2020年12月02日
【名言考察】ガンジー:『弱い人ほど、人を許すことができない。許すというのは強さの証だ』 〜果てしない競争から降りる勇気〜。
<ガンジーの名言>
弱い人ほど、人を許すことができない
許すというのは強さの証だ
人を許せない人は不安でいっぱいだ。
人を許さないことで、
自分の正しさを確認しないと崩れてしまう。
人を許せる人は知っている。
人より正しくないからといって、
自分の価値は下がらないことを。
ー目次ー
なぜ人を許せないのか。
それは、
自分が許せる範囲が極端に狭いから。
自分が許せる範囲が”正しいこと”で、
それが狭ければ”正しくないこと”が増える。
”正しくないこと”が増えると、
周りは自分の正しさを脅かす”敵”に見えてくる。
敵が増えると不安になる、
勝たなければ安心できなくなる。
不安を解消するため、安心するため
「人を許さない」という勝負を仕掛ける。
その勝負に勝つことで、
極端に狭い”自分の正しさ”を確認する。
こうして、ますます
”自分の正しさ”から外れる者を
許すわけにはいかなくなっていく。
なぜ、自分が許せる範囲が極端に狭いのか。
それは
許せる範囲が極端に狭い人に
強い影響を受けてしまったから。
特に幼少期は、親や周りの大人に従い、
認められることが生き残る条件。
大人に認められるためには
大人が求める”こうあるべき正しい人”に
自分を差し込む必要がある。
それが、自分が望む本来の姿でないとしても。
大人が求める
極端に狭い”正しい自分”でいなければ
周りに認めてもらえず、生き残れない。
だから必死に”正しい自分”を演じる。
そして
いつしかそれが自分の価値観になる。
自分が望む本来の姿と、食い違ったまま。
人を許せる人だって、
本当は人を許すことが怖い。
自分が許せる範囲外のことを
受け入れるのは大きな恐怖。
自分の安全や、心の平安が
脅かされるかも知れないから。
それでも、なぜ人を許せるのか。
それは
自分が許せる範囲が広い
だけでなく、
正しさの勝ち負けで
自分の価値は下がらないことを知っているから。
そして、
自分の価値は自分で決めていいもので、
他人や勝敗に認めてもらうものではないから。
人を許したから負けじゃなく、
負けた自分はダメでもない。
自分の価値は、自分の中にある。
比較や勝負を繰り返して、
外から必死で引っ張ってくるものじゃない。
人間の価値は
勝敗で決まらないことを受け入れる
許せないことを受け入れる時の
恐怖と向き合う
そうやって、
果てしない競争から降りることができた時、
人は人を許せるんじゃないだろうか。
そして、ガンジーはそのことを
「強さの証」と言ったんじゃないだろうか。
人を許せない基準。
それはきっと、
自分で作ったものじゃない。
生き残るため、
周りの大人たちからの要求に、
自分を差し込み続けた末にできたもの。
弱い人ほど、人を許すことができない
許すというのは強さの証だ
人を許せない人は不安でいっぱいだ。
人を許さないことで、
自分の正しさを確認しないと崩れてしまう。
人を許せる人は知っている。
人より正しくないからといって、
自分の価値は下がらないことを。
ー目次ー
- 人を許さないのは、自分の心を守るため
- 人を許せない人は、”正しい自分”を演じてきた
- 自分の価値は、他者との比較や勝負で下がることはない
- 競争から降りる勇気、恐怖と向き合う強さ
1.人を許さないのは、自分の心を守るため
なぜ人を許せないのか。
それは、
自分が許せる範囲が極端に狭いから。
自分が許せる範囲が”正しいこと”で、
それが狭ければ”正しくないこと”が増える。
”正しくないこと”が増えると、
周りは自分の正しさを脅かす”敵”に見えてくる。
敵が増えると不安になる、
勝たなければ安心できなくなる。
不安を解消するため、安心するため
「人を許さない」という勝負を仕掛ける。
その勝負に勝つことで、
極端に狭い”自分の正しさ”を確認する。
競争や勝ち負けを意識すると、
他者全般、ひいては世界のことを
「敵」と見なすようになります。
たとえ敗者にならず、勝ち続けていようとも、
競争の中に身を置いている人は心の休まる暇がない。
『嫌われる勇気』”敵と仲間について” より
こうして、ますます
”自分の正しさ”から外れる者を
許すわけにはいかなくなっていく。
2.人を許せない人は、”正しい自分”を演じてきた
なぜ、自分が許せる範囲が極端に狭いのか。
それは
許せる範囲が極端に狭い人に
強い影響を受けてしまったから。
特に幼少期は、親や周りの大人に従い、
認められることが生き残る条件。
大人に認められるためには
大人が求める”こうあるべき正しい人”に
自分を差し込む必要がある。
それが、自分が望む本来の姿でないとしても。
大人が求める
極端に狭い”正しい自分”でいなければ
周りに認めてもらえず、生き残れない。
だから必死に”正しい自分”を演じる。
そして
いつしかそれが自分の価値観になる。
自分が望む本来の姿と、食い違ったまま。
3.自分の価値は、他者との比較や勝負で下がることはない
人を許せる人だって、
本当は人を許すことが怖い。
自分が許せる範囲外のことを
受け入れるのは大きな恐怖。
自分の安全や、心の平安が
脅かされるかも知れないから。
それでも、なぜ人を許せるのか。
それは
自分が許せる範囲が広い
だけでなく、
正しさの勝ち負けで
自分の価値は下がらないことを知っているから。
そして、
自分の価値は自分で決めていいもので、
他人や勝敗に認めてもらうものではないから。
主張の正しさは勝ち負けとは関係ありません。
あなたが正しいと思うなら、他の人が
どんな意見であれ、そこで完結するべき話です。
誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、
権力争いから降りること、これらはいずれも
「負け」ではありません。
『嫌われる勇気』”権力争いについて” より
人を許したから負けじゃなく、
負けた自分はダメでもない。
自分の価値は、自分の中にある。
比較や勝負を繰り返して、
外から必死で引っ張ってくるものじゃない。
4.競争から降りる勇気、恐怖と向き合う強さ
人間の価値は
勝敗で決まらないことを受け入れる
許せないことを受け入れる時の
恐怖と向き合う
そうやって、
果てしない競争から降りることができた時、
人は人を許せるんじゃないだろうか。
そして、ガンジーはそのことを
「強さの証」と言ったんじゃないだろうか。
人を許せない基準。
それはきっと、
自分で作ったものじゃない。
生き残るため、
周りの大人たちからの要求に、
自分を差し込み続けた末にできたもの。
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