売れない作家はただの豚……とは限らない
ブログ立ち上げの日の文章を見るにつけ、長いわウザいわで始末が悪いと感じてしまう。今後ブログが続くかどうかはわからないが、そのための指針となるべき記事を今回くらいは書こうと思う。もっと短い、どうでもいい文章を。前回の文章も他者からすればどうでもいいのだろうが、私にとっては切実なのである。どうか放っておいて欲しい。どうせ誰も読んでいない。そんなものだ。
前回は秋山瑞人の話のために古橋秀之をダシにしてしまった感があるので、何か古橋の作品について話してみようと思う。
「ある日、爆弾がおちてきて」という短編集が電撃文庫から出ているのだが、連作短編でもアンソロジーでもない純粋な短編集がライトノベルレーベルから出るというのは非常に珍しいことである。これ以前に刊行された同様のものといえば、神坂一の「O・Pハンター」と貴子潤一郎の「眠り姫」くらいしか私は知らない。ひょっとしたら以後には沢山あるのかも知れないが、秋山の頸木から逃れられずにライトノベルに縛り付けられているだけの私には、最近のライトノベル事情はよくわからないというのが本音である。ちなみに、名前を上げた古橋以外の二つの短編集はどちらも佳作である。特に「眠り姫」所収の「さよなら、アーカイブ」からはライトノベルに収めておくには勿体ないほどの作者の力量を感じる。
話が逸れた。先の古橋の短編集に収められている「出席番号〇番」という短編なのだが、これがグレッグ・イーガンの読者は思わずにんまりとしてしまうような作品なのである。イーガンの「貸金庫」に着想を得たと思しき本作は、それでいてライトノベルの体裁からまったく外れることなる綺麗に纏め上げられている。小器用な作家だと思う反面、器用貧乏という印象も拭い切れないが、SF好きでライトノベルにも抵抗がないのであれば読んで損はない。
他に収められた作品もテーマはタイプの違う時間移動であり、梶尾真治の「美亜へ贈る真珠」「もう一人のチャーリィ・ゴードン(と、ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」)をネタにしたものもある。しかも面白い辺りがなおさら始末に負えない。これだけ書ける人が何故売れないのか不思議だが、小説に限らずそんなものはいくらでもある。現実は非情であり、だからこそ面白いと悟り切れない自身の器の小ささには我ながら落涙を禁じ得ない。
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ライトノベルらしからぬSF濃度。
「貸金庫」収録。
前回は秋山瑞人の話のために古橋秀之をダシにしてしまった感があるので、何か古橋の作品について話してみようと思う。
「ある日、爆弾がおちてきて」という短編集が電撃文庫から出ているのだが、連作短編でもアンソロジーでもない純粋な短編集がライトノベルレーベルから出るというのは非常に珍しいことである。これ以前に刊行された同様のものといえば、神坂一の「O・Pハンター」と貴子潤一郎の「眠り姫」くらいしか私は知らない。ひょっとしたら以後には沢山あるのかも知れないが、秋山の頸木から逃れられずにライトノベルに縛り付けられているだけの私には、最近のライトノベル事情はよくわからないというのが本音である。ちなみに、名前を上げた古橋以外の二つの短編集はどちらも佳作である。特に「眠り姫」所収の「さよなら、アーカイブ」からはライトノベルに収めておくには勿体ないほどの作者の力量を感じる。
話が逸れた。先の古橋の短編集に収められている「出席番号〇番」という短編なのだが、これがグレッグ・イーガンの読者は思わずにんまりとしてしまうような作品なのである。イーガンの「貸金庫」に着想を得たと思しき本作は、それでいてライトノベルの体裁からまったく外れることなる綺麗に纏め上げられている。小器用な作家だと思う反面、器用貧乏という印象も拭い切れないが、SF好きでライトノベルにも抵抗がないのであれば読んで損はない。
他に収められた作品もテーマはタイプの違う時間移動であり、梶尾真治の「美亜へ贈る真珠」「もう一人のチャーリィ・ゴードン(と、ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」)をネタにしたものもある。しかも面白い辺りがなおさら始末に負えない。これだけ書ける人が何故売れないのか不思議だが、小説に限らずそんなものはいくらでもある。現実は非情であり、だからこそ面白いと悟り切れない自身の器の小ささには我ながら落涙を禁じ得ない。
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「貸金庫」収録。
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