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2016年05月01日
ラジコンで子供と遊ぶ。自分で遊ぶ♪
僕が子供の頃は戦争ごっこなどをしていましたが、今の子供が戦争ごっこなど
しているのは見たことも聞いたこともありません。
息子はもちろんそのたぐいの遊びはしませんでした。
戦車のプラモデルは3両ぐらい組み立てたのですが、ゲーム世代の子供は動かない
プラモはあまり好きではなさそう。
クリスマスに戦車のラジコンをプレゼント。
バッテリーがなくなるまで2両の戦車で「戦争ごっこ」をしました。
BB弾発射するタイプでしたので、僕自身も攻撃されました。
しかしながら、息子はすぐに飽きてしまいました。
大丈夫なんです。僕が2両の戦車で戦争ごっこができるようになりましたから。
今は動かなくなってしまい飾っています。
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タグ:ラジコン、戦車
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2016年04月30日
好きな映画「プラトーン」
1986年公開のアメリカ映画。監督・脚本はオリバー・ストーン(ベトナム帰還兵)
出演はチャーリー・シーン、トム・ベレンジャー、ウィレム・デフォー。
第59回アカデミー賞 作品賞、第44回ゴールデングローブ賞 ドラマ部門作品賞受賞作品。
タイトルのプラトーンは、小隊の意味である。
チャーリー・シーン マーティン・シーン譲りのイケメン HIVへの感染の告白はショックでした。
トム・ベレンジャー すごい存在感。
ウィレム・デフォー 「ストリート・オブ・ファイヤー」のギャングのリーダー役もよかった。
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出演はチャーリー・シーン、トム・ベレンジャー、ウィレム・デフォー。
第59回アカデミー賞 作品賞、第44回ゴールデングローブ賞 ドラマ部門作品賞受賞作品。
タイトルのプラトーンは、小隊の意味である。
チャーリー・シーン マーティン・シーン譲りのイケメン HIVへの感染の告白はショックでした。
トム・ベレンジャー すごい存在感。
ウィレム・デフォー 「ストリート・オブ・ファイヤー」のギャングのリーダー役もよかった。
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タグ:好きな映画、プラトーン
好きな映画「地獄の黙示録」
懐かしい地獄の黙示録の日本版予告編です。
1979年公開のアメリカ映画。フランシス・フォード・コッポラ
による戦争映画。
ベンジャミン・L・ウィラード大尉 役のマーティン・シーン は渋いです。
音楽:カーマイン・コッポラ/フランシス・フォード・コッポラが担当。
この映画でワーグナー「ワルキューレの騎行」を覚えた方も多いのではないでしょうか。
なんといっても正気の沙汰ではないヘリボーンシーンが圧巻。
1960年代末のベトナム。サイゴンのホテルから指令部に呼び出されたウィラード大尉は、ジャングル奥地に失踪し、現地人のカリスマとなって王国を築いたと噂されるカーツ大佐の暗殺密令を受け、部下4人とナング河を逆上る..........ストーリーはめちゃくちゃです。
服を買う時間がない ↓ 安いし助かっています。
1979年公開のアメリカ映画。フランシス・フォード・コッポラ
による戦争映画。
ベンジャミン・L・ウィラード大尉 役のマーティン・シーン は渋いです。
音楽:カーマイン・コッポラ/フランシス・フォード・コッポラが担当。
この映画でワーグナー「ワルキューレの騎行」を覚えた方も多いのではないでしょうか。
なんといっても正気の沙汰ではないヘリボーンシーンが圧巻。
1960年代末のベトナム。サイゴンのホテルから指令部に呼び出されたウィラード大尉は、ジャングル奥地に失踪し、現地人のカリスマとなって王国を築いたと噂されるカーツ大佐の暗殺密令を受け、部下4人とナング河を逆上る..........ストーリーはめちゃくちゃです。
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タグ:動画、地獄の黙示録
大日本帝国陸軍
大日本帝国陸軍は、1871年(明治4年) - 1945年(昭和20年)まで日本に存在していた軍隊組織である。通常は、単に日本陸軍や帝国陸軍と呼ばれた。解体後は、別組織である陸上自衛隊との区別などのため旧日本陸軍もしくは旧帝国陸軍という名称も使用される。
名称
大日本帝国陸軍の名称は、国外からの呼称もしくは対外的な連絡文書、公文書等の一部に明治10年代から用いられた。例として、1918年(大正7年)に当時の陸軍大臣大島健一がイギリス国王ジョージ5世に充てた祝電「英国皇帝陛下ヘ陸軍大臣ヨリ祝電(一月二十五日午後一時三十分発電)」では、日本陸軍・帝国陸軍・大日本帝国陸軍の各名称が使用されている。
英称はImperial Japanese Army、Japanese Imperial Army、Japanese Armyなど。このうち「大日本帝国陸軍(日本帝国陸軍)」に相当するImperial Japanese Armyの名称・呼称は、1913年(大正2年)にイギリス陸軍省が駐日イギリス大使経由で外務大臣牧野伸顕に充てた、日本の新型騎兵銃である四四式騎銃1挺の寄贈を依頼する英文などで使用されている。
陸軍の軍旗
帝国陸軍の前身である御親兵が発足するよりも前の1870年(明治3年)5月、新生帝国陸軍のシンボルとして十六条旭日旗を意匠とした陸軍御国旗を採用し、更に1879年(明治12年)に改めて陸軍御国旗の仕様を一部改正した旭日旗が軍旗として制定されている。
この軍旗は連隊旗として歩兵連隊と騎兵連隊のみに対し大元帥(天皇)から親授されるものであったが、旭日旗の意匠は「帝国陸軍の象徴」として軍民問わず広く認知・使用されていた。また、旭日の意匠を用いたいわゆる「旭日旗」を日本において初めて考案・採用したのは帝国陸軍である。
帽章
帝国陸軍の建軍初期は旭日章を意匠としたものを「日章」と称し帽章に使用していたが、のちに一般師団(一般将兵)に属する者および陸軍軍属は「五芒星(五光星)」を意匠とした「星章」を、「近衛」の称呼を冠する近衛師団に属する部隊に属する者は「星章」の周囲を「桜葉」で覆ったものを帽章として使用した。しかしながら、旭日章を帽章とする「第一種帽」は将校准士官が正装時に着用する「正帽」として、また、儀丈部隊でもある近衛騎兵連隊に属する下士官兵は騎兵将校准士官正衣(正帽)に準じる「供奉服」を、ともに第二次大戦期まで存続・使用している。
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タグ:大日本帝国陸軍