




猫と人間の習慣の攻防戦だけど、やっぱり”けじめ”だけはお互いに付けておきたいと、

その辺は厳しく接しようと思っているのです。



来年の夏もまた暑いだろうけれど、元気に散歩する一匹の家族でいて欲しいと願っています。
































2020年09月19日

ピンクのマスクを頂きました!

ジムで会うピアノ講師の女性が、


「○○さん、これ。私はネットで買ったんだけど、今はコンビニでも売り出されてるの。

最初はちょっと匂いがするけど、ちょちょって洗えば匂いは取れると思うので使って!」

と、彼女とお揃いのマスクを差し出してくれた。


ピンクで口の周りの空間がたっぷりしていて、彼女が使っている様子は使い易そうで、

お洒落な彼女にとっても似合っている。


DSC_2105.JPG


ジムでもここの所、本当に各人個性的なマスクを着けていて、スポーツブランドのものは、何と一枚3,300円だった
(家族から頼まれて一つ買い取ってあげたそう)というものまで出現!

私はせいぜいユニクロのエアリズム程度のものだから一枚330円。

その差額に大いに話題になった!


と、いうように今、世間でマスク専門店が現れたようにモスクは多様性を帯びた流行へと

成長しているようだ。



話は飛ぶが、マスク専門店の映像がTVで流れているのをジム仲間と一緒に見ていて、

レース仕様のどう見ても、女性の下着専門コーナーのようで、女性は勿論、男性も

ちょっと恥ずかし気な様子を見せていたことがあった。


今はそんな日常になっているのだ。


そんなジムの中で、お洒落っ気もなく、使い捨ての物やユニクロ程度の物で通している

私に、

「一緒に、お洒落なマスク使いましょう!」

と、会ったら渡そうと思ってくれていたようなのだ。


私はグレーか白しか持っていないところへ、ピンク!淡い優しいピンクのマスクなのだ。


何か、頂いて手にとった途端、気持ちがほんの〜り〜、柔らかくなったのを感じた。


嬉しかったな〜。



以前、彼女がジム用の手袋をいつも買い忘れると言っていたので、私のストック用に持っていた分の赤い手袋を差し上げたことがある。

その後はいつもそれを愛用してくれている。


その時の気持ちが、私に巡ってきてくれたのかと、そのことも嬉しかったのだ。


次回は、実用一点張りではない、淡いピンクの使い易そうなこのマスクでトレーニングしてみよう!

彼女とは話す内容も深くなってきていて、お互いの家庭の女性特有の愚痴も吐き出して、

笑い飛ばしています。


益々ジム通いが楽しくなりそうです。
























2020年09月18日

ヴェネチア国際映画祭銀獅子(監督)賞。

黒沢清監督おめでとうございます!


「スパイの妻」ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞!

北野武監督の「座頭市」から17年振りとのこと。


dKhpkWFxwzATyMonL94UPkWzQh7r6iWULfTTOHshtos8SHXLmeoyhHygWLCYyytU082Lew--[1].jpg

現地時間9月12日夜7時より開催された第77回ベネチア国際映画祭授賞式。黒沢清監督が銀獅子賞(監督賞)を受賞した。

日本人として同賞受賞は第60回北野武監督『座頭市』以来、17年ぶりの快挙。

 作品賞に当たる最高賞、金獅子賞にはクロエ・ジャオ監督の『Nomadland』が輝いた。



映画監督・黒沢清が、主演に蒼井優を迎え、高精細8K撮影に挑む話題作!戦争という時代のうねりに翻弄されながらも、

自らの信念と愛を貫く女性の姿を描くラブ・サスペンス。


NHK放送予定未定。





あらすじ

1940年、神戸で貿易会社を経営する優作(高橋一生)は満州に渡り、偶然恐ろしい国家機密を知る。

正義のために一連の出来事を明るみに出そうとした彼は、反逆者とみなされてしまう。

優作の妻の聡子(蒼井優)は反逆者と疑いの目で見られる夫を信じ、スパイの妻とそしりを受けても、

愛する夫と手に手を取って生きていこうと決意する。


映画公開は10月16日(金)全国ロードーショー。


公開が楽しみです!




前日「小津安二郎監督」のことを記事にしていた私が「これを!」と思ったこと、

何か不思議な縁があるのかも知れません・・・。



小津監督が喜んでおられるのかもしれません。










2020年09月17日

小津安二郎さんのこと。

「歴史秘話ヒストリア小津安二郎」


というNHK番組が気になって録画設定した。

2020/09/12.NHK総合。


以下

「こいもうさぎのブログ」から引用


日本国内の評価は「退屈な映画」と散々だった。

小津さんの作品は、映画評論家からの評価は高かったものの、一般的な評価はそれほど高くなく、小津さんが所属されていた「松竹大船撮影

所」の若手スタッフでさえ、いつも同じような映画を作る老成した巨匠

くらいにしか考えていなかった人も多かったそうです。

(戦後は、日本的な伝統美ばかりを撮っていたため、社会問題に背を向けていると批判を浴びたこともあったようです)

しかも、映画監督である山田洋次さんでさえも、黒澤明さんの作品は評価されるも、小津さんの作品に対しては、


いつも同じような話ばかりで何も起きないではないかと、批判されていたのだそうです。


フランスを中心に海外から高評価。

このように、小津さんは、長い間、日本での評価はあまり高くなかったのですが、1960年代に入り、「

東京物語」(1953年)が海外の映画祭で初めて上映されると、

小津さんの死後、1963年には、フランスを中心に国際的に評価が高まり、アッバス・キアロスタミ(イラン)、

ヴィム・ベンダース(ドイツ)、侯孝賢(台湾)といった、海外の映画監督、著名な映画人が次々に小津作品への敬愛を

口にするようになります。


上記引用


51AKGQ05VBL._SX332_BO1204203200_[1].jpg

1963年12月12日(自身の還暦の誕生日)午後12時40分、「腮源性癌腫」で60歳で他界された。

(死後には、「勲四等旭日小綬章」が追贈されています。 )

こんなに若くして亡くなられたことは知らなかったので驚いている。


お二人のブロガーさんの記事を引用させて頂き、小津安二郎さんという映画監督さんのことを知ることができ、

私のブログに記憶させて頂くことができました。

感謝です。




ここからは

「サイレントノイズ」さんのブログから引用させて頂きます。

「歴史秘話ヒストリア小津安二郎」の内容となります。




「歴史秘話ヒストリア」小津安二郎。2020年9月12日 。


歴史の中に埋もれた物語を掘り起こし、毎回再現ドラマとともに過去を生きた人々やエピソードを伝えるNHKの番組

『歴史秘話ヒストリア』、今回のお話は【小津安二郎 日常というドラマ】。

名作『東京物語』など家族の日常のドラマをテーマとして描き続け、その端正かつ独特なスタイルで海外にもファンの多い

日本映画の巨匠、小津安二郎。

その小津監督の若き日のエピソード、貴重なフィルムや若かりし頃の写真、撮影中を写したものなどが紹介されて、

非常に興味深い内容だった。

また小津がなぜ家族にこだわったのか、また生涯独身を貫いた彼がどうして家族の物語を生み出せたのか、

番組はその経緯と心の動きを丁寧に追っていく。



小津安二郎は東京の深川で1903年に生まれ、商家の次男として育った。

9歳で三重県に移り住み、伊勢の地でヤンチャをしながら青春を謳歌したそうだ。

そんな彼を夢中にさせたのが活動写真、学校から鑑賞を禁止されたことが、余計に彼をのめり込ませることになった。



高校受験を間近に控えた10代なか頃、小津は仲間と共に映画を観ては批評をし、新聞社へ投稿したり同人誌を発行したりしていた。

その原稿の中には「日活に名監督が一人欲しい」と書かれていたりするのが微笑ましい。


そして小津の日記には鑑賞した映画の題名がズラリ、一年で40本近く観ているようだが、当時の環境を考えるとかなりのものなのだろう。


そんな中、小津の運命を変えたのがアメリカ映画『シヴィリゼーション』(1916年)、戦争によって翻弄される人々を描いた超大作だ。

ドラマチックなこの作品に心を揺さぶられた小津少年、以降映画監督を目指すようになった。

だが映画に夢中になりすぎ、高校受験には失敗。

小学校の代用教員の職に就くが、映画監督への思いは消えず1年で退職。

つてを頼って、23(大正12)年に19歳で松竹キネマ蒲田撮影所へ入社している。

撮影助手から始め、数年後には助監督となって映画人生をスタートさせた。




27年、開明派の撮影所所長・城戸四郎に見込まれ昇進、時代劇『懺悔の刃』(野田高梧、脚本)で監督デビューを果たす。

番組では「カレーライス事件」が昇進のきっかけになったように語られているが、そこは未確認なので面白エピソードのひとつと

捉えた方がいいだろう。




現存する小津最古の映画とされているのが、29年の『学生ロマンス 若き日』。

後年の渋い小津作品からは想像も出来ないような、明朗で無邪気な青春映画である。

スキーで転ぶシーンでは、カメラも一緒に転倒。

アメリカ映画に影響を受けた小津らしい、バタ臭いというくらいにハリウッド的な作品だ。

その頃の小津は、こういった作品を多く撮っていたのだ。




その後、『大学は出たけれど』『東京の合唱』『生まれてはみたものの』『一人息子』などの作品で小津はその名声を高めていく。

小津映画の代名詞ともなる「ローポジション撮影」を使うようになったのもこの頃だ。

小津がはっきりその意図を説明しなかったため諸説あるが、やっぱり日本間に合う安定した構図になるということなのだろう。




37年に招集され、戦地に趣くことになった小津。

親しくしていた後輩の山中貞雄監督と戦地で偶然出会うが、再会を誓った数ヶ月後に山中は病死、小津は大きな衝撃を受ける。

それら体験した戦争の悲惨な現実が、のちの人生観に大きな影響を与えることになった。




41年、小津は撮影現場に復帰。映画への検閲が厳しくなる中、帰還後の第一作としてあえて戦争をほとんど描かない家族物語

『戸田家の兄妹』を監督する。

非日常の中で感情が失われてしまう戦争を描くより、日常的な家族を扱うほうが人間の本質に迫れると考えたからだ。




日米開戦後、戦争記録映画を撮るためシンガポールに派遣された小津。

そこで米軍から押収した、『風と共に去りぬ』『市民ケーン』『嵐が丘』など100本以上のハリウッド映画を鑑賞。

それらの作品群に圧倒された小津は、家族の日常を描くことこそ自分が目指すものだと確信する。




昨年、小津監督の故郷、東京深川で貴重な資料が初めて公開された。

代表作『東京物語』の製作過程を記録した、1,000枚近くの写真によるアルバムだ。

昔の写真だけに多少不鮮明だが、老夫婦が熱海の防波堤に腰掛ける有名なシーンの撮影の様子を見るだけで、ちょっと感激してしまった。



その写真の中で、小津監督に寄り添うように写っていたのが、野田高梧。

黒澤明に橋本忍・小国英雄、溝口健二に依田義賢がいたように、戦後の小津作品を支えた名脚本家である。




終戦後復員した小津は『長屋紳士録』(47年)のあとに『風の中の牝鶏』(48年)を発表。

だが戦後の荒廃を夫婦の危機に反映させた意欲作『風の中の牝鶏』には、「時流に迎合した失敗作」

(当時、民主主義を啓蒙した映画が沢山作られていた)との低評価がなされてしまう。

「こんなものを作ってちゃ駄目だ」と、監督デビュー時から仕事をしてきた野田高梧も厳しく批判、小津はその批判を素直に受け入れた。

そして自身の持ち味である様式美スタイルを生かすため、中流階級の穏やかな生活の中で家族の本質を描こうとした。




そして出来上がったのが、小津の復活作となった『晩春』(49年)だ。

父娘二人の日常が淡々と綴られる中、結婚を巡る心のひだも丁寧に描かれて高い評価を受けた作品である。

小津は野田と脚本に1年を掛け映画化。『晩春』の成功により、以降二人は62年の『秋刀魚の味』までコンビを続けていくことになる。




番組では小津作品を陰で支えた野田の家族にも言及。

原稿の清書を担当した野田の娘、玲子の存在は、『晩春』『東京物語』『麦秋』のいわゆる「紀子三部作」で

原節子の演じたヒロイン像に投影されているそうだ。

小津の描く日常は、野田一家を通した家族の姿なのだろう。




番組の最後は、小津監督の遺作『秋刀魚の味』で、笠智衆の娘役を演じた岩下志麻さんが語るエピソード。

映画の終わり近く失恋の悲しみを表現するシーンで、巻き尺を手に巻き付ける仕草に100回を越えるNGを出されたが、

意味も分からず同じ事を繰り返していた岩下さん。



終了後食事に誘われ、岩下さんは小津監督から「悲しいときに悲しい顔をするもんじゃないよ、人間の喜怒哀楽は

もっと複雑なものだよ」と言葉を掛けられた。岩下さんにとって、それが演技の原点となったそうだ。



上記引用













2020年09月16日

NHKBSP「映像の世紀」-世界を変えた女たち-

2020/09/12(土)、

NHKBSPで放送された「映像の世紀」を観ることができた。


65444[1].jpg



以下引用

●『映像の世紀プレミアム 第3集「世界を変えた女たち」』
NHK BSプレミアム 12月3日(土)午後7時30分〜 午後9時00分

20世紀、女性たちは自由を求め、愛を貫き、誇りをかけて戦った。世界大戦中のパリで斬新なファッションによって女性たちをコルセットから解放したココ・シャネル。女性参政権運動などで活躍してFBIに監視されたヘレン・ケラー。米軍の指令を帯びて日本へ新婚旅行に訪れたマリリン・モンロー。夫の血が染まったスーツで次期大統領の宣誓に立ち会ったジャクリーン・ケネディ。激動の時代を生きた女性たちの知られざる物語である。

(2016年当時の記事)


上記引用



2020年現在の、9月12日土曜日の、BSPでの「名探偵ポアロ」(午後5時台〜6時)が終わった途端にこの映像が流れた。

予定していなかったことで、すぐに番組表を確かめて録画設定した。

CMも入らずに、ビクトリア女王、そしてその死去、そこに孫の、後のドイツ皇帝とイギリス国王の姿が映る。

20世紀の始まりの映像だった。


そして、息をつく間も無い程の映像が流れる。


ロシアのロマネフ王朝の家族、その後国民の手で処刑された事実。

18歳の現エリザベス女王が軍隊に志願して国民と一緒に一兵士として働く映像。

スイスに亡命したココ・シャネル。

ヒトラーの愛人のエヴァのスイスでの映像。

社会主義に抵抗してその意志をメキシコオリンピックの表彰台で示したチェコスロバキアの体操選手のチャスラフスカさん。

20161203230228[1].jpg

文化大革命を率いて、毛沢東亡き後の裁判で死刑判決を受けた時の江青の映像。

まだまだ、ヘレンケラー、ジャクリーン・ケネディ、マリリン・モンロー、等々が流れた。

驚いたことに原節子さんの映像もあった。


写真で見たことはあっても、動画であって音声もありのこれらの映像は、

今のSNS社会でも、これだけの映像を探し出すのは困難を極めるものだと思った。

これらを残したいと思った。

ソビエトのベルリン侵攻の際に女性兵士としてやって来た19歳の女性が交通整理をする凛とした姿も印象に残る。

そうした一般人の女性たちも兵士として世界大戦の中で戦った姿は、日本では見られなかったものだ。

その強さに、只々驚くばかりだった。



だから、これをどのように伝えたらいいのかと迷った末、以下の日記を引用させて頂くことにした。

映像内容を文章化して下さってます。


2017年3月22・23・24日に掲載されたものです。

只、写真も動画も無いのが残念です。

私は録画映像を永久保存版にします。




以下引用です。


mixiみんなの日記

NHK-BSの優れたシリーズである[映像の世紀]、その特別編第3集は『世界を変えた女たち』である。
昨2016年12/3に放送されたものだが、ようやく観る事ができた。

この特集では「激動の時代を生きた女性たち、世界に立ち向かった女性たち」を、新たに発見された歴史的な映像を中心にして物語る。
追った時代は19世紀末〜21世紀の現在に至る。
ここでは、番組で語られた言葉の多くを借用してレポートする。



NHK-BS[映像の世紀プレミアム]第3集『世界を変えた女たち』〜その1

https://open.mixi.jp/user/3341406/diary/1959373997



NHK-BS[映像の世紀プレミアム]第3集『世界を変えた女たち』〜その2

https://open.mixi.jp/user/3341406/diary?page=1&month=3&day=23&year=2017



NHK-BS[映像の世紀プレミアム]第3集『世界を変えた女たち』〜その3

https://open.mixi.jp/user/3341406/diary?page=1&month=3&day=24&year=2017



























2020年09月15日

楽しい時間帯!

ジムで初対面の人を紹介された。


いつも同じ時間帯でトレーニングする女性のお知り合いの方だった。

もう5年も前に設立されたこのジムにエアロビクスの仲間と、エアロビクスのクラスが閉鎖されたために、

そのインストラクターが移る当ジムに一緒に移ることになったという経緯があった。


エアロビクスのインストラクターは元々ボディービルダ━たった人物たったからだ。


その後、経営者側の問題などいろいろあって、エアロビクスの仲間は、

黙々とトレーニングすることが合わないと辞めていったりして私だけが残って続けている。


私は新設の、器材が揃った機能的な、大き過ぎないサイズの当ジムを気に入っている。


自分の利用できる時間帯で、自分の生活リズム、体力に合わせて使用できる大切な場所となっている。


DSC_1940.JPG


友人には友人達の好みと考え方があるので、お互いに理解し合っていて、ジ厶の他のお付き合いは今でも続いている。

それでいいと思っている。


残留組の私は寂しいかというと全くそんなことはない。


そこにはそこの新しい人間関係が育くまれていくのだ。





そこで、話を元に戻すと、初対面の方を紹介してくれたのは、利用時間帯が同じ頃で、よくいろんな話をする

機会がある女性だ。

ここの会員になった時期も同じ頃、開設と同時だった。


だから、彼女は私と一緒に移ってきた友人たちのことも知っている。


後日談の中で、

「お友達は辞めてしまったりしたんですよね?」

などと、認識していたことを話していた。



それからは、彼女ともいろんな話をするし、元々女性会員が少ないこともあって、お互いに

近しい仲になっていて、話の内容も増えている。


だからなのか、その初対面の方が

「ここでの、楽しい時間帯だと、いろんなお話聞いています。」

と、言われたことが嬉しかった。



人間関係は、どんな時からでも育っていくものなんだと、ここ数年の間の周りを見渡すと、

以前からすれば、こういう男性たちといろんな話をするなんてことは考えられなかったが、

世間話から、冗談から、趣味の話まで気楽に交わしているのが日常になっている。



人とのお付き合いに狭い門など設けることなく、これからももっともっといろんな友人と出逢えるように、

動いて行こうと思っている。

















ファン
検索
<< 2021年08月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。