2016年09月12日
フレデリク・セペダ インタビュー WBC出場を夢見ている
サンクティ・スピリトゥスのFrederich Cepedaは、すべての監督が自分のチームに欲しがる種類の選手である。ミート力があり、パワーがあり、勝負強く、キューバ野球では数少ないスイッチヒッターの一人であるこの打者は、ここ数年とても複雑な時間をすごしてきた。日本での成績はその期待にこたえられず、最近二度の手術を経験した。
今季第56期リーグでの復帰後、彼は高いレベルの成績を残している。肉体的な回復はまだ5割という状況でありながら、打率はリーグ2位の.439、本塁打は6本を放ち、出塁率.549とOPS1.256はともにリーグトップである。彼の歴史、考え、理想は、“imprescindible”(必要不可欠な)と形容されたあの最初の日と同じくいまも有効である。
- 手術後の復帰までの準備について教えてください。
はじめは今年1月に膝を手術した。以前も手術した箇所だったが、また半月板を痛め、手術しなければならなかった。回復は通常3ヶ月くらいかかる。でも松葉杖なしで立って歩けたときに、あわせてリハビリできるように、肘も手術することを決めた。
この肘の手術は、トミー・ジョンといわれる有名な手術で、投手や外野手によくおこなわれるものだ。たとえばキューバではYoandri Urgellésもこれをおこなっている。職業野球ではしばしばあることで、投手の場合回復にはだいたい1年かかる。リハビリと物理療法でとてもゆっくり準備していくからだ。
では私の場合どうだったか。手術後3〜4ヶ月で、軽いキャッチボールと素振りを始めた。それから少しずつ、実際の投球に慣れていった。リーグ開幕が早まったのは知ってたし、私はプレーしたかった。
- 現在は痛みなどはまったくありませんか。
肘にはまったくない。すべてゆっくりやってるし、大きなスイングはしていない。いまは調整しながら始めた段階だ。というのは、日本から戻ってきてからは、ほんの少し前まで、実際の投手の球を見ていなかった。思い出してほしいが、私はプレミア12にも、カリビアンシリーズにも参加していない。コロンビアに行くのを待っていて、でもそれが遅れて、あっちにいたのは1週間だけだった。手術のためにキューバに戻ることを決めたのは、どの国際大会にも選ばれてなかったからだ。そういうわけで、私の調子はまだ50%くらいだ。
- 今季における目標というと何になるでしょう。
代表チームのメンバーにまた選ばれることだ。来年のWBC大会への参加を夢見ている。WBCに4回出場する唯一のキューバ選手として、各大会で安打、打点、本塁打、得点などを残せば自分としてもキューバにとっても記録になるだろう。いま私にとってもっとも重要なことは、健康であり、家族であり、野球をプレーするなんだ。カリビアン・シリーズのMVPを連続で獲得するという考えもあったが(2015年に獲得)、それはできなかった。そのとき私は契約にかかわっており、召集されなかった。
- あなたを招集すべきだったと思いますか。
もちろん。ときおりこういった不公平なことがおこなわれる。私の考えでは、召集すべきだったと思う。たとえばプレミア12のときも、私は日本で契約を履行中で、召集されなかった。しかし、トロントでのパンアメリカン大会には召集され、アジアからアメリカまで、22時間飛行機に乗らなければならなかった。時差に適合し、1週間試合をした。これは他の要因にも左右される戦略的事柄だ。私の立場でできることは、これまでいつもやってきたように、献身と犠牲の精神で、野球をプレーし続けることだ。
- 今季は個人記録を積み上げたいとも言われてましたね。
2000安打に近づきたいし(11日現在1776安打)、二塁打はもう少し増やしたいし(現在344本で歴代10位)、300本塁打には届きたい(現在271本)。日本にいた2年間分遅れてしまい、一時帰国した最初の年は20試合程度しか出場できなかった。昨年帰国したときはもうシリーズは終わってしまっていた。
- 日本での成績には何があったんですか。
期待されたことを達成できなかった、と何度も言ってきた。あそこで一緒にいた若者たちには敬意を表したい。Yulieski Gurriel と Alfredo Despaigneは、同じ状況の下で、よりよい成績をあげた。後者は現在日本にいるラテン系選手のうち、もっとも必要とされている選手の一人である。
どの球団に加入するか、またどういう機会を得るか、にもよってくる。私は契約したとき、準備のための時間をもらえると聞いていた。われわれがまだ日本リーグに慣れていないと彼らもわかっていたからで、何日か二軍で調整できるといわれていた。しかし実際はそうはならなかった。
日本に着いて2日目、私は読売ジャイアンツの歴代80人目の4番打者になり、2度打席に立った。はじめはまあまあだったら、そのあと60打席段階で打率は.190になった。もうそれ以上上がらなかった。そのあと代打として使われたが、そこでの条件はとても厳しいものだった。というのは球団は一軍で4人以上の外国人選手を持てない決まりだったからだ。私は二軍に行かされた。一軍の外国人選手の調子がよければ、もうほかは誰も一軍に上がれない。二軍でも私は代打をまかされた。私が所属するリーグでは指名打者の制度がなかったからだ。私は正当化することなく言うことができる。望んだ結果を私は得られなかった。
- それでもなにか得られたものもありましたか。
プロ野球についての多くのことを学んだ。倫理規定や、トレーニングシステムなど。野球というのは、われわれがこれまで費やしてきたような練習をするにはとても厳しいスポーツである、ということを再確認した。プロ選手であるためには、また何らかの球団に属するには、多くの条件を必要とする。大事なことは、そこにたどり着くだけではなく、維持していくことなんだ。
- キューバ選手の海外リーグ加入についてはどういう意見ですか。
高いレベルのほかのプロリーグとさらに交流していくことは、われわれには何よりもまず必要なことだ。なぜなら、われわれが唯一加入できるのはいま日本リーグだけだからだ。契約について我々が学ばなければならないことや調整できることはたくさんある。たとえば、私は二軍にいたが、キューバから向かうときには事実とは違うことを吹き込まれていた。二軍から一軍にあがることはとても難しい。
海外にいる契約選手にはもっと親身になって接するべきだと思う。誰も選手を訪問してこないし、どんな調子か見にくることもない。弁護士が無理なら、INDER(キューバスポーツ協会)の代表者か誰かがそれをすべきだ。何かが起きてからでは遅いのだ。個人攻撃しているわけではまったくない。私自身成果をあげなかったと言っているのだから。しかしそれは正す必要がある。
- 2020年の東京五輪まで続けるつもりはありますか。
いま現在はただ野球を続けることしか考えていない。引退は私の頭にはない。
- なぜあなたは、他の球団から呼ばれうる存在であるにもかかわらず、サンクティ・スピリトゥスでプレーし続けているのですか。
一度も移籍の申し入れをもらったことはない。補強選手として選ばれたとき以外では。私がサンクティ・スピリトゥスにいる理由の多くは家族に影響している。私は家族を捨てることはないし、自分がデビューした球団を捨てることもない。私がここまでやってこれたのはチームのおかげだ。引退するときまで私はよりよい成績と経験とをチームにささげる。
- キューバ野球の質を高めるには何が可能ですか。
海外リーグとの契約は選手たちにとても役立つ。プロの技術から、経済的なことまで。海外の野球を見て(すべてのリーグはそれぞれ違う。たとえばメキシコの投手は日本の投手とはまた違う)、レベルを上げることは、選手たちを成長させる。
しかし、そのことは、国内に残った選手たちをさらに尊重する、ということも意味する。なぜなら、1年に100人の選手が海外と契約したと仮定しよう、残る者たちは多数だろうか? 彼らと何をする?
私は、国内リーグを45試合で区切ることに一度も賛成していない。たとえ多くのジャーナリストが賛同し、それがキューバ野球の問題の解決とさえ考えたとしてもだ。第二ラウンドに進めない選手たちの数は膨大になる。私はいくつかの例を覚えている。何年か前ホームランダービーのトップを走っていたDary Bartoloméは、第二ラウンドに進めなかった。
また、これまでのリーグ形式では、各チームのラウンド進出の有無がすでにわかっている場合、感動が失われる、と言われた。しかしこれはどのリーグでも起きることだ。私は日本でも見たし、大リーグでさえ同じことが起きている。シーズン終盤の試合では選手たちは個人目標のためにプレーする。
野球により詳しい人たちに言わせれば、(これは私の言葉じゃないよ)、打者を成長させ、よい成績を出させるには、200打席以上はないといけない。そのために野球選手がプレーできるように2A、3Aやその他のマイナーリーグが存在する。しかしわれわれはひとつのリーグしか持ってない。
それが私がいまプレーしている理由でもある。準備したり、よりよいフォームを追求するほかのリーグがないのであれば、セリエ・ナシオナルでそれをやるしかない。なぜなら私はプレーしなければ、手術からの回復に2年は費やしてしまうだろうから。
- 一次ラウンドでの試合数を増やすことを擁護するあなたは、Serie Selectiva(選抜リーグ)まで賛同しますか。
鍵はそこだ。キューバで野球がおこなわれているセリエ・ナシオナルが終わるとき。23年もやってきた私のような選手のプレーをどこで見ればいい?これは再検討すべきことがらだ。もし90試合を維持した上で、そのあとさらに強力なリーグをつくるのであれば、野球をプレーしない選手をそれほど残さないだろう。より心配なことは、あとからやってくる若い選手たちは、何年も成長が止まってしまう可能性があるということだ。20歳で、20イニングだけ投げた投手たちがいる。45試合の中で同じだけ投げるには、またもう1年待たなければならない。標準のレベルに達するまでにどれだけ遅れてしまうか。若い世代が失われていく。
- 個人的な話でこのインタビューを閉めたいと思います。あなたに野球を教えたお父さんは、いまあなたのお子さんに同じことをしているそうですね。
父は私の目標であり続けている。彼はいま私の息子Frederic Cepedaに力を貸している。左右両方で打つことと、全ポジションでのプレーを教えている。私より上達することを願っている。(笑み)
Frederic Cepeda: “Sueño con el IV Clásico Mundial”
http://www.cubadebate.cu/noticias/2016/09/12/frederic-cepeda-sueno-con-el-iv-clasico-mundial/#.V9aEBluLTIV
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