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2022年01月17日
『夏目友人帳』に見る言霊としての名前F異質は孤独という宿命
『夏目友人帳』に見る言霊としての名前F異質は孤独という宿命
第7話では、森にすむ
「子狐」が主人公だ。
この子狐「かあさま」亡き後、
1人で生きている。
森では力も持たない子狐が
生きていくのは大変だ。
生きていくというよりも「生き延びる」
サバイバルすることが
一番の優先事項と言えるだろう。
大きな妖怪たちに
「役立たず、森から出ていけ!」
と連日折檻されている。
妖怪たちのコミュニティで
「役立つ」ということが、
どういうことを指しているかは不明。
だが、
目障りだというだけで
「いじめ」のターゲットになって
いることだけはハッキリしている。
偶然に夏目は子狐が
折檻されているところに通りかかり、
折檻を止めさせる。
子狐は夏目に救われたけれど、
怖くて逃げてしまうのだ。
いつも折檻されていると、
何よりも恐怖から逃げること
が優先されるのはいうまでもない。
子狐がまた森で妖怪たちに
折檻されているところに
夏目とニャンコ先生が現れる。
今回は夏目が友人帳を持っていることが、
イジメていた妖怪にも
はっきり認識されたようだ。
それは森の奥から聞こえてくる
「夏目様、名前を返してくれる
という約束を守ってください」
という訴えだった。
その声に導かれ夏目とニャンコ先生が
森の奥に駆け付けると
1本の強大なご神木が夏目を待っていた。
その名は「さわらぎ」。
名前を返されると
ご神木が光に包まれて
「霊力」を取り戻した。
そのシーンを見ていた子狐
「葛の葉」に名前を書いて夏目に
「子分にしてください」と
差し出すのだが、
夏目は「要らないよ」と断る。
子狐は思い切って「命」を
差し出したのに拒否された。
がっかりした肩を落とした
子狐の様子がとても印象的だった。
しかし、
弱虫、役立たずと罵られている子狐は
けなげだった。
夏目に会わせてくれるという
頭がライオンで体が龍のような半身半獣の
妖怪に騙され「要求」された
「ヤマメ」を魚籠いっぱいに捧げる。
「お前はバカだな、騙されおって」と
子狐を嘲笑しながらも
「1日だけ人間になれる木の実」を
投げてよこすのだ。
私たちは望みをかなえるために
木の実を食べてトランスフォーム
(肉体改造)する勇気があるだろうか?
子狐は「会いたい」その一心で
木の実を飲み込む。
人間になると夏目の匂いをたどって
電車に乗り、雑踏にまみれ、
異次元の人間界の恐怖に耐えて
夏目の家を見つける。
夏目が家族団らんの夕飯を
食べているシーンを見ると
「良かった!夏目が独りぼっちじゃなくって!」
と呟きその場を去るのだ。
この子狐の持っている
「利他」の尊い精神。
私はこの一言に涙目になってしまった。
何も持たないもの、
誰からも相手にされていないもの、
存在を無視されている
社会的な弱者である子狐のもつ
「圧倒的な慈愛」の精神。
子狐の持つ、
夏目の幸せを確かめたい、
夏目に幸せであって欲しい、
そういう「魂」のエネルギーは
妖怪たちには「目ざわり」
「邪魔」だったのだ。
このシーンまでは子狐が
妖怪たちに折檻される理由がわからなかった。
しかし、
ここにきて「妖怪ども」の
汚れたエネルギーが
子狐の清浄なエネルギーによって
感化されることを恐れているが故の
仲間外れだとわかる。
子狐が成長して
圧倒的な「慈愛」のエネルギーを
持つに至ったら、
妖怪どもの存在意義が
なくなるからだ。
子狐は夏目を観察している時に
こうも言っている
「夏目はよく笑う、でもウソっぽい」と。
異質が同化しようと
ゴマ化していることを
見抜いているのだ。
最後まで
「名前のわからない」この子狐、
さぞや立派な名前を
持っているのではなかろうか?
お稲荷大明神かもしれない。
2022年01月16日
『夏目友人帳』に見る言霊としての名前E 水底の燕と人形姫伝説
『夏目友人帳』に見る言霊としての名前E
水底の燕と人形姫伝説
人間や妖怪や八百万の神々が
共に日本で暮らしているのにも関わらず、
お互いが見えないの。
妖怪や八百万の神々からは
人間は見えているの。
ただ人間の方からは
「能力」のある人だけが
「妖怪や八百万の神々」を
見ることができる。
それは「見えない普通の人間」からは
不気味だし、理解できないから
「見える」人は子供時代に
「嘘つき」呼ばわりされたり、
友達ができなかったりする。
要するに共通概念が著しく違うから、
どうしても話はかみ合わず、
やがて「見える」ほうが
「見えない」ふりをすることを
学習しているのだ。
なんとも、悲しい話だが、
人間って「違う」ことが怖い、
相互に違和感を感じるのだけれど
「見える」方は少数派。
マイノリティすぎて
黙っている方を選ばざるを得ないの。
見えない方からは
「イメージ」すらできない「世界観」だから。
それと、人間は見られることに
苦痛を感じる。
注目されたいのと
監視されるのが違うように、
見えない他者からの視線は
ほとんど暴力だとも感じられる。
夏目貴志は「見える」ほうの
住人だけれど、
メリットよりもデメリットが大きいようだ。
6話では燕の鬼が
夏目に手助けを求める物語。
20年前にダムの底に沈んだ
二葉村生まれの燕、
巣から落ちたところを親切な
谷尾崎という男性に救われ
巣に戻される。
しかし、
その燕についた人間の匂いを嫌い
親はヒナを巣ごと棄ててしまうのだ。
自然の厳しい掟。
よく巣の外に落ちたヒナは
「親が選別して放棄」したヒナだと
言われている。
餌をとってくる環境や、
ヒナの健康度によって親は
全部のヒナを育てるとは限らないのだ。
燕は「親鳥」が巣ごと棄てたことが
分かっていた。
なぜなら落とされた当人だから・・・
他のヒナには
理解できなかったのではなかろうか?
体験していないって
こういうことだと思う。
つまり、
他のヒナは口をパクパクさせながら、
親を待ちつつ餓死していった。
燕は最後にのこったヒナだった。
燕を助けた谷尾崎は巣が全滅しても
「生き物」「命」の気配を感じて、
毎日のように燕の餌を運んでいた。
燕は谷尾崎によって
2度救われたわけだが、
生き残れたことが
幸せだったかというとそうでもない。
「悲しくて悲しくて鬼」になって
しまったのだから。
燕は本来は「あたたかいものが好き」
「優しさも好き」という
豊かな感受性を持っている。
だからダムで村が沈んだ時も
一緒に「成仏」するはずだった。
けれども
「助けてくれた谷尾崎に一目会いたい」
という未練が
燕を地霊として縛っていた。
願いが叶えば消滅できる・・・
その願いをかなえるために
夏目は二葉村の妖怪村祭りに参加して
「一晩だけ人間になれる浴衣」
争奪戦に挑む。
おびただしい妖怪どもの苛烈な競争に
夏目は太刀打ちできそうもなかったが、
ニャンコ先生が
「見ていられんわ、アホが!」と
夏目を助け
「浴衣」を手に入れることができた。
一晩だけの魔法を使って
谷尾崎と夏祭りでツーショット写真を
撮った燕は消滅した。
夏目は谷尾崎を追って
「青い浴衣の少女に会ったか」を
確かめるしかなかった。
谷尾崎が見せてくれた写真を見て
夏目は不覚にも涙してしまう・・・
そう、あの世のものが一晩だけ
どうしても会いたい人に会う魔法、
人間の肉体をまとえる一晩だけの魔法。
「叶ったら死」なのに・・・
人魚姫、シンデレラの魔法使い、
色々な状況で物語は今も続いている。
2022年01月15日
『夏目友人帳』に見る言霊としての名前Dミクリ激怒の理由
『夏目友人帳』に見る言霊としての名前D
夏目友人帳の5話
「心色の切符」は親友の物語。
あらすじ
レイコの遺品の中から
電車の切符を見つけた夏目。
その切符に書かれた駅にやって来ると、
そこにはレイコを待ち続けているという
毛むくじゃらの妖がいた。
夏目は、レイコとここで会う
約束をしているというその妖に名前を返し、
流れ込んで来た思念から、
レイコがその妖「さんと」を
助けてあげようとしていたことを知る。
レイコのやり残したことをやるため、
「さんと」と共に約束の場所「霧が沼」
へと歩き出す。
「さんと」はぼんやりした
毛むくじゃらの妖怪。
ボーっとしているユーモラスな
ムーミンパパが毛むくじゃらに
なったような姿だ。
「さんと」の話に
要領を得ない夏目貴志は先に
「名前」を返すと同時に
レイコの思念を読み、
「さんと」と「みくり」が喧嘩したことを知る。
「さんと」はミクリと仲直りしたいのだが、
「みくり」が激怒していて
自分の手に負えないからと
レイコを助っ人に頼んでいたのだ。
しかし、
レイコが現れないまま「さんと」は
待ち続け、何十年も経ってしまった。
レイコのやり残したことをしようと
夏目貴志は「さんと」とニャンコ先生と
共に約束の地「霧が沼」に向かう。
しかし、「みくり」は何十年も待たされた
怒りや憎しみで「怨霊」となって
巨大化していた。
ニャンコ先生と夏目は怨念で
巨大化したパワーの持ち主になった
「みくり」に反撃され
危ないところだったが、
「さんと」は身を挺して
『夏目友人帳』を守る。
その間にニャンコ先生が
本来のパワーを発揮して
「みくり」を攻撃し、
ニャンコ先生に破れた「みくり」は
沼に沈んでしまった。
その後、
「さんと」の呼びかけに応じて
沼底から浮かび上がってきた時は
「さんと」の親友だったときの
コンパクトサイズのナマズだった。
ふたりは喧嘩を繰り広げるのだが、
「みくり」激怒の理由は
「人間に名前を差し出しやがって、
おまえにはプライドがないのか!」と
いうものだった。
「みくり」は「さんと」がレイコに負けて
名前を差し出したことを激怒していた。
それは
「命を差し出す」と同等の事だからだ.
このシーンでもよくわかる。
ふたりは何十年の時の隔たりを
無かったことのように
仲良く山に帰っていく。
「いっしょに山に帰ろう、みくり」
という「さんと」に
「そんなこと言われなくたって
そうするに決まっている」と答える「みくり」
この「さんと」と「みくり」を
八百万の神と結び付けてみよう。
「さんと」は幼稚園児のような
キャラなので、平仮名で表されているが、
さんと=山王神とかかわる名前だと思う。
住処が山だからだ。
すると、親友の「みくり」は
どんな神様と結びつくのか?
みくり=「水分神」みくまりしん
「水を配る神」であり、分水嶺を司る神。
本源は吉野山と考えられている。
山の神の「さんと」と
水分嶺の神の「みくり」
ふたりの住処はやっぱり山の嶺なのだ。
2022年01月14日
アニメ『夏目友人帳』に見る言霊としての名前C
穢された名前など要らん by 時雨
4話では「穢された名前」をもつ
「時雨」のヒネクレてしまった
矜持について考えました。
「時雨」はもともとは上級霊といわれる
力の強い「霊」だったのですが、
いつからか
穢れた名前になってしまったと
思い込んでしまったようです。
レイコのせいではなさそうですが、
1話で内容が完結しているため、
詳しい事情は不明。
察するに、
レイコに名前を奪われた時点で
「自分で穢された名前」になってしまった
という強い思い込みが
できたのでははなかろうか?
と感じました。
それまでに
なんらかの事件はあったと思います。
けれども
上級霊としてのプライドが
レイコに敗北したことで
一気にネガティブ一色に
染まってしまったように感じます。
私たちもそうですよね?
誰かにディスられると
立ち直れないほどプライドが
木っ端みじんになってしまう。
プライドが高く高潔な人は
「自分が穢れてしまった」
「自分には価値がない」という
自己否定の沼にはまり込んでしまいやすい。
時雨も
そうだったんじゃないかと思っています。
しかし、時雨の優しさは「笹田」という
夏目貴志の同級生の少女に
かつて示され、
少女の心の支えとなっていたのです。
時雨はその少女を知っていました。
「御礼を言いたい」という
再三の呼びかけにもニヒルに
応えませんでした。
しかし、それは
「自分が穢れているから」
接触してはならないという
罪悪感がそうさせていたの。
切ないわぁぁぁ。
うんとイヤな霊となって
人間が悲しむのを見てやるのだ!
などとヒネクレて
夏目貴志の同級生を
「神隠し」してしまうのです。
「神隠し」を
同時に何人もすることができる
ハイクラスの霊力を持っている。
ニャンコ先生がサポートしなかったら
夏目貴志も危なかった・・・
「時雨」は最終的には
夏目との短い会話では
毒づいていたものの、
名前を返されるにあたって
かつて
高貴であった自分の霊を取り戻す。
夏目貴志が
友人帳の名前を返す儀式をすると
悪霊がとりついたようなニヒルな顔が
瞬時にイケメンにかわっていくの。
それほどに
名前は人格と結びついてる。
名前はその人そのものと
いうことが今回もわかりました!
名前を取り戻す、その瞬間に
光のエネルギーとなって拡散していく。
その光が拡散して消滅していく最中に
「時雨」は一瞬だけ
少女の頭をなでるように触れたの。
まさに光のエネルギーを注ぐように・・・
少女は「時雨」に対する感謝の念を
しっかり伝えることができた。
相互に美しいエネルギーの交換が
あったと信じています。
2022年01月13日
アニメ『夏目友人帳』に見る言霊としての名前B
アニメ『夏目友人帳』に見る言霊としての名前B
貴志に会いに来る妖怪たちは自殺志願者。
第3話は夏目貴志に
署名=名前を返してもらえるという
評判によって、妖怪どもが
貴志を訪ねてくる展開だ。
名前を返す儀式に
貴志は妖怪の署名した紙を
口にくわえ息を吸い息を吐く・・・
すると煙のように
名前が空中に溶けて妖怪の吸う息ととも
に体内に「命」として吸収され晴れて成仏。
成仏は仏教語かもね?
晴れて「消滅」することができる。
そう、バンパイアだって
「不死」を苦しんでいる。
生れて死ぬのが当たり前。
当たり前の地球人としては、
長生きでも100年ぐらい。
だけど死ねない方々もいるのね。
生きてることは「四苦八苦」だから
命は限りがあった方がいい。
と私は思う。
息を吐くと息とともに流れ出す命。
その「ふーっ」と吐き出す行為は
お払いですよね?
夏越の祓を連想しませんか?
あれって
半年分のケガレを祓う神事ですよね。
フーっ3回息を吹きかけるって
お決まりがありますよね?
息ってどんな意味があるのか?
あらゆる災いを消滅させるという意。
サンスクリット語シャーンティカśāntika
(扇底迦せんていきゃと音写)の訳。
密教修法における四種法の一つ。
思わぬ災い、病気、世界的不安感や
武威、天災などを除去する。
行ずる者自身の心のなかの災い、
すなわち煩悩を消滅する意義がある。
辞書では
1いき。いきをする。「気息・絶息・喘息・大息・嘆息・窒息」
2 生きる。生活する。「消息・生息・棲息」
3 休む。いこう。「安息・休息・脇息」
4 やむ。しずめる。「息災/終息」
5 こども。むすこ。「息女/息子
平たく言えば息=生
生きてる証拠ですよね?
死んだら息しませんから。
だから
「無病息災」とか「息災延命」って
願文でも使われます。
この無病息災の反対が四百四病
「四百四病」とは仏教用語のひとつで、
人間がかかる一切の病気を
意味する言葉です。
「しひゃくしびょう」と読みます。
人間の体の4つの要素である
地・水・火・風の調子が悪くなると、
それぞれに101の病気が生まれるから。
まぁ、息災っていうのは
全部パーフェクトという意味なんだな、
と捉えています。
「痛いの痛いの飛んでけー」という時も
フーフーしますから、
私たちの習慣に沁みついている
「お祓い」行為なんでしょうね。
3話では「名前も名乗らない」妖怪が、
夜中に訪ねてくるのですが、
貴志は起きて
「名前を返す」儀式をしてあげるの。
名前がエネルギーとなって渦を巻いて
妖怪に吸い込まれると
妖怪の体がぴかーッと光って
光の粒子になって消滅していく。
このエネルギーの描写もスゴク秀逸!
名前が本人が書いたエネルギーとして
紙に固定化されたまま年月が経ち、
貴志は「固定化」して定着した
「命」のエネルギーを吸い込んで
吐き出すことで「返却」することができる。
名も名乗らない=
名乗れなかったのかもしれませんが、
妖怪が消滅する瞬間の
「名前を取り戻した」ときの歓喜の表情
は何とも言えません。
名前を取り戻すということは
「自我」を取り戻すことなんですね。
貴志のところに「返してください」
と、やってくる妖怪たち、
消滅したいわけですから、
ある意味では「自死」志願。
けれども、それはなぜか?
この世の役目を果たしたから、
寿命のありがたさを知ったから、
自我の大切さを知ったから、
パーフェクトになって
光のエネルギー
と同化することができたんですね!
目にみえなくなっただけで、
光のエネルギーとしては
もっと上のほうに
上昇していったんだと思いました!
2022年01月12日
アニメ『夏目友人帳』に見る言霊としての名前A
アニメ『夏目友人帳』に見る言霊としての名前A
『夏目友人帳』の舞台は
自然豊かな田舎町。
藤原夫妻が貴志を引き取る際に
「若い子をこんな田舎に
住まわせるのは気の毒」と
気後れしたほど。
辺りには山や森が数多くあり、
土着神を祀った祠や
いわれのある寺や神社が点在する。
もともとは
信仰心の厚い土地柄だったようだが
時代の変遷と共にそれが失われつつあり、
人間の信仰心を糧として力を得てきた
妖たちが力の喪失や没落といった
憂き目を見ている。
大きな街からもそう離れておらず、
必要に応じて街に出ることもある。
時代設定は定かでないが
私は昭和50年ごろかな?
と思っています。
アニメでこれほど
神話的な背景を持っているものが
幅広く受け入れられていることが、
昭和世代の私には信じがたい事。
4歳児の孫ですら、
これらのアニメをみてキャラの
名前まで覚えているの。
『鬼滅の刃』は子供のマスクまで
キャラクターグッズとして流行した。
それこそ『鬼滅の刃』フィギュア見て
名前が言えないと孫の4歳が
「知らないの?○○○だよ」という
影響力の強さに毎度の事
恐れ入っちゃっている。
『鬼滅の刃』『呪術廻戦』はじめ
『夏目友人帳』の
鬼や式神や妖怪を
すんなり私たちが受け入れられるのは
「八百万の神々」の血脈を
持っているからだと思う。
主人公「夏目貴志」について
祖母レイコ同様、妖怪を見ることができる類稀なる妖力の持ち主。幼い頃に両親と死に別れ、親戚中をたらい回しにされてきた。レイコの遺産「友人帳」を継いで以来、さまざまな人と妖怪との関わりに戸惑いながらも、妖怪たちへその名を返す日々を送っている。
さて、この主人公
「夏目貴志」と神々とのつながりを
言霊として分析してみたい。
夏 夏高津日神(なつたかつひのかみ)
は、羽山戸神(はやまとのかみ)が
大気都比売神(おおげつひめのかみ)
を娶って生んだ神の1柱。
古事記にのみ見られる神。
別名は夏之売神(なつのめのかみ)
「夏の高い日差し」を表す。
夏の高い日差しが、稲を育てる神。
よって太陽神であり、
かつ農業神でもある。
目 遠津年魚目々微比売
古事記では 遠津年魚目々微比売
(トオツアユメマクハシヒメ)
日本書紀では
遠津年魚眼眼妙媛
(トオツアユメマクハシヒメ)
紀伊の国の
荒河戸畔(アラカワトベ)の娘で
崇神天皇の妃となり
豊木入日子命(トヨキイリヒコノミコト)
豊鉏入日売命(トヨスキイリヒメノミコト)
を産んだ。
日本書紀では子供の
豊城入彦命(トヨキイリビコノミコト)
別名は豊城命(トヨキノミコト)が
東国に行き、
上毛野君(カミツケノノキミ)
下毛野君(シモツケノノキミ)の
始祖の始祖となっている
貴 貴布禰総本宮 貴船神社
貴船山と鞍馬山に挟まれた、
森林鬱蒼とする山峡に鎮座する。
社前には賀茂川の上流に位置する
貴船川が流れており、京の市中を
潤す鴨川の源流とも考えられた。
水神である高竃神を祀り、
古代の祈雨八十五座の一座と
されるなど、古くから祈雨の神
として信仰された。
水の神様として、
全国の料理・調理業や水を取扱う
商売の人々から信仰を集めている。
古来より歴代天皇は干ばつの時には
黒馬を、長雨には白馬を奉納して
祈願をしていたといい、
後に生きた馬に替えて、
馬形の板に着色した「板立馬」を
奉納したと伝えられる。
これが現在の絵馬の原形となった。
貴船神社が「絵馬発祥の社」と
いわれるのはそのため。
さらに木または紙に描かれた
馬の絵によって代用されるようになり、
江戸時代に入って個人が
小型の絵馬を神社に奉納する
習慣が広くする流行するにいたる。
また、縁結びの神としての信仰され
小説や漫画の陰陽師の人気により、
若いカップルで賑わっている。
その一方で縁切りの神、呪咀神
としても信仰されており、
丑の刻参りでも有名である。
ただし
「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」
に貴船明神が貴船山に
降臨した由緒から、
丑の刻に参拝して願いを掛けることは
心願成就の方法であり、
呪咀が本来の意味では無い。
平安時代には、
丑の刻であるかは不明だが
貴船神社は夜に参拝されていた。
志 志夫美宿禰王は皇族。
古事記にのみ登場。
日本書紀には記述なし。
父親は日子坐王(ヒコイマス王)
母親は山代の
荏名津比売(エナツヒメ)
別名は苅幡戸弁(カリハタトベ)
日子坐王(ヒコイマス王)は
開化天皇(9代)の皇子よって
志夫美宿禰王は
開化天皇の孫にあたる。
佐々君(ササノキミ)の祖先。
兄弟には大俣王(オオマタ王)
小俣王(コマタ王)
当麻勾君(タギマノマガリノキミ)の
祖先は
志夫美宿禰王(スブミノスクネ王)
佐々君(ササノキミ)の祖先。
大俣王(オオマタ王)には
曙立王(アケタツノミコ)
品遅部君(ホムヂベノキミ)
伊勢の佐那造(サナノミヤツコ)の
祖先菟上王(ウナカミノミコ)
比売陀君(ヒメダノキミ)
ね?
八百万の神々と呼ばれるだけの
ことはあると、納得しませんか?
親族=神族が大勢いるの。
「夏目貴志」を1文字ずつ
調べただけでも
神様大集合ですね!
水の神様、火の神様、
お金の神様に、縁結びの神様、
並べきれないほどの神々が
いらっしゃる。
あなたの名前には
神様が住んでいるのですよね!
2022年01月10日
アニメ『夏目友人帳』に見る「署名は命を差し出すと同じ」設定
アニメ『夏目友人帳』に見る「署名は命を差し出すと同じ」設定
Netflixで『夏目友人帳』と
いうタイトルをみつけた。
アニメは詳しくないが、
『鬼滅の刃』などで
名前のもつイメージや
キャラの面白さは見つけていたが、
今回は「帳」に引き寄せられて
ツイ観てしまった。
といっても2話までだが、
妖怪や神様の名前が書かれた
「友人帳」の署名が命同然という
扱いに「やっぱりね」感を持ってしまった。
神様や妖怪にとっても
「名前」は命同然の「言霊」。
主人公の夏目貴志の祖母レイコと
勝負して負けた妖怪や式神たちの
手書きのサインが書かれた「友人帳」。
妖怪や式神たちは必死に
自分が書いた署名を
取り戻そうとするため、
次々に妖怪や式神が
今後の展開では出てくるようだ。
Wikiからのあらすじ引用
高校生の夏目貴志は、幼いころから普通の人には見えない妖(あやかし、妖怪)の姿を見たり、声を聴くことのできる能力を持っていた。両親を亡くした貴志は、その能力のため「うそつき」「薄気味悪い」と言われ、父方の親戚を転々としていたが、遠縁の藤原滋・塔子夫妻に引き取られる。貴志は厄介者の自分を引き取った藤原夫妻の愛情に報いるため、自分の能力を隠しとおすと決めていた。ある日、「名前を返せ」と言う妖に襲われた貴志は、逃げる途中祠に封じられた妖怪斑(まだら)の封印を解いてしまう。貴志を見た斑は「夏目レイコじゃないか」と尋ねる。レイコは貴志の母方の祖母だった。貴志はレイコの数少ない遺品の中から「友人帳」を見つける。 友人帳は貴志と同様に妖が見え、周囲から孤立していたレイコが妖怪たちと勝負し、負かした結果、奪った名を集めた契約書の束だった。やがて、友人帳は「多くの妖を従え、使役出来る宝物」として妖たちの間に噂として広まっていた。斑は貴志から友人帳を奪おうとするが、貴志は斑と「俺が死んだら友人帳はお前にやる」という約束をし、かわりに斑は貴志の用心棒となる。依り代である招き猫と強く結びついてしまった斑は普通の人間には「頭の大きな猫」に見えるためニャンコ先生と呼ばれるようになる。こうして、貴志とニャンコ先生は友人帳から名を取り戻そうとする者、友人帳を奪おうとする者、希有な存在である貴志を喰らおうとする者、夏目レイコの復活を知って訪ねてきた者、相談事を抱えてきた者など様々な妖怪たちと関わりを持つことになる。レイコと妖怪たちとの繋がりは力任せな主従関係といった単純なものではなく、人から避けられ、人を避けて生きたレイコとそんなレイコを見かねた妖怪たちとの想い出の数々でもあった。貴志はレイコとの唯一の繋がりであり、名を縛られた妖たちにとっては命も同然の友人帳を大切に扱うようになる。また、様々な出来事を通じて妖たちとの出会いと別れを繰り返し、彼らが抱えた事情や想いを知ってゆく。
名前が
命同然の扱いをされているという
この物語展開。
そこでは私たちの名前が
「本人」にとって
最強の言霊であることが
当然として設定されている。
つまり私たちには
「夏目友人帳」の設定を
すんなり受け入れることのできる
日本人としての八百万の神々の
記憶がDNAに組み込まれている
と言えるのではないか?
まだ2話までだが、
そこに登場する小さな神様
「露神」は雨を降らせて、
田畑を潤す神様だ。
時代を経て
小さな祠をお参りする人々が
絶えた現代では大きく立派だった体も
一寸法師のように縮んでしまった。
神様だって私たちの崇拝を
受けなければ廃れてしまう、という
ストーリー展開。
開運好きじゃなくてもツーカーでわかる。
廃れた神社は
妖怪の住処になってしまうのは
私たちのとの
相互エネルギーの循環がなくなるから。
スターがファンの応援によって
ますます光り輝くのと反対に、
神様だって50年も人気が途絶えれば
霊力を失ってしまうのかもしれない。
名前=命という解釈は
貴志が露神の署名を返そうとするときに
如実に描写されていた。
他の妖怪の署名と紙がかさなり
ご飯粒で貼りついて剥がせない。
無理に貴志が剥がそうとすると
露神は海老反りになって、
まるで生皮を剥がれるように苦しむの。
露=人を潤す甘露
ご飯=日本人の主食、
お供え 紙=神
ちょっとしたシーンですら
八百万の神々がそこにいることを
感じないではいられない
「ニクイ」ほど上手いストーリーだ!
今日はデスマス調で書いてみました。
2022年01月09日
文豪ファンの方、舌の根も乾かぬうちにウソついてごめんなさい!
舌の根も乾かぬうちにウソついてごめんなさい!
なんかノリが悪っ・・・
誰にでも波はある。
波があるから「乗り」 という
言葉があるんだもんね!
それが、うっかりして
乗り=ノリを手放すような言葉
使っちゃってたわぁぁぁぁ。
ホント情けない・・・
(キャンセル言霊:
観ただけよかったじゃない)(笑)
流れを止める言霊って
「くっ、ビデオ撮り忘れた!」
流れにノレる言霊
「そっか。他のことした方がいいんだな」
流れを止める言霊
「うわ、雪が降ってきた。ついてないな」
流れにノレる言霊
「わぁ、純白の世界!心が洗われるわ!」
と天と地の開きの受け止め方。
キャンセルすることチョー大事!
最初にネガティブ言葉使っても
今のキャンセル!
今の巻き戻し! って
気が付いたときに
パッと反対の切り返しを 思いつく練習。
ノリには(流れに逆らわない)
クランボルツ博士は、 そのための
5つのキーワードを 大切にすることを
提唱されているの。
好奇心、柔軟性、冒険心、
継続性、楽観性 の5つ
言い訳タラタラの私、
「ま、そういうこともあるよね!」
文豪ストレイドッグスを見るのが
面倒くさくなっちゃって・・・
そうすると登場人物の
「名前」からの 言霊遊びを
中止することになる。
昨日あんなこと書いたのに
今日はコロリと変わってるわ・・・
一貫性がない人・・・
っていう流れを恐れるの。
でも、聞いたから、観てみた。
名前は面白い・・・
だけど
「名前」のプロファイリングのために
アニメを観るわけじゃあない。
フツーは面白いから 観ちゃう!
観ちゃうにならないなら
無理して観る必要はない。
っていうことだけなのよね。
文豪ストレイドッグスファンの方
お騒がせしてごめんなさい!
時間おいたら 又見たくなるかも。
それ以上に
『浪漫ドクターキムサブ』
にハマっちゃったのよ!
なんて言われたっていいわ!
だって、だーれもコメントで けしからん!
とは 言ってらっしゃらないから。
今日は自分が楽になれること
手帳から拾ってみました。
(どこまでも自分に大甘)
・興味があることは、まずやってみる
・小さく始める やってから判断する
・短期的な成果に左右され過ぎない
・予定変更は当たり前 変化受け入れ心
・なんでもは楽観的に、仕事は細切れに
・3か月間は、成果に関わらず続ける
・無理のない余力を持ってコトを始める
・面白そう、楽しそう!にチャンスあり
・頼まれごとで自分の世界が広がると信じる
・予定は詰め過ぎない ゆとり時間もいれる
以上、本日「イイワケ」の日でした。
2022年01月07日
『文豪ストレイドッグス』ってメチャクチャだよね?
『文豪ストレイドッグス』ってメチャクチャだよね?
私はある意味「名前」の専門家ですから、
歴史改竄小説の
登場人物の時代がズレていて、
この人とこの人は
どんなことがあったって出会うわけない!
名前を見て、違うだろ!
と思う改竄小説だと登場人物名の
無理押しにウゲェな方なの。
名前を見て
「生きてた時代が全く重ならない」
となると、
時代小説大好きだけどスルーしがち。
それが、昨年はNetflixでやってる
『鬼滅の刃』とかにハマっちゃったりして、
ますます「名前」と「漢字」の言霊に
オタク度を深めたのは言うまでもありません。
で、今度は小説好きだし
『文豪ストレイドッグス』でも観てみるか!
と見始めたら、
時代考証的なものは全部無視という
スゴイ設定に、
「ウヘェ、ありえんありえん」
と
内心もごもご呟きながら見ていたんですが・・・
文豪の名前って、自分でつけただけあって
面白いのよね!違う意味で・・・
漢字もさることながら、
読みの「音」が超絶スバラシイ!
むかし、
二葉亭四迷は文学するといって
父親から勘当されたときに
「くたばってしめー」と言われたから、
その言葉を作家名にしたと聞きました。
本名は「長谷川 辰之助」、
私の地元「尾張藩」のお侍さんで、
本名は御爺様から1字いただいてるの。
お勉強したのは「フランス語」なのに
ロシア文学にかぶれちゃって、
『あひゞき』『めぐりあひ』とか
なまめかしいタイトルの
写実主義小説かいてるのですが、
教養がある洒落っ気というものを感じます。
文豪ストレイドッグスは
見始めたばっかりだから、
まだ彼が出てくるかどうか不明ですが、
『鬼滅の刃』どうように、
「名前」と「漢字」と「能力名」などの
文字や言霊ににハマりそうです。
その中でも私がはるか昔、
エロい大人の事情が垣間見える作家として
熱中した江戸川乱歩が登場。
江戸川乱歩の作家名は推理作家の父。
エドガー・アラン・ポーを
日本語にしたわけですが、粋ですよね!
アニメの中での
乱歩の能力名:超推理。ありきたりだなぁ・・・
キャラは、異能力集団「武装探偵社」の
一員で名探偵。
同僚たちからも一目置かれる
鋭い観察眼を持ち、
警察から依頼された難事件を
解決に導いている。
自信家で、ふてぶてしく
子供っぽい言動が目立つ。
座右の銘は「僕がよければすべてよし」。
ね?
自信家=素晴らしい
ふてぶてしい=ストレート
子供っぽい=神様に愛される
トリプル素晴らしいキャラ!
極めつけに座右の銘が
「僕が良ければ、すべてよし」
これって自尊心が巨大だよね?
この名前、私的に言えば
「お江戸、八百八町に入り組んだ
ドブ川のを迷路のような事件を
乱れることも無く歩む。」って
かんじかしら?
ともかく、ハマりそうな予感するわ!
大切な2割だけを決めるだけの目標設定
大切な2割だけを決めるだけの目標設定
年頭に目標を決める方が
多いと思いますが、
私はこの2年あまり
2人合計180歳の両親の介護のため、
あまりにも予定変更が多すぎて
計画倒れ恐怖症に。
自分に甘いのはモチロン承知の上です。
まぁ、大切な2割だけを決めるだけの
目標設定ぐらいにしておいた方が
「私ってダメ」
「私って全然できてない」と思わずに済む。
そのぐらいゆるくても「何とかなる」って
いうのがわかってきたところ。
欲張っても無理しても、
あまり結果は変わらないのではないか?
とも思っています。
計画的偶発性理論とかいう
難しい言葉があって、 個人のキャリアの
8割は偶発的な出来事によって
決定されると言われています。
私も感覚的に、この8割というの
その通りだと感じています。
個人差や社会状況、
職種などの多様性を考えても、
50%から90%くらいが
予期せぬ出来事で今に至る、
といのが実情のようです。
つまり、
この予期せぬ出来事をどう捉えて、
どのように振る舞うかこそ、
本当に成し遂げたい
大切な目標に大きな影響を与える。
私の場合は「とっさの病院からの電話」で
予定をキャンセルしたり、変更したり。
どうしても介護に関しては
ワンオペですから人にお願いできないの。
だから
ユルユルにしておく。
これって、目標をまったく持たずに、
取り敢えず目の前のことをこなしましょう、
と言っている訳じゃないの。
優先しなくてはならないことがある、
という現実を前にしてこうする他ない、
という選択。
ただ、目標や計画が細かすぎると、
予期せぬ出来事への対応や
柔軟性に欠けてしまう。
むしろ今この状況は、
私がコントロールできない色々な
状況によって、
私の仕事やプライベートに
影響がでてくることがある。
そういうわけで
予測しづらい今の状況だから、
この考え方が役立つの。
あげたらキリがないのですが、
全て3年前には予想できなかった。
でもユルユルにしたら「何とかなった」、
ただ自己卑下したり、
罪悪感にさいなまれたりしないようにだけ
気をつけたの。
ただそれだけで
幸運に恵まれて来れたな、
と思っているの。
目標を数字でなくて
自分を大事にできるかどうか?
で決める。
それだけで
大切な2割は決まっちゃうと思うの。
私の今年の目標はセコイよ!
1.小銭が欲しいという両替以外で
コンビニに行ったら、 おつりは
寄付の箱に目をつぶっていれる。(笑い)
2.失くしたら同じものを買いたいと思うもの
だけを買う。
このぐらいでも、おつりを寄付できたら
「私は満たされているからできる」
んだって思える。
買い物も厳選するから、
きっと浪費とは無縁になる。
このぐらいで「なんとかなる」って
自分を信じています。
**今日のサムネ写真は
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おみくじ!最高の幸せです!