2020年01月28日
オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 石部宿〜水口宿)
石部宿から水口宿を目指します。
石部宿を出て直ぐに、落合川に差し掛かります。川を過ぎて暫く行くと、由良川隧道があります。この隧道は、野洲川支流の由良川が頭の上を流れています。天井川と言うものです。隧道の手前に碑があるようです。隧道を抜けると夏見立場新田道道標があります。
少し行くと、夏見一里塚跡があり、それを過ぎて暫く行くと、野洲川支流の大沙川に差し掛かります。大沙川も由良川同様天井川で、大沙川隧道となっています。隧道の上には弘法大師が植えたとされる大杉があります。隧道を抜けると碑があるようです。
野洲川の手前、街道を反れて、JR草津線沿いに天保の義民碑が建っています。天保一揆犠牲の犠牲者を慰霊するために建立された物です。
街道に戻り、野洲川を渡り国道1号に出て直ぐに、県道535号へ入ります。野洲川沿いを少し行くと、横田の渡しです。横田の渡しは東海道一三渡しの一つで、交通の要所だったこの辺りは、横田川と言われ、幕府の政策で橋が架けられず、難所だったそうです。辺りにはその常夜灯も立っています。
ここで県道535号から反れると東海道です。少し行くと泉一里塚跡がありますが、新しく復元された物らしいです。
泉一里塚から暫く進むと、松並木が続きその先に北脇繩手の碑が有ります。此処は曲がりくねった道を直線状に整備されたものです。
少し行くと、林口一里塚跡です。この辺りが、水口宿の西見附に当たります。近くには水口城跡もあります。そのまま、近江鉄道を過ぎると、東へ三筋に分れた道が有り、城への侵入を防ぐ迷路の様な役割を果たしていたそうです。
三筋を過ぎると、本陣跡です。足利将軍の伊勢参り時休憩場所となった場所でもあり、水口宿には本陣と脇本陣が置かれていました。東見附は江戸口と呼ばれています。
水口宿は、都から伊勢に通じる要地として早くから開け、徳川家光の時代に、水口城が築かれ甲賀地域の中心としての地位を固めて行きました。
水口宿の美味しいものを調べると、スヤキと言うものがあるようです。麺を葱、もやしと一緒にラードで炒めた焼きそばの様なものらしいです。味付けは各自でする様です。
次は、土山宿に向かいます。
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