2011年12月04日
ドラえもん
はい、どうも今晩は。土班猫です。
ブログ始めて三日目。今日日曜日は特にテーマを定めず、小生が色々と思い思った事をつらづらと書こうかと思っています。で、今日は何について語ろうかと思ったかというと…
―ドラえもん。
日本人なら誰でも知っていて、見た事もあるだろう国民的漫画の頂点の1つ。作者である藤子・F・不二雄先生が62歳というまだまだお若い年で亡くなられてはや15年。まるでその魂を受け継ぐかの様に多くの方々に支えられ、今だコミックや文庫版は増刷を続け、アニメは金曜日の午後7時という不動の時間枠で週の終りを飾り続けています(これ、我が県だけの話じゃないだろうな…?(汗))。
かく言う小生も、子供の頃に一番夢中になった作品であり、今現在に至ってもこれを超える作品はないと思っています。
それは人と人との絆の大切さ、生まれる命の尊さ、今ある自然のかけがえのなさ、そして希望の光に溢れた未来の世界への憧れを教えてくれました。
その頃の小生の頭の中にはいつもドラえもんがいて、その時々に好きだったアニメや特撮のキャラクター達の世界に登場し、その秘密道具を駆使して彼らのピンチを救ったり、導いたりしていました。
当時の小生にとって、ドラえもんはまさに世界そのものだったのです。
そんな小生も成長するにつれ、毎週欠かさず見ていたアニメも見なくなり、1年で一番の楽しみにしていた映画にも行かなくなり、たくさんあったコミックも古くなって親に処分されたり、従姉の子供にあげたりして、彼らの世界から疎遠になっていきました。
それでも、書店に行けば目の端にその題名を見、金曜の夜にはテレビのチャンネルを変える合間に聞こえるテーマソングやだみ声に、少なからずの安心と安らぎをかんじていました。
そんなある日、1つの情報が小生を驚かせました。アニメの声優の方々が総入れ替えになるというのです。
恐る恐るテレビを見た小生は、愕然としました。そこにはもう、自分の慣れ親しんでいたドラえもんの世界はなく、全く別の世界に変わってしまった彼らがありました。
違和感のある声。違和感のある顔。背景の調子すら変わってしまったそれに、小生は少なからずの怒りと落胆を覚えました。それはまるで、ずっと大切にしてきた宝物を奪われた様な喪失感でした。
テーマソングを聴いては違和感を覚え、彼らの声を聞いては苛立ち、映画がリメイクされると聞いては反感を感じていました。
そんなある日、小生は偶然回したチャンネルで、着ぐるみのドラえもんが幼稚園を訪問している場面を目にしました。そして、その園児達の目を見たとき、はっとしました。
…それは、幼い頃、あの頃のドラえもんを見ていた小生や兄弟達と同じ瞳の輝きでした。
心の中にあったわだかまりが、一瞬で溶けさっていきました。
それを見た後、携帯でDLして、新しいドラえもんのテーマソングを聴いてみました。確かにそれは小生達が親しんだ「あんな事いいな、出来たらいいな」ではありませんでしたが、それと同じ様に小生の心に優しく溶けていきました。
「ああ、今もドラえもんは、ここにいるんだ。」
そう、今のドラえもんは今の子供達のものなのです。
声も、顔も小生の知っていた彼らとは違くなってしまったけれど、ドラえもんという存在は今も変わらず、子供達にあの頃小生に教えてくれていたものを伝え続けているのだと気付いた瞬間でした。
あの頃の、だみ声のドラえもんは今でも小生の心にいます。そして彼らの役目は、いまのドラえもん達がしっかりと受け継いでいてくれています。
どうか、今の子供達が、小生達があの頃のドラえもんから受け取ったものと同じものを、いまのドラえもんから受け取ってくれますように。
そして、彼らの先にある未来が、かつてドラえもんが小生達に語ってくれた様な素晴らしい世界である事を。
今手の中の携帯から聞こえるその歌に、切にそう願わずにはいられません。
― 大人になっても きっと忘れない 大切な想い いつまでもずっと―
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
posted by 土斑猫(まだらねこ) at 18:12| 雑談