サパタ湿地のカレトン地域を現地住民と視察するフィデル
Cubadebate、2019年3月23日
1959年3月23日、フィデル・カストロはサパタ湿地へ2回目の訪問をする。今回はアントニオ・ムニェス・ヒメーネス大佐のほか、国家開発委員会のメンバーやその他の幹部たちが同伴のもと、現地住民から話を聞き、この孤立地域の最初の開発計画を開始するためである。
フィデルはエル・カレトンの住民たちと交流し、この海岸地域を視察する。
最高司令官はこれ以前1959年3月16日にもシエナガを訪れていた。このキューバ革命指導者の最初のサパタ湿地訪問については、すでに故人となった著名なジャーナリスト、フアン・マレーロが次のように記録することになる。
1959年3月16日、フィデルはヘリコプターで水と泥の扇状地サパタ半島の上空を飛ぶ。現地住民の質素なあばら家を見る。彼らの大半は木炭作りに従事している。この視察でフィデルに同伴したヌニェス・ヒメネスは、古い石炭炉の隣、ラグーナ・デル・テソーロ近くに降り立ったが、着陸した際、ヘリの車輪が泥地に沈んだ、と語った。そこでフィデルは現地住民に、飲料水や、水路の深さや、生活のための小さな栽培地の乾燥に関する体験や、釣りや狩りなどについて質問し始めた。
その最初の視察でフィデルは、水路をつくることがいかに大変か、水につかりながら、ひどく孤立したシエナガの土地につねにいる蚊やぶよと戦いながら、といったことを知った。それらの水路の建設は、その小さな炭焼きの集落がシエナガ外部と通じる唯一の方法だった。
フィデルはサパタ湿地の他の地域も訪問した。そしてそれ以降、さまざまな省庁の技術員や農業技師などの専門家が/現地に派遣され、経済開発プロジェクトが進められる。同地の一部を乾燥させ水路をつくることが研究される。ラグーナ・デル・テソーロに至る道路の建設が開始され、栽培地域に関する研究がなされ、植林プロジェクトが計画される。
本紙は、この60年前、1959年3月23日のフィデルの歴史的視察を、当時の写真を通じて回想する。
ヌニェス・ヒメネスや国家開発委員会メンバーや現地住民たちとエル・カレトンを視察するフィデル
サパタ湿地のカレトン住民と会話するフィデル、1959年3月23日
サパタ湿地のカレトン住民と会話するフィデル、1959年3月23日
サパタ湿地のカレトーネスの民家にいるフィデル、1959年3月23日
サパタ湿地のカレトン住民と会話するフィデル。サンドウィッチを食べている
カレトーネスの民家前で住民たちと交流するフィデル、1959年3月23日
サパタ湿地の上空を飛ぶフィデルとヌニェス、1959年3月23日
サパタ湿地でヘリコプターに乗るフィデル、1959年3月23日。隣はパイロットのオテーロ。
Hace 60 años: Fidel en la Ciénaga de Zapata
http://www.cubadebate.cu/fotorreportajes/2019/03/23/hace-60-anos-fidel-en-la-cienaga-de-zapata/#.XJeKztIzbIU