2019年02月24日
私は死ぬまでフィデリスタ 国民投票に参加した入院患者シルビアさんが語る キューバ
シルビア、憲法の国民投票に参加して感極まる
Cubadebate、2019年2月24日、 Lissett Izquierdo Ferrer記者(文), Ismael Francisco記者(写真)
シルビアは昨晩寝なかった。ほとんど目を閉じなかった。当直の看護婦が何度も彼女の様子を確認に行かねばならなかった。ことほどさように、彼女は今か今かと待ち構えていた。「彼女は投票する準備ができていました。でも身分証明書がなかったんです」。
カリスト・ガルシア大学病院の老年科病棟の彼女のベッドまで彼女の投票用紙が届く。朝9時30分だ。「私たちは投票所の責任者と話しました。彼女のデータがカルテにあったので、それで許可されました」、と特別選挙委員会のメンバー、ネルダ・ロドリゲスは私に語る。一方70歳のシルベリア・タマヨは投票用紙に記入する。
「晴れ晴れとしているわ」、とシルビアは涙で声をつまらせながら言う。「私の名はシルベイラ。でもみなは私をシルビアと呼ぶわ」。「私は投票したかった。だって私は死ぬまでフィデリスタだから。革命を愛しているし、憲法を成立させたい」。
シルビアの投票用紙がカリスト・ガルシア病院に設置された2箇所の投票所のひとつに届く。病院のほかの患者や仲間たちと同じく、彼女は考慮に入れられていた。すべての人びと、誰もが投票できるのだ。
「各ベッドの患者さんたちに、投票したいか聞いて回ります。投票したい場合は、身分証明書を出してもらい、名前をリストに加えます。それから紙に署名してもらいます。投票用紙を渡し、投票します」。選挙担当者としてきょう働く同院の労働者ケニア・カタラー・ロペスは説明する。
家族や看護師たちの助けを借りて机のところまで来れる人たちがそこにいる。彼らや、この日曜日に病院で働いている人たちのために、その青い部屋が用意されている。
シルビアはまだベッドのなかにいる。朝早く出て行った娘を待っている。彼女の血圧が測られる。少し高いが
「でもすぐに下がるでしょう。もう薬は飲んだし」、と看護婦は私に言う。
「ベルデ・オリーボ誌の創刊号だったか第二号だったかよく覚えていないけどそこに私の写真が載ったのよ。私はガレアーノ(ハバナの通り)にいて、7月26日革命記念日のグッズを買っていたとき、カメラマンが撮っていいかと訊いてきた。その日フィデルの写真を1枚買ったんだけど、失くしてしまった。それは私の一番のお気に入りの写真で、フィデルが山中で写っているものだった」。
シルビアはサンティアゴ・デ・クーバに生まれて、とても若い時分からハバナに住んでいる。「戦争のために来なければならなかった」。それから彼女はまたフィデルについて話し始める。「フィデルに決して言えなかったことは、彼はもっと前に生まれるべきだった、ということ。なぜなら私の母はサトゥルニーノ・ローラ病院で薬がなくて死んだのよ」、涙が彼女の頬をつたう。
シルビアはカリスト・ガルシア病院で投票の権利を行使
Silvia: Yo soy fidelista hasta la muerte
http://www.cubadebate.cu/especiales/2019/02/24/silvia-yo-soy-fidelista-hasta-la-muerte/#.XHTt4uQzbIU
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