2019年12月23日
オッサンのブラリ一人旅(丹波もみじめぐり 丹波三山 岩屋山石龕寺)
丹波もみじめぐり、最後にやって来たのは石龕寺です。
丹波三山に挙げられている紅葉の名所です。
参道の紅葉です。かなり色褪せて居ます。
参道には、至る処に石仏や、石碑が鎮座しています。
山門にやって来ました。
山門の仁王像は、1242年慶派の「肥後法橋定慶」作とされ、国の重要文化財となっています。
弘法大師像です。石龕寺は高野山真言宗のお寺で、弘法大師は真言宗の象徴です。
紅葉の参道を通り抜けると、本堂はもうすぐです。
本堂にやって来ました。
石龕寺は、587年聖徳太子の創建と云われています。毘沙門天を本尊とし、鎌倉時代から室町時代に隆盛を極めましたが、戦国時代明智光秀の丹波攻めで全山を焼失し仁王門だけが残ったということです。江戸時代に入ると徐々に復興されてゆきます。
南北朝時代には、足利尊氏が観応の擾乱に敗れ、播磨に逃れる際、この地に留まった事から足利氏縁の寺とされています。
こちらは薬師堂です。柱には札が有ります。(おんころころせんだりヨとうぎそわか)と書いてあります。どういった意味でしょうか?
境内から観る紅葉です。
薬師堂の隣には三社が祀られています。三社で八つの祭神が祀られていました。
三社の奥にあるお社は焼尾神社です。
焼尾神社は石龕寺の鎮守として、弁財天が祀られていました。明治の神仏分離令により市杵島比売命を祀る事になりました。
弁財天は石龕寺に保管されていますが、焼尾神社では未だに弁才天の幟が立てられています。幸運、財宝、福徳神として芸術家に人気があるそうです。
焼尾神社から境内を望みます。
岩屋山には、石龕寺の発祥とされる奥の院が中腹の高台にあります。石窟に仏像が祀られ見晴らしのよい高台に鐘楼が有ります。鐘楼から奥の院拝殿迄の参道には石灯籠が立ち並び、近くには足利義詮の将軍屋敷も有るそうです。
岩屋山超えると、三寳寺の本光山に続いているようです。
奥の院には残念ながら行くことを断念いたしました。
焼尾神社から、寺務所へ向かいます。
社務所内の紅葉です。
水琴窟も有りました。
御朱印は前もって書いてあるものでした。
帰路は、対岸の遊歩道を歩きます。銀杏も黄色く色付いています。
何とか丹波もみじめぐり完走です。本堂を撮影出来なかったりと、残念な処もありましたが紅葉を堪能した秋でした。
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