2018年05月12日
キューバ野球のレジェンド、ヘルマン・メサ 51歳の誕生日
ヘルマン・メサ
Radio Habana Cuba、2018年5月12日、Fernando Marinez Marti記者
キューバの傑出した野球選手ヘルマン・メサ・フレスネーダはきょう(5月12日)51歳の誕生日を迎える。キューバで野球を語る場合、彼のプレーを見たわれわれの驚嘆や定義や別称を表現するには、ただヘルマンと言えば足りる。セイバーメトリクスでは彼を形容しきれない。感情は、強烈なゴロのように、さまざまな出来事と共に放たれる。
バレエ、アフロキューバンダンス、タイミング、優雅さ、精密さ、、、グラウンドでのヘルマンの守備はそのようなものだった。送球しながら、ベンチに戻っていた。しかし走者へルマンは三盗の名人でもあった。打者としては、キューバ国内で33本の三塁打を記録、これはキューバ野球リーグの平均を上回っている。放った本塁打は100本を超え、正確には112本、技巧とチャンス強さの賜物である。国内リーグで500を超える打点を記録、これはインドゥストゥリアレスの選手として特筆すべき数字であり、通算打率は.285である。キューバ野球界の背番号11の遊撃手を光らせたものは守備だけではなかった。
ヘルマンとパディージャ、二塁ベース上のファンタジー。トレーニングに始まり試合中も続くファンタジー。言葉のいらないコミュニケーション。そう、なぜならヘルマンはその意図を読んでいたのだ。ヘルマンはただのヘルマンではなかった。強烈なセンターライナーと華麗な守備技術によって、1980年代末から1990年代初頭における華麗なインドゥストゥリアレスの一員だった。1991年のハバナではパチェコやグリエルと併殺を生み出したキューバ代表だった。このスポーツ博士は、その現役キャリア末期に、2001年のワールドカップに登場した。全キューバのために決意した世界大会だった。
なぜキューバリーグから去り、そのあと復帰したのか、彼は決して説明しなかった。しかしその復帰は、インドゥストゥリアレスとキューバ野球の歴史において、もっとも感動的な瞬間のひとつである。彼は自身の活躍を見守ってきた球場の芝生にキスをした。試合の終わりに、95マイルを超える速球を投げるホセ・アリエル・コントレーラスから鋭いライナーを放ち、ブランク2年後の打撃状態を見せつけた。ヘルマンの復帰、それはニュースだった。
ある日、彼は引退を勧告された。キューバ野球の他のスター選手4人とともに、条件のいい契約を提示される優雅さのなか、絶頂で彼は去った。そのあと復帰し、3年間インドゥストゥリアレスを指揮し、2010年には伝説のペナントを監督として制覇した。現在は世界各地を行き来している。彼の母国、生地、地球の大地における預言者。
ヘルマン?うむ、私は彼のプレーを見た。ある者は微笑み、ある者は目を見開き、また信じない者は頭から否定し、あるいは「君には説明できない。」、等々。いつかキューバの殿堂メンバーになり、いつか彫像が。正当性は?いや、正当性ではない。すでに彼はそれを為したのだ。そして人びとは判断を下したのだ。もしそれを疑うのなら、野球界において、ただへルマンと言えばよい。それで十分だ。
Germán Mesa Fresneda: una leyenda del béisbol cumple 51 años
http://www.radiohc.cu/noticias/deportes/162145-german-mesa-fresneda-una-leyenda-del-beisbol-cumple-51-anos
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