現在、大企業となっている企業も当初は小さな会社からスタートしています。
収益を上げていきながら大きくなってきたわけですが、企業活動を進める上で、どうしても支払わなければならないものがあります。
1 仕事をしてくれる従業員に対する給料を支払わなければなりません。
2 顧客に提供する品物の仕入代を支払わなければなりません。
3 収益のなかから法人税を支払わなければなりません。
これらを払わずして企業活動をすることはできません。
当たり前のことですね。
それでも、これらの支払いをしつつも大企業になったのですから、立派なものです。
しかし、新宗教団体となると話が違ってきます。
1 宗教活動をしてくれる信者に対して給料など支払いません。
2 何も提供せず、信者から寄付金、献金をもらいます。
3 信者からの寄付金、献金は非課税ですから、税金を払いません。
宗教活動をしてもらっても給料を払わず、お金をもらいながら何も提供せず、税金は一切払わない。
急成長しないわけがありません。
信者同士で宗教活動をしてもらいながら教団の運営、維持をしてもらい、寄付金、献金集めすらも信者にしてもらう。
新宗教団体そのものがしていることといえば、タダで信者に動いてもらうための管理ぐらいでしょう。
新宗教団体にとっては、タダで信者を動かせる人が優秀な教団職員ということでしょうね。
また、何も提供せずとも、信者が喜んで多額の寄付金、献金をしてくれるよう仕向けることができる人が優秀な教団職員といえるでしょう。
新宗教団体がしていることは、このような信者の管理です。
新宗教団体としては、管理のための教団職員の人件費が唯一の負担でしょうか。
信者にもそれなりの手当てを出していたら、教団は潰れるでしょう。
面倒なことは信者に、収益は教団に、という構図ですね。
巨大新宗教団体が多いのも頷けます。
巨大新宗教団体が存在しているにしても、新宗教団体の急成長の理由はこのような感じですから、パッと出の新しい新宗教団体もそれなりの教団になっていきます。
では、既成仏教団体は、どうでしょうか。
1 僧侶自らが宗教活動をしなければなりません。信徒は何もしません。
2 僧侶は、葬式、法事のサービスを提供して信徒からお金をもらいます。
3 税金に関しては、新宗教団体と同様、非課税です。
信徒が率先して僧侶の代わりに宗教活動をしてくれるわけでもなく、何もせずともお金をくれるわけでもなく、ましてや、信徒が葬式、法事をしてくれなくなっているわけですから、財政的には苦しいでしょう。
財政的に苦しいわけですから、非課税であっても旨味は少ないですね。
新宗教団体方式の方が、労少なくして莫大な収益があがります。
このことから分かるのは、信仰は、教団等に頼るのではなく、自分で行うことですね。
これも本来は当たり前のことなのですが、教団のやり方が巧みである故、教団がなければ信仰ができないと勘違いさせられてしまう人々がいるのですね。
あえて教団を利用、活用する際は、余分なお金、余分な時間が取られないよう、十分に注意しておくことですね。
常識的な範囲でのお付き合いであれば、教団と共生するのも悪くないでしょう。
ビジネスの視点から考えれば、新宗教団体の急成長は異常です。
そのメカニズムを理解したうえで、適切な距離感を保ちながら教団とは付き合いをしていくことですね。
教団を忌み嫌うのも、教団に入れ揚げてしまうのも、みっともない振る舞いです。
世の中の宗教事象を明らかに見ながら、大人の振る舞いをしていきたいものです。