2020年01月25日
オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 大津宿〜草津宿)
今回は、大津宿からのスタートです。
実際に、旅をした場合の所要時間が全く分かりません。取り敢えずは大津宿で宿泊すると仮定して進めて行きたいと思います。
さて、大津宿を出発して草津宿へ向かいます。草津宿を目指すには県道104号から県道2号を走ります。この道が東海道となっています。
大津宿を出発してすぐに、平野神社が有ります。祭神は精大明神、蹴鞠の祖神ということです。しばらく行くと北惣門跡と南惣門跡があり、共に家康の命によって築かれた膳所城への城門だったようです。膳所城は東海道から少しそれた琵琶湖湖岸道路沿いにあります。
膳所城を離れ、暫く行くと、瀬田川に来ます。やはり、膳所城と共に外せないスポットでしょう。瀬田の唐橋です。この橋は、日本三名橋の一つで近江八景の一つにも挙げられています。
草津市に入る手前に、一里塚跡、草津市に入って野路の玉川跡、一里塚公園と続きます。一里塚は街道の側に一里毎に設置されていた塚です。この辺りには。一里山と言う地名が有るそうで、一里塚が有ったようです。
草津市に入ると街道に関係者する名所が結構あります。姥ケ餅屋跡は旅人を矢橋の渡し場へ案内するもので歌川広重の絵にも描かれています。
草津宿に近づくにつれ、問屋場跡や追分があります。問屋場は荷物の中継地点と言ったところでしょうか。追分は東海道と中山道の分岐点に建てられた追分道標で、右東海道いせみち、左中山道美のぢ、と刻まれています。追分のすぐそばには、草津宿本陣があります。
いよいよ、草津宿です。
草津宿は古くから交通の要衝でした。室町時代は京都と伊勢の中継地点として発達し、戦国時代には「瀬田橋を制する者は天下を制する」という言葉もあり、織田信長も交通政策に力を注いだそうです。関ヶ原の戦い以降、家康により東海道の整備と宿場が設置され、草津宿も誕生しました。
大津宿と草津宿の距離は三里二四丁(14,5km)有ります。
今回も草津宿で宿泊するとしての行程にします。となるとこの辺りの美味しいものも探さなければなりません。やはり大津宿、草津宿となると、鮒鮨、近江牛ですが、他にも鰻丼に厚焼き玉子を乗せた、きんし丼や志じみめしなどが有ります。
その宿場でしか頂けない様な名物グルメも取り上げたいと思います。
次の宿場は石部です。
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