「努力しようとする意欲、挑戦する意欲、さらに(普通の意味での)功績や資格を手に入れようとする意欲といったものでさえ、幸福な家庭と社会的情況とによって決まってしまう」(ジョン・ロールズ『正義論』改訂版 川本隆史ほか訳 紀伊国屋書店 100頁)
よく、「やればできる」という言葉を聞くことがあります。
確かに、やればできますから、この言葉は正しいといえるでしょう。
「やればできる」という言葉は、ただ単に事実を述べているだけの言葉ですね。
努力すれば努力したなりの結果が出るものです。
ここには何らの問題点もありません。
問題なのは、やろうとしても、なかなかできないというところにあります。
つまり、努力できるかどうかが大きな問題ということですね。
なぜ、やろうとしてもできないのか。
なぜ、努力しようとしても努力できないのか。
もっと言えば、そもそも、努力する人と努力しようとしない人との違いは何なのか。
ジョン・ロールズの言葉を借りれば、幸福な家庭に恵まれているかいないかの違いといえそうです。
幸福な家庭に恵まれる人は努力して、より一層、幸福になる。
幸福な家庭に恵まれていない人は、努力しないので、より一層、不幸になる。
簡単に言えばこういうことでしょう。
身も蓋もありませんが、世の中を少しく観察しただけでも、この現実を確認することができます。
その通り、その通り、といった感じですね。
1 努力しようとする意欲
2 挑戦する意欲
3 功績や資格を手に入れようとする意欲
上記3つの意欲は、幸福な家庭に恵まれた人に備わるのであって、不幸な家庭で育つと努力しようとする意欲そのものが備わらないということは、恐ろしい現実のように感じられます。
幸不幸は、最初から決まっているといってもよく、厳しい現実が見て取れます。
「人が意欲的になす努力は当人の生得的能力および技能と当人が手にしている選択肢とによって影響されるということが、ここでも明らかだろう。才能や資質において恵まれた人びとが他の条件が同じであれば良心的に努力する可能性は高いだろうし、また彼らのより大きな幸福に関して割り引く方法が皆無であるように思われる」(同書 415頁)
人が意欲的になす努力には、以下の3つの条件が必要なようです。
1 当人の生得的能力
2 当人の技能
3 当人が手にしている選択肢
まず、元々持っている能力が大切なようですね。
そして、その人が持っている技能が大切ということです。
それだけでなく、「当人が手にしている選択肢」ということですから、さまざまな生き方を選ぶことができる、つまりは、恵まれた家庭、恵まれた環境が大切ということですね。
能力、技能があって、恵まれた家庭環境にある人は、意欲的に努力する傾向があるということです。
逆に言うと、能力がなく、技能がなく、恵まれない家庭環境にある人は、そもそも、意欲的に努力する傾向がないということになりますね。
幸福になる人は、はじめから決まっているといえそうですね。
はじめから幸福な人はいいですが、そうでない人がほとんどでしょうから、このような現実を直視しながらも、どうにかできないものかと考える必要があります。
先にあげた、
1 当人の生得的能力
2 当人の技能
3 当人が手にしている選択肢
を持っている人は、極めて少数であることは確かですが、自分自身にこの3つの条件が本来的にはあるのだけれども、たまたま表に出ていないだけと考える方法があります。
つまり、これからが本番であるという考え方ですね。
元々、意欲的に努力することができる人間であり、これから、それを実現していくという生き方ですね。
過去ではなく、現在を生き、未来に向かって自身の可能性を開くという人生ですね。
確かに、幸福でない家庭で育った過去があるかもしれませんが、その現実はしっかりと受け止めながらも、現在、未来に向けて、いままで表に現れてこなかった幸福を開くという心構えで生きていくことが大切であるように思います。
意欲的に努力する生命を自らの内から汲み出しいくことが肝要ですね。
意欲的に努力する生命が出てくれば、「やればできる」という通り、やるわけですから、できるわけです。
その人に応じた幸福が目の前に現れるということですね。
もっといえば、どんな困難があろうとも、意欲的に努力する生命が放出されている限り、その人は、もう幸福といえるでしょう。