日本の指導者によって『君主論』でマキアヴェリが説いたノウハウが悪用されないように監視することが重要と考えている。
と言っていますが、まさにその通りと感じます。
『君主論』を読みますと人々をコントロールする智慧がふんだんに織り込まれており、善用するならば問題はありませんが、悪用されると困ったことになるなと感じるのですね。
悪い奴らは、当然、『君主論』を悪用します。善用しようとは思いません。『君主論』そのものが良質の智慧で出来上がった書物ですから、悪用であろうと強い説得力を持ち、人々をコントロールすることができます。
悪い奴らの思い通りにさせてはなりません。そのためには、我々の方としては、悪い奴らよりも『君主論』を読み込む必要があります。何度も読むことが必要であり、より深く理解することに努めなければなりません。『君主論』で書かれている表面的な言葉を理解することに留まるのではなく、その内実に切り込んで、自らの血肉にする読み方が求められます。
そうしますと悪い奴らが『君主論』を悪用していることが分かり、その対処ができるようになります。悪い奴らより上を行く行動をなして、被害を食い止めることができます。
当然、悪い奴らも『君主論』を何度も読み、悪用であろうが自らの血肉にしてきますから、我々は、それを上回る読書回数、良質の読書をもって対応することが肝要です。
このことから、常に読書していかなければならないわけですね。悪い奴らが常にブラッシュアップしているのならば、我々はそれを超えるブラッシュアップをしなければ、いいようにされてしまいます。読書する必要があるかどうかという議論はナンセンスであり、読書しないと危ないよという現実をみれば、自ずと読書するでしょう。