雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ
文 宮沢賢治 英訳 アーサー・ビナード 絵 山村浩二
『雨ニモマケズ Rain Won’t』今人舎
あまりにも有名な宮沢賢治の「雨ニモマケズ」ですが、「決シテ瞋ラズ」の所など、法華経の精神が息づいているように思います。
「雨ニモマケズ」を大切にする気持ちのある人は、「決シテ瞋ラズ」でなければなりませんね。
つい、「ケンクヮヤソショウ」(喧嘩や訴訟)で争い、いがみ合い、それこそ、宮沢賢治が言うように「ツマラナイ」ことで時間を費やしすぎてしまいます。
瞋って、争うことは、「ツマラナイカラヤメロ」と宮沢賢治は指摘します。
「雨ニモマケズ」には、一見弱々しく見えながらも、実は、地に足がついた力強さが感じられ、それと同時に、心に平安が訪れます。不思議な力がありますね。
「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」など、手厳しい指摘もなされています。
我々は、自分のことだけ考え、その割には自分のためになっていないという愚を犯しがちですが、まずは、自分を勘定に入れずに、物事を見ることでしょうね。その上で、理解し、そして忘れないということです。
理解はしない、理解してもすぐ忘れるという状態では、あまりにも情けない。
宮沢賢治の指摘の通り、虚心坦懐にあらゆることを把握することですね。法華経的精神で生きていくということに他ならないと言えましょう。