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2020年01月30日

オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 水口宿〜土山宿)




 水口宿〜土山宿、二里半(12.1km)を進みます。



 水口宿を出て、野洲川沿いを進んで行きます。ほどなく、今郷一里塚があります。このまま街道をゆくと、茅葺家などが見ることも出来るそうです。
800px-Minakuchi-Ishibashi.jpg

 このまま街道を進むと野洲川に架かる屋根のある歌声橋があり、橋を渡って、街道を離れると旧松尾川の渡しがあります。松尾川は江戸時代の野洲川の呼び方だったようです。船で川を渡っていたと言う事は、ここも交通の要所だったのでしょう。



 街道に戻り土山宿を目指すと、大黒屋本陣跡に到着です。大黒屋本陣は甲賀武士の末裔土山氏と土山の豪商大黒屋が勤めていた本陣であると、言う事です。近くには土山家本陣跡もあります。
 土山家本陣跡から少し行くと、来見橋に差し掛かります。此処が土山宿の東の入り口らしいです。しかし、その後も土山一里塚や上島鬼貫の句碑などもあります。
 ならば、西の入り口は?どうやら、大黒屋本陣跡の辺りが西の入り口らしいです。
 土山宿は、平安時代より伊勢参宮道が旧東海道筋を通る為、鈴鹿峠を越えなければならず、難所を控える宿駅として発展しました。鎌倉時代東西の交通が更に重要視され、武士、商人、庶民の通行も盛んになりました。更に、土山宿は雨の多い所でもあり、鈴鹿馬子唄では、「坂は照るてる 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」と唄われています。坂は坂下宿、鈴鹿は鈴鹿峠、土山は土山宿で、坂下宿は晴でも、鈴鹿峠で曇り、土山宿では雨が降っているという意味です。
1024px-Hiroshige,_Daimyo_procession_crossing_a_bridge.jpg

 土山宿での、美味しいものを調べてみました。道の駅あいの土山の抹茶ソフトの盛り放題というのが有りました、一日100個限定らしいです。次に日本一たい焼き国道1号沿いに有り、行列のお店だそうです。そして、蟹ヶ坂飴、麦芽水飴を煮詰め丸く成型した飴です、この飴の発祥には蟹の言い伝えが在ります。この飴は土山宿でしか手に入らないのでは?
 次は鈴鹿越えの坂下宿を目指します。



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