「うまく質問するのは、なかなか難しい。問題がなければ質問しないわけだが、その問題が間違っていたらしょうがないでしょう。うまく問題を自分で拵えて、質問をしなければいけない」(『小林秀雄学生との対話』新潮社 53頁)
そもそも質問が破綻している場合があります。
例えば、ラーメンを注文した人に対し、「麺とスープ、どっちを取るのか」と質問した場合、この質問が破綻していることは誰でも分かります。
麺とスープとが一体となったラーメンを注文しているのであって、麺とスープとを別々にしている段階で間違っています。
ましてや、その内の1つを選べと迫るのは、狂気の沙汰でしょう。
しかし、このような破綻した質問をしていることが多いものです。
世の中の事象は、さまざまな事柄が絡み合って成り立っています。
よって、ひとつひとつの事柄が、単独で成り立っているのではなく、いくつかの事柄がまとまった上で意味を持っています。
まとまった事柄は、そのまとまった事柄として把握しなければなりません。
そのまとまった事柄を分解し、どちらかを選べと質問することは、質問の形式をとっているにしても、質問でもなんでもありません。
分解してはいけない事柄を分解している段階で、間違いを犯しているわけですね。
また、関係しない二つの事柄を俎上に載せて、どちらを取るのかという質問もよく見受けられます。
「仕事と私のどちらを取るの」という問いはよく耳にしますね。
これも破綻している質問の典型例ですね。
実は質問になっていないのですね。
これは、このような破綻した質問をしている人が物事を理解していないことをあらわしています。
ただ単に、私を選んでと言っているだけなのですね。
ひとつ言えることは、このような破綻している質問をしている人を相手にしてはいけないということです。
混乱させられるだけで、何らの価値をも生みません。
時間の無駄の何ものでもありません。
いかに質問が難しいかが分かります。
適切な質問が出来ているならば、適切な回答、解決が得られます。
しかし、質問が破綻していますと、答えは出てきませんし、解決もしません。
実は、適切な問いが立てられているならば、物事の半分は解決しているといってよいでしょう。
もっと言えば、解決するためのレールに乗っているといえるでしょう。
あとは、然るべき手続きを進めていけば、解決するということですね。