世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴で埋っている。元来何しに世の中へ面を曝しているんだか、解しかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのを以て、さも名誉の如く心得ている。
夏目漱石『草枕』新潮文庫 138頁
どこに行っても嫌な奴ばかりとは、この世の中のことですが、やはり、嫌な奴は嫌な奴だけあって、人の気分を害することを言うものです。
見当はずれのことを言い、人を困惑させます。
夏目漱石が指摘する通りの人間であり、せこいのですね。そして、欲深い。いやらしさが滲み出ています。
この世の中に何しに来たのかと疑われるような人間です。しかし、そんな人間の顔は大きいという。確かに、顔はでかいですね。そして、いい気になっています。
『草枕』は、110年前の作品ですが、嫌な奴の特徴は、現在と全く同じです。
このような嫌な奴に、それこそ、嫌な気分にさせされることがあるわけですが、その後、嫌な気分が、数日間、続くものです。毒々しさが強烈だからでしょうね。
嫌な気分がなくなればよいと思うのですが、毒々しさが半端ないわけで、消えることはありません。
消えろと言っても、消えないのですから、もう、諦めて、いつでもいらっしゃいという気分になっています。
そしますと、少しは楽になるものです。
消えろ消えろと念じなくてよいからですね。
どうせ、この世の中は嫌なことだらけといってもいいでしょう。嫌なことと一緒に生きていくのが人生ともいえます。
どうぞ、嫌な気分、お越しくださいという姿勢が普通なのかもしれません。
ただ、うれしいこと、楽しいこと等々も人生にありますので、人生には、さまざまなことがあるという当たり前のことを再確認し、嫌な気分とも上手に付き合うしかないようですね。