2019年11月21日
オッサンのブラリ一人旅(閑谷学校 V)
この記事は、2017年11月に他サイトで公開したものです。
聖廟の西側には、講堂が建っています。閑谷学校の階の木と共に閑谷学校のシンボルともいえる建物で国宝です。
閑谷学校は、岡山藩主池田光政により開設された、日本最古の庶民学校です。32年の月日を掛け建築され、他に類を見ない質とスケールで330年の歴史を持っています。
地方の指導者を育成するため、武士だけでなく、庶民や他藩の子弟にも門徒を開き、就学年齢も8歳から20歳頃までと広いものでした。
国宝の講堂の他、24もの国指定の重要文化財が存在します。
講堂に上がってみました。講堂廊下は秋の日差しが差し込み、座って弁当を広げたい気分になります。
講堂の内部です。此処では、1と6の日に儒教の講義が有ったそうです。
紅葉が見頃の頃には、床に反射して赤く染まります。
五代目藩主池田治政の書です。治政の時代一時衰退していた閑谷学校が活気を取り戻しました。
奥に行くと、習芸斎が有ります。此処では3と8の日に五経の講義が行われていました。五経は儒教の基本的な教えを書いた書物です。又、毎月一日には朱子の教えの講義が行われ、生徒だけでなく近隣の農民も出席していたそうです。
習芸斎の外部です。こちらからも講堂へ行くことが出来ます。
習芸斎の更に奥には、囲炉裏が有りました。飲室です、ここは使途の休憩に使われていました。更に生徒たちは習芸斎や講堂への入り口としてここを通っていました。
講堂からの景色です。
講堂の傍らには小斎が有ります。藩主が訪れた際に休憩所として使われていました。茶室風の建築物です。
外に出て講堂を通り過ぎ奥へ足を運ぶと、小さな山が有ります。火除山です。そういえば学校は蒲鉾状の石垣で囲まれています。この石が気は300年以上経っても草1本生えていません。その石垣も防火の役目をしていたのでしょう。
この奥には資料館が有ります。紅葉も楽しむことが出来ます。
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