魔事を転じて仏事と為す
『国訳一切経 (和漢撰述部 諸宗部 3)』大東出版社 149頁
魔の事柄が起きようとも、仏の事柄に転じていくということです。
このようになれば、理想的ですね。
しかし、魔事は、魔事のままで、人生を振り回されるのが凡夫というものです。ここに信仰が要請されるのでありましょう。
信仰をする中で、仏事という次元を見出し、魔事の次元に留まらないという発想を得て、魔事を転じながら仏事に至るという生き方が可能となります。
どのようなことが起きようとも仏の次元、仏事と転じていくのが信仰というものでしょう。
何のための信仰か。それは、仏を得るためですから、事柄としては仏事でなければなりません。魔事であろうが何であろうが、転じることによって、仏事とする。ここに信仰の根幹があるように思えてなりません。
結局、すべて仏であると達観するのが仏教信仰者の道といえましょう。