2019年10月07日
チェ・ゲバラと私の世代 ネット時代における教育を考える
Radio Rebelde、2019年10月7日、Yaicelín Palma Tejas記者
私の世代は、1990年代の只中に生まれた世代で、私たちの祖父母やあるいは両親たちがおそらくは楽しんだであろうエルネスト・ゲバラのような男たちの声を直接聞きながら育つという幸福を持たなかった。そのときキューバ歴史学で蒐集された逸話を私たちに伝える役目を負ったのが彼らや教師たちだった。
それで私たちは、チェがアルゼンチン人であり、ぜんそく患者であり、フィデルとメキシコで出会い、グランマ号でキューバにやってきて、ひとたびキューバでの革命勝利に成功したら、コンゴで戦い、そしてボリビアで戦い、そこで最後に殺された、ということを知っている。
私たちの世代がピオネーロス(子どもたち)だったころまでは、歴史書を通してこれらの情報にアクセスすることはまだ可能だった。しかし私の世代のあとにはほかの情報がどんどんやってきて、それらすべては英雄的ゲリラ戦士の時代からはいっそう遠く、インターネットの台頭のような重要な現象により近く、それは知識の伝達方法を再考させるものとなっている。
テクノロジー分野においてキューバは、すでに私たちが知っている、他の発展した封鎖されていない国々と比較して不利な立場を強いる国内外の要因にもかからわず、正面から取り組んできた。いまその課題は、10月になぜカミーロとチェの記念日が制定されているか思い出せなくなるほど私たちの英雄たちと21世紀の人びとの断絶が大きくなるのを避けるために、それらのツールを利用する方法にかかっている。
キューバの教育が完成している時代においては、学級が「テケス」となり日付と出来事の単調な暗記を繰り返すのではなく、私たちを現代に導いたこれらの出来事一つ一つの意識的で個別の分析になるためには、歴史を教える役割における新たな技術の使用が不可欠である。大学生にチェの「モーターサイクル・ダイアリーズ」を読書させたあと教室で議論することと、本を読ませて映画も見せたあとフェイスブックなどの若者が好むSNSでその両方の素材の感想を投稿させることは同じではない。より魅力的であるし、より多くの人たちが関わってくるだろう。
情報通信技術(ICT)の現象に固有のものは「インフルエンサー」の出現であるが、彼らはトレンドを設定し、正当化し、若者たちが一般的に真似たいと考えるライフスタイルを売り出す人びとにすぎない。チェを現代の若者たちにとってのインフルエンサーにしようではないか。ときには英雄たちをその台座から降ろして、その短所と長所を人びとに伝えるのも良いことである。子どもたちや若者たちは、エルネスト・ゲバラがシエラ・マエストラで戦い、工業相とキューバ国立銀行総裁だったことを知るべきだが、同時に、チェがベースキャンプに連れていったが飼えなかったあの犬の話など、私たちの多くが共感する彼の人間的側面をよみがえらせる話を知る必要がある。
そうしなければ、私たちはチェのことを、彼が生まれて死んだ6月14日と10月8日のような日にしか思い出さなくなるだろう。そうしなければ、子どもたちは朝礼で「チェのようになろう」と叫び続けるだろうが、決してチェのようになることはないだろう。すべての教室や職場や家庭でチェをよみがえらせることでこの男への追悼を新たに作り出すべきときである。私の世代はそれを必要としている。
El Che y mi generación
http://www.radiorebelde.cu/noticia/el-che-mi-generacion-20191007/
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