2020年12月19日
くだらねえと呟いて・・・。。
宮本がボーカルとギター、そして作詞・作曲を担うバンド、エレファントカシマシは1994年のアルバムを最後に、いったんレコード会社との契約が切れた。眉間にしわを寄せて言う。「やっぱり、その頃から意識し始めた。売れなきゃ話にならないって」
結成は81年。中学の同級生である石森敏行、冨永義之、そして冨永の高校の同級生、高緑成治が加わり、86年には現在の4人になった。力強いロックサウンドに、熱いボーカル。レコード会社のオーディションで入賞するなどし、88年、バンドはメジャーデビューした。「鳴り物入りだった」との言葉通り、同年秋には、注目の若手バンドとして読売新聞の紙面にもその名が登場する。
だが、人気は定着しなかった。客席を暗くせず、明るいまま公演を行うなどの、奇をてらった面が目立ったのかもしれない。「レコード会社の人も事務所の人も、私たちの音楽が好きだったし、こいつらを売りたいと思ってくれた。熱いファンもいて……」。しかし、そんな彼らの思いに「私が応えきれなかった」。
契約終了。絶望も覚えた。結婚し、家庭を持ったメンバーもいる。「まだ修業だ。全然力を出していないから」と自分に言い聞かせた。けれど、屈託なく楽しそうにしている若者を町で見かけると、夢破れた自身と対比してしまう。「冗談じゃないよ」と涙があふれた。
「あんたも、もうちょっと分かりやすい曲作れば良かったのにね」。年末、テレビを見ながら親類が明るく言った。「両親もおばちゃんもみんな、売れ線のものを歌えってさ。でも僕らまだ若かった。次の音楽的な道筋も見えて来てたんだ」
考え方を変えた。斜に構えるかっこよさは横に置き、ヒットを飛ばす歌手らの曲を聴きあさった。小沢健二やスピッツ、Mr.Children……時代の主流の音を吸収し、力を蓄えていった。
新たなレコード会社との契約にこぎ着け、96年に「悲しみの果て」をシングル曲として発表。「涙のあとには 笑いがあるはずさ 誰かが言ってた」と、苦しみの中でこそ見える希望を素直に歌い、多くの人の心をつかんだ。
リリース前、東京・下北沢のライブハウスで披露した。客は約50人。皆が真剣に聴き入るのを実感した。バンドは、ライブハウスでたたき上げたのではなく、オーディションからパッと世に出た。だから、「肌身で触れ合う感覚。すごく新鮮な、でも当たり前で健康なロックバンドの姿を、我々はやっとそこで獲得できたんだと思う」。
ここが「再デビュー」地点になった。そして翌97年には「今宵(こよい)の月のように」が初めてシングルチャートでトップ10入り。ファン層は拡大し、人気は確固たるものになっていく。(池内亜希)
https://news.yahoo.co.jp/articles/f82a375616b071af6912bbb138cee9578dc1d1f5/comments
歌い続けるの凄いと思う。
個性的なキャラもあるからか認知度は高いよね
声が魅力的だよな。
カバーも素敵だけどオリジナルも楽しみにしてる。
中学生の頃にエレカシを知り、まさにこの94年の時に僕はバンドを始めました。エレカシが才能は評価されているのに、契約が打ち切られた事を何かの雑誌で読んで、エレカシなのに?と思った記憶があります。その後、悲しみの果てを聴いた時、「やっぱエレカシ良いわ」ってなって、一番売れていた頃から、その後のまたインディーズになった時、そして、また、メジャーになってとずっとライブに行っています。長く、音楽ファンをやっていると、自慢したくなる歴史に一ファンとして立ち会えた事が僕の財産です。エレカシみたいな本物が続ける事に意味があると思います。
好きか嫌いかは別に、この人の歌は心までまっすぐに響く。だから歌っていると耳を傾けないわけにはいかない。すると必ずグワっと体の中の何かを掴まれる。彼の良さがなにか言葉では表現できないけど、天才なのだと思う。
昔、上司が言ってた。
年取ると演歌が良くなる。演歌には心があると。
上司と同じくらいの年になったけど、宮本浩次の歌が急に好きなった。コロナ自粛期間から色々聴いてる。ソロもエレカシも。
宮本さんの歌は若い頃から心があるってことかなー
エレファントカシマシが売れた時は本当に嬉しかったな。デビューの頃にはこんな姿は想像もできなかった。これからもずっとトップを走り続けて欲しいです。
だけど、ソロの宮本さんを見ていると、デビューから4枚目くらいまでの楽曲が猛烈に聞きたくなるのはなぜだろう・・・。
曲が、歌がいいという話は皆さんにおまかせするとして・・・。
めっちゃ足長い!と感動しました。
黒だからってのもあるかもしれないけど、細くて長いなー。かっこいい。
ライブ見に行きたいな。
こんなに長く続くとも、ソロデビューしてNHKの常連になるとも思わなかったなあ。
売れた結果やりたいようにできるようにもなるし、廃盤のソニー時代の音源も復刻できた。バンドで当たるなんてほんの一握りだが、わからんものだ。
確かに耳障りのいい売れ線も増えた
しかしアルバムに数曲あるデビュー時より尖っていて泥臭くシニカルな歌詞はまだまだ世間に激情をぶつける姿勢を貫いてる
ただ「歌わされている」上手な歌手が溢れる昨今、熟成した彼のセンスや巧さが際立って映えるようになっただけだ
夏フェスに参加しまくって若い奴等から影響受けて作った「Easy Go」は近年最高のロックアンセムだろうとも思う
94年の契約打切り前、確かに売れてると言える状態ではなかったかも知れない。
でも、作り出していたものは、とても素晴らしいものであった事は確かである。
宮本さんの唯一無二の人間性やスタイルが大好きです。
生きにくい性格なのかもしれないけれど、わかってくれる人はいるんだと思うとこちらも勇気が出る。
結成は81年。中学の同級生である石森敏行、冨永義之、そして冨永の高校の同級生、高緑成治が加わり、86年には現在の4人になった。力強いロックサウンドに、熱いボーカル。レコード会社のオーディションで入賞するなどし、88年、バンドはメジャーデビューした。「鳴り物入りだった」との言葉通り、同年秋には、注目の若手バンドとして読売新聞の紙面にもその名が登場する。
だが、人気は定着しなかった。客席を暗くせず、明るいまま公演を行うなどの、奇をてらった面が目立ったのかもしれない。「レコード会社の人も事務所の人も、私たちの音楽が好きだったし、こいつらを売りたいと思ってくれた。熱いファンもいて……」。しかし、そんな彼らの思いに「私が応えきれなかった」。
契約終了。絶望も覚えた。結婚し、家庭を持ったメンバーもいる。「まだ修業だ。全然力を出していないから」と自分に言い聞かせた。けれど、屈託なく楽しそうにしている若者を町で見かけると、夢破れた自身と対比してしまう。「冗談じゃないよ」と涙があふれた。
「あんたも、もうちょっと分かりやすい曲作れば良かったのにね」。年末、テレビを見ながら親類が明るく言った。「両親もおばちゃんもみんな、売れ線のものを歌えってさ。でも僕らまだ若かった。次の音楽的な道筋も見えて来てたんだ」
考え方を変えた。斜に構えるかっこよさは横に置き、ヒットを飛ばす歌手らの曲を聴きあさった。小沢健二やスピッツ、Mr.Children……時代の主流の音を吸収し、力を蓄えていった。
新たなレコード会社との契約にこぎ着け、96年に「悲しみの果て」をシングル曲として発表。「涙のあとには 笑いがあるはずさ 誰かが言ってた」と、苦しみの中でこそ見える希望を素直に歌い、多くの人の心をつかんだ。
リリース前、東京・下北沢のライブハウスで披露した。客は約50人。皆が真剣に聴き入るのを実感した。バンドは、ライブハウスでたたき上げたのではなく、オーディションからパッと世に出た。だから、「肌身で触れ合う感覚。すごく新鮮な、でも当たり前で健康なロックバンドの姿を、我々はやっとそこで獲得できたんだと思う」。
ここが「再デビュー」地点になった。そして翌97年には「今宵(こよい)の月のように」が初めてシングルチャートでトップ10入り。ファン層は拡大し、人気は確固たるものになっていく。(池内亜希)
https://news.yahoo.co.jp/articles/f82a375616b071af6912bbb138cee9578dc1d1f5/comments
歌い続けるの凄いと思う。
個性的なキャラもあるからか認知度は高いよね
声が魅力的だよな。
カバーも素敵だけどオリジナルも楽しみにしてる。
中学生の頃にエレカシを知り、まさにこの94年の時に僕はバンドを始めました。エレカシが才能は評価されているのに、契約が打ち切られた事を何かの雑誌で読んで、エレカシなのに?と思った記憶があります。その後、悲しみの果てを聴いた時、「やっぱエレカシ良いわ」ってなって、一番売れていた頃から、その後のまたインディーズになった時、そして、また、メジャーになってとずっとライブに行っています。長く、音楽ファンをやっていると、自慢したくなる歴史に一ファンとして立ち会えた事が僕の財産です。エレカシみたいな本物が続ける事に意味があると思います。
好きか嫌いかは別に、この人の歌は心までまっすぐに響く。だから歌っていると耳を傾けないわけにはいかない。すると必ずグワっと体の中の何かを掴まれる。彼の良さがなにか言葉では表現できないけど、天才なのだと思う。
昔、上司が言ってた。
年取ると演歌が良くなる。演歌には心があると。
上司と同じくらいの年になったけど、宮本浩次の歌が急に好きなった。コロナ自粛期間から色々聴いてる。ソロもエレカシも。
宮本さんの歌は若い頃から心があるってことかなー
エレファントカシマシが売れた時は本当に嬉しかったな。デビューの頃にはこんな姿は想像もできなかった。これからもずっとトップを走り続けて欲しいです。
だけど、ソロの宮本さんを見ていると、デビューから4枚目くらいまでの楽曲が猛烈に聞きたくなるのはなぜだろう・・・。
曲が、歌がいいという話は皆さんにおまかせするとして・・・。
めっちゃ足長い!と感動しました。
黒だからってのもあるかもしれないけど、細くて長いなー。かっこいい。
ライブ見に行きたいな。
こんなに長く続くとも、ソロデビューしてNHKの常連になるとも思わなかったなあ。
売れた結果やりたいようにできるようにもなるし、廃盤のソニー時代の音源も復刻できた。バンドで当たるなんてほんの一握りだが、わからんものだ。
確かに耳障りのいい売れ線も増えた
しかしアルバムに数曲あるデビュー時より尖っていて泥臭くシニカルな歌詞はまだまだ世間に激情をぶつける姿勢を貫いてる
ただ「歌わされている」上手な歌手が溢れる昨今、熟成した彼のセンスや巧さが際立って映えるようになっただけだ
夏フェスに参加しまくって若い奴等から影響受けて作った「Easy Go」は近年最高のロックアンセムだろうとも思う
94年の契約打切り前、確かに売れてると言える状態ではなかったかも知れない。
でも、作り出していたものは、とても素晴らしいものであった事は確かである。
宮本さんの唯一無二の人間性やスタイルが大好きです。
生きにくい性格なのかもしれないけれど、わかってくれる人はいるんだと思うとこちらも勇気が出る。
All Time Best Album THE FIGHTING MAN [ エレファントカシマシ ] 価格:3,300円 |
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/10419079
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック