2018年03月04日
ラ・クーブレ号爆破事件から58年 米国CIAによるテロ犯罪を糾弾 キューバ
Radio Habana Cuba、2018年3月4日、Nuria Barbosa León記者
キューバはこの日曜日(3月4日)、1960年3月4日に起きた蒸気船ラ・クーブレ号爆破事件の犠牲者を追悼し、米国の中央情報局(CIA)によるテロ犯罪を糾弾する。
この悲劇は、ハバナで港湾労働者がフランスからの船の荷下ろしをおこなっていたときに起きた。この船は、まだ生まれたばかりの革命を守るために必要とされた武器を持ち込んでいた。
最初の爆発のあと、救急隊員や一般市民は救助にかけつけた。そのとき二回目の爆発が発生し、救助作業をおこなっていた人たちのさらに多くの命を奪った。100人以上が死亡し、およそ400人が負傷、そのうちの数十人は重度の障害を負った。
犠牲者たちの葬儀の際に、キューバ革命指導者のフィデル・カストロは、米国政府がこの犯罪に関係していることを示す証拠を提示した。
蒸気船ラ・クーブレ号は、フランス発の船で、武器と弾薬を運んでいたとき、1960年3月4日にハバナ湾でテロ行為の目標となった。二度の爆発が起き、およそ100人の死者と400人の負傷者を生んだ。キューバ当局は、始まったばかりのキューバ革命が軍事的に強化するのを妨げるためにCIAが犯したテロ行為として糾弾した。
午後3時10分ごろ、爆発が地を揺るがした。電柱が揺らぎ、黒煙が埠頭に舞い上がった。船の荷揚げ人、ロムアルド・ディアスは、空中に放り出された。倉庫の屋根がなくなっており、ラ・クーブレ号の船尾は破壊されていた。
叛乱軍兵士や革命国家警察官、消防団員、一般人が、救助に向かった。負傷者や遺体の救出が始まった。危険を顧みず人道的行為をおこなっていた人たちに対して、二度目の爆発が起き、新たな犠牲者を生んだ。最終的に100人が死亡(行方不明34人を含む)、およそ400人が負傷(うち数十名は重度の障害)、さらにその結果として、数十名の未亡人と80人以上の孤児を生んだ。
この事件は、それ自体甚大なものだが、その発生翌日にキューバの歴史にとって特別な関連事を獲得した。始まったばかりの希望の道のりをキューバ国民に放棄させようと脅かす試みに対して、フィデル・カストロ・ルス最高司令官が犠牲者たちの葬儀で発した返答は、最後の血の一滴まで抵抗し戦い抜くというもので、それはその日以降、「祖国か死か!」という叫びに要約され、永遠のものになった。
調査の結果によると、あらゆる証拠が、米国の中央情報局(CIA)がテロ実行員と結びついていることを示している。
Recuerdan en Cuba explosión del vapor La Coubre
http://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/156628-recuerdan-en-cuba-explosion-del-vapor-la-coubre
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