2020年01月26日
オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 草津宿〜石部宿)
草津宿から石部宿へは、県道116号から県道12号に入ります。
交通の要であった草津宿を出てすぐに、牛馬養生所跡があります。老牛馬が余生をおくる施設らしいのですが、生類憐みの令が発令されるきっかけとなったという説があるようです。
牛馬養生所跡から1kmほどの所に、目川の一里塚があり、広重の絵にも、描かれている田楽茶屋があったところです。その田楽茶屋が再現されているそうです。その、県道116号と117号の分岐点に東海道と中部街道の石碑があります。
暫く行くと、足利義尚公鈎陣所の碑が有ります。本陣跡は200mほど西の永正寺だそうです。程なく進むと稲荷神社が有りますが街道との縁の程は分かりません。
稲荷神社から1km程行くと、六地蔵一里塚跡の石碑があります。その数百m先に、旧和中散本舗の石碑があります。和中散は、家康がこの辺りに滞在した際に腹痛を起こし、この薬を飲んだところ治まり、この薬を和中散と名付けたという言い伝えがあるようです。すぐ近くには六地蔵尊があり、国宝となっているようです。近くには、東海道から少しそれますが、新善行寺があります。長野に行けない人々の為に建立されたそうです。
東海道に戻って石部宿を目指します。名神高速、国道1号を越えると街道とは縁は無いものの本殿は京都の上加茂神社を移築したものらしいです。街道からは少しそれています。
街道に戻り直ぐに、小島本陣跡があります。明治天皇が止まった事のある豪華な本陣だったようです。
いよいよ石部宿です。その手前に、東見附跡があります。番人が通行人を見張る事から見附と言ったそうです。宿場の出入り口にも有ったそうで、石部宿の場合東西2か所に有りました。
石部宿は、京都から3番目、江戸からは51番目の宿場として栄え、伊勢参宮街道の分岐点でもありました。京都からは丁度、一日の行程であった事から「京立ち、石部泊まり」という言葉が有ったそうです。宿場内には二軒の本陣、旅籠32軒など458軒が街道に立並び1.6kmに渡っていました。その中央には問屋場や高札馬が有ったそうです。
草津宿石部宿間は、二里二五丁(11.7km)の距離です。
さて、石部宿で美味しいものは?と調べてみたのですが、一ついもつぶしと言うのが有りましたが、湖南市で食べられるお店を探すのは難しそうです。
次の、宿場は水口宿です。
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