問うて曰わく、十界互具の仏語分明なり。しかりといえども、我らが劣心に仏法界を具すること、信を取り難きものなり。
『日蓮大聖人御書全集』新版 128頁(観心本尊抄)
日蓮は、「観心本尊抄」において、質問者に上記の問いを立てさせています。十界互具の理屈は理解できても、自らの劣った心に仏界、仏法界があるとは、なかなか、実感を持ちにくいものです。この点をよく表した文です。
しかし、仏法を信仰するとは、自らの心、生命に仏界、仏法界が備わっていることを覚知し、それを顕現することにありますので、実感が湧かない、信じることができないなどと言っている場合ではないのですね。我が身、仏身となるように信仰しなければなりませんし、そうでなければ信仰する意義は一切ないといってよいでしょう。
「観心本尊抄」を拝しながら、自らの仏界をとことんまで追求することが大事です。仏があるのか、ないのか、という問いを立てるのではなく、自分の中に仏が存在すると信仰することですね。あるか、ないか、ではなく、もうあるのだという信仰が必要です。
仏の生命、仏界、仏法界が己から出てこないならば、仏教を信仰しているとはいえず、どんなことがあろうとも我が身から仏が滲み出るようにすべきであり、これが信仰なのですね。
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