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2022年09月02日
これを知ったら「凶」はぜーんぜん怖くない!
これを知ったら「凶」はぜーんぜん怖くない!
漢字の字源を解く人は多い。
そのこと自体は、
古代中国に遡ることになる。
ただ、ここで私が言いたいのは、
日本は漢字という文化において、
漢字で繰り返し「イメージ」をする習慣がある。
漢字はその何百年ものあいだ
「イメージ」を蓄積しながら、
同時にイメージを練り上げる形に
進化したと言っても過言ではないと思う。
「思」と言う漢字で例を挙げてみよう。
田んぼの「田」に「心」と書く。
ところが「田」の上部の屋根のような
囲いを取り外すと、
「志」と言う漢字に変わってしまう。
つまり「志」は頭の中の枠の中で考える
「思う」のとは違って、
枠を取り払って、行動を伴いながら
考えることだといえる。
私たちは、それを
パッと漢字のイメージから読み取ることが
できるのである。
漢字をパーツごとに分解することを、
「破字する」と
私は動詞形で言っているので、
ご存知の方もいらっしゃると思う。
(エラそうにすみません)
頭の中でいろいろ練るのが「思う」であって、
言葉に出る前の状態が「思い」だとわかる。
これに対して「志」は言葉に発するときに
使うことが多く、言った以上は、
行動でも示す心の発動であること
自然にイメージとして浮かび上がってくる。
自然界で私たちが
必ず意識しなければならないことや、
繰り返しイメージできることが、
漢字は最初から持っている。
それこそが、旧字体から新字体に
変えられたとはいえ、漢字文化が
日本で生き残ってきた理由だとも思う。
漢字のスピリチュアルな意味を知れば、
これを生活に役立てることもできる。
ポジティブシンキングの世界、
よくいわれる「引き寄せ」では、
繰り返しイメージしたことが現実化するからである。
ポジティブシンキングの思想は、
30年ほど前に西洋から日本に
入ってきたと思う人もいると思うが、
実は日本の漢字の文化の中には
もともとその思想があったと思う。
それどころか、「漢字」は日本古来の
イメージ法であったということを
再認識すべき時期にあると思っています。
例えば「力」という人は、
すでに霊的パワーがイメージ的に宿っている。
「力」と書いた紙を、
壁に貼るだけで、「力」がみなぎる。
だから私たちはカレンダーなどの
「標語」が大好きだ。
私たちは長年「漢字」の
イメージトレーニングをしてきたと思えませんか?
それは漢字という
「文字の持つ強さ」だとしかいえない。
アルファベットでは1文字で表せる「言葉」は
冠詞の「a」ぐらいしかないし、
いくつかの文字を組み合わせて、
やっと語源をたどれるだけ!
漢字の中には、当然良い意味、
吉の意味の漢字もある。
それもイメージ「強さ」の一部だ。
反対にイメージが良くない代表は「凶」。
凶は、「困る」を意味する。
「困」という文字と違って「凶」は、
屋根の横棒が無く、周りを囲まれていない!
そこが実は「キモ」でもあるの。
1カ所に逃げ場があるように作られている。
かつ、
その逃げ場が上のほうに開いている。
上は易の方位で行くと「期待」を表す「北」。
北は「集中」、天から降りる「ひらめき」の
方位でもあるんです。
「凶」という文字1字をとっても、
一種の呪術がある。
つまり、どんなに行き詰まって
逃げ場がないような凶事にあっても、
たとえ大凶であったところで、
「北」に象徴される
「直感・ひらめき」さえあれば、OK!
それを信じる力さえあれば、
囲まれてダメ「X」な状態を
突破することができる。
そういうことを無意識に
感じ取れる文化があるの。
「貧すれば窮す、窮すれば即ち変ず、
変ずれば即ち通ず、通ずれば即ち久し」
という、言葉があるように
「窮すれば通づる」なんである。
だめなことをやっていたら、
必ず行き詰まるけれども、
無我夢中で集中すれば、必ず変化する。
つまり
ピンチ脱出の奇跡が起こるという
イメージが「凶」にはすでに込められている。
見えない世界からのサポートが
必ずあるのだというイメージだ。
「凶」の中の「〆」は、
まだ先!詰まっていない!
なぜなら、取り囲まれていない字だから。
こんなふうに、
悪いことを表す漢字も、
実はその漢字がもたらすイメージの中に、
突破口や
ポジティブな側面が含まれている。
ということは私たちが長年使用してきた
漢字は、ただ文字としての
意味を読み取るだけではなく、
意味を解読して感じる必要もある。
せっかく習得した「漢字」から、
現在の問題を読み解く、
当面の問題を読み解くことに
役立つ「イメージ」は
もっと活用するべきだと思う。