英語を母語とする純粋な英語話者が存在するかぎり、英語はけっして平等な国際対話を可能ならしめる「国際語」や「世界共通語」にはなり得ないのである。
斎藤兆史『日本人に一番合った英語学習法』祥伝社 77頁
我々日本人が一生懸命英語を習得したところで、ネイティブにはかないません。
所詮、不平等な中での対話しか為せないのですね。
逆を考えれば分かりやすいですが、純粋な英語話者であるアメリカ人やイギリス人がいくら日本語を習得したといっても、純粋な日本語話者にはかないません。
お互い様と言いたいところですが、そう言えないのですね。
英語の方が世界的に影響力が大きく、日本語は実際のところ、日本でしか通じないという現実があるからです。
純粋な英語話者が日本語を習得しようというモチベーションはないでしょうし、必要性もないといえます。
しかし、純粋な日本語話者である我々にとって、特別に英語を習得しなければならないことはないといえるかもしれませんが、インターネットで使用されている言語のほぼ半数は英語であることを考えると、何もしなくてよいとも言い切れません。
やはり、それなりに英語を習得する必要があると考えるのが妥当でしょう。
では、英語で日常会話するのが大事なのかというとそうでもありません。
日常的な用を足すのに大した英語力は要らない。日常的な英語を流暢に操ることをもって高度な英語力の証だと勘違いしている人がいるが、英語の習得段階からすれば、その辺はまだ初歩の初歩である。
同書 89頁
我々が英語で日常会話をする機会は、まずありません。日本にいるのですから。
我々が英語に接するのは、主にインターネットですね。英語での様々な記事、動画等々があります。ここにおいて、日常英会話は必要ないですね。
それよりも、英語読解力が必要ですし、英語聴取力が必要となります。
まともな英語力といいますか、正統な英語といいますか、お茶を濁す程度の英語でない英語が必要なのですね。
確かに、ネイティブレベルになれないとしても、それなりの英語読解力と英語聴取力は身に付けておきたいですね。
あくまでも情報収集のための英語力を身に付けるという一定の基準を設け、その基準に達するよう、適切な勉強をするのがよいですね。
純粋な英語話者と平等に対話ができるなどという夢想をしないことですね。
英語習得に際し、習得する範囲を絞るのが効率のよい方法といえます。