日本のような高い文明国には、むかしもいまも、数かぎりないよい本が日本語であります。しかし、それでも外国語の本を必要とする人は、一番必要なものからはじめるのがよろしい。外国語を習うのに一番こうつごうな教科書は、私たちが一番必要としている本以外にないと思います。
加藤周一『頭の回転をよくする読書術』光文社 144頁
どうしても外国語で書かれた本の内容を知りたいという状況にない限り、外国語を習得することは困難であるようです。
通常、主要な外国語の本には、日本語訳がありますので、外国語を習得する必要はありません。
それ以外の外国語で書かれたものを読む必要がある場合、外国語を読む力が必要になります。ただ、本当にその外国語で書かれたものを知る必要があるのかと問われると、そのような必要性はない、という回答になる人がほとんどでしょう。
実のところ、日本に住んでいる場合、外国語は必要ないのですね。外国語を使う状況に出会うことが、まずないのです。
例外として、ネットの世界では、少し込み入って検索すると外国語のサイトに行き着くことがありますが、その際、早々に読むのを諦めて退出していまうことが多々あります。ある意味、その外国語のサイトに入った段階で、その外国語、それもほとんど英語ですが、その英語サイトにある内容を知らなければならない状況にあるといえますので、まさに、このときこそ、その英語を読めばいいものを、英語を読むのが面倒になり、退出するのですね。全く英語が読めないわけではないにしても、英語を読むのに時間がかかるため、嫌になってしまうのですね。
やはり、ある程度の速度で英語が読める実力を付けませんと英語を読もうとは思わないものです。
そこで、ある程度の速度で英語が読める実力を付けようと思うのですが、これもなかなか大変なのですね。時間、労力がかかるのですね。英語学習そのものを楽しむという側面がないと続かないですね。昨日よりも今日の自分が成長しているというところに喜びを感じる感性がないと勉強は続きません。
英語学習が趣味にならないと英語学習を続けるのは困難です。功利的な観点からのみで英語学習を考えますと、費用対効果が悪すぎるのですね。所謂、コスパが悪いのです。外国語の本であっても、日本語訳が充実していますので、外国語で読む必要がなく、日本語で読めばいいわけですから、外国語学習のモチベーションはあがりません。
外国語学習、主に英語学習ですが、その英語学習そのものに価値を見出しませんと、学習を続けることはできません。
外国語を外国語そのもののために勉強することにも、言葉の構造がものの考え方を制約し、ものの考え方が言葉の構造を制約する以上、大きな意味があるといわなければなりますまい。
同書 154頁
このように英語学習そのものに価値があるという側面があります。基礎的な英語力、それなりの速度で英語が読める力を付けることは、費用対効果は悪いにしても、功利的な面だけでない価値があります。
地道に英語を学習しますと、少しずつではあっても、英語力が付きます。1年2年という単位で考えるのではなく、10年20年という単位で考えますと、なかなかの英語力が身に付くでしょうから、とにかく、英語の構造が分かった上で英語が読めるようになるために、黄リー教を軸に英語を学ぶほかないようです。