ザ・ビートルズ
Radio Rebelde、2018年11月8日、Pedro Rafael Cruz Gonzalez記者
現時点ではすでに、ポピュラー音楽界におけるザ・ビートルズの超越性を疑う者は誰もいない。その業績は巨大で、20世紀におけるもっとも重要な文化現象のひとつとみなされているほどである。
われわれキューバ人にとっても彼らはひとかたならぬ存在である。この英国人たちがそのキャリア初期にカリブ音楽への大きな関心を示したからである。そのキャリアの軌跡の大部分では実験的活動が支配したが、その初期にはキューバ発祥のサウンドとリズムの存在が容易に確認できた。
しかしこれは偶然ではない。1930年代に英国も「エル・マニセーロ(南京豆売り)」の世界的ブームに巻き込まれ、ビクトリア女王がバッキンガム宮殿でのレセプションにこれを取り入れた。これはおそらくは、その少し前に首都ロンドンのプリンスオブウェールズシアターでおこなわれた熱狂的コンサートが関係している。
この史実は長年にわたって伝えられ、自身とその楽団にクリオージョ風の名称をつける英国人音楽家も複数現れたほどである。それはいっそうの異国情緒と真摯さを彼らに与えた。
これらすべてのことが英国のリバプール港にも伝わったのは明らかである。1940年代の半ばにルンバの女性楽団が同地を訪問し、彼らが受けた歓迎と成功を地元メディアは報じた。
1962年6月にザ・ビートルズはロンドンのデッカスタジオで初のレコーディングセッションをおこない、メキシコ人女性コンスエロ・ベラスケスによる不朽の楽曲「ベサメ・ムーチョ」のカバーバージョンを録音した。もちろん、この楽曲は戦争の時代における賛歌だったので、彼らのバージョンは英軍にも伝わった。重要なことは、リバプール出身のビートルズがその録音に、わが国のエンリケ・ホリンが推進したリズムに名づけるために彼らが用いていた形式「チャチャブー」を加えたことである。
ビートルズ - ベサメ・ムーチョ
その後、ビートルズのほぼすべてのレコードにはキューバ風パーカッションが登場し、それらがフューチャーされた楽曲もいくつかある。彼らの名義によるすべてのものへの世界的関心のおかげで、1968年9月にメロトロンを用いてジョン・レノンとポール・マッカートニーによってなされた録音が容易に見つけられるが、そこでキューバについてこう言っている。
キューバでわれわれにはたくさんのバナナがあり、コーヒーがあるが、タバコはあまりない。もう全部売ってしまったから。
この最後のフレーズはおそらく、ヘビースモーカーだったウィストン・チャーチルの大きな影響によるものだろう。
そのすぐあとに彼らはエルネスト・レクオーナの「ラ・マラゲーニャ」にトライし、すべてのキューバ人にとってつねに大きな驚きとなるであろうものをつけくわえている。諸君、疑わないように。これがビートルズなのだ。しっかり聴いてほしい。この音楽家たちは楽しんでいる、と南京豆売りの作者であるモイセス・シモンズは誇らしげに言うであろう。
ビートルズ - ピーナッツ・ベンダー(南京豆売り)
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En Audio: Los Beatles y Cuba
http://www.radiorebelde.cu/noticia/en-audio-beatles-cuba-20181108/