2015年08月09日
湯沢町スキー歴史
今回はシリーズで紹介します。
新潟県湯沢町のスキー歴史についてです。
湯沢町にある雪国館(湯沢町歴史民俗資料館)を訪れた際、スキーの歴史がたくさんありました。
その一部を紹介していきます。
日本にスキーがやってきたのは1911年オーストリアハンガリー帝国のレルヒ陸軍少佐が新潟県高田にスキーを伝えました。
その後、スキーは民間人にも講習が行われ各地に広がりました。
湯沢町も同様に本間栄太郎さんが1913年に高田でスキー講習を受講し初めてスキー用具を一式持ち込んできました。
また本間栄太郎さんは逓信管理局員ということで、スキーを履いて電話線の見回りをしており、それを見た子供たちがスキーに興味を持ちスキーが庶民でも行われるようになりました。
湯沢町(当時は湯沢村)もこのブームにのり、村主催のスキー講習会が開催されます。
1919年に開催され布場スキー場や岩原スキー場で毎月のように開催されたみたいです。
各地から受講生が多かったみたいで、布場スキー場や岩原スキー場は県内有数のスキー場として発展していきました。
スキーの発展は町の人々の生活が良くなりました。
例えば浅貝・二居・三俣地区の人々は冬に町に出ることはめったになかったそうです。
スキーの普及によって楽に町に出ることが出来たそうで、営林署や電力の関係者は皆スキーを利用していたみたいです。
特に三俣郵便局の逓送隊の方達はスキーが必須だったそうです。
このようにスキーは遊ぶためだけでなく、雪国の人々の利便性を図る道具の一つになりました。
湯沢町の民族歴史や川端康成の小説「雪国」については下のブログで紹介しています。
「雪国館」湯沢町歴史民俗資料館
また今回参考した本は
湯沢町史 「雪の湯沢」−雪国に暮らしてー
発行 湯沢町教育委員会 湯沢町史編さん室
です。
大変参考になる資料でした。
新潟県湯沢町のスキー歴史についてです。
湯沢町にある雪国館(湯沢町歴史民俗資料館)を訪れた際、スキーの歴史がたくさんありました。
その一部を紹介していきます。
日本にスキーがやってきたのは1911年オーストリアハンガリー帝国のレルヒ陸軍少佐が新潟県高田にスキーを伝えました。
その後、スキーは民間人にも講習が行われ各地に広がりました。
湯沢町も同様に本間栄太郎さんが1913年に高田でスキー講習を受講し初めてスキー用具を一式持ち込んできました。
また本間栄太郎さんは逓信管理局員ということで、スキーを履いて電話線の見回りをしており、それを見た子供たちがスキーに興味を持ちスキーが庶民でも行われるようになりました。
湯沢町(当時は湯沢村)もこのブームにのり、村主催のスキー講習会が開催されます。
1919年に開催され布場スキー場や岩原スキー場で毎月のように開催されたみたいです。
各地から受講生が多かったみたいで、布場スキー場や岩原スキー場は県内有数のスキー場として発展していきました。
スキーの発展は町の人々の生活が良くなりました。
例えば浅貝・二居・三俣地区の人々は冬に町に出ることはめったになかったそうです。
スキーの普及によって楽に町に出ることが出来たそうで、営林署や電力の関係者は皆スキーを利用していたみたいです。
特に三俣郵便局の逓送隊の方達はスキーが必須だったそうです。
このようにスキーは遊ぶためだけでなく、雪国の人々の利便性を図る道具の一つになりました。
湯沢町の民族歴史や川端康成の小説「雪国」については下のブログで紹介しています。
「雪国館」湯沢町歴史民俗資料館
また今回参考した本は
湯沢町史 「雪の湯沢」−雪国に暮らしてー
発行 湯沢町教育委員会 湯沢町史編さん室
です。
大変参考になる資料でした。
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