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2019年03月12日

人の恐怖?〜田舎ってコワイですか?

必ずお読みください!

フキノトーが春を告げるとすぐに春最大のイベントが到来する。まあいちいち予想にすることもないだろうし、今日は別にお話したいこともあるので、画像を掲載し、素直に答え合わせをする。

セリ0.JPG
↑こんな感じに生える
↓サイズ感、まだ出始め
セリ1.JPG

セリ&フキノトー.JPG
↑手前のうすら黄色っぽいのはフキノトー
↓3日続けてこんくらいずつ収穫
セリ.JPG

ご存知の読者は多いと思う。これ、セリという植物。爽快な香りとシャキッとした歯ごたえが最高にうまい、(我が家では)春に欠かせない野草である。

佃煮にしたり玉子とじにしたり味噌汁の具だったりセリご飯で食ったりと、いろいろな楽しみ方がある。でもやっぱり香りと歯ごたえを楽しむには「お浸し」が一番。セリの食感と風味は、ちょっとほかでは代えがたい独自性を感じることができる。

いやぁ、いい季節になってきた。あと1カ月くらいはセリを楽しむことができる。ほんとうは5月くらいまで楽しめたのだが、どうもここ数年は夏への移行が速く、セリの成長も早まりがち。でかくなりすぎてからのセリは、香りがキツすぎてうまくなくなってしまうのだ。だから今くらい、もしくはもうちっとでかくなったくらいがちょうど良い。

小〜中のレジ袋いっぱいに詰め込んでいるが、我が家ではこれが1日分である。でもあと半月もすれば、中〜大レジ袋に満杯のセリを毎日収穫するから、いくらセリが好きとはいえ、とてもいっときに食うことはでいない。仕方なく近所への配布と、味は落ちてしまうが冷凍で対処している。

まあこれも田舎ならではの春の楽しみの1つだ。田舎といえば・・・


ある動画サイトを見た。いわゆる「おばけ」を扱うライブ映像である。以前もお話したとおり、私は原則おばけの存在を認めていない。もちろんフシギな現象は誰にだって起こる。でもそれがなぜおばけだといえるの?というところがはっきりしない以上、それをおばけと認めるわけにはいかないのである。

ではなぜそんなライブ放送をみるのか。最大の理由は、そのときヒマだったから。時間をつくってまで見ることはない。でもその放送はちょくちょく目にしている。ということは、私はけっこうヒマ人であることが間接的に証明されるのだ。

私がヒマ人であることは証明されても、おばけの存在が証明されない以上、逆にオモシロイじゃないですか。あの手の話には必ずどこかに矛盾が潜んでいるから。いくら考えても矛盾が潜んでいないときには、ちょっとヒヤッとするしね。あの感覚もなかなかオモシロイとは思う。

で、その回の放送では、とある田舎で猟奇的な事件が多発して、その犯人がこの世のモノとは思えぬモノであった・・・という、まあこの手のお話では10回に1回は登場するタイプのお話である。正直私からすれば最も興味が薄いテーマでもあった。

ライブ放送ってやつは、視聴者のコメントが流れる設定になっているんですよ。いやー怖かったですねー、話し方がうまい、効果音が素晴らしい!などなど、さまざまな絶賛コメントが流れるわけさ。で、私はテーマ自体に興味がなかったので、ケツなんかをボリボリ掻きながらぼんやりそのコメントを読んでいたわけ。

そしたらね、あるひとりの視聴者がおっしゃるわけですよ。「田舎って、コワイですよね」と。

もちろん田舎をコワイと思う人もいるだろう。逆に都会がコワイと思う人だっているだろう。私はたまたま田舎に住んでいるが、コワイと思われようと汚いと思われようとどう思われようとかまわないし、知ったこっちゃない。

ところがその放送を流している人が、バカみたいにイチイチ読み上げるわけですよ、そのコメントを。「○○さん、田舎ってコワイですよねってコメントしてますね」みたいに。ほんとアレはバカくせえ。なんのためにコメント読める設定にしてんのよ?

するとね、そっから急にみんなで田舎ディスりが始まるわけです。田舎は閉鎖的だから、田舎は難しい人間が多い、田舎のしきたりはどうのこうの、田舎では昔あんなことこんなことがあった、田舎ではそういう殺人が多い、田舎には住みたくない、田舎では、田舎には、田舎は・・・

おいおいちょっと待てコラ!私は思った。というか、叫びそうになった。そして私はキーボードに手をかけ、

お前たちな、田舎の何を知ってるんだ?お前ら田舎に住んだことあんのか?田舎で殺されたことあんのか?
おいよーく考えろよ。田舎を何だと思ってる?お前たちそれは差別だぞ。蔑視だぞ。目を覚ませコラ・・・

と入力したかった。しかし恐ろしく機械音痴の私にそんな器用なこと(コメントとして自分の考えを流すこと)などできるはずもなく、ただひたすら「てめぇらこのやろう・・・」と唸るしか術がなかったのだ。

みなさん。
これはとてもコワイことですよ。何がコワイのか、わかりますか?

ほんとうの怖さは、おばけでも殺人でも閉鎖感でもしきたりでもない。なんの根拠もなく「コワイ」という恐怖を植え付けられてしまっている人間の脆弱性と、自分たちが知らないうちにだれかを差別して楽しんでいるそのココロの中にあるんじゃねえのか?そしてそういうことにまったく気づいていない自分自身が一番コワイんじゃないの?

これが恐怖の本質である。自分では気づかないこと。気づいてしまったときに、アンタがたはイヤっちゅうほど恐怖を味わうことになっちまうぜ・・・

いやいや、田舎にはクマやイノシシが出るし、やっぱりコワイよ、という人もいるだろう。気持ちはわかる。でもよーく考えてみてほしい。新宿の駅を降りたとたんクマに襲われるほうがよっぽどコワイですよ。

そんなこと起こるわけないから・・・
そうではない。想定していないことが起こるからこそコワイのだ。クマなんて、けっこう都会方面を目指して街まで出てるんですよ、今の時代。あれ見てるとゾッとする。だって、都会を知らないクマが都会なんかに出てきたら、パニックを起こしてだれかれかまわず襲いかかるから。まあさすがに新宿駅まではどうかと思うが。

ウチの山にクマの気配を察知したって、襲われたこともはっきりクマと確認したこともない。自分のテリトリーだから、クマは冷静に逃げ帰るのだろう。もしほんとうに「あの気配」がクマだったとしたら、の話だけどね。

まあクマの話はいい。でもね、ほんとうに田舎がコワイのかどうか、ちょっと冷静に考えてみてほしい。田舎っつったってたくさんありますよ。なんでもいっしょくたにするんじゃない。田舎が閉鎖的?バカ言ってんじゃないよ。私からすれば都会だって十分閉鎖的ですよ。

「田舎」にしろ「都会」にしろ、そういうラベルが貼られた箱の中に入っていることを忘れちゃいけない。箱がある以上、田舎だろうが都会だろうが閉鎖的な部分集合でしかないのだ。

てか、アンタら気づいていないだけで、実は誰よりもアンタらこそ閉鎖的だろうが!と思う。動画サイトのコミュニティなどに代表される、ああいう極小コミュニティではそういう勘違いがよく起こる。これは子供の「いじめ」の問題に通じる。深刻化するいじめの多くが、ああした「極小コミュニティの仲間意識」に由来するのではないか。

だからもし私が放送中に「おい待てお前ら!」とやったとたん、きっと私は袋叩きにあっていたことだろう。いやぁ・・・コワイですねぇ・・・


まあいい。それでね、私は視聴後にのんびりコメントできる欄で、「田舎を何だと思ってる?」と質問してみたんですよ。そしたら放送主から「田舎をバカにするつもりはなかったけれど不適切発言があったのですみません」などと返信がきた。

たぶんコイツはわかってねえなぁ・・・そう感じた。

2019年03月06日

ヒラタケの事情

必ずお読みください!

昨日は「ヒラタケが採れるかもしれない」と思って写真まで掲載したが、残念ながら先人が収穫したらしく、「私のヒラタケ」にはならなかった。あー残念。去年収穫したヒラタケを着々と食い進めているにもかかわらずまだまだたくさん残っている。まだ半分まで到達していない。であるにもかかわらず、残念だ・・・という思いが強い。私の強欲じじいぶりも如実にわかろう。

まあ、目をつけたきのこを先に持っていかれてしまうことはよくある。私は基本的に、腹にたまるレベルまで成長させてから収穫しないと気が済まないタイプなのだ。だから、成長を促す間に誰かが持って行ってしまうことも、ある程度仕方がないと割り切っている。

ただ、きのこハンターの中にはかなり荒っぽく、すなわち「木にダメージを与えるような方法」で収穫していく人がけっこう多い。同じきのこハンターとして、そういうのはちょっと考え直してほしいなぁ・・・それと、足跡を残していくハンターね。足跡を残して木にダメージを残すということは、暗に「ここにきのこが発生したんですよ!」と宣言しているようなもんである。それもちょっと勘弁。

でも昨日持って行った人物は、おそらく相当きのこの世界に通じている人物だったと思う。そうでなければおそらく本業が外科医でありながら、泥棒を副業としている人物だろう。素晴らしいキレ味で見事に、ホダ木へのダメージを一切残さず、足跡も気配もまったく残さず、ターゲットだけを持ち去っていた。素晴らしいと思う。

ということで、今日は別の場所でヒラタケをとってこようともくろみ、実際収穫してきた。今春初収穫だ。だいたいこういうもくろみは高い確率ではずれる。去年なんて、この条件は相当タマゴタケが発生しているだろうと思った日に、大きな袋を携えて山に行ったが、結局収穫したのが、大袋の中にミョウガ1つだけということもあった。まあそういうアンバランスも悪くはないんだけどね。

ところが今日は、もくろみ通りにヒラタケを収穫することができた。ただし・・・少々いわくありげなヒラタケなのだ。

目をつけていたヒラタケ(泥棒外科医が持ってったの)は、普段からよく歩く廃道の「1本目のホダ木」と呼んでいた木に発生したもの。今日行ったのは「気持ちわりい道」のヒラタケ。ここ、いっつもヒラタケが出ているのだ。まずはご覧いただこう。

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いたずらにヒラタケ画像を投稿した。この感じはけっこう久しぶりだと思う。イメージ的には久しぶりかもしれないが、もしかしたら「はじめて出会うヒラタケ」かもしれない。どういうことか、わかりますか?わかりませんよね。ちょっと説明しよう。

以前も書いたが、ヒラタケってやつはものすごく水分を吸い込むきのこなんだそうだ。実際、大量に収穫し、急坂を汗だくになって運んできたヒラタケを天日に干すと、何かのカスか、どんなに好意的に捉えても何かのクズという程度にしか見えない。要は、水分が飛ぶとそのくらいみすぼらしい姿へと変貌を遂げるのがヒラタケなのだ。

ここは「いつでもヒラタケが生えている場所」である。秋の間、そんな話をしたと思う。しかし春になってこの場所に行ってみると、ヒラタケはほとんど生えていなかった。でもそれはあくまでも、ざっと歩きながらテキトーに見た感想であって、つぶさに観察したわけではない。もしかしたら、木の裏側のほうに「ヒラタケのカスおよびクズ」が付着していた可能性は小さくないのだ。

乾燥わかめのように水をかければもとに戻るのだから、それならそれでいいじゃないか・・・おそらくそう思うだろう。確かに、家にある乾燥ヒラタケも、半日も水に漬けておくことで、元通りにこそならないが、ふつうのきのことして十分風味を楽しめるレベルにまで回復を遂げることを、私はよく知っている。ちなみに漬けた水は「だし汁」としての活用価値がすこぶる高い。

ところが・・・

木に生えたままのヒラタケが一度カスやクズに成り下がり、そこから復活を遂げても、ヒラタケ本来の旨味は復活しないという話を聞いたことがあるのだ。実はこのことが今回大きな問題となるかもしれないテーマ。

旨味だけではない。食感が最悪なのだそうだ。そういう「復活ヒラタケ」は。これは割とマジメに書かれた文献だったか、私と同じような趣味ブログだったか、あるいはその両者だったか覚えていないが、何回か見たことがある内容。

ここのヒラタケはかなりデカく、人間の大人の顔くらいは平気であるサイズ感なのだが、これが全部食えないヒラタケだったりしたら、けっこうショックだなぁ・・・これを今夜「実食」である。けっこうドキドキする。

まあ、毒を持っちゃうことはないということだから、そこについては安全なんだけどね。

2019年03月03日

第16R〜春の香り、理不尽な香り

必ずお読みください!

春の終わりから冬にかけてはけっこういろいろなきのこを楽しむことができる土地柄なのだが、春はやっぱり野草と山菜の時期。そろそろかなーと思っていたが・・・

ヒラタケ上.JPG
↑「1本目のホダ」と呼んでいた折れた木に発生したヒラタケ
↓「収穫適齢期を惜しくも逃したシャカシメジ」といった風情のヒラタケ、同じ木
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今年は春のスタートもヒラタケから収穫できそうな予感がある。この時期にヒラタケが発生するのは数年ぶり。ヒラタケというきのこは「秋〜春」という3シーズンにかけて発生するといわれる。だからこの時期に発生すること自体さほど珍しくはないらしい。でもこのあたりではけっこうレアケース。

ヒラタケのことは秋まで置いておいて、春はやはり野草、山菜のシーズンである。前回かその前かに予告しておいた「春を告げる野草」を収穫した。このあたりは平均にくらべると多少遅めではあるが、今年も春の到来を告げてくれた。コイツです。

フキ.JPG

日本でも最も有名な野草の1つに数えられると思う。単勝1.1倍って感じだが、いちおう予想。

◎ フキノトー
○ ハシリドコロ
△ キク

もちろんみなさんも「◎ フキノトー」のことをご存知かと思う。でも改めてこうやって見てみると、なかなかかわいらしいもんでしょ?ジロジロ見てやってください。例年だいたい300個くらい出てくるかなー。収穫するのは100個くらいのもんだと思う。まあだいたいそんなにバクバク食うようなもんでもない。

なお、「○ ハシリドコロ」というのは比較的強い毒を持つ、花がフキノトーによく似た植物(だったと思う)。時期が同じかどうかはわからないが、けっこう似ているそうだから、野生のフキノトーを収穫する人は注意すべきである。

ちなみに「ハシリドコロ」の由来は「中毒症状が走り回るくらいつらい」とか「走り回るほど頭がおかしくなる」とか、なんかそんな感じの症状だったように思う。症状がつらくて走り回った経験が私にはないので、どちらかといえば後者の由来が正しいのではないかという気がする。いずれにしても、中毒は避けるべきである。

フキノトーというくらいだから、当然「フキ」の香りがする。フキよりもこっちのほうが香り自体は強いかもしれない。正直私は植物に関する知識が恐ろしく少ないので、フキとフキノトーの関係をよく理解していない。ミョウガとミョウガタケの関係と同じくらい不明である。

フキノトーって食いごろはいつ?フキノトーを採っちまうとその後のフキはどうなるの?フキノトーって全部の株に出るの?などといった数々の疑問を一切解決せずに、いたずらにちょん切って片っ端から収穫することにしている。ミョウガってどうなるの?のパターンもこれと同じである。

まあこれを読んでくれているお子さんはいないと思うし、いたらいたでひとクサレ注意のことばでもかけてやりたい気分になるわけだが、子供のころ、はじめてコイツを食ったとき、こんなにクソまじぃもんがこの世にあるとはと驚愕したのをよく覚えている。

当時はけっこう都会に住んでいたので、フキノトーが口に入ることもほとんどなく、基本的には毎年平和な春のはじめを迎えていたのだが、おせっかいな近所のおばはんがフキノトーを大量に仕入れてきて、これをウチに持ってくるわけですよ、猛烈に運が悪い春には。

すると母親はなぜかスイッチが入っちゃって、こんなに貴重なものを!などと目に涙を浮かべそうな勢いで辞令を述べ、その晩は恐怖の「フキノトー料理」が登場するのだ。死にそうになりながら1つ食って、もう2度と箸をつけないでいると、必ず言うのだ。

いっぱいあるんだから、食べなさい。

冗談じゃねえ!こんなもん1個までだ!これ以上食ったら死んじまうわ!と思いながら「もういい」と私は答える。これで「ああそう」なら何の問題もない。ところが私の母親はそんなに素直な人間ではないのだ。

「なんで?こんなにおいしいのに」
「いらない」
「食べなさいよ、おいしいでしょ?」
「おいしくない、まずい」
「何言ってるの?おいしいわよ」
「もういらない」
「あんたはなんでそんなに食わず嫌いなの?だまされたと思って食べなさい」
「・・・」

私は1つ実食しているのに「食わず嫌い」のレッテルを貼られ、食った結果私の舌は「まずい」と判定を下したにもかかわらず「おいしいでしょ?」と無根の疑問を持たれ、挙句は「おいしいでしょ!」と怒鳴り始める始末。あまりにも理不尽すぎる。今にして思うと、母は理不尽というよりただのバカだったのではないかの疑いも生じるレベルである。いや、当時もそんなふうに思った記憶が確かにあるぞ。

理不尽はこれだけで終わらない。「もうあんたはバカだねぇ・・・どうしてこんなにおいしいものを食べないの?ほんとにバカだねぇ・・・」最上級のしかめっ面で、こんなことをほざく。このくそばばあ!と、私は内心思っていた。

もしかしたらこの人はバカか?と思った人に「バカ」を連呼される始末。だから私にとってフキノトーは「理不尽な味」なのだ。

大人の読者の方であれば、フキノトーを一度くらいは食ったことがあるだろう。万一まかり間違ってコレをお子さんが読んでいたとするなら、悪いことは言わない。やめといたほうがいいぜぇ、フキノトー・・・

味をひとことで言うなら「クッソにげえ」のがフキノトーの最大の特徴。香りだっておそらく子供には不向き。何しろあの「フキの香り」を強烈にした感じなのだから。だからきっと子供からすれば「クッソにがくてくせえ食い物」と感じられるはず。こんなもん食わないに越したことはない。

しかしあれから少なくとも30年以上は経過した現在、実に不思議なことに、このフキノトーが「なんとなくうまい」と感じられるようになってきているのだ。さすがに「フキノトーのてんぷら」なんつったら苦すぎて食えたもんじゃないんだけど、花のひとかけらをみそ汁に散らしたり、うどんやそばのだしに浮かべたりすると、なんだかけっこううまく感じられるようになっているのだ。

しかも、見てみぬふりをしつづけたフキノトーを、一念発起で収穫して食ってみたほんの数年前から、なんとなく「うまい」感じを覚えるようになったのである。

まあ100個とってきても、実質私が食うのは1個分にも満たない程度なんだと思う。残りは家族がてんぷらだフキみそだと喜んで食うから、フキノトーもけっこう収穫しがいがあるのだ。

だからといって少年時代に受けた理不尽な屈辱が正当化されることは絶対にない。これだけは言っておかなければならない。それは金輪際絶対にありえない!

そんなくそばばあ・・・いや、私の母ももうすぐ90目前。1.5qも離れたスーパーまで単独で買い物に行くというから、相当理不尽なゴリ押しもやはりダテではなかったんだなぁと思う今日この頃である。

2019年02月21日

山の怪異0

必ずお読みください!

忙しかったことも確かにあるが、何しろこの時期はネタに乏しい時期である。だからなかなかブログを更新することができなかったが、ようやくひと段落ついたこのタイミングで久々に更新である。

更新していない間もできる限り山には通っていた。まだ春の気配は遠いが、それでもおそらくあと1週間もすれば春を告げる山菜が顔を出すことだろう。そのときにはまたブログを更新しようと思う。

ブログを更新しない間もまあ木の実を摘んだりキクラゲを採ったりして山のリスのような暮らしを相変わらず送っている。

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↑いろんなきのこが生える木の裏に生えた古いキクラゲ
↓その表側で雨をたっぷり吸い込んで丸々と太ったキクラゲ
水分.JPG

↓同じ木のコケ中キクラゲ 今季はヌメリスギタケ&モドキが出たがエノキが出なかったなぁ・・・
いっこ.JPG


でも今回は山の幸情報がテーマではない。それ系は完全なネタ切れである。そこで今回は久々となる「山の恐怖シリーズ」を再開する。

山ではいろいろなことが起こる。動物たちの凄惨な死に様を何度も目の当たりにしてきたし、時に自らの生命の危険を――それが動物によるものであれ動物以外の物理的なものであれ――本能的に察知したことも数知れず経験した。

そもそも私のように野生の山菜やきのこを口にする人間は、常に生命を脅かす危険と隣り合わせだ。トリカブトだってタマゴテングタケだって滑落だってイノシシだって、遭遇したからには「いちころ」である。

だからおそらく山に入らない人の多くにくらべて「恐怖」という感覚にとらわれる機会は多く、そういう感覚を察知する専用のインターフェースはそれなりに優秀なのだと思う。

山菜やきのこをとるのは、そういうインターフェースの精度を高めるためでも磨くためでもない。単なる道楽だ。でも意識とは裏腹に、好むと好まざるとにかかわらず、そいった未知なる感覚はどんどん鋭くなっていっているような気がすることも確かだ。


なあーんてことをほざいたりすると、いかにも私がこの世のものとも思えぬ魑魅魍魎との遭遇を日常とする稀有な人間であるかのように聞こえるかもしれないが、そんなことはまったくない。あなたと同じ「ただのおっさん」である。

これまで鹿が死んでたーとか鳥がいっぱいいたーとかクマのうんこだーとかいろいろな恐怖に触れてきたが、そのいずれもが極めて「現実的な恐怖」であった。見た瞬間、あるいは目の前の状況をちょっとだけ考察した結果、すぐに状況説明が可能になる種類の恐怖だったと思う。

まあ人が入らない山の中に好んで入るのだから、そういうことが起こるのはごく当たり前のことなのだと解釈している。それはある意味「慣れ」であり、またある意味では危険回避の感覚の鈍化でもある。

ところが、恐怖というほどのインパクトある感覚ではないものの、なにか奇異な、あとになっていくら考えても説明がつかないような「違和感」といった種類の感覚を察知することも、山の中ではけっこうある。そんな話をいくつかしていきたいと思う。

でもそんなことをいうと、いわゆる「おばけ」の話なんじゃないかと思う読者もいるだろう。はじめに断っておくが、そういう話とはまた別モノである(と信じる)。そもそも私は死んだ人間や動物が再びこの世に現れるといったオカルティックな話は原則信じない人間である。要は「頭がカタイ人間」なのだ。

それどころか信じる、信じないという言いぐさがそもそもキライである。もちろんそういうワケわからんものを信じる人も信じない人も否定はしない。ただ、自分の中では「ありえない」という自信というか、妙に確立した解釈に慣れてしまっているので、信じるとか信じないとか、そういう次元では「不思議なこと」をとらえないのだ。

「信じる」という人はもちろんそういうものを信じているのだと思うが、「信じない」と公表する人だって、そういうものを一旦は受け入れてあれこれ吟味した結果の公表なのだ。私は受け入れることさえしないので、信じてもいなければ信じていなくもないという煮え切らない考え方の持ち主である。要は「わからん、知らん」というスタンスなのだ。

そういうものを信じているわけでも信じていないわけでも受け入れているわけでもない。しかし「は?」というようなことは実際に起るからこの世はおもしろい。いや、あれはもしかしたら「あの世」のことなのか?まあそのへんのところがよくわからないのだ。

山で起こったそういう不思議なことは次回改めて紹介するとして、私がなぜそういうものを否定的に解釈するのかを簡単に説明しておこう。頭の悪さはこれでもかというくらい自覚しているから、頭ごなしに否定するのも好きではない。否定する以上はそれなりの根拠が必要なのだと思っている。

私がそういう妙なものを否定する理由は、「裸のおばけ」を見たという経験者の絶対数が少なすぎるからである。もし死んだ人間や動物が再びこの世に現れるのであるなら、それは必ず「裸」でなければならない。

そういうものにまったく疑いの目も向けず妄信する人にこの話をすると、半ば驚き、半ば憐みをたたえ、ものすごくバカな人間を見るような三白眼で私を見るからいつも悲しく惨めな気分になる。そういう目でこれを読んでいる読者は今すぐやめるべきだ、その目つきを。

で、裸の話。だいたいおばけってやつは、髪の長い白い服を着た若い女だとか、赤いワンピースを着た色白の若い女だとか、全身から血を流した兵士の男だとか、そんな話が多すぎやしないか?また死んだじーちゃんやばーちゃんが出てきたという話だって、きっと着衣のおばけなのだろう。これが納得いかない。

全身から血を流した全裸の男だったとしたら、そいつが兵士であることなんて絶対にわからない。私なら「全身から血を流すような不運に見舞われた変態男」と解釈するだろう。だから「兵士」と解釈する以上、彼は迷彩服のようなものをわざわざ身に着けて、体験者の目前に登場したはずだ。やっぱりどう考えてもおかしい。

おばけ(幽霊?)とは何か。私は興味がないから詳しくは知らないが、結局のところ「死んじゃった人(や動物)」の再現という解釈でほぼ間違いないだろう。では聞くが、人が死んだときにはその人が着ていた服も一緒に死んでるんですか?そして一緒におばけになるんですか?という拭われることがないギモンがいつだって浮上するのだ。

人が死んでおばけとして再現されたならわかりますよ。でもね、死んだのはあくまでも「人」なのだから、出てくるなら裸で出てこい!という気分なのだ。もちろん全身から血を流した兵士の男やじーさんやばーさんはお断りである。そんなもん全裸だろうと半裸だろうと、絶対出てきてもらっては困る。

ただ長い髪の若い女や赤いワンピースの若い女であれば、まあ私も鬼ではない、受け入れるスペースがココロに多少なりとも残っているとは思う。


以前ね、そういうことにものすごくお詳しい知人にこの話をぶつけたことがあったんですよ。その知人はものすごくおもしろいことを言っていましたね。

なんでも、人にしろ動物にしろ「物」にしろ、すべてのものにはエネルギーがあって、実体が滅びたとしてもそのエネルギーはこの世にとどまり、それが見る者の波長によって見えることがある・・・んですって。なんのこっちゃ。

エネルギーって・・・じゃあ、おばけのエネルギーって何ジュールなんですか?

訊きましたよ、わたしゃ。そしたらね、その方は言うんです。また「例の目つき」で。

あなたね、そういうことじゃないのよ。そういうこの世の常識にとらわれてはいけない。死んだ人が着ていた服にもちゃんとエネルギーがあるの。だからそのエネルギーをあなたは見ている。わかる?

わからない。まったくわからない。完全な脱力状態&ハニワ顔である。じゃあぼくが見た妙なものが着ていた服のエネルギーは何ジュールなんですか?とはもう訊かなかった。

そんな理由で、私は「そういうもの」を否定的な側に立って考えなければならなくなってしまったのだ。といいつつも、実際に説明がつかない出来事はあった。山の中で。まあ意外にも「山の外」でも昔はけっこうあったんだけどね。

また機会を見ながら、山の中限定で「説明がつかない出来事」に触れていきたいと思う。

2019年01月30日

第15R〜謎の中毒性!?「危険な実」その名は・・・

必ずお読みください!

めちゃくちゃ久しぶりである。みなさんお元気でしたか?

インフルエンザが猛威を振るう中の久々ブログ投稿となると、コイツはインフルにやられてたな?と思うかもしれないが、私は無事である。満員電車に何度となく「マスクなし」で乗ってもインフルにかかることはなかった。

別に私が特別丈夫にできているわけでもなければ、人知れず妙な抗体を持っているわけでもない。満員電車の乗客たちを見ると、ものすごい割合でマスクをしていることが確認できた。「女性専用車両」というのもあるが、ここはもしかしたら「マスク専用車両」なのではないかといぶかるほどのマスク人口だった。

おそらくそういう事情で私はインフルの毒性を回避することができたのだろう。私が乗った電車の乗客はエライなぁと思う。そんなわけで、いつもどおり比較的健康的な状態で、新年2発目の記事。例によって予想である。

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この画像を見ただけでその正体を暴いてしまったアナタは相当な山ツウであろう。たぶん2、3回はクマに食われ、4、5回はイノシシに踏みつけられたことがあるのではないかと察する。それはともかく、予想。

◎ フジ
△ ただの石
△ カモシカの糞

正解は「◎ フジ」ですね。フジというのは、あのだらだらと紫色の花をつける植物。かなり有名ですね。私もよくテレビなどであれを見るが、ああやってまとまってどばーっと咲くと、いたくキレイである。

昔の人が「いとをかし」なんていっちゃう気持ちもわかる。をかしすぎてしょーがねーっつーレベルでキレイだと私も思う。

しかしどういうわけか、私が入る山のフジは全然キレイじゃない。ポツンポツンと咲くせいだろう。むしろばっちく見える。なぜなのか、その理由はイマイチわからない。

というのも、このフジの種というやつは、信じられないくらいの量が道の上に落っこちているからだ。あれが全部花になったなら、おそらくとんでもねぇレベルのいとをかしさであろう。

しかも種が飛散する音がものすごいんですよ。なんつーかね、インゲン豆ってあるじゃないですか。あれを巨大化させた感じなんだけど、その超巨大インゲン豆の外側の皮がものすごく硬いイメージですね。それがものすごい勢いで破られ、中の種が飛び出してくるのだ。

歩いて靴の下で踏みつぶすとガチガチと音を立てて外側が粉砕されているのがわかる。しかし私の歩き古した靴は底がすり減っており、底を突き破ってあの鋭利な皮の切っ先が足裏を刺し貫くんじゃないかという、けっこういっちょまえの恐怖感も実はある。車があの道を通ったらパンクするんじゃないの?というくらいの、なかなかの鋭さなのだ、たかだか「皮」のくせに。

頭上であの種(一般に「フジの実」と呼ぶらしい)が勝手にパンパン!とはじけ飛ぶ音はちょっとしたもの。すごい音ですよ。テレビの刑事ドラマの銃撃戦ではどひゅんばひゅんとそれらしい銃声がするが、フジの実は「パン!パン!」というシンプルな破裂音で、こっちのほうが銃声としてのリアリティを感じさせるのだ。

とはいっても、テレビもフジの実の破裂音も「銃声」ではないんだけどね。でもほんとにはじめは山の中で誰かが銃撃戦をしているんじゃないの?と感じたほどであった。

もう1つ、この「フジの実」というやつには特徴がある。実に毒があるという特徴である。ところがこの実、食う人もけっこういるのだ。毒の実を食っちゃうなんてバカだねぇ・・・なんて思う。そう思っている張本人の私も食う。

大してうまくはない。私は酒のつまみに大量のナッツをストックしているが、ナッツにくらべると「まずい」と言っても大げさではないレベルの味だ。ところが、である。

まじぃなぁ、これ・・・なんて思いながら1つ、また1つとつまんでいるうちに、なぜか手が止まらなくなるから不思議なんだなー、これが。何しろ毒を持つといわれる実だから、食うのは1回に5〜6粒程度にとどめるべきだとも言われる。でも止まらないですねー。「かっぱえびせん」の原材料を調べたい気持ちになってくる。

いやいや、今の時代うっかりしたことは言えないが、正直いって、やめられないとまらないの次元は「フジの実」に軍配が上がる。うまさでいえば迷うことなく「かっぱえびせん」なんだけどね。なんだか知らんけど、フジの実には謎の中毒性があるので、食おうと思う人は要注意である。

「謎の中毒性」といえば、私は伝説のパンクバンド「あぶらだこ」のファンである。はじめて聴く人は例外なく耳をふさぎたくなるくらいのひでぇ楽曲が多いが、ガマンして聴くうちに「あぶらだこ抗体」ができ、しかもドーパミンだかなんだかを分泌する作用があるらしく、聴かずにはいられない中毒性を伴うから危険な楽曲の数々である。

でもさすがにあぶらだこを聴きながらフジの実を食う勇気は未だない。でもちょっとやってみたい気もする。インフルには感染しない私も、あぶらだことフジの実の中毒には完全に敗北である。

ついでにあぶらだこをぱくって「フジの実の歌」をちょっと作詞してみた。

フジの実すぎるーフジの実ー
フジの実をー、フジの実にとー、フジの種ー

人生初の作詞だが、まずまず上出来だと思う。

2019年01月07日

第14R〜新春の野草

必ずお読みください!

おめでとうございます。

だいたい5年に1年のペースで正月はずっと仕事に追われることになる。その後も業界のマイナーチェンジが2〜3年に1回ずつくらい行われ、その都度けっこうな攻撃を受けるが、今年はその「5年に1回」に当たる年で、山に行くのは久々である。

昨日まででいちおう締め切りまでのメドがたったのだが、仕事始めの「本日夕方」が実はたいへんな危険日であって、このあとどばーっと仕事が入る危険性が実は高い。新年早々まったくありがたいことである。

ということで、私に残された猶予はあと数時間。とり急ぎ久々の山に入り、さっそく冬山の幸を収穫してきた。新年最初のブログだから、まずは予想の形をとろうか。こいつです。

ハコベ0.JPG

今日は「七草がゆの日」である。だから七草がゆにちなんだ食材がテーマ。要は、七草がゆのメイン食材「七草」のうちの「ひと草」ですね。まだ食っていないが、さっそく予想をする。

◎ ハコベ(ラ)
○ ナズナ
△ セリ
△ ゴギョウ
△ ホトケノザ
△ スズナ
△ スズシロ

まあこいつは山に入らずとも、そこらへんの道っぱたにわんさか生えているのでご存知の読者も多いと思う。私も毎年こいつを食っているので、「◎ ハコベ(ラ)」で間違いない。まあ正直そこまでうまいと思える野草ではないのだが、いちおう縁起ものというか、時期ものなので、ちょこっとつまんで採取してきた。

とにかくものすごい量のハコベが生える。何しろアスファルトの間隙を衝いて生える野草だから、ちょこっと山に入れば腐るほど生えている。

ハコベ1.JPG

これもハコベ。

ハコベ2.JPG

こいつらも全部ハコベ。

ハコベ3.JPG

1人じゃ無理!みなでハコベー!という量(新年早々恐ろしくくだらないことを言ったと思う)

冬の野菜不足の時期には意外と貴重な野草だったりする。まあ好んで食いたいとは思わないが、猫がきまぐれにそこらへんの草をかじる程度には必要性を感じる野草ではあるだろう。

どうせこんな野草を食うのは私だけ。家族は見向きもしない。だいたいあの連中は私がとってきたものなんて絶対に食わない(ヒラタケを除く)。そのかわり、食わないコイツ(↓)は意外と好評で、リクエストが絶えない。

朴葉.JPG

朴葉(ほおば)ってやつですね。食わない朴葉がいったいなぜ家族の好評を得ているかというと、これ、皿の上に敷くと肉や魚の脂が皿につかないため、洗うのがラクというメリットがあるから。しかも火(熱)にも強いため、フライパンの上で肉や魚を焼くとフライパンが汚れないというメリットもある。

だからこの葉っぱはけっこうビッグサイズなんですよ。これ、一番幅が広い部分は私の顔の横幅くらいのサイズ感。長いほうは大ぶりの尾頭付きサンマなら余裕をもって布団となることができるサイズである。

そういう理由で、洗い物担当の家族による「朴葉を拾ってこい」というリクエストが多いのだ。でもこれ、かなりデカイ袋を持って行かないと入りきらないし、入れば入ったでかさばるからけっこうめんどい葉っぱでもある。

まあ火に強いということで「朴葉みそ」というメニューがけっこう有名で、酒のみにも合いそうなメニューなので、いつかチャレンジしてみたいと思う。ただ、今はまだその時期ではないので、収穫したキクラゲでも乗せて新年はじめのブログを終わろうと思う。

キクラゲ朴葉.JPG

今年もお願いします。

2018年12月29日

お礼参り/なんかおった(山の恐怖4)

必ずお読みください!

例年のことなのだが、1年お世話になった山(もしくは山の神)にお礼参りに行くことにしている。きのこなり山菜なりを採らせてもらった木や地べたに、持参した酒をぶっかけている。

DSC_0124.JPG

だから一昨日「今年はもう行かない」と書いた気持ちが悪い道にも行った。まだ日が高い時間帯であるにもかかわらず、気持ちわりい道の奥は真っ暗。気持ちわるさに拍車がかかっていた。

主にヒラタケ、春〜夏にかけては山ミツバを採らせてくれた場所なので、酒もたっぷりぶっかけた。お礼であるにもかかわらず、新たなヒラタケが発生していて驚いた。

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↑2本目のホダ。ちょうど元日あたりが採りごろか。
↓気持ちわりい道のメインホダ木のとなりの木。このヒラタケは凍っていた。
DSC_0129.JPG

昨日に続き今日もお礼回りが無事終了し、明日はまた別の場所でお礼をしてこなければと、意識はすでに明日に飛んだタイミングで、私の耳に不吉なガサゴソ音が飛び込んできた。

以前この一帯はカモシカの群生地であるという話をしたと思うが、ガサゴソ音の大きさに思わず振り返って、その瞬間その大型獣はカモシカではないことに気づいた。

茶色っぽく、妙に四角い大型獣だった。前回掲載した写真からもわかるとおり、イノシシがこのあたりでどうやら出没している。しかしいくら光が差さない薄暗い山とはいえ、こんな真昼間からイノシシが出没するとは考えにくい。

とすると、クマ?可能性としてはクマの確率が高いと思われた。しかしクマがこの時期に出歩いたりするのだろうか?絶賛冬眠中であると考えるほうが自然だと思うのだが・・・

といいうことで、明日もお礼参りは続く。

2018年12月16日

山の恐怖#3〜山の超恐怖/家の恐怖

必ずお読みください!

今年はもうヒラタケは出そうにない。ヒラタケはそろそろいいや、なんて思ってたんだけど、いざ出そうもないとなると、なんだかとても寂しい気がする。だから出そうもないと思いながら、出現率が高い「気持ちわりい道」に足を運んでいる。

不意に、やけに甘い香りを察知する。あ、あまーいと思ってその原因となっている対象物を探ると、そこにはこんな赤い実があった。あ、これはクサギってやつだと思い、私は思わず顔をしかめた。イケメンも台無しである。

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クサギは「臭い木」だからそう呼ばれるっつー話をどっかで聞いた。もしくは見た。クサギの臭さは私もよく知っており、とてもあのあまーい香りと同一人物とは思えなかった。そこでもうちょっと探してみると・・・その隣に名もなき(いや、私の頭の中に名がなき)木があった。紫のかわいらしい実をつけていた。

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なんやこれ?と関西人でもないのにそんなことを思ったが、こんな山んなかで答えを教えてくれる者などない。そんな者が急に現れたらとんでもなく怖いから、教えてくんなくてもいーやと思い、とりあえずつまんで食ってみた。甘い。香りにたがわぬ見事な甘さ。

でも果実らしい香りにはおよそ乏しかったのは少し残念。これ、あとで調べたらどうやらムラサキシキブという木の実だという。

甘い香りのおかげで、気持ち悪い道の割にはリラックスして歩いていたが、やはりこの道はひと筋縄ではいかない。何かと物騒な話が耳に届く今年のこのあたりの山だったが、個人的に今年最高級の恐怖を味わうことになる。

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↑何者かがこのぬかるみで何らかの行動を起こしたらしいことがわかる。周囲の木や草が倒されている。

こんなところになんで水たまりがあるのかなーと考えながら日々この道を歩いているのだが、水たまりが周囲の土と混じって、完全な「泥」へと変貌していた。この場所だけではなく、道という道が何かでえぐられたような痛々しい傷痕を刻んでいた。

その正体を推測する重要な手がかりを見つけた。

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↑中央部のくぼみはおそらく大型獣の後足のあとだろう。
↓そしてこの特徴的なフォルムの足跡。もちろん前足のあとだ。こんな足跡を残す動物はアイツくらいのものだ。
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やっぱりねーと思った。十中八九イノシシである。「豚足」というやつに酷似する。まさか豚ってことはないだろう。やっぱりどう考えてもイノシシなのだ。この道、とにかく大型獣の気配が濃い。何かの足跡がたくさんあるのだが、それが多すぎてよくわからなかった。でもこれではっきりした。

この道の道幅は狭い。こんなところでイノシシと出くわしたら一巻の終わりだなぁ・・・

山を歩き自然に親しむのは楽しい。でもときおり不意に死のにおいを嗅ぎとることがあり、ヒヤッとする。しかも生々しい死のにおいだ。先日の雌鹿のように。とりあえず今年はもうこの道には行かないことにする。

2018年12月10日

パドック2〜イイギリ追跡調査&巨大怪鳥の考察

必ずお読みください!

昨日、テレビで見た「ブドウハゼ」によく似ている(と私が勝手に思い込んでいた)「イイギリ」について触れた。ブドウハゼはもともと赤い実であり、あれが紅葉的な進化だか退化だかによって金色っぽく変色するのだと考えていたのだ。もしひと粒でも金色の実が見つかれば、私は疑うことなく「ブドウハゼ」と判断していたと思う、というような話をした。

しかしイイギリはイイギリである。私ははからずも「みにくいアヒルの子」という童話を思い出した。イイギリの赤が進化だか退化だかした写真を今日山でカメラにおさめてきたので、ご覧いただこう。

DSC_0114.JPG

これを見た瞬間、あ、いい感じに熟した山ブドウ発見!と喜んだ。しかし枯葉から引っ張り上げてみるとご覧の通り、実以外の構造がブドウと大きく異なる。山ブドウもスーパーで売っている一般的なブドウと同じ構造をしている。そしてこの正体がイイギリであるとわかってしまったとき、私はけっこう落胆した。

イイギリは金色に変色しないんだなー(つまり、ブドウハゼの可能性がほぼゼロになった)という落胆と、食えるには食えるけど山ブドウとは味に天地ほどの差があるんだろうなーという落胆。

実際イイギリがどういうふうになっているのかも撮影してきたので、ついでにご覧いただこう。

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↑「独りバックドロップ」という自爆技が存在するならこんな角度に首を曲げるんだろうなーと思うような角度で見上げながらの撮影。パソコンやスマホでご覧いただく分にはふつうの角度でご覧いただけます。

念のため説明を加えるが、ボツボツと山柿の実のようなものがたくさんなっているでしょ?この画像状の柿ちっくなひと粒が、上の画像の「ひと房」分ですよ。つまり、ちっちぇえ粒は数えるのが不可能なくらいたくさんあるんです。意味わかりますか?説明ヘタクソですいませんねぇ。

私は右脳だか左脳だか、あるいは前頭葉だか後頭部だかわからんけど、たぶん脳のどこか一部がおかしくなっていて、ふつうの人間よりもノルム空間(簡単にいうなら、空間における2点間の距離)の分野では脳が正常に機能していないのではないかという疑念を昔から自覚していた。

直線距離にしてもノルムの見当は恐ろしく調子っぱずれである。脳は基本水平方向の感覚に慣れ親しんでいるから、鉛直方向の感覚は鈍いのではないかと推測する。とすると、木の高さなんて確実に不明である。富士山は3700メートルですなんて言われても、私には「はぁ?」としか思えない。当然独りバックドロップの角度で見上げた木の高さなんてまったくわからんのですよ。

ただ、やたらと高所にこうしてイイギリの赤い実はなっており、落下して時間が経過すると、金色ではなく、黒いような紫のような、ススケヤマドリカラーへと変色するのだ・・・ということだけは今回学習できた。この学習が何らかの役に立つのはおそらく1000年に1度くらいの頻度だとは思うが、学習できたことはものすごくちょっとだけよかった。

ちなみに今日は一番奥のヒラタケホダ木(最もデカくて分厚いヒラタケが最も大量に発生する木)を見に行ってきたのだが、残念ながらヒラタケはまったく出ていなかった。だから珍しくヒラタケ画像なナシ。

しかしそのホダのところに行くための急斜面の途中に立っている大木に、こちらは間違いなく山ブドウがなっているのを発見した。こちらはいかにも山ブドウらしくカラフルな実がたくさんなっていたのだが、残念ながら大木の高所にブドウ蔓が絡まるようにしてなっていたので、収穫は物理的に不可能だった。結局またもや落胆である。

落胆ばかりしていてもしかたがないので、ここで話を変える。先日の「山の恐怖」の鹿が死んでた回のとき、巨大な鳥がいたっつー話をしたじゃないですか。この鳥の正体について推測。今日はクマもイノシシも鹿も登場しないが、数種類の「鳥」が登場する少々イレギュラーな回である。鳥ファンの方、お待たせしました!!的ノリでお読いただきたい。

ノルムが対象の脳機能は劣っていても、物体そのものの大きさはおそらく人並みに推測できる程度に私の脳は役立つ。かの巨大な鳥、一見して私の脳は「カラス2羽分」と瞬時に判断を下した。このあたりの大型鳥はカラスとオオタカくらい。カラスは見たくなくても目に入るが、オオタカもごくまれに目にすることがある。

しかしオオタカはデカいサイズでもカラスと同じかカラスよりひと回り小ぶりなのがふつうサイズだ。とすると、カラス2羽分の鳥がなんなのかの想像がまったくつかなくなってしまったのだ。このへんにいるとなると「フクロウ」の可能性がまずは考えられたが、調べた結果、日本にいるフクロウはどんなにデカくてもカラスをひと回り大きくした程度である。カラス2羽分というのは少々無理がある。

そこで「ワシ」の可能性を考えた。しかしワシ数種類もイメージほど大きくはなかった。イヌワシというバカでかいワシもいるが、残念ながら私が住む周辺にイヌワシは生息していないことがわかった。ではアイツはいったい何者なのか・・・ここで私の脳は思考停止状態に陥った。

内心「もういいかなぁ」などと思いながら、もうこれでラストチャンスと思って最後に渾身の検索をかけた。「茶色 デカイ鳥 私が住む地方」で検索をかけたところ、これまでに調べた鳥とは異なる大型鳥がヒットした。みなさん、なんの鳥だと思いますか?

正解発表!鹿の死体を食っていたと思われるあの鳥、私の検索が正しければ、「クマタカ」というタカの仲間ではないかと推測した。おお!クマタカ、確かに聞いたことあるぞ!とちょっと興奮した。オオタカは東京の真ん中あたりにも姿を見せることがあるくらい「意外と身近な猛禽類」だったりするのだが、まさか私が住む近辺にクマタカが出るとは思わなかったなぁ・・・

鹿のときのブログにも書いたが、なんだか鳥にしちゃケツがでけえなぁと妙なところに関心しながら、私を誘導するように飛行していたその怪鳥(けちょう)を眺めていたのだが、クマタカって、割とケツのほうがデカく見える鳥らしい。猛禽類の中ではかなり珍しいシルエットなんだそうだ。それで、私が見た怪鳥もクマタカなんじゃないかなと判断したのだ。

クマタカの画像は残念ながらカメラに収めることができなかった。そこで、代わりといってはナニだが、同じ山の別の鳥・動物の画像を掲載しようと思う。

DSC_0013.JPG
↑思わず「あーっっ!」て声出しちゃいましたよ。誰だこんなもん捨ててったバカタレは・・・
↓山に入ればだいたい3日に1日くらいの割合で出くわすカモシカ。このあたりはカモシカの群生地になっている。
1497099257451.jpg

ということで、私が見たデカイ鳥はオオタカでもフクロウでもイヌワシでもなく、どうやら「クマタカ」ということでいちおうの決着はついた。めでたしめでたし・・・て感じで、今回はおしまいです。


・・・てか、結局また「クマ」かよ!

2018年12月07日

第13R〜ブドウハゼ&ヒラタケ&そういえばの話

必ずお読みください!

昨日テレビを見ていたところ(実はこれを書き始めたのは数日前。内村さんとかサンドさんとかが出てたやつね)、「ブドウハゼ」が話題になっていて驚いた。驚いたなんていうと私の山にブドウハゼがあるのではないかと思われるかもしれないが、そういうことではない。あっても不思議ではない気もするが、少なくとも私は確認していない。

ではなぜ驚いたのかというと、一瞬私の山で大量にみかける「ブドウにそっくりな木の実」を思い出したからだ。あ、あれはもしかしたらブドウハゼ?と思ったから驚いたのである。実はこのブログでもすでにその木の実のことは紹介している。こいつだ。

台風で山がひどくやられたとき、たいへんな高所にどばーっとなっているブドウ状の木の実が軒並み落下した。テレビで見ていて、もしかしたらアレが金色に変色するとブドウハゼの実になるのではないか・・・そう直観したのだ。

私の直観なんて当たった試しがないのだが、直観以外にもちゃんとした根拠が珍しくあった。それは「私が入る山にはハゼが多い」ということ。ハゼったって魚系のハゼじゃあないですよ。今紅葉の最盛期を迎えている山では、「ナンキンハゼ」というハゼ科の木の紅葉がとても美しい。

なんだかわからん木の実が落ちていたとしても、その正体を探るための時間を割くほど私は勤勉ではない。食えるかもしれないきのこなら一生懸命調べるが、どう見ても食えそうにない木の実の正体なんてどうでもよいのだ。しかしテレビを見て、希少価値が高い木なのかもしれないと知った以上、なんとか調べたいと思った。

そして調べた。たぶん正体を突き止めた。とりあえず予想しようか。

◎ イイギリ
△ ブドウハゼ
△ ナンキンハゼ

赤い木の実は相当な強毒のものもあるというから、なんでもかんでも試しに食ってみようという考え方は捨てたほうがよい。私もこのブドウ状赤い実の正体を調べながら、そういう考えは捨てることにした。強毒赤い実に当たらなくてラッキーだった。これまでは。強マズイ赤い実は何度か食らったが。

で、結論からいうと、おそらく「◎ イイギリ」で間違いないだろう。そして実はこの赤い実、食えるんだそうです・・・びっくりしましたよ、正直。食えなさそう感のものすごさはタマゴタケの比ではない。なんというか、毒の有無がどうのというよりも、恐ろしく食欲がわかない実なのである。やっぱり神様がつくったもんは奥が深いなー。

ただ、食って害がないという程度のもので、よほどの事情がない限り食いたいと思うような味ではないらしい。調べた印象からは、「基本ビターでうすら甘い感じの実」なのではないかと想像する。たとえばクマと出くわし決闘するも敗れ、足のほうから食われている最中にクマが急用を思い出して帰って行った・・・などという抜き差しならぬ状況以外では、イイギリの赤い実を食う機会もなさそう。

足だけ食われて動けなくなって、食わなきゃ飢え死にしちまうという状況以外では、少なくとも私は食わないと思う。私だったら足だけ食われて動けなくなった時点で助けを呼ぶと思うので、足だけ食われてもイイギリの赤い実を食うことはなさそうだが、果たしてどうだろうか。

さて、ここからはずいぶんたまってしまったヒラタケの写真を節操なく掲載しようと思う。今日も「薄気味悪い道」方面に行ってきたのだが、もう出ないだろうと思っていた木からまた1sくらいのヒラタケを採取してきた。まあ、たぶん時系列になっていると思うので、まったく変わり映えのしないいつもと同じヒラタケ画像を見たいという物好きな方はどうぞご覧ください。どうぞどうぞ、遠慮なんて要りません。どんどん見てください。

11月29日
一番奥.JPG
↑前半戦ラストで大量に収穫した一番奥のホダ木。顔ぐらいある。デカすぎだろう・・・
↓決して小さくないが小さく見えるノーマルサイズのヒラタケ。同じ木。
一番奥1.JPG

例年2回に分けて15kgくらい収穫できる木なんだけど、今年はまだ出そうな雰囲気がある。明日あたりまた行ってみようと思う。

12月4日
124ムラサキ.JPG
↑1本だけこんな時期に出てきたムラサキシメジ。目立つので残しておくとロクなことにならないという前回の反省を生かし、普段なら絶対に残す「たった1本」をありがたくいただいてきた。相変わらず土臭いが、相変わらずシメジ的美味。

12月7日
127台風.JPG
↑台風でぶち折れた木。デカイ。ここのは毎年そうだが。
↓そのちょっと先の「1本目のホダ木」と呼んでいた木。この木はいったい何回出るんだ?
1271本目.JPG

先日ムラサキシメジを掘り返すように持って行った人とおそらく同じ人が持って行ったホダ木で、きっとこれが(この木では)今年のラストだろうなーと思っていたら、まだ出るから驚く。さすがにもう最後だと思う。

そして今日。薄気味悪い道で今年新たに見つけたホダ木。こいつも4発目か5発目。毎度撮影して掲載しているわけではないが、この木を含む周辺の木々は年がら年中ヒラタケを発生させている。薄気味悪いのは道ばかりではなく、ここらへんの木々もけっこう薄気味悪いぞ。そしてここらのヒラタケもなんだかヤケにデカイしちょっと気味悪くなっている。

薄気味今日.JPG
↑まとまって出ていたのでその周辺のチョビ出ヒラタケも含め採取してきたが・・・
↓周辺の木々にはこんなのがひっきりなしに出てるんですよねー。ほんとうにいつも出てる。なんだこれ?
一番奥近く.JPG

とにかくこのへんのジメジメ感のすごさといったらなく、おそらくヒラタケにとっては絶好の環境なのだろう。でけえし分厚いしいつも出てるし香りも強いし、誰に気兼ねすることもなくひたすらのうのうと成長している感がある。

だったらヒラタケ以外のきのこももうちょっと頑張れよと個人的には思うのだが、なかなかそうもいかないんですねー。数年前にこの近辺でブナハリタケをちょこちょこっといただいたことがあったが、あれ以来全然出ねえし。

あ、そういえばですね・・・ここからが今日の第3話目。
先日農協に行ったんですよ。まあ自宅からはちょっと遠く、地図で見る限りでは自宅近辺なんて比じゃないくらい山ばっかの、車で30分くらいのとこなんですけどね。とにかく野菜・フルーツ類が安く手に入るということで、掘立小屋のようなきったねえ店構えなんだけど、通勤ラッシュかよってくらいに毎度人だらけの店である。

野菜やフルーツのことはよくわからんからそっちは家族に任せ、私は酒コーナーとかナッツコーナーとか、人がいない方面で時間をつぶしているのだが、そのとき見つけた。「150g入りヒラタケ324円特価!」というラベルを・・・

私はあくまでも趣味の一環としてきのことりをしている。いろんなきのこに親しみたい気持ちがかなり強い。ヒラタケに偏ってしまうのは偶然であり、いくらヒラタケがいっぱい収穫できるからといって、近所の人や家族がいうように「売る」なんていう発想は微塵もない。

去年もダメだったが、今年は台風直撃の影響もあって、ヒラタケに限らずだいぶ量的に少なくなってしまった。多いときでは推定40kgを超えるヒラタケを収穫したことがある。相当な量を近所や遠方の親類に送り付けてなお、1年かけても食い切れないくらいだった。今年はたぶん20kgは超えていると思うが、30kgはいっていないと思う。

40kgの年は、たぶん頑張れば50kgくらいいったんじゃねえかなぁと思われるくらい猛烈な発生だった。仮に50kg収穫したとして、150gの原価100円ですべて売りさばいたとしよう。すると、50×1000÷150×100円の収益ということになる。ここからは電卓の出番だ。まあ大した数字にはならないだろう。だから売るつもりなんてまったくないんだけど・・・

いや待てよ。天然ヒラタケだと付加価値も見込めるはずだ。デカさだって、農協の栽培ヒラタケなんて150gパックを丸ごと覆うくらいの傘サイズだぞ。よし、ちょっと某有名通販サイトでカンニングしてこよう!

カンニングしてきた!なんと!私が収穫しているのと同じくらいのサイズ感のヒラタケで「300g2100円!」だってさ!やたらと「!」ばかりでうるさくてごめんなさい!でもさ!グラム単価が700円ですよ!ちょっとこれで計算してみます!すると・・・

50×1000÷100×700=35万!!!!

やっぱり売ろうかなー・・・なーんて、考えちゃいますね。もちろん売りませんよ。今年の25kgで計算しても17万5000円にはなるけど、売りません。17万5000円分を俺1人で食ってやるんだーーーー!

ということで、最後はとんでもなくイヤラシイ話をしたところで、今回は終わり。

「本家予想ブログ」もよろしくーーー
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