1977年10月6日、セロ市でのマルティーレス・デ・バルバードス・スポーツ・イニシエーション学校の開校式での演説。
フィデルはつねにスポーツ練習の愛好者であった。ベレン学校の学生時代から、その後のハバナ大学の時期まで、野球やサッカー、バスケットボールを練習した。
このキューバ革命の指導者にとって、スポーツはつねに国民の権利であった。そのため、1959年の革命勝利以降、いまから56年前に、法令936に基づき、国立スポーツ体育・レクリエーション協会(INDER)を創設し、スポーツの大衆化を実現させた。
INDERは、子どもたちから老人たちに至るまで、スポーツ実践の習慣を発展させ奨励させるための政策を通じて、国民の生活や文化の質を向上させる任務を負ってきた。また、国内外の競技場での将来の王者を育てることを主要な目標として取り組んできた。
スポーツの発展についてフィデルは1977年9月2日、サンティアゴ・デ・クーバでの「オレステス・アコスタ」スポーツ・イニシエーション学校(EIDE)の開校式で次のように表現した。
「われわれの革命は、スポーツは国民の権利であるという原則を謳っており、そこに、スポーツはまた国民の義務でもある、と付け加えることもできよう。」
「わが国のスポーツ政策は、スポーツに専念する子どもたちや若者たちの心身およびスポーツ的レベルの発展にも取り組んでいる。国内外の大会を開催するために、競争力のあるそのキャパシティーを最大限に発展させることを目的としている。」
「すぐれたスポーツ選手となるには、まず第一に、規律が求められる。人格が求められ、スポーツへの興味や情熱が求められ、そしてとりわけ、献身が求められる。」
1960年2月14日から29日まで開催された第九回中米カリブサッカー選手権開会式で、ニカラグアとアルバの試合の始球式をおこなうフィデル。キューバ代表チームのユニフォームを着ている。(撮影:リボリオ・ノバル)
1959年7月24日、セロ球場での軍警察チームとの野球親善試合で、バルブードスのユニフォームを着たフィデル・カストロとカミーロ・シエンフエゴス。
1964年1月2日、革命五周年記念式典で、五輪陸上競技銀メダリストのエンリケ・フィゲロラからトーチを受け取る。(撮影:リボリオ・ノバル)
1943年、ベレン学校のバスケットチームのメンバーとして練習中。
このような写真をもっと見たい方や、キューバ革命指導者の思想や行動を知りたい方は、専用サイト「フィデル、思想の戦士」まで。
Fidel, principal impulsor del deporte en Cuba
http://www.cubadebate.cu/noticias/2017/02/23/fidel-principal-impulsor-del-deporte-en-cuba/#.WLNMXtLhDIU
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