2020年12月21日
ちっちゃいころみてたなあーー。
日テレ系「笑点」の解答者として知られる落語家の林家こん平(本名・笠井光男)さんが17日午後2時2分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去したことが21日、分かった。77歳。関係者によると葬儀・告別式は19日に近親者で済ませた。2005年7月に、難病の「多発性硬化症(MS)」であることを公表。一線からは退いたものの、一門の落語会や落語家仲間による卓球サークル「らくご卓球クラブ」では元気な姿を見せていた。最後まで再び高座に上がることを夢見ていたが、その願いはかなわなかった。
あふれんばかりの笑みで「1、2、3、チャラ~ン」と、ファンと共に声を合わせるこん平さんの姿を、もう見ることはできない。
6人兄弟の末っ子として生まれ、中学卒業と同時に上京して初代林家三平の弟子となったこん平さんが、全国区の人気を得たのが、66年から出演を始めた日テレ系「笑点」だった。自らの出身地である新潟県千谷沢村(現在の長岡市)を「チャーザー村」と呼び、地元ネタで観客を沸かせた。「チャラ~ン」も、元々は同番組での自己紹介の締めから始まったものだった。
40年近く日曜のお茶の間を楽しませてきたこん平さんに、突然のアクシデントが襲ったのは、2004年8月。当初は、のどの使い過ぎが原因で、声帯に小さな固い突起物ができる「声帯結節」と診断された。1か月ほど入院して安静にすれば治るとされ、早期復帰が見込まれていたが、なかなか体調が回復しなかった。
05年に判明した病名は「多発性硬化症」。厚生労働省が特定疾患に指定しており、脳や脊髄に炎症が起きる難病。こん平さんも、噺(はなし)家の命である“言葉”が不自由になり、高座に上がるのをあきらめざるを得なくなった。
それでも、トレードマークである笑顔が消えることはなかった。趣味が高じて87年に三遊亭小遊三と結成した「らくご卓球クラブ」の練習には積極的に顔を出し、リハビリにも取り入れていた。09年12月には、東京・池袋演芸場で5年7か月ぶりに定席(通年落語が聞ける場所)へ“復帰”。10年3月の自著の発売記念会見では「今でも復帰を目指している?」と聞かれ「ハイ、そうです」と元気よく答えていた。
再びファンの前で落語を披露するのはかなわなかったが、天国で09年11月に亡くなった5代目三遊亭円楽さん、18年7月に亡くなった桂歌丸さんと「大喜利」をしているに違いない。
◆林家 こん平(はやしや・こんぺい)本名・笠井光男。1943年3月12日、新潟県生まれ。中学卒業後に上京し、初代林家三平に入門。62年11月、二つ目昇進。66年5月から日テレ系「笑点」のメンバーに。72年9月、真打ち昇進。80年、初代三平の死去後は一門を引き継ぐ。2004年9月、「笑点」を降板。05年7月、多発性硬化症(MS)であることを公表。
この15年位、病との闘い、リハビリの日々だったですね。心からご冥福をお祈りいたします。
笑点では欠かせないキャラの人でした。
残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
> 最後まで再び高座に上がることを夢見ていたが、その願いはかなわなかった。
お元気な姿を時折見せておられたから、
回復に向かっていたのかと思っていたけど…
ご本人だけでなく、お子さんや多くの方が高座に上がられるのを楽しみにしていたはず。
残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
マジか…
ショック!
俺の世代の笑点のオレンジは、やはりこん平師匠だ
たい平さんも似合うけどね。
病気なられて15年以上。
本当に頑張られたと思います。
ゆっくりお休み下さい。
お疲れ様でした。
合掌。
記事にもあるようにご病気になってからも笑顔の絶やさないお方でしたね
ご冥福をお祈りします
たい平さんが心配です
たい平師匠があんなに立派に育ったから安心しているでしょうが、たい平師匠の悲しみを想像すると
胸が痛みます。
せめて歌丸師匠や先代の圓楽師匠と一緒に
暖かく見守ってください。
笑点を見始めたころから活躍していたメンバー
たくさん笑わしてもらい楽しかったです。ご冥福をお祈り申し上げます・・・
悲しいね。たい平さんが立派な看板になっているのは頼もしかったろうけど、ご自身ももう一度高座に上がりたかったでしょう。本当にご苦労様でした。たくさんの笑いをありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
日曜夕方はこん平師匠のちゃら~んでどれだけお茶の間が和んだことか。
たい平さんが上手に師匠を受け継いでくださいました。
長く闘病されていましたが、もう頑張らなくていいですよ。本当にお疲れ様でした。
先に行った笑点メンバーと番組を見守っててくださいね。
有名俳優の電撃結婚の報告など、嬉しいニュースもありましたが、それ以上に昭和を代表するような大物芸能人の訃報も目にするようになりました。
また1人、逝かれたのですね。ご冥福をお祈りすると共に、今までのご活躍と闘病生活に敬意を表したいと思います。
本当にありがとうございました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/401dd851fbd01cd388251269b823055c953b88eb/comments
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あふれんばかりの笑みで「1、2、3、チャラ~ン」と、ファンと共に声を合わせるこん平さんの姿を、もう見ることはできない。
6人兄弟の末っ子として生まれ、中学卒業と同時に上京して初代林家三平の弟子となったこん平さんが、全国区の人気を得たのが、66年から出演を始めた日テレ系「笑点」だった。自らの出身地である新潟県千谷沢村(現在の長岡市)を「チャーザー村」と呼び、地元ネタで観客を沸かせた。「チャラ~ン」も、元々は同番組での自己紹介の締めから始まったものだった。
40年近く日曜のお茶の間を楽しませてきたこん平さんに、突然のアクシデントが襲ったのは、2004年8月。当初は、のどの使い過ぎが原因で、声帯に小さな固い突起物ができる「声帯結節」と診断された。1か月ほど入院して安静にすれば治るとされ、早期復帰が見込まれていたが、なかなか体調が回復しなかった。
05年に判明した病名は「多発性硬化症」。厚生労働省が特定疾患に指定しており、脳や脊髄に炎症が起きる難病。こん平さんも、噺(はなし)家の命である“言葉”が不自由になり、高座に上がるのをあきらめざるを得なくなった。
それでも、トレードマークである笑顔が消えることはなかった。趣味が高じて87年に三遊亭小遊三と結成した「らくご卓球クラブ」の練習には積極的に顔を出し、リハビリにも取り入れていた。09年12月には、東京・池袋演芸場で5年7か月ぶりに定席(通年落語が聞ける場所)へ“復帰”。10年3月の自著の発売記念会見では「今でも復帰を目指している?」と聞かれ「ハイ、そうです」と元気よく答えていた。
再びファンの前で落語を披露するのはかなわなかったが、天国で09年11月に亡くなった5代目三遊亭円楽さん、18年7月に亡くなった桂歌丸さんと「大喜利」をしているに違いない。
◆林家 こん平(はやしや・こんぺい)本名・笠井光男。1943年3月12日、新潟県生まれ。中学卒業後に上京し、初代林家三平に入門。62年11月、二つ目昇進。66年5月から日テレ系「笑点」のメンバーに。72年9月、真打ち昇進。80年、初代三平の死去後は一門を引き継ぐ。2004年9月、「笑点」を降板。05年7月、多発性硬化症(MS)であることを公表。
この15年位、病との闘い、リハビリの日々だったですね。心からご冥福をお祈りいたします。
笑点では欠かせないキャラの人でした。
残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
> 最後まで再び高座に上がることを夢見ていたが、その願いはかなわなかった。
お元気な姿を時折見せておられたから、
回復に向かっていたのかと思っていたけど…
ご本人だけでなく、お子さんや多くの方が高座に上がられるのを楽しみにしていたはず。
残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
マジか…
ショック!
俺の世代の笑点のオレンジは、やはりこん平師匠だ
たい平さんも似合うけどね。
病気なられて15年以上。
本当に頑張られたと思います。
ゆっくりお休み下さい。
お疲れ様でした。
合掌。
記事にもあるようにご病気になってからも笑顔の絶やさないお方でしたね
ご冥福をお祈りします
たい平さんが心配です
たい平師匠があんなに立派に育ったから安心しているでしょうが、たい平師匠の悲しみを想像すると
胸が痛みます。
せめて歌丸師匠や先代の圓楽師匠と一緒に
暖かく見守ってください。
笑点を見始めたころから活躍していたメンバー
たくさん笑わしてもらい楽しかったです。ご冥福をお祈り申し上げます・・・
悲しいね。たい平さんが立派な看板になっているのは頼もしかったろうけど、ご自身ももう一度高座に上がりたかったでしょう。本当にご苦労様でした。たくさんの笑いをありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
日曜夕方はこん平師匠のちゃら~んでどれだけお茶の間が和んだことか。
たい平さんが上手に師匠を受け継いでくださいました。
長く闘病されていましたが、もう頑張らなくていいですよ。本当にお疲れ様でした。
先に行った笑点メンバーと番組を見守っててくださいね。
有名俳優の電撃結婚の報告など、嬉しいニュースもありましたが、それ以上に昭和を代表するような大物芸能人の訃報も目にするようになりました。
また1人、逝かれたのですね。ご冥福をお祈りすると共に、今までのご活躍と闘病生活に敬意を表したいと思います。
本当にありがとうございました。
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